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11話
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彼が稲穂に近づくと、葉に止まっていたトンボがツイッと、飛んでいった。
指先で稲穂に軽く触れると、しっかりとした重みがあった。
「よくできてる、これならそろそろ収穫してもいい頃だ」
いつも厳めしい顔をしている庄屋は、その実りに表情を緩ませた。
作物は、毎年予想通りに収穫できるとは限らない。
その年の天候、雨が多かったか、少なかったか、いつもより寒かったかなどなど・・・人の力ではどうすることもできないことで、その年の収穫量が決まる。
今年はその条件がよく、村人が根気強く手を掛けたおかげもあり、村全体で満足のいく量になったようだ。
「これなら、冬の間の食べ物に困ることはない」
米はほとんどを年貢として納めているが、今度の正月には村人全員、白米を食べられるかもしれない。
いや、もしかしたら収穫後の宴で、振る舞うことができるかも・・・
先祖代々庄屋として村を守ってきたが、これほど豊かな年は見たことがない。
皆の苦労がやっと実った。
これは、盛大に祝わなければいけないな。
そう考えながら日暮れのあぜ道を歩いていると、近くの林から誰かが転がり出て来た。
・・・いや、正しくは転がり落ちて来た、だ。
「誰だ?立てないのか?」
転がり落ちて来た人物は、腕を伸ばして立ち上がろうとするが、力尽きたように崩れ伏してしまう。
ケガをしているのかもしれない、と考え、庄屋は走り寄る。
近づくと、伏しているのは子供で、しのだった。
「どうした、しの!何があった?!」
思わず抱きかかえ、仰向けにする。
しのは泣きはらして赤くなった目でこちらを見て、一言。
「ときねえちゃんが・・・さらわれた・・・売られて・・・」
ウッと体を縮め、痛みをこらえるような動作。
体中、落ち葉や泥で汚れているが、見て分かるような大きいケガはない。
いや、もしかしたら着物では見えない所に、大きなケガをしているのかも・・・
だが、聞き捨てならない事を聞いた。
ときがさらわれた?売られたというのはどういう・・・?
ふと、昨日やってきた人さらいが頭に浮かぶ。
まさか、奴らが昨日の今日でときに目を付け、さらって行ったのか?
そして、しのはときを助けようと追いかけ、返り討ちにされたと?
先程、しのが落ちて来たこの山の中で?
しのは唇を噛み締め、苦しそうにしている。
苦しいのは、体の痛みだけではないのかもしれない。
・・・なんということだ。
自分がこうして村を見回っていたのに、とんでもないことが起きてしまった。
このご時世、いきなりやって来たよそ者が傍若無人に村を荒らし回り、女子供をさらっていくことがあるとは聞いたことがある。
念のためにと、人さらいのことを村人に伝え、警戒しておくべきだった。
そうしていれば、こんなことには・・・
今更悔やんでも始まらない。
まずは、しのを手当し、詳しい話を聞かなければ。
「庄屋様、どうしたんだ?」
カゴを担いだ村人が、庄屋を呼び止めた。
間もなく日が落ちる。
田畑にいた村人が家に帰り、夕飯を楽しむ時間だ。
それすらも惜しく、申し訳ない。
「これから帰るのに済まない、至急、村人全員に集まるよう伝えてくれないか?」
しのを抱きかかえて立ち上がり、村人に呼びかける。
抱えられ、ぐったりしたしのを見た村人は、驚いて目を丸くした。
「庄屋様、しのがどうかしたんだか?」
「ときがさらわれた、これからどうするか皆で話し合わなくてはならない」
「ときちゃんが?!」
村人はもっと目を真ん丸にして、ブルルッと震えた後、駆け出した。
その方向には、これから家に帰ろうとあぜ道を歩いている村人の集団。
やがて集団から驚きの声が聞こえ、また他の村人にも伝えるため、散り散りに駆け出す。
庄屋は背中でその様子を聞きながら、駆け足でしのを屋敷へ連れて行く。
屋敷では、乾かしていた作物をしまおうとしていた女中が迎えてくれたが、しのの様子に驚き、悲鳴を上げた。
その女中にしのを託し、手短に何があったか話す。
女中は息を飲み、主人からの命令を忠実に実行するため、しのを家の中へ運んでいった。
家の奥で、お湯と布を要求する声が聞こえる。
・・・ひとまず、しのは大丈夫か。
次は、村人たちにどう説明するか。
思案しながら屋敷の庭をぐるぐる歩いていると、言伝を聞いた村人が続々とやって来た。
しかし、屋敷に入ってくるのは男だけ。
皆、これからどんな話になるか分かっているから、女子供は来るなと言ったのかもしれない。
現に、屋敷の門の外には、心配そうにこちらを伺う女が何人かいた。
「自分の子供に起きたことではないのに、ありがたいことだ」
何気なく、そばにいた村人に呟くと、
「そりゃあ、このご時世ですからね。自分の娘が同じように巻き込まれるかも知れないってのに、他人事ではいられませんよ」
庄屋は大勢の村人が集まってくれたことに感謝すると同時に、何人かが、こちらをチラチラ
見ながら声をひそめて話し合う光景を見た。
「これは、難しい話し合いになるやも」
集まった村人を一番大きい部屋へ通し、それぞれの顔をみた庄屋は、気分が落ち込むのを感じた。
けれど、いつまでもそんな顔はしていられない。
話し合いが始まる前に、奥に運ばれたしのに会いに行く。
彼女は体中についた泥を落とし、女中たちから慰められたおかげか、さっきより顔色が良かった。
「庄屋様、大きなけがはありませんでした。腕にアザがあるくらいで」
庄屋が見ていたことに気付いた女中が、しのの状態を報告する。
思わずホッとした。
「少し、話してもいいか?」
しのは床に座り、女中から髪を梳いてもらっていた。
こくり、と頷いたので、前に座る。
「しの、何があった?」
軽く口を開けたしのだったが、何かが喉の奥につかえているのか、言葉が出てこない。
一つ、ため息をついた後、庄屋の顔を見、自分が見聞きしたことを話し始めた。
庄屋がしのに会いに行った頃、その広い部屋は、畑仕事を終えたばかりの村人でひしめき合っていた。
皆、ヒソヒソと小声で話し、手ぬぐいで汗を拭いていたが、農作業による汗ばかりではないだろう。
これから何について話し合われるのか?
伝え聞いたのは、ときという娘がさらわれたこと。
彼女は村一番の美人だった。
その娘がさらわれたということは、何を意味するのか?
年頃の娘を持つ男親は、気が気ではない。
次は自分の娘が狙われるかも、まさかそんなこと・・・
信じがたいが、もし自分の娘が同じ目にあったらと思うと、ゾクリとした汗が背中をつたう。
だが、全く違うことを考える者もいる。
「たかが娘一人いなくなっただけだろう?それより、米の収穫を急いだほうがいい、そっちが大事だろうに」
「娘はもう一人いるんだ、その子がいるだけでもよしとした方がいいのでは?」
そう考える彼らに、子供がいないわけではないし、親の気持ちが分からないわけではない。
娘一人と村人全員の命がかかった収穫。
優先すべきはどちらか考えた結果、そのような考えに至ったのだ。
悪気がないわけではないが、
「しっ、お前聞こえてるぞ」
小声で制す村人の視線の先には、ときの父親。
がっくりと首を曲げ、一人でペタリと床に座っている。
その周りには、誰もいない。
誰もが、どう声を掛ければいいか分からず、距離をとっているのだ。
その姿を見てしまうと、誰も自分の意見を言えなくなってしまう。
そんな空気に覆われた場に、一人の男がやって来た。
「しっかりしろ、源助、しのちゃんは無事なのか?」
男は、ときの父親と同じくらいの年恰好だが、左足がない。
若い男に肩を支えられながら、この屋敷までやって来た。
「吉三、お前も来たのか?」
「当たり前だろ。どうせお前のことだ、萎びたナスみたいになっていると思ってな」
ときの父親、源助は泣きはらした顔で吉三を見上げた。
どっこいしょ、と吉三は源助の隣に座り、若い男はその後ろに座る。
「しのちゃんには会ったのか?あの子、庄屋様が運び込んだらしいじゃないか」
「・・・まだ会ってない・・・」
「あの子だって、姉がさらわれてさぞかし怖かったろう。こういう時こそ、父親が真っ先に会いに行かないと」
「そんなことは分かってる、でも・・・」
また源助の目に涙がたまる。
「お前は昔っから泣き虫だっけな・・・」
「うるせぇよ、分かってんだよ、分かってる・・・」
メソメソ泣き始めた源助に対してため息をついた時、庄屋が部屋に入って来た。
集まった村人は全員口を閉じ、庄屋を見つめる。
「皆、こんな時間によく集まってくれた。詳しい話を知らない者もいると思うので、順を追って話そう」
そういうと、庄屋は自分が見聞きしたこと、しのが体験したことを話し始めた。
ときが竹を取りに行ったと思ったら、人さらいに追いかけられ山まで逃げ込んだこと。
村に戻って誰かを呼ぼうとしたが、ときはあっけなく捕まり、しのは人さらいに蹴られ、返り討ちにあったこと。
しのは村に戻る途中、斜面に足を滑らせ庄屋に助けられたこと。
庄屋はしのから事情を聞き、村人を集めたこと・・・
しのは、徳次のことは語らなかったらしい。
一通り話し終えた庄屋は、村人の顔を見渡し、問うた。
「これから考えなくてはいけないのは、ときをどうするかだ。奪い返すか、何もしないか」
村人はその問いに対し、隣同士でヒソヒソ話し合う。
その中で、こういう声が上がった。
「奪い返すことなんてできるのか?奴らは武装しているというじゃないか、俺達に勝ち目はあるのか?」
当然、
「なんてことを言うんだ!残された家族の気持ちも考えろよ!」
と非難の声も上がるが、更に反論が来る。
「武装した連中から人一人奪い返せたとして、村の利益はそこまで大きいのか?領主様に掛け合っても兵を出してくれるとは限らない。その時は自分達で何とかしなくてはいけないが、人さらいと戦ってケガを負うかもしれない」
皆、話の内容を想像したのか、場がシーン・・・と静まり返る。
「これから収穫で忙しくなるって時に、ケガして畑仕事ができなくなっては、冬の準備ができない。ましてや、年貢も納めなければいけないのに、簡単に人手を割けるのか?」
そういわれてみれば、そうかもしれない。
という声が、あちらこちらから聞こえる。
当然だろう、村としての利益も大事だが、自分の家族を食べさせなければいけないのだ。
誰かを助けて、家族が飢えるなんてことは笑い話にもならない。
庄屋は、予想していたとばかりに顔をしかめる。
「そう考えるのも分かる・・・」
皆、余裕がないのだ。
自分の家族を飢えさせないことで手一杯で、他の家のことは二の次、三の次。
これは不幸な出来事だったのだ、人生こんなこともある、しょうがない。
そう言い聞かせて生きて行くのが、賢い生き方だ。
そんな雰囲気に満たされそうになった時、吉三がその場にいる全員に問いかけた。
「みんな、本当にそれでいいのか?」
吉三の言葉に皆、口をつぐむが、睨みつける者もいた。
話し合いが別の局面を迎えようとした時、その場を離れる者がいる。
彼女は誰にも見られないよう、話し合いが行われている部屋の窓の真下で聞いていた。
