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第二章 帰郷

38.袋のネズミ

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 楽しい時間というのはあっという間に過ぎてゆくもので、数分も経てば甘美な断末魔の叫びは途切れてしまった。

 呆気ない終わりだ。だが、二十年前と違って満ち足りている。
 マギソンは光が消えた後の現場へと向かった。離れた場所からは焼き焦げて黒く見えていた遺体だが、近くに寄ってみると濃赤こきあかであったことが分かる。毒が体内を巡っていたのが関係しているのか、体表だけでなく、中の肉まで焼かれていた。
 常人なら目を背けたくなるほどの酷い損傷である。父の前でしゃがみ込んだマギソンは、血の染み込んだ上着の裾をまくって腹部の状態を調べた。

 毒の侵蝕度合いにより光の効き目は異なるようで、魔物相手であれば骨のずいまで破壊する浄化の光だったが、今回のように本来は非攻撃対象である人間を工夫をこらして襲わせた際は、毒の浸透が少ない細部ほど傷が浅いようだった。
 不完全な攻撃で父の苦悶の時間が長引いたと思えば、自然と口角が上がる。
 あの貫禄かんろくのある堂々とした顔が、誰だか判別がつかないくらいにぐちゃぐちゃになっているのを見ると、たかぶりを抑えられなかった。

 そこへ、後からやって来たベルトリウスがマギソンの背中を覗き込み、声を上げる。

「うぇっ、エグッ。……にしても、この後どうする? 案外サクッと終わっちまったけど、兄貴が来るまで屋敷の奴ら殺して待ってる?」
「……いや、ここはもう離れた方がいい。この男は感情的な人間だったから狙い通りに動いてくれたかもしれないが、兄は油断ならない人だ。小細工も通用しない。一番殺したかった奴は死んだんだ……これ以上危険をおかして留まる必要はない」
「ふーん……別に俺は何でもいいけど」

 興をがれたような返事をしたベルトリウスは、話し相手のマギソンからラズィリーへと視線を落とした。

 マギソンは当初の予定通り、クリーパーの名を念じて呼んだ。すると一度こめかみに鋭い痛みが走り、聞き覚えのある女の声が脳内に響いた。

『お疲れ様。今送ってあげる』
「っ!」

 姿がないにもかかわらず、突然流れたエカノダの声にマギソンは驚いて体を揺らした。

「どうかしたか?」
「いや……もっとマシな連絡方はないのかと思っただけだ」
「じゃあ、クリーパーを呼んだんだな? そうなりゃ後は待つだけだな。でもあいつ、到着するまでに結構時間掛かんだよなー」

 間延びした台詞で首を回し、ポキポキと乾いた音を立てるベルトリウスに対し、マギソンは遺体に顔を向けたまま、相棒に見えない位置で小さく笑った。

「……まぁ、迎えが来るまでの間、屋敷の人間を殺して回るってのは悪くはないな」
「おっ! 何だ結構ノリいいじゃん! へへっ、そうと決まれば早く行こうぜ」

 近場の娯楽施設にでも立ち寄る風な言い方で、二人はとんでもない遊びを行おうとしていた。
 盛り上がるベルトリウスに急かされて腰を上げたマギソンは、この時初めてベルトリウスが素っ裸であったことを冷静に受け止めた。
 至る所にできていた水膨れは火糸の術により焼け破れてしまい、中から垂れた粘り気のある色の濃い血が、人外と思わせる肌の色と相まってさらに痛ましさを演出していた。出会い頭に放たれた火球で残っていた後頭部の髪も、他の体毛とまとめて燃やされてしまい、上から下まで確認したマギソンはいたたまれない気持ちになった。

「よくまぁ……そんな格好で戦えたもんだ。恥ずかしくないのか?」

 大人になってから他人に気を使うことのなかったマギソンにとって、これが精いっぱいの声掛けだった。”誰のせいでこうなったんだ”と詰め寄られてもおかしくない配慮に欠けた発言だったが、意外にもベルトリウスに気分を害した様子はなく、彼はあっけらかんとして答えた。

「命のやり取りの最中に恥もへったくれもあるか。そりゃ落ち着いちまったら多少は恥ずかしいけどよぉ、俺は自分の顔と体を気に入ってっからな。こんだけ整ってんだぜ? 見た奴だって儲けもんぐらいに思ってほしいね」
「お前……改めて思うが変な野郎だな」
「いや、てめぇに言われたかねぇよ」

