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10話
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握った手が冷たく、小刻みに震えているのが分かった。
季節柄、震えるほど寒くはないのだが、この震えはそういうものではない。
姉は、怖くて震えているのだ。
実は、アタイ自身も怖くて仕方ないことは、姉には言えない。
そしてそれは、男たちから離れた今も変わらない。
姉を助けて二人で山の斜面を下っているが、人さらいが諦めた気配はない。
自分たちが今いた所からは、男たちの怒声が聞こえてくる・・・
「しの、ダメよ、山を下ったら村に出てしまう・・・!」
「山を登っても力尽きて、いつか捕まっちまう!それなら、村の誰かに助けを求めた方がまだましだ!」
山登りは体力勝負、女子供が力のある男に勝てるはずがない。
それなら、人数の多い村人に助けを求めた方が、まだ勝算がある。
だが、間もなく夕暮れ。
百姓は太陽が登っている間に行動するので、日が沈むと家の外には出ず、寝てしまう者もいる。
そうなる前に、誰かを見つけなければ。
ああ、それにしてもアイツらとんでもないこと考えてくれたな。
よりにもよってねえちゃんに目ぇ付けるとは。
いや、アタイもねえちゃんは美人だから、色んな男が放っておかないとは思っていた。
だが、まさか売られるために男に追いかけまわされるなんて。
村に帰ったら、速攻とっ捕まえてやる。
タダじゃ置かねぇぞ!
ギリギリと歯ぎしりをしながら考えていたせいか、余計な力が入り、斜面を少し滑ってしまう。
「しの!」
「おっとっと!」
姉が手を引っ張ってくれたおかげでそれ以上滑りはしなかったが、少し立ち止まってしまった。
「ありがとう、大丈夫!」
下っている斜面を見上げると、男たちがゆっくりと歩きながらこちらに向かっている。
武装している者もいるため、体全体が重くなる。
そうなると、斜面を勢いよく下ることができないので、動きがゆっくりになってしまうのだ。
対して、こちらは何の装備もない身軽な恰好。
勢いに任せて下ることもできるが、草鞋を履いた姉の足は、笹や木の根で傷つき、血を出している。
痛みを我慢して、ここまで逃げてきたのだろう。
身軽とは言え、姉を思えばこれ以上の速さを求めることはできない。
なるべく早く村へ逃げ帰りたいのだが・・・
姉の顔は、何かを堪える様に歪んでいる。
「ねえちゃん、痛い?」
心配になって、姉の顔を覗き込む。
無理をさせ過ぎたのかもしれない。
もう少し、ゆっくり逃げるか?でも追いつかれでもしたら・・・
などと考えていると、姉はフッと笑い、
「平気、しのが来てくれたから、痛いのどっか行ったわ」
と言い、アタイの手を引き再び斜面を下りだす。
そんな訳ない。
今も、流れた血が草鞋を染めているので、痛みは変わらないはず。
姉として、妹を心配させまいとする気遣いから、痛くないと答えたのだ。
何より、姉の手は冷たいままだ。
けれど、何とか助からなければという思いで、必死に足を動かしている。
姉の横に並び、一緒に斜面を駆け抜ける。
ぴょんぴょん、と飛ぶように駆けると、斜面を普通に歩くより早く下ることができるのだが、姉にこの動きは辛いはず。
辛いけど、それでも逃げなければ。
誰でもいい、誰か、誰かを見つけなければ。
「ちっ、面倒なことになりやがった」
しのがときを連れて斜面を下り始めた頃、お頭と呼ばれた男は、手下たちが斜面を転がり落ちたり、滑り落ちて行く様を見た。
あの娘の妹が現れてから、手下たちは娘を捕まえようと必死に手を伸ばす。
しかし、勢いあまって斜面を転げ回ってしまっていた。
慎重に斜面を降りている手下もいるが、慎重すぎて距離ができてしまっている。
さてどうするか・・・
一番最後尾にいるのは、自分だ。
あの二人がどこに向かっているかは分からないが、このまま斜面を水平に進み、前後挟み撃ちになるようにするか?
いや、慣れない山の斜面を、登ったり下ったりするのではなく、斜めのまま水平に進むのは難しい。
何より、木々や笹薮が茂った所で、獲物を見失わないように速度を緩めず、追いかけるのは至難の業。
普段、山で暮らしていない自分には到底無理だ。
ならどうする?
