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32.浴衣姿を堪能します

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 護衛の依頼主に会ってすぐ、お世話になった人たちへグラメンツを発つことを知らせて回った。
 シラディクス山のディーナさんは『二人のおかげで新階層の洞窟も、調査ができそうだよ!世話になったね』と感謝していた。
 今週から神殿の人員も戻ったようで、回復師院のハーン先生の顔色もよかった。
 宿屋の女主人やその下の食堂の大将にも挨拶し終わると、急いで旅支度だ。
 ジルコと二手に分かれ、急いで買い物を済ませた。
 

「あふ~。この温泉とも今日でお別れか……」

 宿屋の近くの共同浴場の温泉に浸かりながら、そうつぶやく。
 1ヶ月しかいなかったのだが、とても濃厚な日々だった。
 だからかあっという間に過ぎたように感じる。
 気づけばもう春は終わり、夏の一月ひとつきに入っていた。

「グラメンツ、なかなかいいところだったな。 ここを行先に選んでくれたジルコさんに心より感謝!」

 彼の存在がなければ、どうなっていたか。
 いい想像はひとつもできなかった。
 
 風呂上り、毎日の習慣を実行しようと外へ出ると、すでに先客がいた。
 ジルコが真剣な表情で自販機を見つめているのだ。
 出たばかりなのだろう、髪が少し濡れている。
 そして、濃い灰色の浴衣を着ているではないか!
 そでをまくり上げ、暑いからか胸元も開いていた。
 
(筋肉と浴衣……合う!)

 一人、うんうんと頷いていると、牛乳を買い終えたジルコがこちらに気づいた。
 その手にはコーヒー牛乳とフルーツ牛乳が握られている。

「ほら、いつもの買っといたぞ。 昨日普通のを飲んでたし、今日はこれだろ?」

 よく冷えたフルーツ牛乳を渡してくれた。
 ちょうど飲みたいと思っていたものだ。

「ありがとうございます! いただきます!」

 丸いふたをとり、のどを鳴らしながら飲んだ。
 火照った体に冷たくて甘酸っぱいフルーツ牛乳は相性抜群だった。

「プハーッ! たまりませんな!」

「ハハ、おっさんかよ。 まぁ、風呂上がりのコレは確かにうまい」

 ジルコは手に持っている残りのコーヒー牛乳をあおった。
 のど仏の動きがよく見える。
 フーッと吐く息すら色っぽく見えるのだから、浴衣の効果は抜群だ。

「ジルコさん、浴衣お似合いですね。 私も最後にもう一度着ればよかった」

 グラメンツへ来た初日に浴衣を着たが、それきりだ。
 ジルコが着るなら、いっしょに着たかった。

「国を出るなら、たぶんもうグラメンツに来ることもないからな。 無事冒険者証は銅級になったし、記念だ記念」

「フッフッフッ……。 こんなこともあろうかと、これを買っておいて正解でしたね!」

 ベルトバッグからまるで前世のカメラのようなものを取り出す。
 これは写し絵撮影器という魔導具だ。

「今日買い出しついでに魔道具屋さんで衝動買いしてしまいました。 金貨50枚もしたけど、後悔はありません! その分頑張って稼ぎます!」

 これがあれば撮ったものを、町の写し絵屋さんで絵にしてもらえる。
 ずっと欲しかったのだが、いい値段がするので諦めてきた。
 しかし、今後仕事で対人関係におけるストレスが予想されたので、それに耐え得るための先行投資として買ったのだ。
 旅の中の休憩時間に、きれいな風景やキレイなジルコを撮る。
 そして、ムフフと笑うことで英気を養う。
 ……完璧な計画だ。

「さぁ、ジルコさん! そのお姿を写し絵で収めさせてください!」

 写し絵撮影器を構えれば、そこから見えるのは毎度おなじみドン引き顔のジルコだった。
 汚いものを見るような目でこちらを見てくる。
 目の前にいるのは16才の可憐な美少女なのに、彼には鼻の下を伸ばす中年男性にでも見えているのだろうか。

「……アンタ、中身絶対おっさんだろ」

「失礼な! 以前も言いましたけど、見た目も中身もただのかわいい普通の女の子ですよ。 ただちょっと人より筋肉愛が強いだけです!」

 男女関係なく、鍛え上げられた肉体を目にすると『いいねぇ!キレてるよ!』と声をかけたくなる。
 これは前世からそうだった。
 周囲の女子ははひょろひょろした細マッチョ好きだらけで、筋肉好きな自分は浮いていた。
 しかし前世とは違い、この世界は冒険者という筋肉が役立つ職業が確立している。
 つまり、筋肉が育っている人=優秀な冒険者=稼ぎがいい=女性にモテる、とういうことになるのだ。
 しかし、これが成り立つのは市井だけだった。
 貴族の世界では、筋肉=肉体労働者の証と見なされる。
 そのため、騎士は例外だが、それ以外の貴族男性は総じてひょろいか、肥満体型だ。
 ……放逐されて、むしろよかったように思う。

「ハァ……。そんな好きなら触るか?」

 ジルコがぐっと目の前に近づいてきた。
 こんなに近いと撮影は無理だ。
 そして、目の前には逞しい胸板が。
 視線を少しずつあげる。
 男らしい鎖骨。
 太くてしっかりした首。
 形のいい薄い唇。
 鼻筋の通った鼻。
 こちらを見下ろす深緑の双眼。
 目があった瞬間、カッと顔が熱くなった。
 ……これは、ダメだ!

「い、いえ、そんな滅相もない! 筋肉は見て楽しむものであって、触れるのは禁止です!」

 慌てて後ろに下がる。
 これ以上近くにいると何かがまずい。
 風呂上がりのジルコからは、自分が使っている甘い香りの石鹸とは異なる香りがした。
 さわやかな木々の香りの中にスパイシーさを加えたような落ち着くのに少し刺激的な香りだ。
 視覚と嗅覚が同時に許容範囲を超えてしまった。

(浴衣のジルコさん、恐ろしや……)

 いっぱいいっぱいになっていると、ジルコが吹き出した。
 どうやら、からかわれたようだ。

「ちょっと、ジルコさん! いたいけな少女をおちょくらないでください!」

「アンタ、度胸があるんだかないんだか、よくかわらんやつだな」

 くっくっと笑うジルコを恨めしそうな顔で睨む。
 顔が真っ赤なので、威厳も何もないのだが、今の自分にできる精いっぱいの抗議だ。

「もう、いいですよ! からかったお詫びに、その浴衣姿を満足するまで写し絵にさせてください!」

 撮影器を構えて撮った。
 きっと、笑顔でこちらを見る浴衣姿のジルコが写されただろう。
 はやく写し絵屋に行こうと心に決めた。
 これから先もいろんなイケメンエルフが撮れると思うと、憂鬱な旅路も乗り越えられる気がする。
 
 


 
 
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