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六章 入学旅行六日目
6-10 かけがえのない、この世界のたった一人
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《わたしを、殺してほしいの》
静かな口調で絞り出されるように。レイの震える声が、霧の耳にこだまする。
霧は怒りの感情を目に宿しながら、ギュッと拳を握って言った。
「……嫌だよ、お断り。そんな頼みなら、おとといおいで」
霧のその言葉を聞いたソイフラージュが、嫌な予感に慄きながら、叫ぶ。
《何を、頼んだの?! 教えて霧! 今あなたは、レイと会話していたんでしょう?! レイは、あなたに何を頼んだの?!》
答えられずにいる霧を見て、イサナがスッとソイフラージュの傍に移動して、通訳を代わってくれた。
『竜辞典』の中にいるためか、イサナは今、人間に近い姿をしている。それは霧が名を与えた直後に見せた、イサナによる自分のイメージ像だ。14歳か15歳ぐらいの少年で、言獣との融合の名残なのか、背中に小さな白い翼を持ち、手足同様、複数の目を具えている。彼は本来人間が持つ二対の目だけを見開き、その場にいる面々に向かって言った。
《あのね、みんな、聞いて。ソイとレイの、二人の分断が、解呪を阻んでるんだと思う。二人は別々の方法で『辞典』に宿り、まったく別の場所にいる。でも、今、この状態の霧になら、きっとレイを、ソイと同じ場所に連れてくることができる、そしたら》
イサナの言葉を遮り、レイが首を振る。
《……もう、いいの、イサナ。疲れたの。わたしは、ずっと、見てた。長い間……ひとりきりで……》
虚ろな目で、レイが霧を見上げる。
《……もう、終わらせたい。霧、すべてをあなたに託したい。わたしごと、呪いを消滅させて》
「嫌だね。終わらせてなんか、やるもんか」
《霧……お願い》
「だってここで終わったら、何も救われないじゃないか! レイ、あなたにハッピーエンドが来ないなら、あたしが『竜辞典』に選ばれた意味なんかない!!」
《いいえ、意味はある。あなたはこの呪いを解いて、世界に破滅の運命を回避させられる。あなたは多くの人を救う》
「レイを、犠牲にして?」
《もともと、わたしが放った呪い。その責を取るだけ》
「違う、違う、違う!!」
霧は激しく首を振り、固く握った拳を振り上げ、地団駄を踏んだ。全身で怒りを表すように。そうして、叫び続ける。
「世界が、レイに呪わせた! そうでしょ?! 誰もが、レイと同じ悲劇に見舞われる可能性があった! そんな、残酷な世界だった!!」
霧の作ったストーリードームを見て、好きだと言ったレイ。
アデルを助けるため、力を貸してくれたレイ。
そばにいて、助言をくれたレイ。
霧にとってレイは、邪悪な存在ではない。その逆だ。
「レイ、この呪いは、あなただけの責じゃない! 無関心だった周囲が、あなたをそこに追い込んだ! そうでしょ?! 一見無関係に見える他者は、決して、個人の選択と無関係じゃない!! 世間は、知っているのに見て見ぬふりをする! 自らの安寧と秤にかけて、犠牲者を生み出す! そしてそれに、気付かぬふりをする! 関係ないふりをする!」
霧はそういうシーンを、何度も見てきた。何度も、体験してきた。
全てが終わった後に、「言ってくれれば良かったのに」などと、悲しむふりをする。助けるつもりなど、最初から無かったくせに。人とは、そういう、ずるい存在なのだ。
それを知っているから。
よく知っているから――霧は、叫ぶ。
「たった一人と、その他大勢。それは等価。等価だよ、レイ! 人数の多い方が勝ることは無い!! 誰一人、誰かの犠牲になっていい命じゃない!」
感情が、昂ってくる。
世の中が美談と煽る、一人対大勢の、犠牲を伴う救済劇。霧はあれが、大嫌いだった。
「自分が死ねば、みんなが救われる? はっ! 何がめでたしめでたしだ! 尊い自己犠牲? はっ! それは大勢という名の悪魔が生む生贄だ!」
憤りが、爆発する。止まらなかった。腹が立って、たまらない。霧は怒りと悲しみで、叫び続けた。
「人数なんて関係ない! あたしは多い方を選んだりしない! たった一人ですら救えないなら、世界はもう、救われなくていい! けれどもし、あたしに誰かを救う力がるなら、世界ごと、救う力があるなら、レイ、あなたを真っ先に選ぶ!!」
ダリアの言葉が、霧の心の中に甦る。
―――――――――――――
顧みられず、
咲く前に散っていった者たち、
それは、
どこかの他人などではない。
それは私。
それはあなた。
かけがえのない、
この世界の、たった一人。
―――――――――――――
それは霧自身の、言葉でもあった。
常に霧の心の中でくすぶっている、大勢と言う名の「世間」に対する、反旗だった。
――何としてでも、助け出す。悲しいままで、終わらせたりしない。
その決意を胸に、霧は叫んだ。『辞典』を、意識して。
「レイフラージュの放った呪いを、あたしの前に視覚化しろ!」
絡んだ根のような醜い塊が、目の前に現れた。その場にいる誰もが、ハッと息を呑む。呪いを視覚化する――思ってもみなかった発想だった。
辞典主の強い力が辺りに漲る中、霧の声が響く。
「今日を限りでおまえの任を解く! ご苦労であったな! ほんの少しの恨みも残さず、きれいさっぱりほぐれてバラバラになり、消滅しろ! あーーーったたたたたあーーーーっ!!!!」
冗談のような口調からは想像できないほど、霧のその言葉は絶大な効果を及ぼした。視覚化した塊が、霧の繰り出される拳の前に、あっという間に消滅する。レイもイサナもソイフラージュもミミも、ポカンとそれを見ていた。
霧は鼻息を吹き出すとみんなを振り返り、パンパンと手を払って言った。
「お掃除完了!! どうだレイ、こんなもんのために死ぬとかいう愚かな選択も、これで木っ端微塵だ! 個人的にはシルヴィア先生に同意して、『男どもめ、ざまあみろ!的な人類滅亡説(笑)』も魅力的だったが、レイと天秤になんぞ、かけられるものか。さあ、行くぞっ!」
霧はレイの手を取った。
「あっ……!!」
霧が簡単にレイの手を繋いだことに――手を繋げられたことに、レイは驚いた。――そして、納得する。彼女は辞典主だ。辞典の中で繰り広げられる現象に、どんなハードルがあるというのか、と。
「レイ、見せてあげるよ、あたしの最適解。殺してくれ、なんていうレイの悲しいエゴを跳ね飛ばし、あたしのエゴによる最高の結末を、見せてあげる!」
霧はそれだけ言うと、イサナに向かって言った。
「イサナ、導いて! ソイの元までレイを連れてゆく! さあ! あたしは今、羽根のように軽やかで、光のように速い!」
辞典主の霧の言葉が、瞬く間に効力を持ち、霧とレイが光り輝く。イサナは嬉しそうに飛び跳ねると、はしゃいだ声を上げた。
《ああ、行こう! 霧、ついてきて!》
光が明滅し、霧とレイとイサナを包む。周囲の風景が切り替わり、瞬く間に過ぎてゆく。いくつものエリアを抜け、レイを連れた霧とイサナは、次々と障壁を突破していった。
容易かった。霧の進路を妨げるものは、何も無い。
長い長いトンネルのようなものを抜けると、やがてソイが一人佇む姿が見えてきた。
そして遂に双子は、再会を果たす。
1540年の歳月を、越えて、遂に。
お互いの姿を目に宿し、双子は片割れの名を呼んだ。
霧はレイの手を離し、二人が歓喜の涙を散らしながら走り寄るのを見守った。
おさげ髪の二人の少女。その姿が、チカチカと明滅しながら移り変わる。
ソイフラージュは幼い少女から、14歳のうら若き姿に、大人の女性に、そして老婆に変わり、また少女の姿に。
レイフラージュは幼い少女から、14歳のうら若き姿に、そしてまた幼い少女の姿に。
そうして二人は抱きしめ合うと、1540年の歳月越しに、再会を果たした。
泣きながら、笑いながら。
手を取り合う二人の間に、ミミが喜びながら舞う。
そして次の瞬間、煌竜クルカントゥスが現れた。
まばゆい光と共に現れた竜は、双子の周囲に虹を描く。希望の象徴のような、美しい虹を。1540年の時を経て、遂に片翼を取り戻した『竜辞典』は、歓喜で光り輝いていた。
(やり遂げた)
満ち足りた清々しい気持ちで、そう思った時。
――霧は、目覚めた。
大泣きして、叫びながら。
「うああっ……うぇええええぇ?!」
目を開けた霧の視界に、リューエストとトリフォンの、心配げに覗き込む顔が映る。霧は、ソファで横たわったまま、息を弾ませながら周囲を見回した。
そこは、図書塔天上階の、温室のような不思議な部屋。
「ああ……帰ってきたのか。『辞典』の中から。ふおぉぉう……おああああ……。夢、じゃないよね、あれ……。あたし、やり遂げたよね?」
人類滅亡の呪いを解き、イサナの力を借りて双子を再会させた――それを。
《夢じゃない。ありがとう、霧。私たち、互いを取り戻した》
《すべてが、ほぐれて、赦された。ああ、あなたの魔法の、なんて力強く、温かいこと。本当にありがとう、霧》
霧の目の前に、ソイフラージュとレイフラージュの双子が現れ、同時に言葉をかけてきた。二人は幼い少女の姿でしっかり手を繋ぎ、無邪気に笑い合っている。そのそばにはミミが飛び回り、喜びではちきれんばかりの笑顔を見せていた。
そして次の瞬間には、ぬっとイサナが『竜辞典』から現れ、その奇怪なクジラのような大きな体を天井付近に浮かばせながら、何かを叫び始める。リューエストとトリフォンは突如現れたイサナに驚いたが、すぐに相好を崩した。なぜならイサナは、すごく嬉しそうにすべての目をにっこりと細め、心地よい歌のような調べを奏でていたから。それは、イサナの言葉だった。イサナは霧にだけわかる言葉を、紡いでいたのだ。
《なんて居心地がいいんだろう、霧、君の傍は。僕はこの先ずっと、君の最適解を見守ることにした。いいよね、ずっとずっと、傍にいて、いいよね?》
霧は弾かれたように笑い、即答した。
「いいに決まってる! ありがとう、イサナのおかげだ! イサナが導いてくれたおかげで、迷いなく辿り着けた!」
ソイフラージュとレイフラージュもまたイサナに礼を言い、霧と双子とイサナとミミは、ひとしきり笑い合った。
そして双子は何かを相談しあうと、うんうんと頷き、霧に向かって言った。
《あと少しね、霧。もうすぐ学園に帰れる》
《霧、入学旅行、楽しんで》
それだけ言うと、みんなは揃って『竜辞典』の中へと戻って行った。
長い息を吐き出し、再びソファに倒れ込んだ霧に、リューエストがホッとした表情で問いかける。
「キリ、うまくいったんだね?」
「うん、おかげさまで」
霧は目を閉じて深呼吸すると、再び目を開けた。
「取り戻せた。そして、消滅させた。すっかり元通り。この先、生まれてくる女の子たち……、みんな、大事にされて、幸せになってくれると、嬉しいな」
そう言って少し寂し気に笑う霧に、リューエストは囁くような小さな声で言った。
「そうだね。まあ、僕にとって一番幸せになって欲しい女の子は目の前にいるし、この先、一番幸せにするつもりだよ」
リューエストの宝石のような、愛に満ちた輝きが霧に降り注ぐ。霧は恥ずかしくなってパッと目をそらすと、「いや……その、超絶イケメンの殺し文句、刺激パネェし」と、口の中でゴニョゴニョ呟いた。
(……大丈夫だよ、リューエスト。あたしの呪いも、もう、過去のものになったから)
霧は心の中でそう付け加えると、トリフォンに向かって言った。
「ありがとう、トリフォン。ここに連れてきてもらったおかげで、目的が果たせた。ついでに1540年前の呪いも木っ端微塵にできたよ。この先はちゃんと、女の子も、生まれてくる。男の子と、同じように」
それを聞いたトリフォンは、一瞬だけ驚いたが、すぐに目を細めて笑うと言った。
「ほほう、重畳、まことに重畳。弥栄なり」
トリフォンは詳細を訊き出すなど野暮なことはせず、ただ嬉しそうに、一仕事終えた霧の頭を、労わるように撫でた。――愛おしい孫の一人に、触れるように。
静かな口調で絞り出されるように。レイの震える声が、霧の耳にこだまする。
霧は怒りの感情を目に宿しながら、ギュッと拳を握って言った。
「……嫌だよ、お断り。そんな頼みなら、おとといおいで」
霧のその言葉を聞いたソイフラージュが、嫌な予感に慄きながら、叫ぶ。
《何を、頼んだの?! 教えて霧! 今あなたは、レイと会話していたんでしょう?! レイは、あなたに何を頼んだの?!》
答えられずにいる霧を見て、イサナがスッとソイフラージュの傍に移動して、通訳を代わってくれた。
『竜辞典』の中にいるためか、イサナは今、人間に近い姿をしている。それは霧が名を与えた直後に見せた、イサナによる自分のイメージ像だ。14歳か15歳ぐらいの少年で、言獣との融合の名残なのか、背中に小さな白い翼を持ち、手足同様、複数の目を具えている。彼は本来人間が持つ二対の目だけを見開き、その場にいる面々に向かって言った。
《あのね、みんな、聞いて。ソイとレイの、二人の分断が、解呪を阻んでるんだと思う。二人は別々の方法で『辞典』に宿り、まったく別の場所にいる。でも、今、この状態の霧になら、きっとレイを、ソイと同じ場所に連れてくることができる、そしたら》
イサナの言葉を遮り、レイが首を振る。
《……もう、いいの、イサナ。疲れたの。わたしは、ずっと、見てた。長い間……ひとりきりで……》
虚ろな目で、レイが霧を見上げる。
《……もう、終わらせたい。霧、すべてをあなたに託したい。わたしごと、呪いを消滅させて》
「嫌だね。終わらせてなんか、やるもんか」
《霧……お願い》
「だってここで終わったら、何も救われないじゃないか! レイ、あなたにハッピーエンドが来ないなら、あたしが『竜辞典』に選ばれた意味なんかない!!」
《いいえ、意味はある。あなたはこの呪いを解いて、世界に破滅の運命を回避させられる。あなたは多くの人を救う》
「レイを、犠牲にして?」
《もともと、わたしが放った呪い。その責を取るだけ》
「違う、違う、違う!!」
霧は激しく首を振り、固く握った拳を振り上げ、地団駄を踏んだ。全身で怒りを表すように。そうして、叫び続ける。
「世界が、レイに呪わせた! そうでしょ?! 誰もが、レイと同じ悲劇に見舞われる可能性があった! そんな、残酷な世界だった!!」
霧の作ったストーリードームを見て、好きだと言ったレイ。
アデルを助けるため、力を貸してくれたレイ。
そばにいて、助言をくれたレイ。
霧にとってレイは、邪悪な存在ではない。その逆だ。
「レイ、この呪いは、あなただけの責じゃない! 無関心だった周囲が、あなたをそこに追い込んだ! そうでしょ?! 一見無関係に見える他者は、決して、個人の選択と無関係じゃない!! 世間は、知っているのに見て見ぬふりをする! 自らの安寧と秤にかけて、犠牲者を生み出す! そしてそれに、気付かぬふりをする! 関係ないふりをする!」
霧はそういうシーンを、何度も見てきた。何度も、体験してきた。
全てが終わった後に、「言ってくれれば良かったのに」などと、悲しむふりをする。助けるつもりなど、最初から無かったくせに。人とは、そういう、ずるい存在なのだ。
それを知っているから。
よく知っているから――霧は、叫ぶ。
「たった一人と、その他大勢。それは等価。等価だよ、レイ! 人数の多い方が勝ることは無い!! 誰一人、誰かの犠牲になっていい命じゃない!」
感情が、昂ってくる。
世の中が美談と煽る、一人対大勢の、犠牲を伴う救済劇。霧はあれが、大嫌いだった。
「自分が死ねば、みんなが救われる? はっ! 何がめでたしめでたしだ! 尊い自己犠牲? はっ! それは大勢という名の悪魔が生む生贄だ!」
憤りが、爆発する。止まらなかった。腹が立って、たまらない。霧は怒りと悲しみで、叫び続けた。
「人数なんて関係ない! あたしは多い方を選んだりしない! たった一人ですら救えないなら、世界はもう、救われなくていい! けれどもし、あたしに誰かを救う力がるなら、世界ごと、救う力があるなら、レイ、あなたを真っ先に選ぶ!!」
ダリアの言葉が、霧の心の中に甦る。
―――――――――――――
顧みられず、
咲く前に散っていった者たち、
それは、
どこかの他人などではない。
それは私。
それはあなた。
かけがえのない、
この世界の、たった一人。
―――――――――――――
それは霧自身の、言葉でもあった。
常に霧の心の中でくすぶっている、大勢と言う名の「世間」に対する、反旗だった。
――何としてでも、助け出す。悲しいままで、終わらせたりしない。
その決意を胸に、霧は叫んだ。『辞典』を、意識して。
「レイフラージュの放った呪いを、あたしの前に視覚化しろ!」
絡んだ根のような醜い塊が、目の前に現れた。その場にいる誰もが、ハッと息を呑む。呪いを視覚化する――思ってもみなかった発想だった。