もうすぐ日が暮れる。
完全に夜になってから、山の中で追いかけることはできない。
そろそろ捕まえなくてはいけないし、捕まえるにしても数を活かし、挟み撃ちにするのが妥当だ。
だが、あの二人は足を止めない。
俺達が何をやっても止まらず、村にたどり着くだろう。
その後、近くにいる村人に知らせて、今度は俺達を捕まえに来る。
冗談じゃねぇ、そうなったら商売あがったりだ。
仕入れるだけでこんなにてこずらせやがって、割に合わねぇったら。
だが、あの娘は上物だ。
あのくらい器量がよければ、すぐにいい買い手がつく。
多少、高い値段にしても問題ない。
そうすれば、まとまった金が手に入る。
少なくとも、俺達が冬を越すには十分な金が。
そう、自分たちが生きるために金が要る、何としてでも。
そのためには、何らかの方法であの二人の足を止めなければ。
そう思案していると、いつの間にか、自分の視界にあの男がいた。
奴が、こちらに意味ありげな視線を送って来たと思ったら、突然、山の斜面を駆け出して姿を消す。
「あの野郎、俺達に恩を売ろうってか?」
何となく、奴の考えが読めた。
が、そう動いたということは、さらに手間賃を要求されるかもしれない。
まったく、なかなか商売上手な奴だぜ。
深いため息を一つつき、お頭と呼ばれた男は男が駆け出した方向へ進む。
その頃、ときが、
「痛っ!」
と悲鳴を上げたので、しのはとっさに立ち止まっていた。
足に限界が来てしまったのかもしれない。
「ねえちゃん、少し休もう。ここまで、休みなく、逃げて来たんだ。ねえちゃんの、足だって」
しのは肩で息をしながら、姉の足を見る。
あまりにも痛々しく、思わず目を逸らしてしまうほど。
だが、姉は顔を上げ、しのの手を引いて歩き出す。
「ねえちゃん、せめて手当だけでも!」
「そんな、余裕ない、早く逃げないと」
姉の細い体のどこに、こんな力があるのだろう。
しのの腕を引っ張るその手は、昨日繋いだ手より力強く、あたたかい。
さっきまで冷たかった姉の手が、いつの間にかあたたかくなっている
しのは躓きそうになりながらも、姉についていく。
「怖かったよ、今も怖いけどさ、しのが来てくれたから」
姉の声が、鼻声に聞こえる。
でも、弱々しくは感じない。
「しのが助けに来てくれたから、何だってできそうな気がするの」
追い詰められ、あらゆるものを拒絶するために丸くなっていた、あの姉の姿はどこにもない。
その表情を見て、しのは何となく希望が見えた。
そうだ、この姉が笑っているなら、アタイだってなんでもできるんだ。
まだ命の危険が去った訳ではないのに、なぜか二人は笑いが込み上げてきた。
お互いがいれば、なんとか助かる。
そう思っていた時だ。
「ときちゃん、ダメだよ、せっかくの綺麗な足が台無しだ」
徳次が、姿を現した。
「徳次、さん・・・!!」
ときが驚き、立ち止まる。
つられてアタイも立ち止まり、徳次に駆け寄った。
「徳次じゃねぇか!よかった、なぁ助けてくれよ!」
徳次は男だ。
数では向こうが有利なのは変わらないが、男手が増えたことで何か変わるかもしれない。
何より、アタイにあんな面白い竹細工をくれたんだ。
アタイらを逃がす方法を、思いついてくれるかもしれない!
そう、希望を託して駆け寄ると、視界がブレた。
「?!」
突然のことに、何が起きたか分からなかった。
木々の間から空が見えた、と思ったら背中を固いもので強く打ち、視界がグルグルと回り始めた。
そして右わき腹に衝撃、と同時に視界の回転が終わり、勢いよくせき込む。
「・・・っうぁっ・・・!ゲホッゲホゲホッ!!」
「しの!しの!徳次さんどうして!」
息が、うまく吸えない。
咳が出て苦しい。
・・・なに?なにをされた?
