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23話
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しのは昨日の延長で、朝から気が滅入っていた。
父の友人である吉三を哀れに思った姉や父から、食べ物などを持って行くようにと仰せつかったからだ。
なので、昨日の夕飯は腹いっぱい食べることができなかった。
その食べられなかった分が、今しのが手に持っている鍋の中身であり、吉三に渡す飯である。
そんな、しのの気持ちを表すかのように、今朝の空はどんよりとしていた。
今すぐ雨が降りそう、という訳ではないが、雲が空全体を覆っており、一切の晴れ間が見当たらない。
秋の空なんてこんなものだが、スカッと晴れてくれないと気分まで落ち込むように感じる。
そんな空の下を歩き、今日も吉三の所へ向かう。
「さっさと鍋を置いて、脱穀に向かおう」
脱穀作業に遅れることは父から伝わっているが、正直、黙々と脱穀作業をした方が気が楽だ。
脱穀は集めた米の殻を剥がして選り分け、俵に詰めて行く作業なので、それさえできていれば文句は言われない。
だが、吉三を訪ねた場合、朝飯を一緒に食べることになったり、昨日はどうだった、今日は何をするのか、など近況報告をすることになるかもしれない。
そうなった時が一番めんどうなのだ。
しのは毎日、何も波風立てず過ごすのが一番だと考えているので、何も話題がない一日を尊ぶ。
しかし、誰かを訪ねるということは、何らかの話題を提供しなければならないということだ。
ましてや、一日中あの小屋で過ごす人間を相手にするのなら、面白い話題が必要だ。
「何を話せばいいんだ、とんだ貧乏くじを引いちまった」
少々気負い過ぎかもしれないが、それが人間関係には必要不可欠である。
川を渡ってしばらく歩くと、ここ数日見慣れた小屋が見えてきた。
だが、吉三の姿が見えない。
いつもなら川のそばにいるのだが、小屋にいるのだろうか。
「今日はまだ寝てるのかな?」
もしそうなら運がいい。
寝てる相手を起こすのが忍びなかったので、鍋だけ置いて帰ることができる。
家の鍋がなくなるって?
夕方頃、空の鍋を取りに来ればいいんだよ。
それだけの用事なら、長話しなくていい。
でもまずは、吉三が本当に寝ているのか確認しなければ。
しのは足音を立てないようにゆっくり小屋に近づき、引き戸に耳をくっつける。
すると、二人の男が話をしているのが聞こえた。
一方は吉三の声だが、もう一方は初めて聞く声だ。
「お前、栗なんて拾えたのか?その足で?」
その声には、バカにするかのような色がにじむ。
「それは、ときちゃんとしのちゃんからもらったものだ」
「ああ、あの人騒がせな姉妹か。お前がとんでもない事言い出したせいで、こっちは迷惑だった」
二人はそこそこ親しいようだが、会話の内容は最悪だ。
こんな所、とっととおさらばしたい。
だが、鍋を置いて帰ったら二人の話を聞いたかもしれないと勘ぐられ、鍋を持ち帰ってもなぜ吉三に渡さなかったのか、姉に説明しなければいけない。
結論、何をしても、もっとめんどくさいことになる。
「兄貴、なんてこと言うんだ」
「どうせここには俺とお前しかいない。それに、思っていることを言って何が悪いんだ?稲刈りが始まるって時に騒ぎを起こして、大勢の人手を使って探すなんざ、正気の沙汰じゃない」
「今回さらわれたのはときちゃんだけだったが、村中の娘がさらわれてもおかしくない。兄貴にだって娘がいるだろうに」
「その娘は、他人に土地を借りて耕している程度の人間だ。そんな人間の代わりならいくらでもいるのに、手間暇かける必要はないって言ってるんだ」
どうやら、二人は兄弟のようだ。
ということは、初めて聞く声の持ち主は、吉三に食べ物を持ってくる兄貴ということか。
だが、今の発言は聞き捨てならない。
代わりはいくらでもいるだと?
アタイやねえちゃん、父ちゃんはそんな道具みたいに扱って当然だと?
腹の底からフツフツと湧いてくるムカつきを押さえられず、思わず歯ぎしりをする。
だが、ここで怒りに任せて話に割ったり、帰ったりしてはいけない。
とんでもないことを聞いてしまった、という興味が勝り、話の結末を知らずにはいられないのだ。
小屋の周りとグルグルと周り、板の壁の隙間を探し、中の様子をうかがう。
「さすがにそれは言い過ぎだ!彼女達みたいに、代わりに畑を耕してくれる人がいたおかげで、俺達の家はここまで大きくなれたんじゃないか」
「勘違いするなよ、爺さんや親父が土地の開墾を進めたからできたことだ。今、お前の目の前にある野菜だって、親父が開いた土地でできたものだぞ」
「その土地を、小作人に任せたおかげでできたんじゃないか・・・」
「そうそう、隣村のなかさんだが、子どもが生まれたらしい。お前と一緒にならなくてよかったよ」
「え?いつ嫁いだんだ?」
「お前が村にいなかった間にだよ。なかなか戦から帰ってこなかったから、向こうの家が新しい嫁ぎ先を探したんだ。まあ、お前を待たなくて正解だったな」
「そんな大事なこと、なんで話してくれなかったんだ!」
「お前が帰ってこなかったから、うちにも、なかさんにも恥をかかせたんだぞ。そんな奴に会いたいと思えるのか?何より」
言葉を切って、深いため息がひとつ聞こえた。
「お前を養っていくのもしんどいんだよ。俺には家族がいる、分かれよ」
その言葉を残し、小屋から一人の男が出てきた。
この村に住まう百姓とは違い、着ている着物にほつれがなく、いかにも当主様、といったたたずまいだ。
その顔は吉三に似ているが、釣りあがった目が近寄りがたい雰囲気を放っている。
幸い、兄貴が出てくる前に小屋の影に隠れていたので見つからなかったが、しのは、二人の話を盗み聞きしたことを後悔した。
「聞くんじゃなかったぜ・・・」
こんなに気まずいところに、どんな顔をして鍋をおいて帰ればいいのだろう。
だが、簡単に声を掛けられる雰囲気ではない。
用事があるから、といって吉三の顔だけ見ずに置いていけばいいのかも。
そうだ、そうしよう!
しのは、意を決して小屋の影から出ようとした、その時。
「もしかしてしのちゃんかな?とんでもないことを聞かせちゃったかな」
いきなり吉三から声を掛けられ、びっくりして飛び跳ねる。
恐る恐る、小屋の引き戸から中を覗く。
「なんで分かったんだ?」
冷や汗ダラダラで吉三に問う。
小屋の中は暗くて、吉三がこちらを見ているのか分からない。
辛うじて、この前と同じ囲炉裏のそばに座っていることは分かった。
「兄貴が帰った後、小屋のそばから草を踏む音がしたんだよ。大人にしては音が軽いし、そろそろしのちゃんが来る頃だと思って」
ご名答。
しのは口をとがらせ、そっぽを向いて答える。
「なんだよ、聞こえてたのか」
「盗み聞きとは良くないな。とはいえ、恥ずかしい所を見せてしまった」
ようやく小屋の暗さに目が慣れてきた。
昨日と違い、小屋の中には野菜がザルに入っていた。
だが、その野菜は小さかったり虫に食われた跡でボロボロ、いかにも間引いたようなものばかりで、人が食べるものではない。
それらが数日分の食料だとすると、吉三が食べたら一日でなくなる。
これは、嫌がらせだろ。
「昨日は本当にありがとう、おいしかったよ。悪いが、今日はもう帰ってくれ。源助とときちゃんによろしく」
「・・・分かった」
置いていった鍋を吉三から受け取り、自分が持っていた鍋を渡す。
隣村のなかさんは誰なのかとか、あれが吉三の兄貴なのかとか、聞きたいことが色々あったが、聞ける雰囲気ではない。
