そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ

文字の大きさ
上 下
5 / 103
第一章 出会い、敗北、勝利

5.自分の体臭は意外と気付かない

しおりを挟む
 野犬を黙らせたはいいが、こちらを警戒したままの男達を忘れたわけではない。
 己に宿ったとされる能力を彼らで試すことも考えたが、当てが外れた場合に返り討ちに遭うことを考えると、ここは威嚇いかくして追い払った方が賢明だろう。後をつけて男達の住む村へ案内してもらえば、森から脱出もできて困り事は全て解決だ。
 そうと決まると、ベルトリウスは野犬の死体を掴み男達がいる方へ投げた。
 突然飛んできたものに男達は警戒を強めたが、ドサッと地に落ちたそれが不自然に泡を吹いて死んでいる野犬だと分かるや否や、両方共弾けるように走って逃げていった。
 距離を詰めすぎないよう注意しながら、ベルトリウスも後に続く。



 ミハ。それが男達の住む村だった。
 三十世帯が暮らすミハは特筆することがない平凡な集落だ。皆で協力して作物を育て、家畜を飼い、時に狩りへ出かける。
 今の季節は秋。男達は冬に備え、保存食の材料となる物を探しに森の奥にいた。幸か不幸か、ミハはベルトリウスと男達が遭遇した場所からそう遠く離れていなかった。
 男達は一度も止まることなく夢中で走り続けたが、生前盗賊を生業なりわいとしていたベルトリウスにとっては何てことない追跡だった。魔物化の影響で体は脆くなってしまったものの、体力、持久力は人間の頃より格段に上がっており、見失わず発見されずの適度な距離を保ち続けていた。

 そして、男達は魔物を連れたまま帰還してしまった。
 森から戻ってきた二人の異様な雰囲気を感じ取り、村人が何事かと駆け寄ってくる。

「入り口を見張れぇっ!! 魔物が来るかもしれねぇ!!」

 片割れが叫んだ言葉に周囲の顔は強張った。男手は武器になりそうな農具を持ち門の前で構え、女子供は老人と共に建物の中へと避難した。
 問題の魔物……ベルトリウスはというと、流石に真正面から堂々姿を現すわけにもいかず、森の中から村を盗み見ていた。
 ここからは持久戦である。数時間音沙汰がなければ警戒も少しは緩むはずだ。
 夜になり警備の人数が減ったところを闇に乗じて忍び込み、井戸に己の血を混ぜる。その水を飲めば村人は全滅。多少生き延びた人間がいても、この手で直接仕留めてやればいい。さらに運良く切り抜けられたとしても、清潔な水が手に入らなければ遅かれ早かれ死が待ち受けている。

 悪人というのは良からぬたくらみのためならば、いたずらに時間を消費することもいとわぬ生き物だ。

 目論見もくろみ通り、日が暮れる頃には門の人だかりは半分ほどまで減っていた。
 徐々に一人、二人と頭数が消えてゆく。事を起こすには持ってこいの真っ暗闇の夜を迎え、ベルトリウスは遠くに揺れ動く松明の光が両手で数え切れるまでに減ったことをほくそ笑んだ。
 月は雲に隠れ、数メートル先にある物の形すら薄っすらとしか見えない。そんな中で、夜行動物の如き暗視能力を得たベルトリウスの視線が人々に狙いを定めていた。
 森から村までおよそ三百メートル以上の距離があるが、どこで何が動いているかなど全てを見通すことができる。これも魔物化の影響だろう。
 不便ばかりでもない肉体にベルトリウスは初めて感謝した。

 ……さて、肝心の警備は四人。三人は物見やぐらやへいから動かず、一人はあちこち歩き回って警戒している。敵がどの方向から攻め込んできても、すぐに仲間に知らせることができる配置だ。流石にこの中で村に近付こうとすれば途中で発見され、構えられるに決まっている。寝ている村人も駆け付け、総出の投石を受ければひとたまりもない。
 しかし、策はある。
 ベルトリウスは日中に捕獲しておいた野犬四匹を森から出てすぐの位置で放った。

 この四匹……出会った時は五匹だったが、彼らは最初に殺した一匹の連れだった。
 村の位置や警戒度を確認した後、ベルトリウスはもう一度森の奥へ戻っていた。そして、夜襲に役立つ物がないか探していたところ、現れたのがこの五匹だ。
 最初に出会った野犬と似たような見た目をしつつ、それより劣る体格……一匹目ヤツが群れのリーダーであったことを物語っていた。
 彼らはかたきであるはずのベルトリウスを前に、飛び掛かってくる様子もなくただ右往左往するだけで、自分達を率いていたかしらが消え、その頭を討ったベルトリウスに考えなしに引っ付いてきただけだった。
 これは使えると判断したベルトリウスはすぐに五匹を痛め付けて立場を理解させ、逃げようとした一匹の顔に自身の血をこすり付けた。血が目に入った野犬は小さく悲鳴を上げ、泡を吹いてしばらくに死んだ。他の野犬は恐怖心から逃亡を諦め、ベルトリウスの足元にすり寄った。
 上手いこと下僕を手に入れたベルトリウスは、四匹を警備の気を引く囮にしようと考え、現在に至るのであった。