けれど、ときを見捨てる意見が出たことで、もう何も聞きたくなくなった。
彼女、しのは屋敷を離れ、月が照らす道を一人歩いて家に戻った。
指先で稲穂に軽く触れると、しっかりとした重みがあった。
「よくできてる、これならそろそろ収穫してもいい頃だ」
いつも厳めしい顔をしている庄屋は、その実りに表情を緩ませた。
作物は、毎年予想通りに収穫できるとは限らない。
その年の天候、雨が多かったか、少なかったか、いつもより寒かったかなどなど・・・人の力ではどうすることもできないことで、その年の収穫量が決まる。
今年はその条件がよく、村人が根気強く手を掛けたおかげもあり、村全体で満足のいく量になったようだ。
「これなら、冬の間の食べ物に困ることはない」
米はほとんどを年貢として納めているが、今度の正月には村人全員、白米を食べられるかもしれない。
いや、もしかしたら収穫後の宴で、振る舞うことができるかも・・・
先祖代々庄屋として村を守ってきたが、これほど豊かな年は見たことがない。
皆の苦労がやっと実った。
これは、盛大に祝わなければいけないな。
そう考えながら日暮れのあぜ道を歩いていると、近くの林から誰かが転がり出て来た。
・・・いや、正しくは転がり落ちて来た、だ。
「誰だ?立てないのか?」
転がり落ちて来た人物は、腕を伸ばして立ち上がろうとするが、力尽きたように崩れ伏してしまう。
ケガをしているのかもしれない、と考え、庄屋は走り寄る。
近づくと、伏しているのは子供で、しのだった。
「どうした、しの!何があった?!」
思わず抱きかかえ、仰向けにする。
しのは泣きはらして赤くなった目でこちらを見て、一言。
「ときねえちゃんが・・・さらわれた・・・売られて・・・」
ウッと体を縮め、痛みをこらえるような動作。
体中、落ち葉や泥で汚れているが、見て分かるような大きいケガはない。
いや、もしかしたら着物では見えない所に、大きなケガをしているのかも・・・
だが、聞き捨てならない事を聞いた。
ときがさらわれた?売られたというのはどういう・・・?
ふと、昨日やってきた人さらいが頭に浮かぶ。
まさか、奴らが昨日の今日でときに目を付け、さらって行ったのか?
そして、しのはときを助けようと追いかけ、返り討ちにされたと?
先程、しのが落ちて来たこの山の中で?
しのは唇を噛み締め、苦しそうにしている。
苦しいのは、体の痛みだけではないのかもしれない。
・・・なんということだ。
自分がこうして村を見回っていたのに、とんでもないことが起きてしまった。
このご時世、いきなりやって来たよそ者が傍若無人に村を荒らし回り、女子供をさらっていくことがあるとは聞いたことがある。
念のためにと、人さらいのことを村人に伝え、警戒しておくべきだった。
そうしていれば、こんなことには・・・
今更悔やんでも始まらない。
まずは、しのを手当し、詳しい話を聞かなければ。
「庄屋様、どうしたんだ?」
カゴを担いだ村人が、庄屋を呼び止めた。
間もなく日が落ちる。
田畑にいた村人が家に帰り、夕飯を楽しむ時間だ。
それすらも惜しく、申し訳ない。
「これから帰るのに済まない、至急、村人全員に集まるよう伝えてくれないか?」
しのを抱きかかえて立ち上がり、村人に呼びかける。
抱えられ、ぐったりしたしのを見た村人は、驚いて目を丸くした。
「庄屋様、しのがどうかしたんだか?」
「ときがさらわれた、これからどうするか皆で話し合わなくてはならない」
「ときちゃんが?!」
村人はもっと目を真ん丸にして、ブルルッと震えた後、駆け出した。
その方向には、これから家に帰ろうとあぜ道を歩いている村人の集団。
やがて集団から驚きの声が聞こえ、また他の村人にも伝えるため、散り散りに駆け出す。