辞典主の強い力が辺りに漲る中、霧の声が響く。
「今日を限りでおまえの任を解く! ご苦労であったな! ほんの少しの恨みも残さず、きれいさっぱりほぐれてバラバラになり、消滅しろ! あーーーったたたたたあーーーーっ!!!!」
冗談のような口調からは想像できないほど、霧のその言葉は絶大な効果を及ぼした。視覚化した塊が、霧の繰り出される拳の前に、あっという間に消滅する。レイもイサナもソイフラージュもミミも、ポカンとそれを見ていた。
霧は鼻息を吹き出すとみんなを振り返り、パンパンと手を払って言った。
「お掃除完了!! どうだレイ、こんなもんのために死ぬとかいう愚かな選択も、これで木っ端微塵だ! 個人的にはシルヴィア先生に同意して、『男どもめ、ざまあみろ!的な人類滅亡説(笑)』も魅力的だったが、レイと天秤になんぞ、かけられるものか。さあ、行くぞっ!」
霧はレイの手を取った。
「あっ……!!」
霧が簡単にレイの手を繋いだことに――手を繋げられたことに、レイは驚いた。――そして、納得する。彼女は辞典主だ。辞典の中で繰り広げられる現象に、どんなハードルがあるというのか、と。
「レイ、見せてあげるよ、あたしの最適解。殺してくれ、なんていうレイの悲しいエゴを跳ね飛ばし、あたしのエゴによる最高の結末を、見せてあげる!」
霧はそれだけ言うと、イサナに向かって言った。
「イサナ、導いて! ソイの元までレイを連れてゆく! さあ! あたしは今、羽根のように軽やかで、光のように速い!」
辞典主の霧の言葉が、瞬く間に効力を持ち、霧とレイが光り輝く。イサナは嬉しそうに飛び跳ねると、はしゃいだ声を上げた。
《ああ、行こう! 霧、ついてきて!》
光が明滅し、霧とレイとイサナを包む。周囲の風景が切り替わり、瞬く間に過ぎてゆく。いくつものエリアを抜け、レイを連れた霧とイサナは、次々と障壁を突破していった。
容易かった。霧の進路を妨げるものは、何も無い。
長い長いトンネルのようなものを抜けると、やがてソイが一人佇む姿が見えてきた。
そして遂に双子は、再会を果たす。
1540年の歳月を、越えて、遂に。
お互いの姿を目に宿し、双子は片割れの名を呼んだ。
霧はレイの手を離し、二人が歓喜の涙を散らしながら走り寄るのを見守った。
おさげ髪の二人の少女。その姿が、チカチカと明滅しながら移り変わる。
ソイフラージュは幼い少女から、14歳のうら若き姿に、大人の女性に、そして老婆に変わり、また少女の姿に。
レイフラージュは幼い少女から、14歳のうら若き姿に、そしてまた幼い少女の姿に。
そうして二人は抱きしめ合うと、1540年の歳月越しに、再会を果たした。
泣きながら、笑いながら。
手を取り合う二人の間に、ミミが喜びながら舞う。
そして次の瞬間、煌竜クルカントゥスが現れた。
まばゆい光と共に現れた竜は、双子の周囲に虹を描く。希望の象徴のような、美しい虹を。1540年の時を経て、遂に片翼を取り戻した『竜辞典』は、歓喜で光り輝いていた。
(やり遂げた)
満ち足りた清々しい気持ちで、そう思った時。
――霧は、目覚めた。
大泣きして、叫びながら。
「うああっ……うぇええええぇ?!」
目を開けた霧の視界に、リューエストとトリフォンの、心配げに覗き込む顔が映る。霧は、ソファで横たわったまま、息を弾ませながら周囲を見回した。
そこは、図書塔天上階の、温室のような不思議な部屋。
「ああ……帰ってきたのか。『辞典』の中から。ふおぉぉう……おああああ……。夢、じゃないよね、あれ……。あたし、やり遂げたよね?」
人類滅亡の呪いを解き、イサナの力を借りて双子を再会させた――それを。
《夢じゃない。ありがとう、霧。私たち、互いを取り戻した》
《すべてが、ほぐれて、赦された。ああ、あなたの魔法の、なんて力強く、温かいこと。本当にありがとう、霧》
霧の目の前に、ソイフラージュとレイフラージュの双子が現れ、同時に言葉をかけてきた。二人は幼い少女の姿でしっかり手を繋ぎ、無邪気に笑い合っている。そのそばにはミミが飛び回り、喜びではちきれんばかりの笑顔を見せていた。
