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20話
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助教、清水きららは、齋藤翼との約束を果たすために、齋藤教授(ジャンダ教授)の訪問者や連絡者を綿密に確認する癖が生じた。齋藤教授に訪れるかもしれない、198センチ、がっしりした体格のブラウン瞳とブラウン髪のイケメン。彼が訪れたら、絶対齋藤教授に合わせないこと、齋藤助教にすぐに連絡すること、万が一の場合は、警察を呼ぶこと。これらは肝に銘じたことだ。
6月21日、山形大学付属病院のカフェで齋藤翼は真剣に話した。齋藤教授がダメ男に犯され、孕ませられ、逃げてきたことを。とても衝撃な真実できららは胸が引き攣った。きららは自分だけが惨めな人生だと思っていたのに、美しい齋藤教授も惨たらしい人生を歩んできたとは、察知できなかった。
その日以降、齋藤翼は月に1回はきららと連絡を取っている。初めは、齋藤教授の近況のみ、話し合ったけれど、12月になった今は、お互いの研究や趣味までも話あって、通話は月に1回のみだが、ラインメッセージは週に5回もやり取りしている仲になった。
27歳の齋藤翼と30歳の清水きららはフランス文学科の博士コースを昨年始めたばかりで、至極難しい博士課程の共通の悩みで打ち解けて話をするようになった。
齋藤教授(ジャンダ教授)の後任、ルイス教授の癇癪で疲弊している寡黙な齋藤助教はバツイチで41歳のルイス教授の機嫌を取るのが難しいと打ち明けた。ルイス教授はフランス出身の極劣性アルファ女性だ。アルファなのに、先天性フェロモン神経障害のため、全然アルファらしくない、170センチで、でっぷりしている。
心優しい齋藤助教は障害を持っているルイス教授を全力で助けたい意欲で、よく気と心を配って頑張ったのに、神経質なルイス教授は人の親切を当たり前と軽んじていた。
ルイス・マルタンは母の妊娠初期に、父が車事故に遭って急死してしまった。番を失くした母はフェロモンの不調で苦しんでも、難産と早産を乗り越えて、ルイスを産んだものの、産後、10日で亡くなった。裕福な学者の家系で生まれたルイスは両親の愛情を知らないまま、厳しく育てられた。ずっとベーダ性だと思っていたのに、中学1年生の形質検査で極劣性アルファだと判明された。
アルファ女性は体内に精巣を持ち、クリトリスが勃起してペニスの役割を果たす仕組みだが、ルイスは先天性フェロモン神経障害のせいで、精巣がなく、クリトリスも勃起できない障害を持っているので、妊娠させる機能はないが、妊娠はできる。それで、普通のアルファ女性より、体格が小さいだ。
勉強一筋で生きてきたルイスはフランスロイヤル大学を卒業し、アメリカのハーバー大学で博士を取って、フランスロイヤル大学の教壇を取った。研究と教育だけの人生で、35歳頃、祖母が亡くなって、祖母の遺言の通り、祖母の弟子と結婚した。
先天性フェロモン神経障害で、毎日フェロモン抗生剤を服用してて、アルファらしくない程、痩せて、弱かった。夫は劣性アルファでルイスより5歳若くて、フランス王立科学アカデミーの研究員だった。
研究一筋の夫は寡黙で、自己中心的で、アルファの性欲すらコントロールできる理性的な人だった。子供を欲しかった夫は、発情期に合わせて、閨事をした。2年経っても、妊娠できない妻を心配して、産婦人科に通って、不妊治療をした。でも、強い薬のせいで、ルイスは太り始めた。
二人に愛情はなかった。尊敬する師匠への敬意、世話してくれた祖母への恩返し。それだけだ。不妊治療とフェロモン治療で疲弊してきたルイスは体重が20キロ以上も増え、45キロから70キロまでになった。
厳しかった祖母と祖父、有名な私立学校への受験、勉強だけが自分を証明できるすべだった。人の温もりも知らないまま、大人になったルイスは友達もいなくて、研究室に籠る日々を送った。結婚しても、そのライフスタイルは変わらなかった。夫も研究室でずっと籠ったからだ。発情期の時のみ、寝室を共にした。
アルファとアルファだから、生まれてくる子供は100パーセント形質者だと言われている。夫も期待を持って、望んでいた。でも、結婚5年後、ルイスの離婚申請で協議離婚した。
