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その手で撫でられたら、絶対に敵わない

「相変わらず、可愛いしっぽですね」 「う、う、うるさあいっ!」

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 目も眩む魔香の薫りに朦朧として、ゆりかごのなかにまで引き戻されてゆきそうな、そんな気持ちになりかける。

 目の前が淡く翳り、光っている。アリストラムの手が、ゆっくりと円を描き、身体の中心へとすべりおりていった。封印の呪文が、じわり、と染み込んでゆく。
「すぐに、楽になりますよ」
「う……ぅん……ぁっ……あ……」

 何をされているのか、分からなくなる。
 アリストラムの腕に、抱かれて。
 そっと、くちづけられる。

「ぁ……」
 手が、ラウの腰に触れた。
 思わず、びくっ、と身体がふるえる。

「アリス……」
「ええ、ここにいます」
「くるしい……やだ……」
「ええ、もうすぐです」
「ぅ……ううん……もう……だめ……」
「ええ、ラウ。もうすぐですよ」

 アリストラムの手に、吸い込まれそうになる。その手、その指先、その吐息。月の光にも似た魔力の満ちる感覚が、ゆるやかに、静かに、波となってラウの中にゆっくりと打ち寄せてくる。

 優しく抱かれる。全身を、甘い吐息が呪文となってなぞってゆく。
 少しは抗って、意地を張って見せよう、という気持ちごと、押し寄せてくる甘いささやきにかき消されてしまう。

 身をよじり、受け入れる。
 くすぐるようなさんざめき。
 うっとりと身を任せてゆく。

 優しくて……熱い……強い魔力を帯びた何かが身体の中に入ってくる。
 それが、何かは、分からないけれど、でも。
 揺り動かされるたび、涙が出そうになるほど、身体の奥が切なくなって。
 全部、ゆだねてしまいたくなる……

 ふと、疲れたような吐息が聞こえた。
 アリストラムが離れてゆく。前髪をかきあげ、心なしか肩を落として、しばらくの間ベッドの縁に腰掛けたまま放心状態で動かない。

 ラウは後を追って起きあがろうとした。
「アリス」

 ラウの声に、アリストラムは優しく振り返り、笑った。純粋な笑顔だった。ついつられてしっぽを振ってしまいそうになる。ラウはぶるぶると頭を振った。違う違う違う! 何度この暗黒微笑に騙されたら気が済むんだ!

「おや」
 アリストラムは柔和にほそめたまなざしをラウの腰へと向けた。
 ちょうど、ラウも”それ”に気づいたところだった。焦ってじたばたしようとするも、身体がひどく脱力して動こうにも動けない。

「相変わらず、可愛いしっぽですね」
「う、う、うるさあいっ!」 

 ラウは、内股を手で押さえ、膝を必死に寄せ、真っ赤になって怒鳴りつけた。こんな時ばっかり狙い澄ましたように持ち主の意志に反してぱたぱたと素直にベッドを打つ、もふもふのしっぽ部分を恨めしげに睨みつける。

「み、見るな、早く引っ込め、バカ尻尾!」
「貴女ご本人と違って、尻尾はずいぶんと正直でいらっしゃるようです。まあ、そこが可愛いといえば可愛いのですけれども」

 アリストラムはふっと柔らかく笑うと、ベッド脇のテーブルにおいた香炉の蓋を開けた。紫の繻子の小袋から取り出した白い乳香のかたまりをぱらりと継ぎ足し、くべる。
 熱に溶けた、甘い香りが広がる。

「猫にはマタタビ、魔妖には乳香。昔からずっと相場が決まっているというのに貴女ときたら。いい加減、同じ罠に何度もかからないよう、この香りを覚えたらいかがです?」

 ラウはぶるぶるかぶりを振った。
 ――人をおバカ呼ばわりするな!

「私が相手だからいいようなものの。たちの悪いハンターに捕まりでもしたらどうする気です」
 ――あ、あ、あんたのほうがずっとタチが悪いわ!

 だがどうにも抗えず、めそめそするばかりのラウを後目に、アリストラムは素知らぬ顔で燻りだした香煙に目をやった。
「ところで今回の獲物、というか、相手ですけれどもね」

 言いながら指先でラウのしっぽをからめ、ふわふわともてあそんでいる。
「は……うん……」
「ドッタムポッテン卿から詳しい話を聞きましたか」

 まともに反抗できないのを良いことに、アリストラムの手は、しっぽをつまむわ揉むわひっぱるわとこれまたやりたい放題である。
 顔と口調だけは真面目に話を続ける。

「あんな吝嗇家の夫妻がどうして私たちのような外部の人間を呼び寄せたと思いますか」
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