16 / 69
ラウ、逃走
……は、は、は……穿いて……な……い……?
しおりを挟む
小鳥がさえずっている。窓の外はまぶしいぐらいに白い。朝焼けの誇らしげな紅色が湖に反射しているかのようだった。
淡い暁のしじまを吹き払う森の息吹が、みずみずしくも豊かに行き渡ってゆく。
窓からそよと吹き入って部屋にたゆたう風は、湖の上を渡って朝を連れてくる霧の香りがした。
ラウはぼんやりと眼を覚ました。しばらくの間、鼻先に押しつけられた暖かなアリストラムの匂いを感じ続ける。
なぜだかしっぽがぱたぱたする。
くんくんといろいろな匂いを嗅ぎ、たっぷりと息を吸い込む。鼻腔を満たす安堵の香りに満足して、もう一度身体を丸める。アリストラムの、頭をなでなでしてくれる手をぼんやりと思い出した。普段のアリストラムはやたら口うるさいけれど、でも、あの手だけはすごく気持ちいい。触れられること自体が嬉しくなる。
身じろぎすると、腰に回されたアリストラムの腕が滑り落ちた。変な姿勢で寝ていたせいか、あちこちが妙に痛い。
アリストラムの腕の中で丸まったまま、しばし考え込む。
なぜそんなことをしたのかよく分からない。少しずつ眼が覚めてくるうち、さすがに居心地が悪くなってきた。とりあえずこっそりと起きあがって、巣穴から頭を突き出す子狼よろしく首を伸ばして周囲を見回す。
何となく嫌な予感がした。とりあえずアリストラムの寝姿をのぞき込む。眠っている。あまり顔色が良いようには見えない。
ラウはくんと鼻をひくつかせた。
手を小脇につき、耳をアリストラムの口元へと近づける。おだやかな寝息が聞こえる。あの息もしていないような病的な眠りの感じではない。
あえて不安を振り払う。こうやってもじもじしていれば心ならずもアリストラムを起こしてしまうかもしれない、などと、どっちが本心やら分からないまどろっこしい気持ちをあれこれ取りつくろって心の片隅に追いやり、反応のない身体を馬乗りにまたぎ越えてベッドから降りよう、として。
ふと、眼を、傍らへとやる。視界に違和感を覚えさせる”何か”が入った。
普通ならちゃんと着ているはずのものだ。普通なら。だが今はなぜか、”それ”はラウの視線の先にある。
眼を、ぱちくりとさせる。
”そこにあってはならないもの”が、見える気がした。
昨夜の寝入りばなには間違いなく着たつもり、でいた……着ぐるみパジャマと、同じく間違いなく穿いたつもり、でいた……骨付き肉のアップリケ付き、木綿のかぼちゃぱんつ。
それらが、ぽてん、と。
何というか、その……そのまま置いてある。
いやいや暫時待て、である。ラウは奇妙な冷静さを取り戻した。ぱんつはこの際どうでもいい。そこにぱんつがある、という事実はまあ事実には違いないだろうけれど、それは単にその当該ぱんつの現在位置を把握したということに過ぎない。木綿じゃなくてやっぱりぬくぬく毛皮のぱんつがいい、いややっぱりここは黒の勝負ぱんつでしょう、等々、きゃっきゃうふふとばかりにあれこれ選ぶ過程においては誤ってベッドにぱんつを置き忘れてしまう、などといった不慮の事態もままあるだろう、いや、あるに違いない。
だが、他ならぬたった一枚のぱんつが、ということであれば、話は別だ。
少し息苦しげに息をつくアリストラムが、かすかに身じろぎした。寝息が、撫でるようにぬるく腰の内側へと吹きかかる。
「うっ」
内腿をかすめる吐息のあまりの近さに、ぞくっ、と寒気が走る。しっぽがこわばった。
あり得ない。ぎ、ぎぎ、と、壊れた操り人形のように軋む首を捻って、アリストラムを見下ろす。
穏やかな吐息が、直接、かかる。
ラウは、アリストラムの顔面にまたがった状態で凝り固まった。
……は、は、は……穿いて……な……い……?
「ラウ」
薄く目が開く。ぎくぎくと怯えたしっぽが、アリストラムの鼻先をくすぐっている。端麗な顔立ちがわずかにしかめられた。
眼が合う。
半ばまだまどろみの中にいる紫紅の瞳が、柔らかなもふもふにうずもれた困惑に瞬く。アリストラムはわずかに苦しげな吐息をつき、手をあげて視界を遮るしっぽを掻き分けた。眼をしばたたかせ、見る。
「あ」
……。
…………見られた。
……見ら……れ……アリストラムに……み……み、見られ……ああああんぎゃぁぁぁああ……!