庄屋は背中でその様子を聞きながら、駆け足でしのを屋敷へ連れて行く。
屋敷では、乾かしていた作物をしまおうとしていた女中が迎えてくれたが、しのの様子に驚き、悲鳴を上げた。
その女中にしのを託し、手短に何があったか話す。
女中は息を飲み、主人からの命令を忠実に実行するため、しのを家の中へ運んでいった。
家の奥で、お湯と布を要求する声が聞こえる。
・・・ひとまず、しのは大丈夫か。
次は、村人たちにどう説明するか。
思案しながら屋敷の庭をぐるぐる歩いていると、言伝を聞いた村人が続々とやって来た。
しかし、屋敷に入ってくるのは男だけ。
皆、これからどんな話になるか分かっているから、女子供は来るなと言ったのかもしれない。
現に、屋敷の門の外には、心配そうにこちらを伺う女が何人かいた。
「自分の子供に起きたことではないのに、ありがたいことだ」
何気なく、そばにいた村人に呟くと、
「そりゃあ、このご時世ですからね。自分の娘が同じように巻き込まれるかも知れないってのに、他人事ではいられませんよ」
庄屋は大勢の村人が集まってくれたことに感謝すると同時に、何人かが、こちらをチラチラ
見ながら声をひそめて話し合う光景を見た。
「これは、難しい話し合いになるやも」
集まった村人を一番大きい部屋へ通し、それぞれの顔をみた庄屋は、気分が落ち込むのを感じた。
けれど、いつまでもそんな顔はしていられない。
話し合いが始まる前に、奥に運ばれたしのに会いに行く。
彼女は体中についた泥を落とし、女中たちから慰められたおかげか、さっきより顔色が良かった。
「庄屋様、大きなけがはありませんでした。腕にアザがあるくらいで」
庄屋が見ていたことに気付いた女中が、しのの状態を報告する。
思わずホッとした。
「少し、話してもいいか?」
しのは床に座り、女中から髪を梳いてもらっていた。
こくり、と頷いたので、前に座る。
「しの、何があった?」
軽く口を開けたしのだったが、何かが喉の奥につかえているのか、言葉が出てこない。
一つ、ため息をついた後、庄屋の顔を見、自分が見聞きしたことを話し始めた。
庄屋がしのに会いに行った頃、その広い部屋は、畑仕事を終えたばかりの村人でひしめき合っていた。
皆、ヒソヒソと小声で話し、手ぬぐいで汗を拭いていたが、農作業による汗ばかりではないだろう。
これから何について話し合われるのか?
伝え聞いたのは、ときという娘がさらわれたこと。
彼女は村一番の美人だった。
その娘がさらわれたということは、何を意味するのか?
年頃の娘を持つ男親は、気が気ではない。
次は自分の娘が狙われるかも、まさかそんなこと・・・
信じがたいが、もし自分の娘が同じ目にあったらと思うと、ゾクリとした汗が背中をつたう。
だが、全く違うことを考える者もいる。
「たかが娘一人いなくなっただけだろう?それより、米の収穫を急いだほうがいい、そっちが大事だろうに」
「娘はもう一人いるんだ、その子がいるだけでもよしとした方がいいのでは?」
そう考える彼らに、子供がいないわけではないし、親の気持ちが分からないわけではない。
娘一人と村人全員の命がかかった収穫。
優先すべきはどちらか考えた結果、そのような考えに至ったのだ。
悪気がないわけではないが、
「しっ、お前聞こえてるぞ」
小声で制す村人の視線の先には、ときの父親。
がっくりと首を曲げ、一人でペタリと床に座っている。
その周りには、誰もいない。
誰もが、どう声を掛ければいいか分からず、距離をとっているのだ。
その姿を見てしまうと、誰も自分の意見を言えなくなってしまう。
そんな空気に覆われた場に、一人の男がやって来た。
「しっかりしろ、源助、しのちゃんは無事なのか?」
男は、ときの父親と同じくらいの年恰好だが、左足がない。