夫はルイスがなかなか妊娠できないから、焦っていた。担当の医師はルイスの心理的な原因が妊娠できない理由だと言った。夫はルイスの精神状態までは、責任を取りたくなかったから、離婚を快く受け入れた。スペックが高い夫はいつでも誰でも手に入れることができる。夫は密かに浮気をしていたが、ルイスは全然気付かなかった。
ルイスは小さい頃からアジアに魅力を感じていて、いつもピース大学の教授職応募欄に自分のプロファイルを更新していた。
今年の1月にピース大学から面接の連絡がきて、思いもよらない幸運で、ワクワクした。オンラインで面接を受けて、その3日後に合格の連絡を貰った。ルイスは中国語、韓国語、日本語も上手かったし、フランス近代文学に関する数多くの論文も出していたので、高く評価された。
世界最高の大学と言われる、ハーバー大学、ピース大学、フランスロイヤル大学の教授になることは大成功を収めること。その中でも、ピース大学は多額の研究費の支援、高い年俸、最高の福利厚生で世界一の職場だった。ルイスは
離婚後の気分転換で喜びながら、日本に渡った。
2月の初めに東京に来て、ジャンダ教授とはメールのやり取りで引継ぎを受けた。ジャンダ教授は急に退職され、何か事情があるみたいで、直接会うことはできなかった。でも、引継ぎを受けてみて、凄く有能で、責任感がある人だと思った。ジャンダ教授の複数の論文と書籍を読んでみたが、とても素晴らしかった。
齋藤翼助教は初めから、結構気さくで、真面目な学生だった。些細なところまで、気を配ってくれるから、ありがたいとは思われたが、人の親切に警戒心を持っているルイスは心を許すことができない。
齋藤助教と何回か、ランチを共にしたけれど、齋藤助教は寡黙で気配りが良い人だった。ルイスはフェロモンの不調で神経が擦り減って、段々神経質な人に変わった。出来れば、人との関りを避けて、一人で閉じ込みたいと思った。
12月19日、金曜日、今学期の最後の授業日で、明日からは長い冬休みが始まる。齋藤教授は冬型の気圧で大雪が吹雪く中、冬空と風馬を保育所で預けて、3階の研究室に入る。冬にも拘わらず、窓を開けて掃除をしていたきららが笑顔で挨拶する。
「先生。おはようございます。結構、降ってますね。もう、掃除終わったので、窓、閉めます」
「ちょっと、清水君。顔、どうなったのですか?大丈夫ですか?」
きららの痣だらけの浮腫んだ顔を見た途端、齋藤教授は心配で、きららの手を優しく包む。
「ちょっと、友達とふざけ過ぎで、大したことではないです。温かい緑茶、淹れますね」
足を引きずって歩くきららを見た齋藤教授はきららに近寄った。
「私が淹れますので、休んでください。病院は行きましたか?校内の保健所でも行ってきてください」
「あー、大丈夫です。薬は塗ったので、自然に治ります。ありがとうございます」
「清水君、私にできることがあったら、素直に言ってください。清水君にはたくさん助けてもらいましたので、私も清水君の力になりたいです」
「ありがとうございます。先生。本当に大丈夫ですので、気にしないでください」
きららは浮腫んだ顔を無理やりに引き上げて、笑おうとしたが、顔はなおさら可笑しく歪んだ。
18時35分の5時限が終わり、齋藤教授は7階の講義室を出て、3階の研究室に下りる。期末試験が終わり、冬休みを迎える学生たちは気持ちが高ぶって、がやがやとはしゃいでいる。研究室に入ったら、韓国語教育学科のパク・ヨング教授がお茶を飲みながら、きららと話をしていた。
「齋藤教授、今、きらら助教を口説いているところでした。明日から、冬休みなので、顔見たくて、寄りました」
笑顔を見せながら、元気よく話すパク教授を見て、齋藤教授は愛想よく返事する。
「あらー、二人の邪魔をしてごめんなさい」
「違います。先生。パク先生が悪戯しただけです。ただ、昨年にリフォーム工事が終わった総合施設建物の雰囲気がいいって話していただけです。クリスマスには学生や近所の住人を招いて、ピアノコンサートを開くんだそうです。行きたいですね」
きららの紫色の痣が華やかに腫れている顔を見ても、全然気にしない素振りをみせるパク教授が口を開く。
「齋藤先生。クリスマスはどうされますか?一緒にピアノコンサートはいかがでしょうか?勿論、冬空と風馬も一緒ですよ」
「冬空がピアノ好きだから、何もなかったら、ピアノコンサートは行きます。清水助教も来ますね」
きららがかしこまった表情で温かい緑茶を齋藤教授に渡す。
「そうですね。折角の機会なので、行きたいです」
三人は総合施設建物で開催されるクリスマスのピアノコンサートで会う約束をして、楽しく話する。
どんよりして寒い12月20日、冬心はテオを連れて、パリ18区のモンマルトルの丘にあるクロードの音楽スタジオ、ロレンスに行く。冬心が作った曲がレコーディングされることになった。冬心がジャンを偲びながら、作った歌だ。
テオはぐっすり眠っていたが、音楽スタジオに入ったら、急に泣き出す。クロードが大勢のスタッフに冬心を紹介する。皆は可愛いテオを見ては、抱いたり、チューしたり、撫でたりして可愛がった。
クロードはプロデューサーの顔になり、テオを抱きながら、冬心の歌を聴いている。やっぱり、俺の勘が当たった。清らかな、でも、深みがある冬心の悲しい声は心を魅了する力がある。
冬心がLOVEを3回歌い終えた途端、クロードがマイクを通して、オッケーと言う。スタッフも余りも完璧な歌声だったので、納得する。予想より、早く終わったレコーディングで、クロードは冬心とテオを連れて、夜ご飯を食べるに行くことにした。
クロードはエリザベートと冬心のこれからの人生に関して、よく話し合った。冬心はまだ21歳で若い。ジャンの想いだけを引きずって生きるのは、もったいないのだ。クロードは冬心が新しい恋と出会って、幸せに生きることを願う。
エリザベートは展覧会のため、アメリカに行って、半年後に帰ってくる予定だ。息子の死から、やっと回復したエリザベートは仕事だけに没頭する。口数も少なくなり、セックスも拒み続けるエリザベートはクロードはアルファだから、セックスパートナーを作っても、いいとすら言った。ベータ性のエリザベートはアルファ性のクロードのセックスが手に余るほど、負担を感じていた。
高校時代に出会って、恋に落ちた二人は大学入学と同時に、結婚した。だが、二人の24年間の円満な夫婦関係に、少しずつ亀裂が入り始めた。でも、二人はまだ知らない、どんな未来が待っているかを。
高級レストラン、ル・ブリストルに入ったクロードと冬心とテオは人気の牡蠣料理とノンアルコールワインを注文する。勿論、テオが食べられる豆乳リゾットとサラダも注文する。クロードの友人のオーナーシェフが出てきて、挨拶をする。オーナーシェフはテオを抱っこして、あやしながらとても喜んだ。
テオは普通の赤ちゃんより、発達が早い方で、生後、7か月なのに、既にスプーンとフォークを上手く使って、自分でご飯を食べる。クロードは並外れたテオの能力を見て、優性アルファだと、いや、もしかしたら、極優性アルファだと確信した。
「ママ、おいしゅー、ジジも食べる」
テオがスプーン一杯のリゾットを口に入れながら、喜んでる。毎月、テオは健康チェックをしている。フランスの政府が極優性オメガの冬心を注視して、赤ちゃんのテオの発達を研究しているからだ。フランス医療局の医師たちも発達が早いテオに注目している。
冬心はジャンと正式に結婚していなかったため、テオは日本国籍だ。フランス政府は形質者国籍特別法で形質者や形質者の子供の場合は申請すれば、特別にフランスの国籍を取得できると定められており、国を挙げて、形質者を増やす方針で、取り組んでいる。
フランス政府は冬心の出産費用とテオの育児手当も出して、テオが育ちやすい環境を支援している。収入が高い冬心は育児手当を断ったが、フランス形質者法によって、貰うしかできなかった。
日本政府もテオに注目している。定期的に冬心に連絡して、テオの育児や教育を全力で支援する意思を伝えている。日本政府はテオが日本国籍で登録されているにも拘わらず、フランス政府のオメガ優先対策や優遇法律を見ては不安を感じていた。
一般的に、形質の判定は早くても、3歳から可能で、その時、フェロモンを感知できるケースもある。形質の判定時期は人それぞれで千差万別だ。形質の発現が遅い場合は稀に20歳で発現したこともあった。冬心は3歳の健康チェックで珍しく、極優性オメガだと判明された。
新鮮な牡蠣を食べながら、クロードは虚心坦懐に話を進める。
「冬心。LOVEって歌、本当にいいね。歌詞もメロディーも心に沁みる」
「ありがとうございます」
「絶対ウケるから。。。作詞作曲もできるってすごいね!中学時代から作詞作曲したって、驚いた」
「オメガ支援センターで、無料で音楽を教わったので、たくさん勉強になりました」
「いや、理論より、感性だ。歌詞もメロディーも切なくて、個性的だ」
「恥ずかしいです。そんなに大したことではないです」
「お世辞じゃないからな。この曲だけを来月、発表して、アルバムの宣伝として使わせて、狙い撃ちする。他の曲のレコーディング終ったら、”ジャン”というアルバムのリリースだ」
「嬉しいです。このアルバムはジャンのために、作りましたので、ジャンに捧げます」
「冬心。もう、ジャンのことより、今を生きて欲しいんだ。まだ、若いから、新しい人と出会ってほしい」
冬心の大きな目が静かに揺れる。
「今はジャンと一緒にいたいです。ジャンは私の心で生きているから、大丈夫です」
ワインを一口に含んでから、クロードが優しく言う。
「これからご縁が訪れたら、拒まないで、掴むんだよ。君の幸せがテオの幸せで、ジャンの望みだ。あの世のジャンも君の幸せを祈っているから」
冬心の目尻が熱く潤みを含んで、薄茶色の瞳が細くなった。冬心の綺麗な小顔をずっと見つめていたクロードは冬心を力いっぱい抱きしめたいという衝動を抑えている。
6月21日、山形大学付属病院のカフェで齋藤翼は真剣に話した。齋藤教授がダメ男に犯され、孕ませられ、逃げてきたことを。とても衝撃な真実できららは胸が引き攣った。きららは自分だけが惨めな人生だと思っていたのに、美しい齋藤教授も惨たらしい人生を歩んできたとは、察知できなかった。
その日以降、齋藤翼は月に1回はきららと連絡を取っている。初めは、齋藤教授の近況のみ、話し合ったけれど、12月になった今は、お互いの研究や趣味までも話あって、通話は月に1回のみだが、ラインメッセージは週に5回もやり取りしている仲になった。
27歳の齋藤翼と30歳の清水きららはフランス文学科の博士コースを昨年始めたばかりで、至極難しい博士課程の共通の悩みで打ち解けて話をするようになった。
齋藤教授(ジャンダ教授)の後任、ルイス教授の癇癪で疲弊している寡黙な齋藤助教はバツイチで41歳のルイス教授の機嫌を取るのが難しいと打ち明けた。ルイス教授はフランス出身の極劣性アルファ女性だ。アルファなのに、先天性フェロモン神経障害のため、全然アルファらしくない、170センチで、でっぷりしている。
心優しい齋藤助教は障害を持っているルイス教授を全力で助けたい意欲で、よく気と心を配って頑張ったのに、神経質なルイス教授は人の親切を当たり前と軽んじていた。
ルイス・マルタンは母の妊娠初期に、父が車事故に遭って急死してしまった。番を失くした母はフェロモンの不調で苦しんでも、難産と早産を乗り越えて、ルイスを産んだものの、産後、10日で亡くなった。裕福な学者の家系で生まれたルイスは両親の愛情を知らないまま、厳しく育てられた。ずっとベーダ性だと思っていたのに、中学1年生の形質検査で極劣性アルファだと判明された。
アルファ女性は体内に精巣を持ち、クリトリスが勃起してペニスの役割を果たす仕組みだが、ルイスは先天性フェロモン神経障害のせいで、精巣がなく、クリトリスも勃起できない障害を持っているので、妊娠させる機能はないが、妊娠はできる。それで、普通のアルファ女性より、体格が小さいだ。
勉強一筋で生きてきたルイスはフランスロイヤル大学を卒業し、アメリカのハーバー大学で博士を取って、フランスロイヤル大学の教壇を取った。研究と教育だけの人生で、35歳頃、祖母が亡くなって、祖母の遺言の通り、祖母の弟子と結婚した。
先天性フェロモン神経障害で、毎日フェロモン抗生剤を服用してて、アルファらしくない程、痩せて、弱かった。夫は劣性アルファでルイスより5歳若くて、フランス王立科学アカデミーの研究員だった。
研究一筋の夫は寡黙で、自己中心的で、アルファの性欲すらコントロールできる理性的な人だった。子供を欲しかった夫は、発情期に合わせて、閨事をした。2年経っても、妊娠できない妻を心配して、産婦人科に通って、不妊治療をした。でも、強い薬のせいで、ルイスは太り始めた。
二人に愛情はなかった。尊敬する師匠への敬意、世話してくれた祖母への恩返し。それだけだ。不妊治療とフェロモン治療で疲弊してきたルイスは体重が20キロ以上も増え、45キロから70キロまでになった。
厳しかった祖母と祖父、有名な私立学校への受験、勉強だけが自分を証明できるすべだった。人の温もりも知らないまま、大人になったルイスは友達もいなくて、研究室に籠る日々を送った。結婚しても、そのライフスタイルは変わらなかった。夫も研究室でずっと籠ったからだ。発情期の時のみ、寝室を共にした。
アルファとアルファだから、生まれてくる子供は100パーセント形質者だと言われている。夫も期待を持って、望んでいた。でも、結婚5年後、ルイスの離婚申請で協議離婚した。
夫はルイスがなかなか妊娠できないから、焦っていた。担当の医師はルイスの心理的な原因が妊娠できない理由だと言った。夫はルイスの精神状態までは、責任を取りたくなかったから、離婚を快く受け入れた。スペックが高い夫はいつでも誰でも手に入れることができる。夫は密かに浮気をしていたが、ルイスは全然気付かなかった。
ルイスは小さい頃からアジアに魅力を感じていて、いつもピース大学の教授職応募欄に自分のプロファイルを更新していた。
今年の1月にピース大学から面接の連絡がきて、思いもよらない幸運で、ワクワクした。オンラインで面接を受けて、その3日後に合格の連絡を貰った。ルイスは中国語、韓国語、日本語も上手かったし、フランス近代文学に関する数多くの論文も出していたので、高く評価された。
世界最高の大学と言われる、ハーバー大学、ピース大学、フランスロイヤル大学の教授になることは大成功を収めること。その中でも、ピース大学は多額の研究費の支援、高い年俸、最高の福利厚生で世界一の職場だった。ルイスは
離婚後の気分転換で喜びながら、日本に渡った。
2月の初めに東京に来て、ジャンダ教授とはメールのやり取りで引継ぎを受けた。ジャンダ教授は急に退職され、何か事情があるみたいで、直接会うことはできなかった。でも、引継ぎを受けてみて、凄く有能で、責任感がある人だと思った。ジャンダ教授の複数の論文と書籍を読んでみたが、とても素晴らしかった。
齋藤翼助教は初めから、結構気さくで、真面目な学生だった。些細なところまで、気を配ってくれるから、ありがたいとは思われたが、人の親切に警戒心を持っているルイスは心を許すことができない。
齋藤助教と何回か、ランチを共にしたけれど、齋藤助教は寡黙で気配りが良い人だった。ルイスはフェロモンの不調で神経が擦り減って、段々神経質な人に変わった。出来れば、人との関りを避けて、一人で閉じ込みたいと思った。
12月19日、金曜日、今学期の最後の授業日で、明日からは長い冬休みが始まる。齋藤教授は冬型の気圧で大雪が吹雪く中、冬空と風馬を保育所で預けて、3階の研究室に入る。冬にも拘わらず、窓を開けて掃除をしていたきららが笑顔で挨拶する。
「先生。おはようございます。結構、降ってますね。もう、掃除終わったので、窓、閉めます」
「ちょっと、清水君。顔、どうなったのですか?大丈夫ですか?」
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「ちょっと、友達とふざけ過ぎで、大したことではないです。温かい緑茶、淹れますね」
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「清水君、私にできることがあったら、素直に言ってください。清水君にはたくさん助けてもらいましたので、私も清水君の力になりたいです」
「ありがとうございます。先生。本当に大丈夫ですので、気にしないでください」
きららは浮腫んだ顔を無理やりに引き上げて、笑おうとしたが、顔はなおさら可笑しく歪んだ。
18時35分の5時限が終わり、齋藤教授は7階の講義室を出て、3階の研究室に下りる。期末試験が終わり、冬休みを迎える学生たちは気持ちが高ぶって、がやがやとはしゃいでいる。研究室に入ったら、韓国語教育学科のパク・ヨング教授がお茶を飲みながら、きららと話をしていた。
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「あらー、二人の邪魔をしてごめんなさい」
「違います。先生。パク先生が悪戯しただけです。ただ、昨年にリフォーム工事が終わった総合施設建物の雰囲気がいいって話していただけです。クリスマスには学生や近所の住人を招いて、ピアノコンサートを開くんだそうです。行きたいですね」
きららの紫色の痣が華やかに腫れている顔を見ても、全然気にしない素振りをみせるパク教授が口を開く。
「齋藤先生。クリスマスはどうされますか?一緒にピアノコンサートはいかがでしょうか?勿論、冬空と風馬も一緒ですよ」
「冬空がピアノ好きだから、何もなかったら、ピアノコンサートは行きます。清水助教も来ますね」
きららがかしこまった表情で温かい緑茶を齋藤教授に渡す。
「そうですね。折角の機会なので、行きたいです」
三人は総合施設建物で開催されるクリスマスのピアノコンサートで会う約束をして、楽しく話する。
どんよりして寒い12月20日、冬心はテオを連れて、パリ18区のモンマルトルの丘にあるクロードの音楽スタジオ、ロレンスに行く。冬心が作った曲がレコーディングされることになった。冬心がジャンを偲びながら、作った歌だ。
テオはぐっすり眠っていたが、音楽スタジオに入ったら、急に泣き出す。クロードが大勢のスタッフに冬心を紹介する。皆は可愛いテオを見ては、抱いたり、チューしたり、撫でたりして可愛がった。
クロードはプロデューサーの顔になり、テオを抱きながら、冬心の歌を聴いている。やっぱり、俺の勘が当たった。清らかな、でも、深みがある冬心の悲しい声は心を魅了する力がある。
冬心がLOVEを3回歌い終えた途端、クロードがマイクを通して、オッケーと言う。スタッフも余りも完璧な歌声だったので、納得する。予想より、早く終わったレコーディングで、クロードは冬心とテオを連れて、夜ご飯を食べるに行くことにした。
クロードはエリザベートと冬心のこれからの人生に関して、よく話し合った。冬心はまだ21歳で若い。ジャンの想いだけを引きずって生きるのは、もったいないのだ。クロードは冬心が新しい恋と出会って、幸せに生きることを願う。
エリザベートは展覧会のため、アメリカに行って、半年後に帰ってくる予定だ。息子の死から、やっと回復したエリザベートは仕事だけに没頭する。口数も少なくなり、セックスも拒み続けるエリザベートはクロードはアルファだから、セックスパートナーを作っても、いいとすら言った。ベータ性のエリザベートはアルファ性のクロードのセックスが手に余るほど、負担を感じていた。
高校時代に出会って、恋に落ちた二人は大学入学と同時に、結婚した。だが、二人の24年間の円満な夫婦関係に、少しずつ亀裂が入り始めた。でも、二人はまだ知らない、どんな未来が待っているかを。
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テオは普通の赤ちゃんより、発達が早い方で、生後、7か月なのに、既にスプーンとフォークを上手く使って、自分でご飯を食べる。クロードは並外れたテオの能力を見て、優性アルファだと、いや、もしかしたら、極優性アルファだと確信した。
「ママ、おいしゅー、ジジも食べる」
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新鮮な牡蠣を食べながら、クロードは虚心坦懐に話を進める。
「冬心。LOVEって歌、本当にいいね。歌詞もメロディーも心に沁みる」
「ありがとうございます」
「絶対ウケるから。。。作詞作曲もできるってすごいね!中学時代から作詞作曲したって、驚いた」
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「いや、理論より、感性だ。歌詞もメロディーも切なくて、個性的だ」
「恥ずかしいです。そんなに大したことではないです」
「お世辞じゃないからな。この曲だけを来月、発表して、アルバムの宣伝として使わせて、狙い撃ちする。他の曲のレコーディング終ったら、”ジャン”というアルバムのリリースだ」
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冬心の大きな目が静かに揺れる。
「今はジャンと一緒にいたいです。ジャンは私の心で生きているから、大丈夫です」
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「これからご縁が訪れたら、拒まないで、掴むんだよ。君の幸せがテオの幸せで、ジャンの望みだ。あの世のジャンも君の幸せを祈っているから」
冬心の目尻が熱く潤みを含んで、薄茶色の瞳が細くなった。冬心の綺麗な小顔をずっと見つめていたクロードは冬心を力いっぱい抱きしめたいという衝動を抑えている。
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傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。
石河 翠
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この作品は、別サイトにも投稿しております。
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