淡い暁のしじまを吹き払う森の息吹が、みずみずしくも豊かに行き渡ってゆく。
窓からそよと吹き入って部屋にたゆたう風は、湖の上を渡って朝を連れてくる霧の香りがした。
ラウはぼんやりと眼を覚ました。しばらくの間、鼻先に押しつけられた暖かなアリストラムの匂いを感じ続ける。
なぜだかしっぽがぱたぱたする。
くんくんといろいろな匂いを嗅ぎ、たっぷりと息を吸い込む。鼻腔を満たす安堵の香りに満足して、もう一度身体を丸める。アリストラムの、頭をなでなでしてくれる手をぼんやりと思い出した。普段のアリストラムはやたら口うるさいけれど、でも、あの手だけはすごく気持ちいい。触れられること自体が嬉しくなる。
身じろぎすると、腰に回されたアリストラムの腕が滑り落ちた。変な姿勢で寝ていたせいか、あちこちが妙に痛い。
アリストラムの腕の中で丸まったまま、しばし考え込む。
なぜそんなことをしたのかよく分からない。少しずつ眼が覚めてくるうち、さすがに居心地が悪くなってきた。とりあえずこっそりと起きあがって、巣穴から頭を突き出す子狼よろしく首を伸ばして周囲を見回す。
何となく嫌な予感がした。とりあえずアリストラムの寝姿をのぞき込む。眠っている。あまり顔色が良いようには見えない。
ラウはくんと鼻をひくつかせた。
手を小脇につき、耳をアリストラムの口元へと近づける。おだやかな寝息が聞こえる。あの息もしていないような病的な眠りの感じではない。
あえて不安を振り払う。こうやってもじもじしていれば心ならずもアリストラムを起こしてしまうかもしれない、などと、どっちが本心やら分からないまどろっこしい気持ちをあれこれ取りつくろって心の片隅に追いやり、反応のない身体を馬乗りにまたぎ越えてベッドから降りよう、として。
ふと、眼を、傍らへとやる。視界に違和感を覚えさせる”何か”が入った。
普通ならちゃんと着ているはずのものだ。普通なら。だが今はなぜか、”それ”はラウの視線の先にある。
眼を、ぱちくりとさせる。
”そこにあってはならないもの”が、見える気がした。
昨夜の寝入りばなには間違いなく着たつもり、でいた……着ぐるみパジャマと、同じく間違いなく穿いたつもり、でいた……骨付き肉のアップリケ付き、木綿のかぼちゃぱんつ。
それらが、ぽてん、と。
何というか、その……そのまま置いてある。
いやいや暫時待て、である。ラウは奇妙な冷静さを取り戻した。ぱんつはこの際どうでもいい。そこにぱんつがある、という事実はまあ事実には違いないだろうけれど、それは単にその当該ぱんつの現在位置を把握したということに過ぎない。木綿じゃなくてやっぱりぬくぬく毛皮のぱんつがいい、いややっぱりここは黒の勝負ぱんつでしょう、等々、きゃっきゃうふふとばかりにあれこれ選ぶ過程においては誤ってベッドにぱんつを置き忘れてしまう、などといった不慮の事態もままあるだろう、いや、あるに違いない。
だが、他ならぬたった一枚のぱんつが、ということであれば、話は別だ。
少し息苦しげに息をつくアリストラムが、かすかに身じろぎした。寝息が、撫でるようにぬるく腰の内側へと吹きかかる。
「うっ」
内腿をかすめる吐息のあまりの近さに、ぞくっ、と寒気が走る。しっぽがこわばった。
あり得ない。ぎ、ぎぎ、と、壊れた操り人形のように軋む首を捻って、アリストラムを見下ろす。
穏やかな吐息が、直接、かかる。
ラウは、アリストラムの顔面にまたがった状態で凝り固まった。
……は、は、は……穿いて……な……い……?
「ラウ」
薄く目が開く。ぎくぎくと怯えたしっぽが、アリストラムの鼻先をくすぐっている。端麗な顔立ちがわずかにしかめられた。
眼が合う。
半ばまだまどろみの中にいる紫紅の瞳が、柔らかなもふもふにうずもれた困惑に瞬く。アリストラムはわずかに苦しげな吐息をつき、手をあげて視界を遮るしっぽを掻き分けた。眼をしばたたかせ、見る。
「あ」
……。
…………見られた。
……見ら……れ……アリストラムに……み……み、見られ……ああああんぎゃぁぁぁああ……!
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる