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その手で撫でられたら、絶対に敵わない

従属の姿勢を取りなさい

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「怒ってる……?」

 どうにか、それだけを声に絞り出す。
 せめて身体を動かすことが出来ればアリストラムの懲罰をはねつけることもできただろうに、悔しいことに手首を枕元に押しつけられたまま、くらくらする香の煙に虚脱しきって声もまともに出せなくなっている。

「貴女が人間と共存できるようになるためなら、いつでも、どんなときでも、私の魔力でよければ分けてあげると言っているでしょう」

 ぴく、と触れるたびに気恥ずかしげに震え上がる獣の耳に唇を寄せ、髪のひとすじを取って指先に遊ばせる。アリストラムは一片の笑みをも浮かべぬまま、片腕をまくらにし、ラウの身体に半分のしかかった。

 焦らすように、少しずつ、こりこりと耳の後ろを掻き、息を吹き入れる。
「……く……ぅん……」

 ラウはぞくぞくと震え、かぶりを振った。まるで、子犬に戻ったような心地に我を忘れる。情けない、甘えたような鼻声がもれる。
「従属の姿勢を取りなさい、ラウ」
 アリストラムの手が喉の首輪に触れた。思わず無意識に喉を伸ばし、寝そべったままの姿勢でアリストラムの指先をちいさく舐める。
「う……ごめん……アリス……」

 首輪に掛けられた銀の錠前が、ちりん、と束縛めいた理知の音を立てて鳴った。

「”人間を襲ってはいけない”。いいですね。ちっちゃなラウ。もう二度とそんなことをしてはいけませんよ。もし人間を襲えば貴女も、また――」
 無意識に噛みつこうとしたつもりだったが、抗えなかった。アリストラムの柔らかい髪が目元にかかる。ラウは思わず目をつぶり、振り払おうとした。

「……ん……」
 柔らかな感触が、うっとりと重なる。

 アリス……。
 吐息が優しく混じり合う。
 アリストラムの指先が、ハープを奏でるかのように頬をつたい、両手でラウの頬をやや強引に挟み、すこし意地悪に微笑んで、それからまた手慣れた仕草で唇を重ね、息を吹き込む。

 ゆるやかに、深く、甘く。

 何もかも魔法のせいだ。
 あの煙の。
 ラウはぼうっとする頭のどこかで、必死で言い訳する声を聞いたような気がした。 

「アリス……」
 甘すぎる息苦しさに、ラウはようやく喘ぎを振り払って呻く。

 魔力を含んだ吐息が吹き込まれる。ずきん、と。身体の奥が震えた。焼け付くような銀の炎が流れ込んでくる。
「あ、ぅ……」

「ここと、ここ」
 いつの間にか胸元をはだけられている。撫でさする手のひらが身体の線に沿って下がっていった。
「ここの封印も、ゆるみかけています」

 封印の呪が、喉元から首筋、そして胸元へと伝い走る。ぽうっときらめきを灯した指先が、肌の上を跳ねる魚のように泳いだ。
 聖なる呪のしるしを肌に引いているのだ。

 ラウは身をよじらせた。
「苦しい……やだ……」

 まるで、手首を銀の羽根で縛られているみたいだった。動けない。柔らかな光が裸身にからみつく。どうして、いつも、こんな、聖印を――でも逆らえない――

 アリストラムの手の感触が、身体の表面だけではなく、もっと奥の方にまで、音叉のように共鳴してゆく。
「……痛い……よ……」
「もう少しで終わります」

 両手を顔の脇につき、のぞき込むような仕草で、どこか心配そうな眼差しのアリストラムが近づく。
 銀の髪が、まるで月の光のようにまぶしい。
 もう一度、今度は、もっと深く、長く、身悶えるようなキス。
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