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第一章 出会い、敗北、勝利
2.初耳
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「さぁ、出来上がり」
パンッ! と、エカノダが手を叩く。その乾いた音が、頭を支配していた渦巻く思考を呼び覚ました。
エカノダは女性にしては長身の体をかがませると、未だ跪き顔を伏せたままのベルトリウスの頬に指を優しく添えた。
「発狂せず乗り越えるとは見込みあるじゃない。新しい身体はどう?」
どう、と問われても……何が何だかという状態で、ベルトリウスはぼんやりとした視界に映る自身の手足を見つめた。その肌は最早見慣れた色ではなかった。病気と疑うほどに精気を失いカサついた肌は腐肉のように赤黒くなり、めくれ上がってしまった爪先の隙間からは皮膚より鮮やかな赤が覗いている。
拳を握り……開き……また拳を握り……開く……。
そうすると指の関節や手のひらなどのシワができる部分は、あかぎれを起こしたようにぱっくりと割れた。数回開閉しただけでこの有り様である。
エカノダが施した”何か”は、ベルトリウスの体を完全につくり変えてしまった。褐色だった肌は変色し、些細な動作で皮膚に裂け目が生じ、プツプツと血溜まりが湧き出てくる。髪は所々抜け落ち、手足の爪はそれぞれ十枚あるうちの四枚ほどが剥がれ、歯は上顎右側側切歯と上下顎左側第一大臼歯がいつの間にかなくなっていた。
極め付きは、鼻をつまんでも脳へ突き抜けてかおる強烈な悪臭だ。これに関しては魔物の特性で、エカノダやベルトリウス本人は気付けていないが……。
ともかく、エカノダが口にした”獄徒”や”新しい身体”……実際の己の変化を見るに、ベルトリウスは自身が異形の存在へ変貌したことを感じ取った。
体のあちこちを確認しては困惑するベルトリウスに対し、エカノダがボソッと呟いた。
「脆いのね。見た目は前より良くなったけど、その身体で仕事をこなせるものかしら」
それを聞いたベルトリウスは不満そうに口を尖らせた。
「あなたがこんな身体にしたんでしょうが」
出会った当初こそ萎縮していたが、肉体の変化が起こってからというもの、エカノダに対する恐怖心はとんと消えていた。むしろ言葉一つ一つに温かみを感じるような不思議な感覚を覚えていた。それはベルトリウスが彼女と同じ、未知の側に立ったことを表していた。
「私だって誰がどんな能力に目覚めるのか分からないもの。亡者に直接魔物化を行ったのは初めてだし。……まぁ、まだ目覚めたばかりで混乱しているでしょうから、ひとまずは地獄について、このエカノダが直々に教えてあげる」
「あなたの言ってることがいちまち理解できねぇんですが……諸々の説明をあの謎の儀式の前にしてほしかったですね」
「あら、口うるさい。黙って聞きなさい。とりあえず……ここを生きる上で必要な知識からね。まず、お前は死んでこの地獄に送られた訳だけど……」
「えっ、俺死んだんですかっ!?」
目を真ん丸にし身を乗り出し驚く様に、エカノダも”気付いてなかったの? ”と、目をぱちくりさせた。
◇◇◇
―― ジールカナン帝国、王城 ――
「マゴーレ盗賊団、首領のベルトリウスを含め、討ち漏らしありません」
帝国の第一騎士団団長エイブラン・スリーアムズからの報告を受け、総括官のゴマ・リョートスは安堵の溜息を吐いた。
「ご苦労、スリーアムズ。流石は”ジールカナンの太陽”と称される騎士だ。陛下も安心されることだろう」
「はっ。……あの」
「ん? 何か気になったことでも?」
任務の完遂に満足していたリョートスは片眉を上げた。古くから残る英雄像のように精悍で重圧を放つエイブランと対面していると、どちらの方が立場が上か分からなくなりそうだった。
上官の心の内も露知らず、エイブランは白銀の髪から覗く灰色の瞳をじっとリョートスに向けた。
「個人的なことで恐縮ですが、何故緊急であの盗賊団の討伐指令が下ったのでしょうか。組織の規模や罪の重さを量るに、他に優先して取り締まるべき者はいたかと」