 村に群れが近付くと、まず物見やぐらの警備が四匹に気が付いた。
 南東からヨロヨロとやって来る野犬達……合図を送られた他の警備達も群れに警戒を寄せた。
 ベルトリウスは野犬達が気を引いている隙に反対側の塀を登り、見事村の中へと侵入した。
 徘徊はいかいする警備がびるようにか細い鳴き声を上げている野犬達を調べる。魔物でないことを確認すると、他の警備に再度塀の外を見張るよう合図を送った。

「こらっ! ここへ来ても食いモンはねぇぞ! シッシッ!」

 頬をペチペチと叩かれようと、門をくぐった先から座り込んで動かない四匹。一番厄介な存在であった、徘徊する警備を足止めするとは、即席の下僕にしては充分な働きっぷりだ。
 一方、侵入したベルトリウスはというと、物陰に隠れて警備の目をかいくぐりながら、村の中を移動をしていた。
 目的の井戸を発見すると腕に付いていた切り傷の裂け目をいじくり回し、溢れ出る血をかなり多めに井戸へと垂らす。そして、井戸の真横に建つ家畜小屋に忍び込み、階段を登って屋根裏の物置場所に身を潜めた。ここならば村人の様子が一望できる。

 五時間後、真っ暗だった空は段々と明るさを取り戻し始めた。魔物は睡眠を必要としなかった。ただただ退屈な待ち時間だったが、いよいよ人の死に様が見られると思うと心が躍る。
 と、そこへ一人の女が家から出てきた。
 井戸に近寄り、おけを落とし、そして水をみ上げ……なかった。女は井戸から離れると、出てきたばかりの家へと戻っていった。

 何故だ……まさか井戸へ毒を仕込んだのがバレたのか?
 ベルトリウスは内心困惑した。

 女は亭主らしき男を引き連れ、共に井戸を覗いた。顔を上げると何やら慌ただしくやり取りを始め、よその家へと向かう。夫婦に連れられた人間がまた井戸を覗くと、新たな村人を呼びに走り出し……そうしてあっという間に、井戸には人だかりができた。
 ベルトリウスは顎に手を添えて考えた。たくさん血を入れたとはいえ、井戸の水は大量にあったのだ。あれぐらい混入させたところで変色するわけがない。そもそも、女は汲み上げてすらない。井戸を覗き込むとすぐ人を呼んだ。その切っ掛けは一体何だ?

 完璧だったはずの計画が未遂に終わってしまい首をひねるベルトリウスの耳に、最初に井戸を覗いた女の声が届く。

「ねっ、臭いでしょう? こんなの絶対おかしいわ!」
「うーむ……昨日まで何の異常もなかったのに……水が腐るなんて聞いたことないが、どんな害があるか分からんしな。近くの村に分けてもらえるよう交渉してくるから、みんなにもこの水を使わないよう伝えよう。全く……近くに魔物が出たばかりだというのに……」
「それにしても何て臭いのかしら。生ゴミみたいなニオイがするわ。鼻が曲がりそう」

 控えめだったやり取りは人が増えたことにより大声に変わり、小屋に潜むベルトリウスの元まではっきりと聞こえた。

「え、俺って臭いの?」

 ベルトリウスは自身のわきをクンクンと獣のように嗅いでみるが、”臭い”という感覚は訪れなかった。
 それにしても自分が異臭として扱われるほど強烈なニオイを発していたとは……ベルトリウスはちょっぴり傷付いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

Sランクパーティを引退したおっさんは故郷でスローライフがしたい。~王都に残した仲間が事あるごとに呼び出してくる~

味のないお茶
ファンタジー
Sランクパーティのリーダーだったベルフォードは、冒険者歴二十年のベテランだった。 しかし、加齢による衰えを感じていた彼は後人に愛弟子のエリックを指名し一年間見守っていた。 彼のリーダー能力に安心したベルフォードは、冒険者家業の引退を決意する。 故郷に帰ってゆっくりと日々を過しながら、剣術道場を開いて結婚相手を探そう。 そう考えていたベルフォードだったが、周りは彼をほっておいてはくれなかった。 これはスローライフがしたい凄腕のおっさんと、彼を慕う人達が織り成す物語。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

強奪系触手おじさん

兎屋亀吉
ファンタジー
【肉棒術】という卑猥なスキルを授かってしまったゆえに皆の笑い者として40年間生きてきたおじさんは、ある日ダンジョンで気持ち悪い触手を拾う。後に【神の触腕】という寄生型の神器だと判明するそれは、その気持ち悪い見た目に反してとんでもない力を秘めていた。

処理中です...