現に、鍋を受け取る時、吉三の顔を見れなかった。
小屋が暗く、吉三自身が俯いているせいもあるが、見てはいけない気がして飛び出すように小屋を離れる。
しばらく歩き、ふと鍋を見ると、中身は空っぽできれいに洗ってあった。
昨日、置いていった時は、まだ半分以上も残っていた。
それが一晩で空になったということは、吉三は相当腹を空かせていたのだろう。
じっくり見たわけではないが、小屋の中に鍋の中身を移したような器はなかった。
大人一人で鍋半分を平らげるのは大変なのだが、それができてしまうくらい、ひもじかったのかもしれない。
しのは後ろを振り向く。
生い茂った草の向こうに、小屋の上半分が見える。
その小屋はしん、と静まり返っており、何者かがいる気配はしない。
こんなことは、よくあることだ。
五体満足じゃなければ、働き手として数えられない。
働き手ではない者は、誰かの情けにすがって生きて行く。
そうやって吉三は生きているが、それを疎ましく感じる人間も、当然いる。
この村はいい所だが、やっぱりそういう所もあるんだな。
「しかし、あの兄貴はとんでもねぇな」
体が不自由な弟に対し、嫌な態度ばかりする。
おまけに、自分はいい着物を着て食べるものに困っていないのに、弟にはクズ野菜しか与えない。
また、しのは二人の会話の一部を振り返った。
兄貴の話から推測するに、吉三は戦に出る前、隣村のなかさんと結婚しようとしていたのではないか?
それが、吉三が戦から帰らなかったからご破算となり、誰も吉三にそのことを知らせず、なかさんは別の家に嫁いだか・・・
父、源助の口からもその話題が出なかったということは、父すら知らないのかもしれない。
「というかこの話、誰かにしていい話じゃないよな・・・」
今日の夕飯時に、姉から吉三はどうだったか聞かれるだろう。
その返答として、さきほど小屋で聞いた話をするのは、いかがなものか。
「やばい・・・ねえちゃんになんて説明しよう」
うーん、うーんとしのが唸っていると、後ろから足音がした。
「どうした?腹でも痛いのか?」
今日は聞いたことない声によく当たるな。
しのの後ろにいたのは老人で、毛皮を羽織り、腰には大ぶりのナタを下げている。
体格は痩せているが、よく日焼けした顔で笑いかけられた。
だが、この村では見ない顔だ。
「違うよ、ちょっと考え事」
「ほう、こんな子供が考え事とは珍しい。何を悩んでいるのかな?」
白くて大きい歯をにかっとさせて覗き込まれるが、誰だか知らない人間の顔が近づいてくるのが嫌で、ちょっと後ずさりする。
「そんな大したことじゃねぇよ」
「そうか。それより娘っ子や、お前さんはここいらに住んでいるのか?」
老人はぐるりと辺りを見回す。
「違うよ、あの小屋に住んでいる知り合いに会うから、たまたま来たんだ。アタイは川向こうに住んでる」
「ほう、あの小屋、誰か住んでるのか」
目を見開き小屋を見た老人は、真面目な顔つきになってしのにあることを話した。
「儂は隣村から来たのだが、最近、この村の近くに大きなイノシシが現れたと聞いた。体も大きく、大変気性の荒いイノシシで、猟師が束になっても捕まえることができないらしい」
「ふうん、見たことないけどな」
「ヤツは手入れされていない川沿いとか、食べられそうな物があるとそこに近づく。幸い、この村はクズ野菜を放置してイノシシを誘き出すような事はしていないが、手入れのされていない畑や川沿いが多い。先ほど、あの小屋に住んでいる人がいるといったな。儂も注意しておくが、お前さんもここを通るときは誰か大人と一緒にいなさい、いいね」
「たかがイノシシだろ?そこまで気を付ける必要あるのか?」
老人は厳しい目つきになり、しのを諭す。
「お互い、生きるのに必死だ、ということだ」
その目からは見たことないくらいの迫力を感じたので、しのは頷く。
「分かった」
「よし、いい子だ。大人の言うことをよく聞く子には、いいものをあげよう」
そういうと、老人は腰の後ろに手を回し、何かヒラヒラした長いものを渡した。
「なんだこれ?」
「蛇の抜け殻だ。持っていると金が貯まると言われているな。ここまで形が残っているのも珍しいぞ」
白く半透明なそれは、縦に亀裂が入っており、目を凝らしてみると、確かに蛇のウロコ模様が見える。
初めて見た。
しかも、老人いわく珍しいという。
「ありがとう!」
「じゃあ、気を付けてお帰り」
老人と別れたしのは、鍋に蛇の抜け殻を入れ、ウキウキと帰った。
ここ最近、早いうちから起こされツイていないと思っていたが、蛇の抜け殻をもらえたことで、今までの嫌なことは、これをもらうためだったんじゃないか、などと思えてきた。
「こんなに珍しいものをもらえるなら、あの老人にこの辺を見回りしてもらえばいいんじゃないのか?」
そうすれば、吉三に恩を売れるし、もっと珍しいものをもらえるかもしれない。
家に帰ったしのは、鍋から蛇の抜け殻を出し、ツヅラにしまうことにした。
ツヅラは人さらいの騒動以来、大人しい。
見るたび、またどんな化け物を出して来るのか、と怯えていたが、ここ最近は何事もなく、しのの物入れとしての役割を果たしている。
そんなツヅラに蛇の抜け殻をしまおうと開けた所、入れたはずのないものが入っていた。
それは木でできていて、棒のように長い。
だが、上部が椀のように何かを受ける形になっており、そこに紐がついている。
「なんだこれ?」
こんなもの、見たことがない。
父の友人である吉三を哀れに思った姉や父から、食べ物などを持って行くようにと仰せつかったからだ。
なので、昨日の夕飯は腹いっぱい食べることができなかった。
その食べられなかった分が、今しのが手に持っている鍋の中身であり、吉三に渡す飯である。
そんな、しのの気持ちを表すかのように、今朝の空はどんよりとしていた。
今すぐ雨が降りそう、という訳ではないが、雲が空全体を覆っており、一切の晴れ間が見当たらない。
秋の空なんてこんなものだが、スカッと晴れてくれないと気分まで落ち込むように感じる。
そんな空の下を歩き、今日も吉三の所へ向かう。
「さっさと鍋を置いて、脱穀に向かおう」
脱穀作業に遅れることは父から伝わっているが、正直、黙々と脱穀作業をした方が気が楽だ。
脱穀は集めた米の殻を剥がして選り分け、俵に詰めて行く作業なので、それさえできていれば文句は言われない。
だが、吉三を訪ねた場合、朝飯を一緒に食べることになったり、昨日はどうだった、今日は何をするのか、など近況報告をすることになるかもしれない。
そうなった時が一番めんどうなのだ。
しのは毎日、何も波風立てず過ごすのが一番だと考えているので、何も話題がない一日を尊ぶ。
しかし、誰かを訪ねるということは、何らかの話題を提供しなければならないということだ。
ましてや、一日中あの小屋で過ごす人間を相手にするのなら、面白い話題が必要だ。
「何を話せばいいんだ、とんだ貧乏くじを引いちまった」
少々気負い過ぎかもしれないが、それが人間関係には必要不可欠である。
川を渡ってしばらく歩くと、ここ数日見慣れた小屋が見えてきた。
だが、吉三の姿が見えない。
いつもなら川のそばにいるのだが、小屋にいるのだろうか。
「今日はまだ寝てるのかな?」
もしそうなら運がいい。
寝てる相手を起こすのが忍びなかったので、鍋だけ置いて帰ることができる。
家の鍋がなくなるって?
夕方頃、空の鍋を取りに来ればいいんだよ。
それだけの用事なら、長話しなくていい。
でもまずは、吉三が本当に寝ているのか確認しなければ。
しのは足音を立てないようにゆっくり小屋に近づき、引き戸に耳をくっつける。
すると、二人の男が話をしているのが聞こえた。
一方は吉三の声だが、もう一方は初めて聞く声だ。
「お前、栗なんて拾えたのか?その足で?」
その声には、バカにするかのような色がにじむ。
「それは、ときちゃんとしのちゃんからもらったものだ」
「ああ、あの人騒がせな姉妹か。お前がとんでもない事言い出したせいで、こっちは迷惑だった」
二人はそこそこ親しいようだが、会話の内容は最悪だ。
こんな所、とっととおさらばしたい。
だが、鍋を置いて帰ったら二人の話を聞いたかもしれないと勘ぐられ、鍋を持ち帰ってもなぜ吉三に渡さなかったのか、姉に説明しなければいけない。
結論、何をしても、もっとめんどくさいことになる。
「兄貴、なんてこと言うんだ」
「どうせここには俺とお前しかいない。それに、思っていることを言って何が悪いんだ?稲刈りが始まるって時に騒ぎを起こして、大勢の人手を使って探すなんざ、正気の沙汰じゃない」
「今回さらわれたのはときちゃんだけだったが、村中の娘がさらわれてもおかしくない。兄貴にだって娘がいるだろうに」
「その娘は、他人に土地を借りて耕している程度の人間だ。そんな人間の代わりならいくらでもいるのに、手間暇かける必要はないって言ってるんだ」
どうやら、二人は兄弟のようだ。
ということは、初めて聞く声の持ち主は、吉三に食べ物を持ってくる兄貴ということか。
だが、今の発言は聞き捨てならない。
代わりはいくらでもいるだと?
アタイやねえちゃん、父ちゃんはそんな道具みたいに扱って当然だと?
腹の底からフツフツと湧いてくるムカつきを押さえられず、思わず歯ぎしりをする。
だが、ここで怒りに任せて話に割ったり、帰ったりしてはいけない。
とんでもないことを聞いてしまった、という興味が勝り、話の結末を知らずにはいられないのだ。
小屋の周りとグルグルと周り、板の壁の隙間を探し、中の様子をうかがう。
「さすがにそれは言い過ぎだ!彼女達みたいに、代わりに畑を耕してくれる人がいたおかげで、俺達の家はここまで大きくなれたんじゃないか」
「勘違いするなよ、爺さんや親父が土地の開墾を進めたからできたことだ。今、お前の目の前にある野菜だって、親父が開いた土地でできたものだぞ」
「その土地を、小作人に任せたおかげでできたんじゃないか・・・」
「そうそう、隣村のなかさんだが、子どもが生まれたらしい。お前と一緒にならなくてよかったよ」
「え?いつ嫁いだんだ?」
「お前が村にいなかった間にだよ。なかなか戦から帰ってこなかったから、向こうの家が新しい嫁ぎ先を探したんだ。まあ、お前を待たなくて正解だったな」
「そんな大事なこと、なんで話してくれなかったんだ!」
「お前が帰ってこなかったから、うちにも、なかさんにも恥をかかせたんだぞ。そんな奴に会いたいと思えるのか?何より」
言葉を切って、深いため息がひとつ聞こえた。
「お前を養っていくのもしんどいんだよ。俺には家族がいる、分かれよ」
その言葉を残し、小屋から一人の男が出てきた。
この村に住まう百姓とは違い、着ている着物にほつれがなく、いかにも当主様、といったたたずまいだ。
その顔は吉三に似ているが、釣りあがった目が近寄りがたい雰囲気を放っている。
幸い、兄貴が出てくる前に小屋の影に隠れていたので見つからなかったが、しのは、二人の話を盗み聞きしたことを後悔した。
「聞くんじゃなかったぜ・・・」
こんなに気まずいところに、どんな顔をして鍋をおいて帰ればいいのだろう。
だが、簡単に声を掛けられる雰囲気ではない。
用事があるから、といって吉三の顔だけ見ずに置いていけばいいのかも。
そうだ、そうしよう!