若い男に肩を支えられながら、この屋敷までやって来た。
「吉三、お前も来たのか?」
「当たり前だろ。どうせお前のことだ、萎びたナスみたいになっていると思ってな」
ときの父親、源助は泣きはらした顔で吉三を見上げた。
どっこいしょ、と吉三は源助の隣に座り、若い男はその後ろに座る。
「しのちゃんには会ったのか?あの子、庄屋様が運び込んだらしいじゃないか」
「・・・まだ会ってない・・・」
「あの子だって、姉がさらわれてさぞかし怖かったろう。こういう時こそ、父親が真っ先に会いに行かないと」
「そんなことは分かってる、でも・・・」
また源助の目に涙がたまる。
「お前は昔っから泣き虫だっけな・・・」
「うるせぇよ、分かってんだよ、分かってる・・・」
メソメソ泣き始めた源助に対してため息をついた時、庄屋が部屋に入って来た。
集まった村人は全員口を閉じ、庄屋を見つめる。
「皆、こんな時間によく集まってくれた。詳しい話を知らない者もいると思うので、順を追って話そう」
そういうと、庄屋は自分が見聞きしたこと、しのが体験したことを話し始めた。
ときが竹を取りに行ったと思ったら、人さらいに追いかけられ山まで逃げ込んだこと。
村に戻って誰かを呼ぼうとしたが、ときはあっけなく捕まり、しのは人さらいに蹴られ、返り討ちにあったこと。
しのは村に戻る途中、斜面に足を滑らせ庄屋に助けられたこと。
庄屋はしのから事情を聞き、村人を集めたこと・・・
しのは、徳次のことは語らなかったらしい。
一通り話し終えた庄屋は、村人の顔を見渡し、問うた。
「これから考えなくてはいけないのは、ときをどうするかだ。奪い返すか、何もしないか」
村人はその問いに対し、隣同士でヒソヒソ話し合う。
その中で、こういう声が上がった。
「奪い返すことなんてできるのか?奴らは武装しているというじゃないか、俺達に勝ち目はあるのか?」
当然、
「なんてことを言うんだ!残された家族の気持ちも考えろよ!」
と非難の声も上がるが、更に反論が来る。
「武装した連中から人一人奪い返せたとして、村の利益はそこまで大きいのか?領主様に掛け合っても兵を出してくれるとは限らない。その時は自分達で何とかしなくてはいけないが、人さらいと戦ってケガを負うかもしれない」
皆、話の内容を想像したのか、場がシーン・・・と静まり返る。
「これから収穫で忙しくなるって時に、ケガして畑仕事ができなくなっては、冬の準備ができない。ましてや、年貢も納めなければいけないのに、簡単に人手を割けるのか?」
そういわれてみれば、そうかもしれない。
という声が、あちらこちらから聞こえる。
当然だろう、村としての利益も大事だが、自分の家族を食べさせなければいけないのだ。
誰かを助けて、家族が飢えるなんてことは笑い話にもならない。
庄屋は、予想していたとばかりに顔をしかめる。
「そう考えるのも分かる・・・」
皆、余裕がないのだ。
自分の家族を飢えさせないことで手一杯で、他の家のことは二の次、三の次。
これは不幸な出来事だったのだ、人生こんなこともある、しょうがない。
そう言い聞かせて生きて行くのが、賢い生き方だ。
そんな雰囲気に満たされそうになった時、吉三がその場にいる全員に問いかけた。
「みんな、本当にそれでいいのか?」
吉三の言葉に皆、口をつぐむが、睨みつける者もいた。
話し合いが別の局面を迎えようとした時、その場を離れる者がいる。
彼女は誰にも見られないよう、話し合いが行われている部屋の窓の真下で聞いていた。
けれど、ときを見捨てる意見が出たことで、もう何も聞きたくなくなった。
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