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……ブスッ。グチャッ。
嫌な音とともに、その魔物は飛沫を撒き散らした。
観衆がわあっと何やら分からない声を上げた。
「さてさて、いかがでしたでしょうか? 我が闘技場ナンバーワンの剣闘士によるバケモノ殺し!」
相変わらず趣味の悪い連中だな。魔物がいくら害獣だからって、こんなにむごいことを娯楽にしなくても。……俺は幼いながらにそんなことを考えていた。
ふと客席にいる少年と目が合った。
少年は笑顔を作って俺に手を振った。俺は顔を少し赤らめて手を振り返した。
舞台を後にした俺を待っていたのは、煙管を手にしたふくよかなおっさんだった。
「いやあ、見事な魔物殺しだった。お前が出ると、客の入りが違うよ」
「そうですか」
「『そうですか』って……相変わらず冷めたガキだな。……殿下がお前に会いたがっているよ。とりあえず、その血まみれの格好をどうにかしろ」
おっさんに言われ、俺は水を汲んで身体を流した。その水が流れていく先に、一輪の花が咲いているのを見つけた。こんなところに花が咲くなんて、と思った俺は、その花を摘んでしばらく眺めていた。
そこに、さっき目が合った少年が現れた。
おっさんが俺たち奴隷に対する態度とは明らかに異なるヘラヘラした笑顔を見せるのを見て、俺は直感した。この少年は、王室の人間だ。
「殿下。今回の見世物はいかがでしたか?」
「彼はとても強いですね。騎士になってほしいくらいです」
少年は、おっさんと話しながら、俺の前にやってきた。
俺は自分でも意識しないうちに、花を少年に差し出していた。
「バカ! 汚らわしいだろう!」
おっさんが俺を叱ろうとするが、少年はそれを制して花を受け取った。
「ありがとう。大事にするよ」
俺が渡した花を手にして、少年はキラキラとした笑顔を見せた。
俺はそのとき、誓った。
……いつか、彼を守る騎士になると。
それが、俺にとって、初めての夢だった。
王室の中にも、格差というものは存在する。
国王の弟と、とある使用人との間に生まれた息子……それが、アーサーである。
アーサーの父親は、彼が生まれた直後に逝去した。後ろ盾のないアーサーは、他の王子や王女たちに見下される存在だった。
特に、第一王子シャルルの、彼に対する仕打ちは酷いものだった。
「何をなさっているのですか、シャルル王子!!」
「ああ、君は最近騎士団に入ったばかりの……ランスロットだね。見ての通り、アーサーに躾を施していたのさ。彼は私の服に紅茶を零したんだ」
少年は頭を踏みつけられ、首筋に煙草の火を押しつけられて焼かれていた。
メイドたちも、騎士たちも、見て見ぬふり。煌びやかな王宮で、こんなことがまかり通っているなんて、信じられなかった。
「やめてください! 王子ともあろう方が、こんな真似をして許されるはずがない!」
「うるさいな……。ここでは、私が絶対だ。たかが新人騎士に文句を言われる筋合いはないね。それに、君、奴隷身分から騎士にまで成り上がったそうじゃないか。せっかく得た地位だ。失いたくはないだろう? だったら、大人しく私に……」
「知るかボケ!!」
少年だった俺は、若気の至りで王子をぶん殴った。
見て見ぬふりをしていたメイドたちが、目を見開いて俺を凝視した。
「地位なんてどうでもいい。俺は正義のために騎士になった。だから、正義のために騎士の座を捨てたって構わねえ……!!」
俺が王子を睨みつけると、王子は頬を染めておかしそうに笑った。
「威勢が良いね。君のように私に逆らう人間は初めてだ。気に入ったよ、ランスロット。分かった。もうアーサーに手は上げない。その代わり……」
王子は俺の耳元で、甘い声で囁いた。
