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じきに、死ぬほど狂いたくなるぞ

人に害なす魔妖は、滅ぼされなければならない

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 意識が薄れてゆく。

 ふいに、首輪がけたたましい音を立てた。峻烈にきらめく。

 黒狼の魔妖はいらだたしげに唸った。
「この首輪」
 溶岩のような金の妖瞳が苦悶にほそめられる。魔妖は巨大な牙を剥きだし、ラウの喉をくわえたまま何度も地面へと叩きつけるようにして振り、投げ飛ばした。

 ラウはもんどり打って地面に倒れ込む。
 逃げようとしても身体が全く動かなかった。爪が虚しく土を掻く。

 喉が熱い。苦しい。

 魔妖は邪魔な首輪に手を掛けた。乱暴に引きちぎろうと無理矢理鷲掴む。ラウは首輪に喉を締めあげられ、呻いた。
 魔妖が吠え猛る。

 そのとき。
 首輪全体が銀のかがやきを放って魔妖の手を焼き焦がした。怒りを宿した銀の神官杖が空を切って旋回し、紫電の矢を続けざまに放つ。月金石が石琴のごとく玲瓏に鳴り渡る。
 光が魔妖の頬をかすめ、背後の木に突き立った。
 一瞬の間をおいて木が粉々に爆散する。

 純白と、銀と。燃え立つかのような紫紅の瞳。右手に杖。左手にゾーイの剣。戦闘神官の孤高な装いに身を包んだアリストラムが黒狼の魔妖を睨みすえていた。

 魔妖は頬に流れた血を拳でぬぐった。わずかにこわばった顔を上げる。

「手を放しなさい」
 青ざめた聖銀の弧を描く杖を、ぴたり、と、剣の切っ先の如く突きつける。紫紅の眼がゆらめかんばかりの怒りに燃え立っていた。
 押し殺した声が、矢となって魔妖をつらぬく。

「……人に害なす魔妖は、滅ぼされなければならない」

 その声は、死者の埋葬を告げる夕闇の鐘のようだった。静かに、厳かに、破滅する闇の行く末を宣下する断罪使徒の、声。

 黒狼の魔妖は一瞬の動転をたちまち消し去り、ラウを襲ったおぞましい姿のまま黒い尾をひるがえらせて闇へと跳ね戻った。憎悪に満ちた唸り声が笑い声に混じる。
 金眼がゆらりと笑みくずれた。高圧的に含み笑う。

聖銀アージェンの教徒。なるほど、そういうことか。面白い」

 黒狼は嘲笑の闇に身をまぎらわせた。闇散る気配となってゆらめき消えてゆく。

 アリストラムはあえて後を追おうとはしなかった。するどい眼で森の闇を見通し、妖気が完全に消えたことを確かめるとわずかに顔をゆがめ、急いでラウの傍らに膝をつく。
「大丈夫ですか、ラウ」

 ラウは、突然に身体の奥からこみ上げてきた悲鳴を押さえきれず、アリストラムの手にしがみついた。
「アリス……!」

 アリストラムはそれ以上何も言わず、純白のコートを脱ぎ落とした。ラウの身体をコートでしっかりと包み込む。ラウはアリストラムの腕に抱かれながら、その胸にしがみついて泣きじゃくった。
「ごめんなさい……あたしが……あたしが勝手に、部屋を飛びだしたりしたから」

「何も言わなくてもいいのです」
 アリストラムは低くつぶやくと、くるんだコートごとラウの身体を抱き上げた。
「とにかく手当を。あれだけの力を持った魔妖を相手に、この程度で済んでよかった。おそらく、あれが今回の敵でしょう」

 アリストラムはラウを抱きしめた。ラウは身を任せ眼を閉じようとしたが、眼を閉じただけで記憶が心を焼く閃光となってよみがえった。脅され、尻尾を捕まれ、強引に引きずり倒されて――

 悲鳴を上げて眼をつむる。身体がおこりのようにがくがくと震え出した。ラウの急変に気付いたのか、アリスはなおいっそう強くラウを抱いた。
「ラウ、大丈夫です。心配はいりません。私がついています。もう二度と貴女を危険な目には遭わせない」
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