 双方共に顔をしかめる。お互い世間と己とのズレは自認していたが、少なくとも目の前の相手よりはまともな考えをしていると思っていた。

 似たり寄ったりを言い争うのもそこそこに、二人は屋敷へ侵入した。
 そして玄関ホールの時点で内部が妙に静かなことに気付き、しらけた表情で吹き抜けを仰いだ。

「うん、逃げてるなこれは」
「……術師が負けたんだ。一般人が残ってるわけないか」

 きっと勝負が決した瞬間に、屋敷の者達は裏口を抜けて街へ下りたのだろう。
 目的を失ったベルトリウスらは他にやることもないので、一階の使用人の部屋で服を調達した後、二階、三階に上がり各部屋を物色して回った。やはり人はいなかったが、子爵夫妻や来客用の寝室には高価な家具や装飾品が揃っており、元盗賊のベルトリウスは歓声を上げて宝の山へと吸い寄せられた。

「貴族の家はいい物揃ってんなぁ~。盗賊の頃なら何とかして全部盗もうとするところだぜ」
「足が付くような物はるなよ」
「分かってるって! 魔物になっても地上で隠密行動するには金が必要って思い知らされたからなぁ、金はあればあるだけ安心するよなぁ」

 人間時代の手癖の悪さと、この街の酒場で代金を払えず危うく捕まりかけた思い出が合わさって奪取の手が止まらなかった。
 ベルトリウスは等級の低い宝石を選んで摘み取り、壁に飾られた絵画を眺めていたマギソンの腰ベルトのポーチに突っ込んだ。

「おいっ、自分で持ってろ」
「いやぁ、何か嫌な予感すんだよね。俺が持ってると全部ダメになっちまう予感が……」
「……」

 度々増やされる荷物にマギソンは振り返って文句を言ったが、不吉な台詞を吐くベルトリウスのお陰で自分まで不安になった。それでも何か言おうと、”つまらねぇこと言ってんじゃねぇ”と口にしかけた時、入口の扉付近で何かが動いた気がした。

 マギソンはベルトリウスの首根っこを掴んで、自分と一緒に無理矢理しゃがませた。その過程で真横に置いてあったテーブルの脚を払い、防壁代わりに横向きに立てる。
 ちょうど床に膝がついた時だった。ベルトリウスが立っていた場所……その背後の壁に、”ボンッ!!”と重い音と共に、いしゆみの太い矢が深く突き刺さった。

 マギソンはすぐに風の刃の詠唱を済ませ、廊下に潜む敵目掛けて放った。何人かの男の唸り声を聞きながら、苦々しく隣の金髪頭に舌打ちをかます。

「迎えはまだ来ねぇのかっ!!」
「もうそろそろだと思うけど……あんな近くにいた人間にも気付けないなんて、俺もたるんじまったな。宝に目がくらむなんて三流のやることだ……」
「今はこの場をしのぐことに集中しろ!! 屋敷の外から来た応援なら、あいつも来るぞ!!」

 マギソンの訴えを肯定するように、廊下からは”領主様、こちらです!!”という呼び掛けが聞こえた。あいつとは勿論……マギソンの兄、ラスダニア・ダストンガルズのことだ。

「あー……来ちまったか兄貴……」
「くそっ!! どうすんだっ!! 入口で展開してる術もあいつなら簡単に相殺してくるぞっ!!」
「マジでやべぇな……あーーーー、どうしよっ、もう少しでクリーパー来んのになぁ!? せめて人質がいりゃあ……!」

 うだうだと二人が言い合っていると、騒がしい部屋に冷淡な低い声が注がれた。

「”風よラヴシュ”」

 マギソンと同じ詠唱……しかしその威力は凄まじく、敵を寄せ付けないために室外で展開されていたマギソンの風の刃をいとも容易く掻き消すと、異質の風は部屋の中に入り込み、旋風せんぷうへと成長して、絵画や燭台しょくだいなどの小物を吹き上げて荒らした。
 ベルトリウスとマギソンがテーブルの脚を掴んで体重を掛けて耐えていると、ある瞬間に風がピタリと止んだ。二人が顔を見合わせると、物が散乱して静まり返った部屋にまたあの声が差し込まれた。

「姿くらい見せたらどうだ」

 ついに足を踏み入れた男の気配に、マギソンは辛抱ならず立ち上がった。

「まさか再び、お前をこの目に映す日が来ようとはな」
「兄上……っ!」

 向かい立つ弟に、ラスダニアはただ冷ややかな視線を送った。
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