程なくして、俺は騎士団長に昇格した。その頃から頻繁に、王子に呼び出されるようになった。
「ああ……ランスロット。その反抗的な目。唆るね。愛しているよ」
「黙れ、この外道が……」
鳴り響く鞭の音。吊られた腕が限界を迎えそうになる。
「本当に……俺が罰を受ければ、アーサー殿下には手を出さないんだよな……?」
「もちろん約束は守るよ。でも、今朝、アーサーは大事な会議に遅刻してきたんだ。だから、君はあと鞭打ち50回だね」
「お前らが、アーサー殿下に嘘の時間を伝えたんだろうが……」
「さあ。どうだろうね」
執行人たちによって容赦なく振るわれる鞭の痛みに、意識が飛びそうになると、王子に頬を叩かれて起こされる。王子は俺の頬を引っ叩きながら、「愛している」と繰り返し囁く。王子の歪んだ愛が、俺の身体に刻みつけられていくようで、それが俺は苦痛でたまらなかった。
「アーサーなんかのために、ここまで耐えるなんて、君も相当な変わり者だね」
「理不尽に傷つけられる人間を見捨てるくらいなら、俺が傷つく方がマシだ」
「それは崇高な信念だ。君のそういうところが好きだよ」
王子は俺の頭を乱暴に掴み、自分の顔の前に引き寄せた。唇と唇が触れそうになったそのとき、
「シャルル王子」
と呼び止める声がした。アーサーだ。
「彼は、俺のせいでこんな目に遭っているんですか? 罰なら俺がいくらでも受けます。どうか彼をこれ以上傷つけないでください」
王子の前に跪いて頭を下げるアーサーに、王子は冷水を浴びせかけた。
「せっかく楽しんでたのに君のせいで台無しだよ、アーサー。……折檻は終わりだ。縄を解いてやれ」
王子は執行人たちに俺を吊し上げていた縄を解かせて去っていった。
「ランスロット……だよな? 俺のせいで、こんな痣だらけに……」
「いえ……大したことはありません」
「大したことないわけないだろ! この辺とか、めちゃくちゃ痛そうだぞ!」
と言って、アーサーは俺の痣を撫で回した。
「痛い痛い!! 触るなバカ!!」
「ごめん」
「あっ、すみません、つい無礼な口を……」
「いいよ。どうせ俺は城の中でも王族として扱われてないしな。気軽にアーサーって呼んでくれ」
一匹狼の騎士として周囲から距離を置かれていた俺と王室の中で孤立していたアーサーが絆を深めるのに、それほど時間はかからなかった。
俺たちの関係が深くなればなるほど、周りの人間は冷たくなっていった。
王子も相変わらずで、アーサーの見ていない隙を見計らっては、俺に罰を与えた。
こうして、幾年かが過ぎて、ある日のこと。
「魔王が我が国に侵攻し始め、魔法の使えない人間を迫害し、苦しめている。どうにかできないものか……」
国王の言葉に、アーサーが立ち上がった。
「俺が行きます。魔王を倒しに」
俺はのちに、アーサーに尋ねた。
「魔王を倒すのは命懸けだぞ。それでも良いのか?」
「ああ。俺は窮屈な王宮で暮らし続けるより、ひとりでも多くの民を救いたい」
アーサーは正義の塊みたいな人間だ。俺は眩しい彼を密やかに慕っていた。
「ランスロット。お前にアーサーの護衛を任じたい」
国王がそう命じたとき、俺は喜んで引き受けた。命を賭けてもアーサーを守ると誓った。
「俺は生涯お前に尽くすことを誓うよ、アーサー」
俺は彼の前に跪いて剣を捧げた。
アーサーは嬉しそうに笑って頷いた。
「本当に……アーサーとともに、行くのか」
出発の前日、王子に呼び出された俺は悲しげな顔でそう問われた。
「正直……この旅で、アーサーが死んで、君が私の元に来てくれれば良いのにと願っている自分がいる。……ああ、軽蔑してくれていいよ。また会える日を願っている。愛しているよ、ランスロット」
王子は祈りを込めるように俺の頬にキスをした。