しのは、意を決して小屋の影から出ようとした、その時。
「もしかしてしのちゃんかな?とんでもないことを聞かせちゃったかな」
いきなり吉三から声を掛けられ、びっくりして飛び跳ねる。
恐る恐る、小屋の引き戸から中を覗く。
「なんで分かったんだ?」
冷や汗ダラダラで吉三に問う。
小屋の中は暗くて、吉三がこちらを見ているのか分からない。
辛うじて、この前と同じ囲炉裏のそばに座っていることは分かった。
「兄貴が帰った後、小屋のそばから草を踏む音がしたんだよ。大人にしては音が軽いし、そろそろしのちゃんが来る頃だと思って」
ご名答。
しのは口をとがらせ、そっぽを向いて答える。
「なんだよ、聞こえてたのか」
「盗み聞きとは良くないな。とはいえ、恥ずかしい所を見せてしまった」
ようやく小屋の暗さに目が慣れてきた。
昨日と違い、小屋の中には野菜がザルに入っていた。
だが、その野菜は小さかったり虫に食われた跡でボロボロ、いかにも間引いたようなものばかりで、人が食べるものではない。
それらが数日分の食料だとすると、吉三が食べたら一日でなくなる。
これは、嫌がらせだろ。
「昨日は本当にありがとう、おいしかったよ。悪いが、今日はもう帰ってくれ。源助とときちゃんによろしく」
「・・・分かった」
置いていった鍋を吉三から受け取り、自分が持っていた鍋を渡す。
隣村のなかさんは誰なのかとか、あれが吉三の兄貴なのかとか、聞きたいことが色々あったが、聞ける雰囲気ではない。
現に、鍋を受け取る時、吉三の顔を見れなかった。
小屋が暗く、吉三自身が俯いているせいもあるが、見てはいけない気がして飛び出すように小屋を離れる。
しばらく歩き、ふと鍋を見ると、中身は空っぽできれいに洗ってあった。
昨日、置いていった時は、まだ半分以上も残っていた。
それが一晩で空になったということは、吉三は相当腹を空かせていたのだろう。
じっくり見たわけではないが、小屋の中に鍋の中身を移したような器はなかった。
大人一人で鍋半分を平らげるのは大変なのだが、それができてしまうくらい、ひもじかったのかもしれない。
しのは後ろを振り向く。
生い茂った草の向こうに、小屋の上半分が見える。
その小屋はしん、と静まり返っており、何者かがいる気配はしない。
こんなことは、よくあることだ。
五体満足じゃなければ、働き手として数えられない。
働き手ではない者は、誰かの情けにすがって生きて行く。
そうやって吉三は生きているが、それを疎ましく感じる人間も、当然いる。
この村はいい所だが、やっぱりそういう所もあるんだな。
「しかし、あの兄貴はとんでもねぇな」
体が不自由な弟に対し、嫌な態度ばかりする。
おまけに、自分はいい着物を着て食べるものに困っていないのに、弟にはクズ野菜しか与えない。
また、しのは二人の会話の一部を振り返った。
兄貴の話から推測するに、吉三は戦に出る前、隣村のなかさんと結婚しようとしていたのではないか?