エイブランの問いにリョートスは上げていた眉を元の位置まで下げ、”うーん”と小さく唸った。
「これはお前の知るところでは……いや、ううん……まぁお前なら…………誰にも言うなよ?」
内密の命の詳細を漏らすなど本来なら罰則ものだが、品性高潔で有名なエイブランが己の好奇心を優先するのが珍しかったので、リョートスは特別に打ち明けることにした。
「ここだけの話……陛下が先日、マルカダス神から勅命を受けたらしい」
「マルカダス? 未来を予知するという?」
”呼び捨てにするなよ”、とリョートスは苦笑いした。
マルカダスはジールカナンで最も信仰されている神だ。数百年前、他国との戦争で窮地に陥っていたジールカナンは、皇帝の元に舞い降りたマルカダスの助言により勝利を収めたという。故に、マルカダスは帝国の守護神として崇められていた。
実際に自分の目で見たものしか真実として受け入れないエイブランにとって、いくら皇帝の話であっても例外ではなかった。彼も人並みにマルカダスを祀ってはいたが、だからこそ安易に”神と出会った”などと口にする人間は疑ってかかっていた。
「何でも近い将来、全ての生物を巻き込む大戦争が勃発するらしい。その火種になる者がちょうど帝国にいるってんで、始末するようにと陛下の枕元へ現れたと……」
「それがベルトリウスですか」
「名前、外見、現在位置……マルカダス神から教わった情報を元に討伐を命じた。実際奴は現場にいて、お前も殺してきたんだろう?」
「……あの男、そんな大層な者には見えませんでしたが……」
エイブランは眉をひそめた。目を伏せ、どこぞへ移動中だった彼らを部下と共に次々と斬り倒した時のことの思い出す。まさか自分達が襲う側から襲われる側へ回るとは思ってもみなかったのだろう。突然の襲撃に必死に応戦する盗賊団員であったが、誰もが儚く散っていった。
その中、奮闘している団員を尻目に、頭領であるベルトリウスはエイブランの部下から奪った馬でその場を一人逃げ出した。
情けない奴だと思った。
エイブランの駿馬はあっという間にベルトリウスとの距離を詰め、さらには追い越して退路を塞いだ。正面で向かい合うと、その姑息な悪漢の顔をまじまじと見つめた。
くすんだ金の髪は後ろへ流して整えられており、傷ひとつない綺麗な額が惜しみなく天下に晒されている。そして見える……自信家を思わせるくっきりとつり上がった眉に、垂れ気味の目元……夜空の下に怪しく輝く紫眼……真っ直ぐ通った鼻と形の良い口など、なかなかに人の目を引く容姿をしている。ひと目見たら忘れられない顔だ。盗賊の頭にしては年若く、甘い風貌は女を誑かす色詐欺師のようだった。
如何にもエイブランが嫌う軽薄そうな類いの男……よりそう感じる部分がもう一つあった。
笑っているのだ。
団員が彼の名を叫んで助けを求めていたのに、ベルトリウスは仲間の死を茶化すかのように一人笑いながら逃亡したのだ。自分だけは助かると思っていたのだろうか? たまにいるのだ、帝国の精鋭部隊を見くびる愚か者が。ベルトリウスもそういった部類の人間なのだと思った。
逃げ場を失ったベルトリウスは、エイブランに向かってこう言った。
『命乞いを聞いてくれるか?』
真剣な顔付きではなかった。この期に及んで、どこか飄々とした言い方だった。
エイブランは口で返事をする代わりに、持っていた槍を思いきり振るってベルトリウスの首をはねた。”ボトッ”と生々しい音が地を転げ、続いて胴体も馬から崩れ落ちた。騎士団の部下に任せてきた下っ端の方もあらかた片付くと、全員の首を切り離して証拠品として城へ持ち帰った。ベルトリウスの首はこの部屋へ来る前にエイブラン直々に執行人へ手渡したので、各役人の確認を得た後に晒し台行きとなるだろう。
思いふけるエイブランに、リョートスは”まぁ”と一息ついて言った。
「これ以上俺が話せることはないし、お前も報告を完了した。この話は終わりだ」
リョートスは手元の書類に視線を落とすと、来訪により止まっていた作業を再開した。”これ以上お前の相手をするつもりはない”といった、意思の表れだ。