その祈りが叶い、俺を縛る呪いになるなんて、そのときの俺は思ってもいなかった……。
嫌な音とともに、その魔物は飛沫を撒き散らした。
観衆がわあっと何やら分からない声を上げた。
「さてさて、いかがでしたでしょうか? 我が闘技場ナンバーワンの剣闘士によるバケモノ殺し!」
相変わらず趣味の悪い連中だな。魔物がいくら害獣だからって、こんなにむごいことを娯楽にしなくても。……俺は幼いながらにそんなことを考えていた。
ふと客席にいる少年と目が合った。
少年は笑顔を作って俺に手を振った。俺は顔を少し赤らめて手を振り返した。
舞台を後にした俺を待っていたのは、煙管を手にしたふくよかなおっさんだった。
「いやあ、見事な魔物殺しだった。お前が出ると、客の入りが違うよ」
「そうですか」
「『そうですか』って……相変わらず冷めたガキだな。……殿下がお前に会いたがっているよ。とりあえず、その血まみれの格好をどうにかしろ」
おっさんに言われ、俺は水を汲んで身体を流した。その水が流れていく先に、一輪の花が咲いているのを見つけた。こんなところに花が咲くなんて、と思った俺は、その花を摘んでしばらく眺めていた。
そこに、さっき目が合った少年が現れた。
おっさんが俺たち奴隷に対する態度とは明らかに異なるヘラヘラした笑顔を見せるのを見て、俺は直感した。この少年は、王室の人間だ。
「殿下。今回の見世物はいかがでしたか?」
「彼はとても強いですね。騎士になってほしいくらいです」
少年は、おっさんと話しながら、俺の前にやってきた。
俺は自分でも意識しないうちに、花を少年に差し出していた。
「バカ! 汚らわしいだろう!」
おっさんが俺を叱ろうとするが、少年はそれを制して花を受け取った。
「ありがとう。大事にするよ」
俺が渡した花を手にして、少年はキラキラとした笑顔を見せた。
俺はそのとき、誓った。
……いつか、彼を守る騎士になると。
それが、俺にとって、初めての夢だった。
王室の中にも、格差というものは存在する。
国王の弟と、とある使用人との間に生まれた息子……それが、アーサーである。
アーサーの父親は、彼が生まれた直後に逝去した。後ろ盾のないアーサーは、他の王子や王女たちに見下される存在だった。
特に、第一王子シャルルの、彼に対する仕打ちは酷いものだった。
「何をなさっているのですか、シャルル王子!!」
「ああ、君は最近騎士団に入ったばかりの……ランスロットだね。見ての通り、アーサーに躾を施していたのさ。彼は私の服に紅茶を零したんだ」
少年は頭を踏みつけられ、首筋に煙草の火を押しつけられて焼かれていた。
メイドたちも、騎士たちも、見て見ぬふり。煌びやかな王宮で、こんなことがまかり通っているなんて、信じられなかった。
「やめてください! 王子ともあろう方が、こんな真似をして許されるはずがない!」
「うるさいな……。ここでは、私が絶対だ。たかが新人騎士に文句を言われる筋合いはないね。それに、君、奴隷身分から騎士にまで成り上がったそうじゃないか。せっかく得た地位だ。失いたくはないだろう? だったら、大人しく私に……」
「知るかボケ!!」
少年だった俺は、若気の至りで王子をぶん殴った。
見て見ぬふりをしていたメイドたちが、目を見開いて俺を凝視した。
「地位なんてどうでもいい。俺は正義のために騎士になった。だから、正義のために騎士の座を捨てたって構わねえ……!!」
俺が王子を睨みつけると、王子は頬を染めておかしそうに笑った。
「威勢が良いね。君のように私に逆らう人間は初めてだ。気に入ったよ、ランスロット。分かった。もうアーサーに手は上げない。その代わり……」
王子は俺の耳元で、甘い声で囁いた。
程なくして、俺は騎士団長に昇格した。その頃から頻繁に、王子に呼び出されるようになった。
