上 下
76 / 103
第五章 滅亡、または繁栄を祝う輪舞

75.今に見てろ

しおりを挟む
 エイレンはパジオの他に十数名の護衛の騎士を連れ、雪解けの悪道を進んでいた。
 ただでさえ硬い馬車の座席は揺れに合わせて尻を痛め付けてくる。元より人形達との無駄な会話を嫌うエイレンは、道中ひたすら外の景色を眺めることで気を紛らわせていた。こんな時、隣にイヴリーチがいてくれたら何時間でもお喋りを続けられるのにと、出るのは溜息ばかりだった。


 今回、護公会議に向かう一行の中には異形が目立つイヴリーチの姿は勿論のこと、人間体であるベルトリウスやケランダットの姿もなかった。
 支給される揃いの防具を身に着ければ騎士団の一員として違和感なく紛れ込める二人の同行を、先日の言い争いで意固地になったエイレンが拒否したのである。イヴリーチは人間社会に馴染みが薄い妹分を案じ、どちらか一人でも連れていくことを勧めたのだが、それを止めたのは他でもないベルトリウスだった。
 本人がやる気ならそれでいいじゃないかと、特に否定も応援もせずエイレンの意見を支持した。実際の所は揚げ足取って彼女の心を叩き折ろうという魂胆なのだろうが、あの挑発気味に細められた目を思い出す度に、エイレンはこの遠征を無事に乗り切ってみせようと大変に負けん気を刺激された。


 エイレンは遠くに見え始めた城壁をぼんやりと見つめながら、ふと窓ガラスに止まっていた一匹のコバエに視線を落とした。
 一見そこらを飛び交う小虫となんら変わりなかったが、小さな体にそっと人差し指を近付けてみるとコバエは素早く窓から飛び立ち、差し出された指先にピタリと着陸した。すると、聞くだけでむかっ腹の立つ例の声が頭の中に響き渡る。

『わざわざ俺をお喋りの相手に選ぶくらいには暇なのかな?』

 相手は勿論ベルトリウスだった。
 エイレンは冷めた表情を変えることなく、忌まわしき男の代わりにコバエを見下しながら言葉を念じて返事をした。

『こまめに連絡を入れろと言ったのはそっちでしょ。もう少しで目的地に着くわ』
『そりゃよかった。問題なく辿り着けたようで安心したよ、君の身を案じて俺は夜も眠れなかっ――』

 エイレンは最後まで聞くことなく指先のコバエに向かって”フッ”と強く息を吹き掛け、自身から飛び立たせることで強制的に通信を遮断した。出発前にたくさんしていたお陰で、彼の戯言たわごとへの対処を学んでいたのだ。

「ようやく見えてきたね。あれがブノーシュだよ」

 そうこうしていると対面の席に座るパジオが口を開く。パジオもまた、他の人形と同じように形式的な会話をやめなかった。

 程なくして馬車は門を抜け、中央にそびえる白亜はくあの城に向かった。
 ブノーシュは家屋の造りだけ見ればガガラと相違ない街並みだったが、地方全体が疲弊しているせいか、領主が住まう地にしては城下の住民の顔色が一様に優れないように見受けられた。通路の端からこの高価な馬車を眺める人々は皆、羨望の眼差しに目を吊り上げていた。

 重苦しい雰囲気をさして気にも留めず城の敷地内へと進むと、馬車は大勢の人間が迎え立つ正面の入口扉前で停止した。
 ようやく収まった揺れに一息つくと、護衛の騎士を動かして馬車の扉を開けさせる。先に降りたパジオに己が手を取らせると、ミェンタージュに化けたエイレンは優雅に段を下りて地に足をつけた。
 そうして姿を現した客人を前に、ブノーシュを治める東の護り手……ヌジマ・ガバスに仕える使用人達は統一された動きで一斉に頭を下げた。

「ようこそお出でなさいました、北手様、ミェンタージュ様。早速お部屋にご案内いたします。会議のお時間になるまで、どうぞおくつろぎくださいませ」

 黄土色の質素なワンピースに白い前掛けを着けた壮年の女性が代表して話す。その後は彼女の言った通り、案内された部屋で荷を展開するなどして適当に時間を潰すだけだった。
 パジオとエイレンは同室。護衛の騎士達は別棟べつむねに用意された宿舎で各々呼び出しを待った。
 ブノーシュの使用人が部屋を訪れる前に、エイレンは嫌々ながらもベルトリウスに通信を入れた。

『いよいよだな。約束通り君の好きなように振る舞えばいい。まぁ、もし俺の助けが欲しいってんなら、どれだけでもくれてやるがな』
『いらない。あなたが黙っててくれることが一番の助けだわ』

 これで当面は連絡を取らなくて済むとエイレンの気が楽になった時だった。
 色白の手の甲にくっ付いていたコバエを吹き飛ばそうと腕を顔の高さまで持ち上げると、胸をくすぐる少女の声が頭に届いた。

『エイレンがんばってね。待ってるから……』
「あっ!? イヴぅーーーーっ、久しぶりぃーーーーい!! もうさっ、こんなに離れたことってないからさっ、エイレンとってもさびしいの!! ねっ? もっと声きかせてきかせて? 今とぉっても暇なの! ずっとねっ、会議が始まるの待っててねっ、ここってばっ、ガガラと違ってお部屋の中が――」
『はい終わり。お仕事頑張れよ?』
「エッ、ゃっ、ちょっ―― !!」

 エイレンは突然降ってきたイヴリーチの声に念じて会話するのを忘れるほど舞い上がったが、密かに交代していたベルトリウスに前回のお返しと謂わんばかりに通信を断たれ、束の間放心状態に陥った。
 遮断される直前、心底意地の悪いニヤけ面が脳裏によぎった。これは比喩表現ではなく、未だ手の甲に張り付いたままのコバエの力によるものだった。コバエは目前の光景を通信相手にも伝えられるようエカノダから改良されていたらしく、そのありがた迷惑な能力のお陰で、エイレンは会議前にこれでもかというほど心を掻き乱される羽目になってしまった。

 血走った目で握りこぶしを作る本体エイレンを前に、パジオは困ったように僅かに口角を上げて首を傾げた。

「……大丈夫かい?」
「……………………持ち直したわ」

 一度深い呼吸をして返答するエイレンだったが、内なる炎は完全には消し去れていない様子だった。
 そして、熱が冷めやらぬうちに部屋の入口から控えめなノック音が響くと、エイレンは何事もなかったかのようにパジオの後に続き、客間を出たのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)

誓いの嘘と永遠の光

藤原遊
ファンタジー
「仲間と紡ぐ冒険の果てに――君もこの旅を見届けて!」 魔王討伐の使命を胸に集まった、ちょっとクセのある5人の冒険者たち。 明るく優しい勇者カイルを中心に、熱血騎士、影を操る盗賊、癒しのヒーラー、そして謎多き魔法使いが織りなす物語。 試練と絆、そして隠された秘密が絡み合う旅路の中で、仲間たちはそれぞれの過去や葛藤と向き合っていく。 一緒に戦い、一緒に笑い、一緒に未来を探す彼らが最後に見つけるものとは? 友情だけじゃない、すれ違う想いと秘めた感情。 仲間を守るための戦いの果てに待つのは、希望か、それとも……? 正統派ファンタジー×恋愛の心揺さぶる物語。 「続きが気になる」って思ったあなた、その先をぜひ読んでみて!

劣等生のハイランカー

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
ダンジョンが当たり前に存在する世界で、貧乏学生である【海斗】は一攫千金を夢見て探索者の仮免許がもらえる周王学園への入学を目指す! 無事内定をもらえたのも束の間。案内されたクラスはどいつもこいつも金欲しさで集まった探索者不適合者たち。通称【Fクラス】。 カーストの最下位を指し示すと同時、そこは生徒からサンドバッグ扱いをされる掃き溜めのようなクラスだった。 唯一生き残れる道は【才能】の覚醒のみ。 学園側に【将来性】を示せねば、一方的に搾取される未来が待ち受けていた。 クラスメイトは全員ライバル! 卒業するまで、一瞬たりとも油断できない生活の幕開けである! そんな中【海斗】の覚醒した【才能】はダンジョンの中でしか発現せず、ダンジョンの外に出れば一般人になり変わる超絶ピーキーな代物だった。 それでも【海斗】は大金を得るためダンジョンに潜り続ける。 難病で眠り続ける、余命いくばくかの妹の命を救うために。 かくして、人知れず大量のTP(トレジャーポイント)を荒稼ぎする【海斗】の前に不審に思った人物が現れる。 「おかしいですね、一学期でこの成績。学年主席の私よりも高ポイント。この人は一体誰でしょうか?」 学年主席であり【氷姫】の二つ名を冠する御堂凛華から注目を浴びる。 「おいおいおい、このポイントを叩き出した【MNO】って一体誰だ? プロでもここまで出せるやつはいねーぞ?」 時を同じくゲームセンターでハイスコアを叩き出した生徒が現れた。 制服から察するに、近隣の周王学園生であることは割ている。 そんな噂は瞬く間に【学園にヤバい奴がいる】と掲示板に載せられ存在しない生徒【ゴースト】の噂が囁かれた。 (各20話編成) 1章:ダンジョン学園【完結】 2章:ダンジョンチルドレン【完結】 3章:大罪の権能【完結】 4章:暴食の力【完結】 5章:暗躍する嫉妬【完結】 6章:奇妙な共闘【完結】 7章:最弱種族の下剋上【完結】

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

強奪系触手おじさん

兎屋亀吉
ファンタジー
【肉棒術】という卑猥なスキルを授かってしまったゆえに皆の笑い者として40年間生きてきたおじさんは、ある日ダンジョンで気持ち悪い触手を拾う。後に【神の触腕】という寄生型の神器だと判明するそれは、その気持ち悪い見た目に反してとんでもない力を秘めていた。

処理中です...