落ち葉の湿り気が頬に当たる。
体全体がジンジンと痛いせいで、起こすことができない。
上の方から、姉が徳次を責め立てている声が聞こえる。
「どうしてしのを蹴ったりなんか・・・!死んだりしたら・・・!」
「死んでくれた方が、面倒が少なくていいよね。せっかくときちゃんがこんなしけた村を離れられる機会なのに邪魔して、これだから子どもは」
体が痛くて、二人の会話がよく分からない。
何回か大きな咳をしてから、ようやくまともな呼吸ができるようになった。
空が見えた、視界が回った・・・
ああそうか、徳次に蹴られて斜面を落っこちたんだ。
いや、そもそも徳次はなんでアタイを蹴った?
そういえば、徳次はねえちゃんと一緒にどこかに行ってたが、ねえちゃんが追いかけられている時には姿が見えなかった。
徳次とどこかに行った後、姉は人さらいに追いかけられた・・・
まさかこいつ、あの人さらいの仲間か?
姉を誘い出し、人さらいに売ったのなら、姉が追いかけられた理由に説明がつく。
ようやく息が整ってきたが、まだ声を出せない。
出せないせいか、頭が色んなことを考え始めてしまう。
もし、徳次があいつらの仲間だとするなら、姉は今・・・
「徳次さん、どうしてこんな・・・」
「ときちゃん、いい加減諦めなよ。賢い君なら分かるはずだ、これ以上しのちゃんを巻き込んだらどうなるか」
「しのを蹴ったあなたが言うの?!」
「だってねぇ、これ以上君が逃げるなら、まずはあそこで転がっているしのちゃんが、あいつらに狙われるよ。いくら子どもと言えど、容赦しない」
姉が息を飲む気配がした。
徳次、この卑怯者!
アタイのことを持ち出されたら、ねえちゃんがどう反応するか分かってるだろ!
それを利用する気だ!
「君さえ諦めれば、しのちゃんは助かるんだ。俺があいつらに口添えしてやってもいい。その代わり、君はどうするべきか・・・分かるね?」
「しの・・・」
「ゲホッ・・・ときねえ、ダメ・・・!」
そんな奴の声に耳を貸すな!
と言いたいのに、体の痛みのせいで大きな声を出せない。
姉には、徳次の声しか、聞こえない。
「一人で姉を助けに来るなんて、何てかわいくて健気な妹なんだろう。君はあの妹が大事で仕方ないんだろう?でも、このままじゃあの子は殺されてしまうかもしれない。君が、せっかく大事に大事に育てて来たのに、もう一生会えなくなっちゃうかも、それでもいい?」
「それだけはいや・・・!」
「じゃあ、どうすればいい?」
徳次の悪意ある囁きから少しの沈黙があった後、ときが答えを出した。
「行きます・・・私があの人たちに捕まるから、しのだけは助けて・・・」
あの気丈な姉から、鼻をすする声と、嗚咽が聞こえた。
姉はとうとう降参し、地面に膝をつく。
それと同時に、乱暴な足音がいくつも近づいてきた。
「やっと追いついた、なんだ、やっぱりおめぇが捕まえたのかよ」
「ご苦労様です、お頭さん。彼女、大人しくあなた達に捕まるそうです」
複数の男が徳次とときを取り囲むのが聞こえた。
「助かったよ。だがおめぇさん、この手間賃まで要求する気か?」
「ははは、分かってます、そこまで無理はいいませんよ。その代わりといっては何ですが、あそこに転がっている子供、あれを放っておいて頂ければ」
一人の男がアタイに近づき、髪を持ち上げた。
触るんじゃねぇよ、噛みついてやるぞ。
そんな気力ねぇけど・・・
「あのガキを見逃せって?アイツを生かせば、お前が俺達に通じてたことがバレるぞ、それでもいいのか?」
その通りだ、人さらいたちにアタイを生かす道理はない。
だが、徳次は鼻で笑った。
「まあ、ときちゃんとの約束なんでね。それに、子ども一人が騒いだところで大人たちは信じますか?子どもより、俺の方が村では信用されてますよ」
自信満々に徳次は言う。
なるほど、コイツが村を動き回っていたのは、自分の信用度を高めて疑いの目を逸らすためか。
そういう処世術を身に付けながら、色んな村で生きて来たんだろう。
・・・必死なのはわかる、分かるけどよ。
「オラ立て!もうすぐ日が暮れる、さっさと行くぞ!」
男は、乱暴に姉を立たせようとする。
その声を合図に、アタイの髪を掴んでいた男は、手を放した。
ちくしょう、ちくしょう!
