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第二章 帰郷

36.藻掻き愛

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 屋敷を目前に控えたベルトリウスとマギソンは、前回の視察でお世話になった建物の影にまたもや身を潜め、突撃の機を窺っていた。

 昼に訪れる邸宅は夜間とは違う輝きを放っている。特に屋敷の色に合わせて育てられた真っ赤な薔薇ばらの花が、深緑の葉の列の中で良く映えた。
 こんなおとぎ話に出てくるような美しい場所で実際に暮らしている人間がいると思うと、汚してやりたくなるのが悪のさがだ。

「本当にこの中を行くのか……っ」

 昨夜より多くの兵士が周辺を巡回しているのを見て、マギソンは露骨に焦った。手をせわしなく開いて閉じて……指先同士をすり合わせてみたり、両手で顔面を覆い、浅い呼吸を繰り返したりと……とにかく生家を前に落ち着きがなかった。

「相手もまさか馬鹿正直に正面から襲って来るとは思わないだろう。ま、どうせ門番に止められるから、適当に騒いで親父殿を登場させて、後は……何とか頑張って倒そう」
「お前の話を聞いてると余計不安になる……聞かないほうがマシだ……」
「怖いならお手手繋いで行こうか?」

 ベルトリウスが茶化すと、マギソンは舌打ちをして次第にいつものぶすっとした表情に戻った。

「もういい……クソッ……」
「はは! そうそう、そうやって突っ張ってた方が気が楽だぜ」

 最悪クリーパーで逃げればいいと考えているベルトリウスは気楽なものだった。
 マギソンは深刻に考えているが、何も今日絶対に倒さなければならないという相手ではないのだ。力の差があると感じたら、一旦地獄へ戻って戦力を整えて出直せばいい。カイキョウへ来たのは、彼の精神を持ち直させるためだ。今のマギソンなら自分が見張っていればラトミスに頼ることはないだろうし、領地争いの交戦中に取り乱すこともないだろう。
 安心させてやるために他の選択肢もあることを伝えると、マギソンは少し悩んでから答えた。

「……でも、ここまで来たんだ。やるだけはやってみる。駄目になった時は……その時はお前が言った通り、出直すことにする」
「そうか、分かったよ」

 ベルトリウスはマギソンが”やめる”と即答しなかったことを評価した。過去に向き合おうとしているのは良いことだ。
 最後の出撃の確認にマギソンが応じると、ベルトリウスは建物の影を出て、屋敷へ続く整備された道を進んだ。この道の先は子爵邸で行き止まりとなっているので、石段を抜けて向かってくる者は警備兵の目を引いた。

「そこの二人! 止まれ!」

 最寄りの警備兵は声を張り上げながら、すぐさま二人に駆け寄った。柵のそばをぐるぐると徘徊していた兵だった。
 彼の声に反応して、近くの警備も一斉に目を向ける。

「貴様、何者だ」
「一介の傭兵でございます。本日は領主様に面会の機会をいただいており……聞いていませんか?」
「何の話だ? 引き返せ!」
「おかしいなぁ。この間の戦の報奨を頂けると約束されたんですが……ベルトリウスと言う名です。本当に知りませんか?」
「知らん知らん、大人しく帰れ! さもなくば痛い目を見て坂を下りることになるぞ!」
「そうですか……じゃあ、後ろの連れに見覚えはありませんか?」
「しつこいぞ! 知るわけが――」

 包帯男ばかり気に掛けていた警備兵は、背後の黒髪の男に目をやると、言い掛けた口を止めた。
 肌も装備も薄汚れており、鬱陶しく伸びた長髪が顔の細部を隠しているが……その顔立ちは確かに、己が仕える主に似ていた。

「中に入れてくれよ。何十年ぶりの息子の帰還だぜ?」
「こっ……こいつらを引っ捕らえろぉっ!!」

 ベルトリウスの言葉で確信した警備兵は、周囲の仲間に大声で呼び掛けた。
 そう、この屋敷に仕える者で知らぬ者はいない。二十年前、邸に火をつけて家族と使用人を道連れに自死したと噂される少年――。


 状況の把握など後回しに、他の兵達は呼応するようにベルトリウスとマギソンに飛び掛かった。抵抗せず難なく組み伏せられた二人に、直接言葉を交わしていた警備兵は眉をひそめた。
 近年は領主の命を狙おうと反乱勢力の暗殺者が屋敷に忍び込むことも多い。しかし、正面から堂々と乗り込む襲撃者など初めてだ。ましてや二人だけで、大人しく捕まるなど……そんな憂慮ゆうりょに気を取られていると、内庭で作業をしていた使用人や、別区域を持ち場とする他の警備兵達が門前の騒ぎを聞き付けて集まってきた。
 さらに人だかりを掻き分けて柵の元へ寄ってきたのは、ベルトリウス達にとって嬉しい人物だった。。

「一体何事ですか?」
「奥様いけません、不審者です! お下がりください!」

 物怖じせず覗き込む女性に、若い兵士が焦ったように視界をはばんだ。柵越しに立つ濃緑こみどり色のドレスを纏った茶髪の女性。歳は二十代後半くらいか。腕に提げた小振りのかごからは、庭で摘み取られたであろう赤い薔薇が覗いていた。
 彼女の腰には、まだ背の低い幼い少年がしがみ付いて二人を見ている。女性はマギソンを目にすると、少し驚いたように口を開いた。

「あら……そちらの方……」
「奥様、近付いてはなりません!」

 マギソンに反応を示した女性に、ベルトリウスは俯いて口角を上げた。兵から”奥様”と呼ばれ、マギソンを見て思うものがあるのなら……彼女は十中八九、ラスダニアの配偶者だ。
 昨日はなかった豪華な馬車を屋敷の横手に発見した。ラズィリーは確実に敷地内にいる。ひと暴れしてラズィリーも呼び寄せ、関係者を一網打尽にしよう。

 ベルトリウスが体表から毒を噴出しようとしたその時だった。
 毒が出るより先に、柵越しに夫人に注意を呼び掛けていた若い兵士の首が宙に飛んだ。

「えっ……?」

 夫人の口から漏れ出た声と共に、飛んだ首がボトッと着地する音が聞こえた。しかも一つではない。

 ボトッ、ボトボトボトッ、ボトッボトッ―― !!