「ああ……ランスロット。その反抗的な目。唆るね。愛しているよ」
「黙れ、この外道が……」
鳴り響く鞭の音。吊られた腕が限界を迎えそうになる。
「本当に……俺が罰を受ければ、アーサー殿下には手を出さないんだよな……?」
「もちろん約束は守るよ。でも、今朝、アーサーは大事な会議に遅刻してきたんだ。だから、君はあと鞭打ち50回だね」
「お前らが、アーサー殿下に嘘の時間を伝えたんだろうが……」
「さあ。どうだろうね」
執行人たちによって容赦なく振るわれる鞭の痛みに、意識が飛びそうになると、王子に頬を叩かれて起こされる。王子は俺の頬を引っ叩きながら、「愛している」と繰り返し囁く。王子の歪んだ愛が、俺の身体に刻みつけられていくようで、それが俺は苦痛でたまらなかった。
「アーサーなんかのために、ここまで耐えるなんて、君も相当な変わり者だね」
「理不尽に傷つけられる人間を見捨てるくらいなら、俺が傷つく方がマシだ」
「それは崇高な信念だ。君のそういうところが好きだよ」
王子は俺の頭を乱暴に掴み、自分の顔の前に引き寄せた。唇と唇が触れそうになったそのとき、
「シャルル王子」
と呼び止める声がした。アーサーだ。
「彼は、俺のせいでこんな目に遭っているんですか? 罰なら俺がいくらでも受けます。どうか彼をこれ以上傷つけないでください」
王子の前に跪いて頭を下げるアーサーに、王子は冷水を浴びせかけた。
「せっかく楽しんでたのに君のせいで台無しだよ、アーサー。……折檻は終わりだ。縄を解いてやれ」
王子は執行人たちに俺を吊し上げていた縄を解かせて去っていった。
「ランスロット……だよな? 俺のせいで、こんな痣だらけに……」
「いえ……大したことはありません」
「大したことないわけないだろ! この辺とか、めちゃくちゃ痛そうだぞ!」
と言って、アーサーは俺の痣を撫で回した。
「痛い痛い!! 触るなバカ!!」
「ごめん」
「あっ、すみません、つい無礼な口を……」
「いいよ。どうせ俺は城の中でも王族として扱われてないしな。気軽にアーサーって呼んでくれ」
一匹狼の騎士として周囲から距離を置かれていた俺と王室の中で孤立していたアーサーが絆を深めるのに、それほど時間はかからなかった。
俺たちの関係が深くなればなるほど、周りの人間は冷たくなっていった。
王子も相変わらずで、アーサーの見ていない隙を見計らっては、俺に罰を与えた。
こうして、幾年かが過ぎて、ある日のこと。
「魔王が我が国に侵攻し始め、魔法の使えない人間を迫害し、苦しめている。どうにかできないものか……」
国王の言葉に、アーサーが立ち上がった。
「俺が行きます。魔王を倒しに」
俺はのちに、アーサーに尋ねた。
「魔王を倒すのは命懸けだぞ。それでも良いのか?」
「ああ。俺は窮屈な王宮で暮らし続けるより、ひとりでも多くの民を救いたい」
アーサーは正義の塊みたいな人間だ。俺は眩しい彼を密やかに慕っていた。
「ランスロット。お前にアーサーの護衛を任じたい」
国王がそう命じたとき、俺は喜んで引き受けた。命を賭けてもアーサーを守ると誓った。
「俺は生涯お前に尽くすことを誓うよ、アーサー」
俺は彼の前に跪いて剣を捧げた。
アーサーは嬉しそうに笑って頷いた。
「本当に……アーサーとともに、行くのか」
出発の前日、王子に呼び出された俺は悲しげな顔でそう問われた。
「正直……この旅で、アーサーが死んで、君が私の元に来てくれれば良いのにと願っている自分がいる。……ああ、軽蔑してくれていいよ。また会える日を願っている。愛しているよ、ランスロット」
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