乱暴に放され、顔を地面にたたきつけられた。
言いようのない怒りが込み上げてきて、近くにあった石を握りこむ。
姉と、男たちが斜面を登り、どこかへ去っていく音だけが聞こえる。
その音の群れを外れ、軽い足取りで近づく奴がいた。
そいつはアタイの目の前まで来ると、しゃがみこむ。
「しのちゃんもさ、もうちょっと年が離れてなければ姉妹揃って売れたんだろうが・・・まあ、今はときちゃんで十分かな?じゃあ元気で」
「・・・あのさ、あんたさ」
「うん?」
徳次がアタイに耳を近づけた瞬間、握っていた石を顔面目掛けてたたきつける。
見事、徳次の鼻に石がぶつかり、鼻血が出た。
徳次自身もアタイの反撃に驚き、鼻を押さえてよろめく。
アタイはなにかしちゃいけない訳じゃないし、おあいこだ。
「へっ、ざまあみろ・・・」
「・・・!このクソガキ!」
怒った徳次が、アタイの腹に一発蹴りを入れる。
衝撃でまた咳が出たが、徳次は振り返ることなくアタイから離れた。
やっぱり、そう来ると思った。
身を固くして体を守っていたので、徳次の蹴りは腕に当たったが、何とも虚しい気持ちは消えなかった。
霧雨のような雨が降って来た。
村に帰らないと・・・でも、どう言い訳する?
斜面を転げ落ちたことで、着物は落ち葉や枝で引っ掛けボロボロ。
見ていないから分からないけど、痛み具合からケガしたことは、誰が見ても分かる。
何より、姉の行方。
どう言い訳しようか・・・
しばらくすると、霧のような雨が降って来た。
雨に当たりたくなかったので、体起こし、近くの木に体を預けようとしたら、着物の間から竹細工がポロリと落ちて来た。
それは、ポッキリと折れてもう使えない。
なぜだか、笑いが込み上げてきた。
季節柄、震えるほど寒くはないのだが、この震えはそういうものではない。
姉は、怖くて震えているのだ。
実は、アタイ自身も怖くて仕方ないことは、姉には言えない。
そしてそれは、男たちから離れた今も変わらない。
姉を助けて二人で山の斜面を下っているが、人さらいが諦めた気配はない。
自分たちが今いた所からは、男たちの怒声が聞こえてくる・・・
「しの、ダメよ、山を下ったら村に出てしまう・・・!」
「山を登っても力尽きて、いつか捕まっちまう!それなら、村の誰かに助けを求めた方がまだましだ!」
山登りは体力勝負、女子供が力のある男に勝てるはずがない。
それなら、人数の多い村人に助けを求めた方が、まだ勝算がある。
だが、間もなく夕暮れ。
百姓は太陽が登っている間に行動するので、日が沈むと家の外には出ず、寝てしまう者もいる。
そうなる前に、誰かを見つけなければ。
ああ、それにしてもアイツらとんでもないこと考えてくれたな。
よりにもよってねえちゃんに目ぇ付けるとは。
いや、アタイもねえちゃんは美人だから、色んな男が放っておかないとは思っていた。
だが、まさか売られるために男に追いかけまわされるなんて。
村に帰ったら、速攻とっ捕まえてやる。
タダじゃ置かねぇぞ!