 ベルトリウスは”出遅れたか”と、視界の端にじわじわと広がる血の海を見て思った。先に仕掛けたのはマギソンだった。自身らを取り囲んでいた兵士の首や胴体を、風の刃で即座に斬り落としたのだ。
 上から押さえ付けていた力がなくなり、ベルトリウスは見せつけるようにゆっくりと立ち上がった。マギソンも体を起こし、やや興奮気味な息遣いで内庭の観客を睨み付けた。

「きゃああああああああ!!!!」

 目の前の兵士の生き血を浴びた夫人はマギソンと目が合うと、腰に引っ付いていた少年を抱え、叫びながら屋敷へ駆け込んでいった。
 使用人達も悲鳴を上げながら彼女と共に中へ入り、ベルトリウスらに向かってくるのは別区域から駆け付けた兵士複数名だけであった。

 見事な健脚で走り去る夫人の後ろ姿を眺めていたベルトリウスは、惚れ惚れとした表情で独りごちた。

「いいなぁ、兄貴の嫁さん肉付きが良くて……あのケツ、金持ちの女はいいモン食ってるから最高だね」
「くそっ……届かなかったか……コデリー……」
「コデリー? あのおいっ子のこと? 名前知ってんの?」

 ”ってか甥っ子であってる?”と笑うベルトリウスの言葉は、自分の世界に入り込んだマギソンの耳には届いていなかった。
 夫人は茶髪だった。甥っ子とおぼしき少年も、彼女譲りの茶髪にくりっとした大きな目をしていた。髪型や目鼻立ちこそ違うが、あの風体は忌々しい弟を彷彿ほうふつとさせる。あの甥も狙ってはいたのだが、焦って詠唱したせいか射程圏から外れてしまったようだ。父と兄に加え、あの少年も殺さねばと、名も知らぬ子供は哀れにも殺害名簿に載ってしまったのだった。


 出方を窺う兵士達に見守られながら、ベルトリウスは自ら内庭へ向かった。鉄柵を掴み、手のひらから毒を発生させて硬い棒を溶かす。あっという間に人がくぐり抜けられる穴が出来上がると、そこから侵入し、冷や汗を流しながら剣を構える兵士らに近付いていった。

「とっ、止まれぇ!! 貴様何をした!? 一体何者だっ!?」
「何者って……バケモノ?」

 兵士というのは貴族出身者が位につく騎士の職とは違い、平民がなる戦闘職である。
 故に、彼らは魔術の何たるかを知らなかった。包帯男の後ろで何かを呟く、領主に似た男のそれが”詠唱”だということを――。


 圧縮された鋭い風の刃が舞う。悲鳴が上がる間もなく、立ち向かっていた人の壁が次々に崩れてゆく。
 侵入者に近付けば殺され、かといって守るべき主人を置いて逃げるわけにもいかない。ベルトリウスらが一歩進むと、奥で構えている残りの兵士達も一歩下がった。何とも滑稽な遊びを繰り返していると、夫人が駆け込んだきり閉ざされていた玄関の扉が、バンッ!! と勢いよく開いた。

「どけぃ!!!!」

 老いてはいるものの、凄みの利いた男の声はその場にいる全員の注目を集めた。
 そして、ベルトリウス目掛けて真っ赤な”何か”が高速で飛んできた。直線上に兵士達が並んでいて見えなかったが、彼らがすんでところでかわした瞬間、向かってきたものの正体が判明した。

 ”俺の家系は火を扱うのに長けてるから、初手では炎を使った攻撃を―― ”

 ここに辿り着く前のマギソンの台詞を思い出す。
 放たれたのは火の球だった。

 自身に……いや、正確には斜め後ろに位置するマギソンに向かって放たれた火球を処理すべく、ベルトリウスは右隣りへ跳び、両手を広げて代わりに受け止めた。火の中核に触れると、ボゴンッ!!という爆発音と共に強い衝撃が訪れ、先程穴を空けてくぐり抜けてきた後方の柵まで吹き飛ばされてしまった。

 ベルトリウスが消え、残されたマギソンは屋敷から足早にやって来る人間を見て、頭が真っ白になった。冬の川に突き落とされたかのように体が急激に冷えて震えだし、相反するように全身の至るところからベタベタとした嫌な汗が噴き出てくる。

 母やコデリーに対しては怒りが勝った。だから反発できた。
 だがあの人は、あの人だけは、自分をこんな感覚にさせるのは――。

「おっ、お、お、おとっ……!!」
「貴様ぁっ!!!! どの面下げて戻って来たぁっ!!!!」

 マギソンの足は震えた。
 足だけではない。声が、全身が震えた。

 顔のシワは増えれど、怒気に満ちた張りのある低い声は健在であった。整髪剤で撫で上げた髪は黒から白へと変わり、年月の経過を感じさせた。
 眼光、気迫……存在そのものが畏怖いふの象徴である父は、意思を固めたはずのマギソンを容易く十代のあの頃に引き戻した。
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