そして次の瞬間には、ぬっとイサナが『竜辞典』から現れ、その奇怪なクジラのような大きな体を天井付近に浮かばせながら、何かを叫び始める。リューエストとトリフォンは突如現れたイサナに驚いたが、すぐに相好を崩した。なぜならイサナは、すごく嬉しそうにすべての目をにっこりと細め、心地よい歌のような調べを奏でていたから。それは、イサナの言葉だった。イサナは霧にだけわかる言葉を、紡いでいたのだ。
《なんて居心地がいいんだろう、霧、君の傍は。僕はこの先ずっと、君の最適解を見守ることにした。いいよね、ずっとずっと、傍にいて、いいよね?》
霧は弾かれたように笑い、即答した。
「いいに決まってる! ありがとう、イサナのおかげだ! イサナが導いてくれたおかげで、迷いなく辿り着けた!」
ソイフラージュとレイフラージュもまたイサナに礼を言い、霧と双子とイサナとミミは、ひとしきり笑い合った。
そして双子は何かを相談しあうと、うんうんと頷き、霧に向かって言った。
《あと少しね、霧。もうすぐ学園に帰れる》
《霧、入学旅行、楽しんで》
それだけ言うと、みんなは揃って『竜辞典』の中へと戻って行った。
長い息を吐き出し、再びソファに倒れ込んだ霧に、リューエストがホッとした表情で問いかける。
「キリ、うまくいったんだね?」
「うん、おかげさまで」
霧は目を閉じて深呼吸すると、再び目を開けた。
「取り戻せた。そして、消滅させた。すっかり元通り。この先、生まれてくる女の子たち……、みんな、大事にされて、幸せになってくれると、嬉しいな」
そう言って少し寂し気に笑う霧に、リューエストは囁くような小さな声で言った。
「そうだね。まあ、僕にとって一番幸せになって欲しい女の子は目の前にいるし、この先、一番幸せにするつもりだよ」
リューエストの宝石のような、愛に満ちた輝きが霧に降り注ぐ。霧は恥ずかしくなってパッと目をそらすと、「いや……その、超絶イケメンの殺し文句、刺激パネェし」と、口の中でゴニョゴニョ呟いた。
(……大丈夫だよ、リューエスト。あたしの呪いも、もう、過去のものになったから)
霧は心の中でそう付け加えると、トリフォンに向かって言った。
「ありがとう、トリフォン。ここに連れてきてもらったおかげで、目的が果たせた。ついでに1540年前の呪いも木っ端微塵にできたよ。この先はちゃんと、女の子も、生まれてくる。男の子と、同じように」
それを聞いたトリフォンは、一瞬だけ驚いたが、すぐに目を細めて笑うと言った。
「ほほう、重畳、まことに重畳。弥栄なり」
トリフォンは詳細を訊き出すなど野暮なことはせず、ただ嬉しそうに、一仕事終えた霧の頭を、労わるように撫でた。――愛おしい孫の一人に、触れるように。
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だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
異世界のリサイクルガチャスキルで伝説作ります!?~無能領主の開拓記~
AKISIRO
ファンタジー
ガルフ・ライクドは領主である父親の死後、領地を受け継ぐ事になった。
だがそこには問題があり。
まず、食料が枯渇した事、武具がない事、国に税金を納めていない事。冒険者ギルドの怠慢等。建物の老朽化問題。
ガルフは何も知識がない状態で、無能領主として問題を解決しなくてはいけなかった。
この世界の住民は1人につき1つのスキルが与えられる。
ガルフのスキルはリサイクルガチャという意味不明の物で使用方法が分からなかった。
領地が自分の物になった事で、いらないものをどう処理しようかと考えた時、リサイクルガチャが発動する。
それは、物をリサイクルしてガチャ券を得るという物だ。
ガチャからはS・A・B・C・Dランクの種類が。
武器、道具、アイテム、食料、人間、モンスター等々が出現していき。それ等を利用して、領地の再開拓を始めるのだが。
隣の領地の侵略、魔王軍の活性化等、問題が発生し。
ガルフの苦難は続いていき。
武器を握ると性格に問題が発生するガルフ。
馬鹿にされて育った領主の息子の復讐劇が開幕する。
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