エイブランは静かに一礼し、部屋を後にした。
パンッ! と、エカノダが手を叩く。その乾いた音が、頭を支配していた渦巻く思考を呼び覚ました。
エカノダは女性にしては長身の体をかがませると、未だ跪き顔を伏せたままのベルトリウスの頬に指を優しく添えた。
「発狂せず乗り越えるとは見込みあるじゃない。新しい身体はどう?」
どう、と問われても……何が何だかという状態で、ベルトリウスはぼんやりとした視界に映る自身の手足を見つめた。その肌は最早見慣れた色ではなかった。病気と疑うほどに精気を失いカサついた肌は腐肉のように赤黒くなり、めくれ上がってしまった爪先の隙間からは皮膚より鮮やかな赤が覗いている。
拳を握り……開き……また拳を握り……開く……。
そうすると指の関節や手のひらなどのシワができる部分は、あかぎれを起こしたようにぱっくりと割れた。数回開閉しただけでこの有り様である。
エカノダが施した”何か”は、ベルトリウスの体を完全につくり変えてしまった。褐色だった肌は変色し、些細な動作で皮膚に裂け目が生じ、プツプツと血溜まりが湧き出てくる。髪は所々抜け落ち、手足の爪はそれぞれ十枚あるうちの四枚ほどが剥がれ、歯は上顎右側側切歯と上下顎左側第一大臼歯がいつの間にかなくなっていた。
極め付きは、鼻をつまんでも脳へ突き抜けてかおる強烈な悪臭だ。これに関しては魔物の特性で、エカノダやベルトリウス本人は気付けていないが……。
ともかく、エカノダが口にした”獄徒”や”新しい身体”……実際の己の変化を見るに、ベルトリウスは自身が異形の存在へ変貌したことを感じ取った。
体のあちこちを確認しては困惑するベルトリウスに対し、エカノダがボソッと呟いた。
「脆いのね。見た目は前より良くなったけど、その身体で仕事をこなせるものかしら」
それを聞いたベルトリウスは不満そうに口を尖らせた。
「あなたがこんな身体にしたんでしょうが」
出会った当初こそ萎縮していたが、肉体の変化が起こってからというもの、エカノダに対する恐怖心はとんと消えていた。むしろ言葉一つ一つに温かみを感じるような不思議な感覚を覚えていた。それはベルトリウスが彼女と同じ、未知の側に立ったことを表していた。
「私だって誰がどんな能力に目覚めるのか分からないもの。亡者に直接魔物化を行ったのは初めてだし。……まぁ、まだ目覚めたばかりで混乱しているでしょうから、ひとまずは地獄について、このエカノダが直々に教えてあげる」
「あなたの言ってることがいちまち理解できねぇんですが……諸々の説明をあの謎の儀式の前にしてほしかったですね」
「あら、口うるさい。黙って聞きなさい。とりあえず……ここを生きる上で必要な知識からね。まず、お前は死んでこの地獄に送られた訳だけど……」
「えっ、俺死んだんですかっ!?」
目を真ん丸にし身を乗り出し驚く様に、エカノダも”気付いてなかったの? ”と、目をぱちくりさせた。
◇◇◇
―― ジールカナン帝国、王城 ――
「マゴーレ盗賊団、首領のベルトリウスを含め、討ち漏らしありません」
帝国の第一騎士団団長エイブラン・スリーアムズからの報告を受け、総括官のゴマ・リョートスは安堵の溜息を吐いた。
「ご苦労、スリーアムズ。流石は”ジールカナンの太陽”と称される騎士だ。陛下も安心されることだろう」
「はっ。……あの」
「ん? 何か気になったことでも?」
任務の完遂に満足していたリョートスは片眉を上げた。古くから残る英雄像のように精悍で重圧を放つエイブランと対面していると、どちらの方が立場が上か分からなくなりそうだった。
上官の心の内も露知らず、エイブランは白銀の髪から覗く灰色の瞳をじっとリョートスに向けた。
「個人的なことで恐縮ですが、何故緊急であの盗賊団の討伐指令が下ったのでしょうか。組織の規模や罪の重さを量るに、他に優先して取り締まるべき者はいたかと」
エイブランの問いにリョートスは上げていた眉を元の位置まで下げ、”うーん”と小さく唸った。