それが、吉三が戦から帰らなかったからご破算となり、誰も吉三にそのことを知らせず、なかさんは別の家に嫁いだか・・・
父、源助の口からもその話題が出なかったということは、父すら知らないのかもしれない。
「というかこの話、誰かにしていい話じゃないよな・・・」
今日の夕飯時に、姉から吉三はどうだったか聞かれるだろう。
その返答として、さきほど小屋で聞いた話をするのは、いかがなものか。
「やばい・・・ねえちゃんになんて説明しよう」
うーん、うーんとしのが唸っていると、後ろから足音がした。
「どうした?腹でも痛いのか?」
今日は聞いたことない声によく当たるな。
しのの後ろにいたのは老人で、毛皮を羽織り、腰には大ぶりのナタを下げている。
体格は痩せているが、よく日焼けした顔で笑いかけられた。
だが、この村では見ない顔だ。
「違うよ、ちょっと考え事」
「ほう、こんな子供が考え事とは珍しい。何を悩んでいるのかな?」
白くて大きい歯をにかっとさせて覗き込まれるが、誰だか知らない人間の顔が近づいてくるのが嫌で、ちょっと後ずさりする。
「そんな大したことじゃねぇよ」
「そうか。それより娘っ子や、お前さんはここいらに住んでいるのか?」
老人はぐるりと辺りを見回す。
「違うよ、あの小屋に住んでいる知り合いに会うから、たまたま来たんだ。アタイは川向こうに住んでる」
「ほう、あの小屋、誰か住んでるのか」
目を見開き小屋を見た老人は、真面目な顔つきになってしのにあることを話した。
「儂は隣村から来たのだが、最近、この村の近くに大きなイノシシが現れたと聞いた。体も大きく、大変気性の荒いイノシシで、猟師が束になっても捕まえることができないらしい」
「ふうん、見たことないけどな」
「ヤツは手入れされていない川沿いとか、食べられそうな物があるとそこに近づく。幸い、この村はクズ野菜を放置してイノシシを誘き出すような事はしていないが、手入れのされていない畑や川沿いが多い。先ほど、あの小屋に住んでいる人がいるといったな。儂も注意しておくが、お前さんもここを通るときは誰か大人と一緒にいなさい、いいね」
「たかがイノシシだろ?そこまで気を付ける必要あるのか?」
老人は厳しい目つきになり、しのを諭す。
「お互い、生きるのに必死だ、ということだ」
その目からは見たことないくらいの迫力を感じたので、しのは頷く。
「分かった」
「よし、いい子だ。大人の言うことをよく聞く子には、いいものをあげよう」
そういうと、老人は腰の後ろに手を回し、何かヒラヒラした長いものを渡した。
「なんだこれ?」
「蛇の抜け殻だ。持っていると金が貯まると言われているな。ここまで形が残っているのも珍しいぞ」
白く半透明なそれは、縦に亀裂が入っており、目を凝らしてみると、確かに蛇のウロコ模様が見える。
初めて見た。
しかも、老人いわく珍しいという。
「ありがとう!」
「じゃあ、気を付けてお帰り」
老人と別れたしのは、鍋に蛇の抜け殻を入れ、ウキウキと帰った。
ここ最近、早いうちから起こされツイていないと思っていたが、蛇の抜け殻をもらえたことで、今までの嫌なことは、これをもらうためだったんじゃないか、などと思えてきた。
「こんなに珍しいものをもらえるなら、あの老人にこの辺を見回りしてもらえばいいんじゃないのか?」
そうすれば、吉三に恩を売れるし、もっと珍しいものをもらえるかもしれない。
家に帰ったしのは、鍋から蛇の抜け殻を出し、ツヅラにしまうことにした。
ツヅラは人さらいの騒動以来、大人しい。
見るたび、またどんな化け物を出して来るのか、と怯えていたが、ここ最近は何事もなく、しのの物入れとしての役割を果たしている。
そんなツヅラに蛇の抜け殻をしまおうと開けた所、入れたはずのないものが入っていた。
それは木でできていて、棒のように長い。
だが、上部が椀のように何かを受ける形になっており、そこに紐がついている。
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