ギリギリと歯ぎしりをしながら考えていたせいか、余計な力が入り、斜面を少し滑ってしまう。
「しの!」
「おっとっと!」
姉が手を引っ張ってくれたおかげでそれ以上滑りはしなかったが、少し立ち止まってしまった。
「ありがとう、大丈夫!」
下っている斜面を見上げると、男たちがゆっくりと歩きながらこちらに向かっている。
武装している者もいるため、体全体が重くなる。
そうなると、斜面を勢いよく下ることができないので、動きがゆっくりになってしまうのだ。
対して、こちらは何の装備もない身軽な恰好。
勢いに任せて下ることもできるが、草鞋を履いた姉の足は、笹や木の根で傷つき、血を出している。
痛みを我慢して、ここまで逃げてきたのだろう。
身軽とは言え、姉を思えばこれ以上の速さを求めることはできない。
なるべく早く村へ逃げ帰りたいのだが・・・
姉の顔は、何かを堪える様に歪んでいる。
「ねえちゃん、痛い?」
心配になって、姉の顔を覗き込む。
無理をさせ過ぎたのかもしれない。
もう少し、ゆっくり逃げるか?でも追いつかれでもしたら・・・
などと考えていると、姉はフッと笑い、
「平気、しのが来てくれたから、痛いのどっか行ったわ」
と言い、アタイの手を引き再び斜面を下りだす。
そんな訳ない。
今も、流れた血が草鞋を染めているので、痛みは変わらないはず。
姉として、妹を心配させまいとする気遣いから、痛くないと答えたのだ。
何より、姉の手は冷たいままだ。
けれど、何とか助からなければという思いで、必死に足を動かしている。
姉の横に並び、一緒に斜面を駆け抜ける。
ぴょんぴょん、と飛ぶように駆けると、斜面を普通に歩くより早く下ることができるのだが、姉にこの動きは辛いはず。
辛いけど、それでも逃げなければ。
誰でもいい、誰か、誰かを見つけなければ。
「ちっ、面倒なことになりやがった」
しのがときを連れて斜面を下り始めた頃、お頭と呼ばれた男は、手下たちが斜面を転がり落ちたり、滑り落ちて行く様を見た。
あの娘の妹が現れてから、手下たちは娘を捕まえようと必死に手を伸ばす。
しかし、勢いあまって斜面を転げ回ってしまっていた。
慎重に斜面を降りている手下もいるが、慎重すぎて距離ができてしまっている。
さてどうするか・・・
一番最後尾にいるのは、自分だ。
あの二人がどこに向かっているかは分からないが、このまま斜面を水平に進み、前後挟み撃ちになるようにするか?
いや、慣れない山の斜面を、登ったり下ったりするのではなく、斜めのまま水平に進むのは難しい。
何より、木々や笹薮が茂った所で、獲物を見失わないように速度を緩めず、追いかけるのは至難の業。
普段、山で暮らしていない自分には到底無理だ。
ならどうする?
もうすぐ日が暮れる。
完全に夜になってから、山の中で追いかけることはできない。
そろそろ捕まえなくてはいけないし、捕まえるにしても数を活かし、挟み撃ちにするのが妥当だ。
だが、あの二人は足を止めない。
俺達が何をやっても止まらず、村にたどり着くだろう。
その後、近くにいる村人に知らせて、今度は俺達を捕まえに来る。
冗談じゃねぇ、そうなったら商売あがったりだ。
仕入れるだけでこんなにてこずらせやがって、割に合わねぇったら。
だが、あの娘は上物だ。
あのくらい器量がよければ、すぐにいい買い手がつく。
多少、高い値段にしても問題ない。
そうすれば、まとまった金が手に入る。
少なくとも、俺達が冬を越すには十分な金が。
そう、自分たちが生きるために金が要る、何としてでも。
そのためには、何らかの方法であの二人の足を止めなければ。
そう思案していると、いつの間にか、自分の視界にあの男がいた。
奴が、こちらに意味ありげな視線を送って来たと思ったら、突然、山の斜面を駆け出して姿を消す。
「あの野郎、俺達に恩を売ろうってか?」
何となく、奴の考えが読めた。
が、そう動いたということは、さらに手間賃を要求されるかもしれない。
まったく、なかなか商売上手な奴だぜ。
深いため息を一つつき、お頭と呼ばれた男は男が駆け出した方向へ進む。
その頃、ときが、
「痛っ!」
と悲鳴を上げたので、しのはとっさに立ち止まっていた。
足に限界が来てしまったのかもしれない。