「これはお前の知るところでは……いや、ううん……まぁお前なら…………誰にも言うなよ?」
内密の命の詳細を漏らすなど本来なら罰則ものだが、品性高潔で有名なエイブランが己の好奇心を優先するのが珍しかったので、リョートスは特別に打ち明けることにした。
「ここだけの話……陛下が先日、マルカダス神から勅命を受けたらしい」
「マルカダス? 未来を予知するという?」
”呼び捨てにするなよ”、とリョートスは苦笑いした。
マルカダスはジールカナンで最も信仰されている神だ。数百年前、他国との戦争で窮地に陥っていたジールカナンは、皇帝の元に舞い降りたマルカダスの助言により勝利を収めたという。故に、マルカダスは帝国の守護神として崇められていた。
実際に自分の目で見たものしか真実として受け入れないエイブランにとって、いくら皇帝の話であっても例外ではなかった。彼も人並みにマルカダスを祀ってはいたが、だからこそ安易に”神と出会った”などと口にする人間は疑ってかかっていた。
「何でも近い将来、全ての生物を巻き込む大戦争が勃発するらしい。その火種になる者がちょうど帝国にいるってんで、始末するようにと陛下の枕元へ現れたと……」
「それがベルトリウスですか」
「名前、外見、現在位置……マルカダス神から教わった情報を元に討伐を命じた。実際奴は現場にいて、お前も殺してきたんだろう?」
「……あの男、そんな大層な者には見えませんでしたが……」
エイブランは眉をひそめた。目を伏せ、どこぞへ移動中だった彼らを部下と共に次々と斬り倒した時のことの思い出す。まさか自分達が襲う側から襲われる側へ回るとは思ってもみなかったのだろう。突然の襲撃に必死に応戦する盗賊団員であったが、誰もが儚く散っていった。
その中、奮闘している団員を尻目に、頭領であるベルトリウスはエイブランの部下から奪った馬でその場を一人逃げ出した。
情けない奴だと思った。
エイブランの駿馬はあっという間にベルトリウスとの距離を詰め、さらには追い越して退路を塞いだ。正面で向かい合うと、その姑息な悪漢の顔をまじまじと見つめた。
くすんだ金の髪は後ろへ流して整えられており、傷ひとつない綺麗な額が惜しみなく天下に晒されている。そして見える……自信家を思わせるくっきりとつり上がった眉に、垂れ気味の目元……夜空の下に怪しく輝く紫眼……真っ直ぐ通った鼻と形の良い口など、なかなかに人の目を引く容姿をしている。ひと目見たら忘れられない顔だ。盗賊の頭にしては年若く、甘い風貌は女を誑かす色詐欺師のようだった。
如何にもエイブランが嫌う軽薄そうな類いの男……よりそう感じる部分がもう一つあった。
笑っているのだ。
団員が彼の名を叫んで助けを求めていたのに、ベルトリウスは仲間の死を茶化すかのように一人笑いながら逃亡したのだ。自分だけは助かると思っていたのだろうか? たまにいるのだ、帝国の精鋭部隊を見くびる愚か者が。ベルトリウスもそういった部類の人間なのだと思った。
逃げ場を失ったベルトリウスは、エイブランに向かってこう言った。
『命乞いを聞いてくれるか?』
真剣な顔付きではなかった。この期に及んで、どこか飄々とした言い方だった。
エイブランは口で返事をする代わりに、持っていた槍を思いきり振るってベルトリウスの首をはねた。”ボトッ”と生々しい音が地を転げ、続いて胴体も馬から崩れ落ちた。騎士団の部下に任せてきた下っ端の方もあらかた片付くと、全員の首を切り離して証拠品として城へ持ち帰った。ベルトリウスの首はこの部屋へ来る前にエイブラン直々に執行人へ手渡したので、各役人の確認を得た後に晒し台行きとなるだろう。
思いふけるエイブランに、リョートスは”まぁ”と一息ついて言った。
「これ以上俺が話せることはないし、お前も報告を完了した。この話は終わりだ」
リョートスは手元の書類に視線を落とすと、来訪により止まっていた作業を再開した。”これ以上お前の相手をするつもりはない”といった、意思の表れだ。
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