「ねえちゃん、少し休もう。ここまで、休みなく、逃げて来たんだ。ねえちゃんの、足だって」
しのは肩で息をしながら、姉の足を見る。
あまりにも痛々しく、思わず目を逸らしてしまうほど。
だが、姉は顔を上げ、しのの手を引いて歩き出す。
「ねえちゃん、せめて手当だけでも!」
「そんな、余裕ない、早く逃げないと」
姉の細い体のどこに、こんな力があるのだろう。
しのの腕を引っ張るその手は、昨日繋いだ手より力強く、あたたかい。
さっきまで冷たかった姉の手が、いつの間にかあたたかくなっている
しのは躓きそうになりながらも、姉についていく。
「怖かったよ、今も怖いけどさ、しのが来てくれたから」
姉の声が、鼻声に聞こえる。
でも、弱々しくは感じない。
「しのが助けに来てくれたから、何だってできそうな気がするの」
追い詰められ、あらゆるものを拒絶するために丸くなっていた、あの姉の姿はどこにもない。
その表情を見て、しのは何となく希望が見えた。
そうだ、この姉が笑っているなら、アタイだってなんでもできるんだ。
まだ命の危険が去った訳ではないのに、なぜか二人は笑いが込み上げてきた。
お互いがいれば、なんとか助かる。
そう思っていた時だ。
「ときちゃん、ダメだよ、せっかくの綺麗な足が台無しだ」
徳次が、姿を現した。
「徳次、さん・・・!!」
ときが驚き、立ち止まる。
つられてアタイも立ち止まり、徳次に駆け寄った。
「徳次じゃねぇか!よかった、なぁ助けてくれよ!」
徳次は男だ。
数では向こうが有利なのは変わらないが、男手が増えたことで何か変わるかもしれない。
何より、アタイにあんな面白い竹細工をくれたんだ。
アタイらを逃がす方法を、思いついてくれるかもしれない!
そう、希望を託して駆け寄ると、視界がブレた。
「?!」
突然のことに、何が起きたか分からなかった。
木々の間から空が見えた、と思ったら背中を固いもので強く打ち、視界がグルグルと回り始めた。
そして右わき腹に衝撃、と同時に視界の回転が終わり、勢いよくせき込む。
「・・・っうぁっ・・・!ゲホッゲホゲホッ!!」
「しの!しの!徳次さんどうして!」
息が、うまく吸えない。
咳が出て苦しい。
・・・なに?なにをされた?
落ち葉の湿り気が頬に当たる。
体全体がジンジンと痛いせいで、起こすことができない。
上の方から、姉が徳次を責め立てている声が聞こえる。
「どうしてしのを蹴ったりなんか・・・!死んだりしたら・・・!」
「死んでくれた方が、面倒が少なくていいよね。せっかくときちゃんがこんなしけた村を離れられる機会なのに邪魔して、これだから子どもは」
体が痛くて、二人の会話がよく分からない。
何回か大きな咳をしてから、ようやくまともな呼吸ができるようになった。
空が見えた、視界が回った・・・
ああそうか、徳次に蹴られて斜面を落っこちたんだ。
いや、そもそも徳次はなんでアタイを蹴った?
そういえば、徳次はねえちゃんと一緒にどこかに行ってたが、ねえちゃんが追いかけられている時には姿が見えなかった。
徳次とどこかに行った後、姉は人さらいに追いかけられた・・・
まさかこいつ、あの人さらいの仲間か?
姉を誘い出し、人さらいに売ったのなら、姉が追いかけられた理由に説明がつく。
ようやく息が整ってきたが、まだ声を出せない。
出せないせいか、頭が色んなことを考え始めてしまう。
もし、徳次があいつらの仲間だとするなら、姉は今・・・
「徳次さん、どうしてこんな・・・」
「ときちゃん、いい加減諦めなよ。賢い君なら分かるはずだ、これ以上しのちゃんを巻き込んだらどうなるか」
「しのを蹴ったあなたが言うの?!」
「だってねぇ、これ以上君が逃げるなら、まずはあそこで転がっているしのちゃんが、あいつらに狙われるよ。いくら子どもと言えど、容赦しない」
姉が息を飲む気配がした。
徳次、この卑怯者!
アタイのことを持ち出されたら、ねえちゃんがどう反応するか分かってるだろ!
それを利用する気だ!
「君さえ諦めれば、しのちゃんは助かるんだ。俺があいつらに口添えしてやってもいい。その代わり、君はどうするべきか・・・分かるね?」
「しの・・・」
「ゲホッ・・・ときねえ、ダメ・・・!」
そんな奴の声に耳を貸すな!
と言いたいのに、体の痛みのせいで大きな声を出せない。
姉には、徳次の声しか、聞こえない。
「一人で姉を助けに来るなんて、何てかわいくて健気な妹なんだろう。君はあの妹が大事で仕方ないんだろう?でも、このままじゃあの子は殺されてしまうかもしれない。君が、せっかく大事に大事に育てて来たのに、もう一生会えなくなっちゃうかも、それでもいい?」
「それだけはいや・・・!」
「じゃあ、どうすればいい?」
徳次の悪意ある囁きから少しの沈黙があった後、ときが答えを出した。
「行きます・・・私があの人たちに捕まるから、しのだけは助けて・・・」
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姉はとうとう降参し、地面に膝をつく。
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「ははは、分かってます、そこまで無理はいいませんよ。その代わりといっては何ですが、あそこに転がっている子供、あれを放っておいて頂ければ」
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触るんじゃねぇよ、噛みついてやるぞ。
そんな気力ねぇけど・・・
「あのガキを見逃せって?アイツを生かせば、お前が俺達に通じてたことがバレるぞ、それでもいいのか?」
その通りだ、人さらいたちにアタイを生かす道理はない。
だが、徳次は鼻で笑った。
「まあ、ときちゃんとの約束なんでね。それに、子ども一人が騒いだところで大人たちは信じますか?子どもより、俺の方が村では信用されてますよ」
自信満々に徳次は言う。
なるほど、コイツが村を動き回っていたのは、自分の信用度を高めて疑いの目を逸らすためか。
そういう処世術を身に付けながら、色んな村で生きて来たんだろう。
・・・必死なのはわかる、分かるけどよ。
「オラ立て!もうすぐ日が暮れる、さっさと行くぞ!」
男は、乱暴に姉を立たせようとする。
その声を合図に、アタイの髪を掴んでいた男は、手を放した。
ちくしょう、ちくしょう!
乱暴に放され、顔を地面にたたきつけられた。
言いようのない怒りが込み上げてきて、近くにあった石を握りこむ。
姉と、男たちが斜面を登り、どこかへ去っていく音だけが聞こえる。
その音の群れを外れ、軽い足取りで近づく奴がいた。
そいつはアタイの目の前まで来ると、しゃがみこむ。
「しのちゃんもさ、もうちょっと年が離れてなければ姉妹揃って売れたんだろうが・・・まあ、今はときちゃんで十分かな?じゃあ元気で」
「・・・あのさ、あんたさ」
「うん?」
徳次がアタイに耳を近づけた瞬間、握っていた石を顔面目掛けてたたきつける。
見事、徳次の鼻に石がぶつかり、鼻血が出た。
徳次自身もアタイの反撃に驚き、鼻を押さえてよろめく。
アタイはなにかしちゃいけない訳じゃないし、おあいこだ。
「へっ、ざまあみろ・・・」
「・・・!このクソガキ!」
怒った徳次が、アタイの腹に一発蹴りを入れる。
衝撃でまた咳が出たが、徳次は振り返ることなくアタイから離れた。
やっぱり、そう来ると思った。
身を固くして体を守っていたので、徳次の蹴りは腕に当たったが、何とも虚しい気持ちは消えなかった。
霧雨のような雨が降って来た。
村に帰らないと・・・でも、どう言い訳する?
斜面を転げ落ちたことで、着物は落ち葉や枝で引っ掛けボロボロ。
見ていないから分からないけど、痛み具合からケガしたことは、誰が見ても分かる。
何より、姉の行方。
どう言い訳しようか・・・
しばらくすると、霧のような雨が降って来た。
雨に当たりたくなかったので、体起こし、近くの木に体を預けようとしたら、着物の間から竹細工がポロリと落ちて来た。
それは、ポッキリと折れてもう使えない。
なぜだか、笑いが込み上げてきた。
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※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
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【連載中】は、短時間で読めるように短い文節ごとでの公開になります。
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その後、誤字脱字修正や辻褄合わせが行われて、合成された1話分にタイトルをつけ再公開されます。
(その前に、仮まとめ版が出る場合もある、かも、しれない、可能性)
物語の細部は連載時と変わることが多いので、二度読むのが通です。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
あやかし警察おとり捜査課
紫音
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
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