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六章 入学旅行六日目
6-09 『竜辞典』の中へ
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ダリアの部屋から出た霧は、温室のような部屋に戻り、リューエストを捜した。霧の体感では1時間は経っているはずだというのに、どうやらダリアの部屋では時間が止まっていたようで、リューエストは不思議そうに霧を見て言った。
「どうしたの、キリ? 目当ての本、見つからない?」
「……もう、見つけた」
「え、そうなの?! いつの間に?!」
「リューエスト、頼みがあるんだけど……」
「うん? 何でも言って」
「癒術を応用して、あたしを眠らせてくれないかな。ただの眠りじゃなく、脳の一部が起きてるのに、体が眠ってる状態。明晰夢が見れる状態。それを維持させてほしい」
霧の奇妙な頼みに、リューエストは微かに眉を寄せた。そして何かに気付いたらしく、ハッとしたのち、霧に質問する。
「……ちゃんと、帰ってくる? キリ、ちゃんと僕の元に帰ってくると、約束して」
「もちろん、約束する。だから寝てる途中で起こしたりしないで。もしあたしが奇声を上げてもほっといて。とても大事なことをしに行くんだ。途中で目覚めてしまったら、台無しになる。必ず戻ってくるから、決して起こさないで。いい?」
リューエストは小さく頷くと、次の瞬間、泣き笑いのような表情で言った。
「おかしなものだね。ずっと君を起こそうと思っていた僕が、今度は眠らせるなんて」
そう言って、諦めの混じったような溜息をつく。そんな彼を見ながら、霧は複雑な笑みを浮かべた。
「変なこと頼んで、ごめんね、リューエスト」
「いいんだよ。どうしても必要なこと……そうだね?」
「うん」
「うまくいくよう、祈ってるよ」
「ありがとう」
そんな二人のやり取りを静かに見つめていたトリフォンは、霧が椅子を探しているのを見て、部屋の片隅に置かれたふわふわのソファを手で示した。そして穏やかに微笑む。霧のゆるぎない決意を感じ取ったこの賢い老人は、何も聞かずにすべてを受け入れてくれていた。
横たわった霧の体はソファからはみ出したが、トリフォンがどこからか持ってきてくれた足置きのおかげで、楽な姿勢を作り出すことができた。準備の整った霧は、一つ深呼吸をすると、リューエストに頷いて目を閉じる。
――やがて霧は、眠りに落ちていった。
心地よいフワッとした感覚に包まれ、霧は辺りを見回した。
そこは何もない、真っ白な空間。殺風景だ。
霧がお花畑、と心に思い描くと、足元から美しい花々が咲き開き、青空に白い雲、と思い描いた途端、爽やかで開放的な空間が広がった。
「おお……これこれ。さすがだ、リューエスト。オーダー通りの状態! いや、オーダー以上の出来栄え。今まで見たどんな明晰夢より、はっきりしてる」
無事に明晰夢の状態を作り出すことに成功した霧は、青空を見上げて考え込んだ。
「さて、ここからだ……。何とかして、『竜辞典』の中に入り込まないと」
明晰夢を利用しようと思いついたのは、ある目的のためだ。
ソイフラージュとレイフラージュ、双子の『竜辞典』の主。彼女たちは、今は失われた特殊な技で、その魂を『辞典』に宿らせている。霧は彼女たちと近い形で、『辞典』の内側に入り込みたかったのだ。もし自分に何らかの解決策を見出すことができるなら、それは『辞典』の内側にある――そういう確信が、霧にはあった。
「うん……よし。きっとうまくいく。必ず見つけ出す」
霧は決意を固めると、呼ばわった。
「イサナ! 賢者イサナ、いる? イサナく~ん!」
霧の呼びかけに即座に反応し、イサナがパッと目の前に現れる。クジラ妖怪のような、あの姿で。
《あれぇ、どうしたの、霧? なんだか不思議な感じだね。今、眠りながら僕を呼んだね?》
「うん。あたし、今眠ってる。でも、頭の中は冴えてる。あのね、イサナ、この状態のあたしの意識を、『光と虹の竜辞典』の中に、入り込ませてほしい。頼める?」
イサナは無数にある目のうち、前方にある二つだけを開け、パチパチと瞬きさせたのち、言った。
《いいよ。霧の魂を、一時的に『辞典』の中に入りこませたいんだね。任せといて。僕ね、『辞典』の中を探検したんだ。霧が僕の自我を取り戻してくれたおかげで、僕は言獣の性質も持ちながら、僕自らの意思で、自由に『竜辞典』の中を探検できた。『竜辞典』はまるで大きな宇宙のようだよ、霧。次元の糸で編まれた巨大な宇宙。ものすごく複雑なのに、同時にすっきりシンプルだ。終わりが無くて、果てしなく続くのに、同時に完結してる》
「何言ってんのか全然わかんない。日本語でおk」
霧の感想を聞いて、ずらりと並んだイサナの目のすべてがぎょろりと見開かれ、次の瞬間楽しそうに細められれた。
《つまり、今や僕はこの辞典のエキスパートだから、どこでも案内できると言ったんだ。そうそう、さっきまで、ソイとレイ、それから辞典妖精のミミと一緒にいたんだ。レイからはソイが見えてるのに、ソイからはレイが見えない。一方、僕も霧も、レイが見えるし意思疎通できる。この現象がなぜなのか、おぼろげながら分かり始めたところだよ》
「えっ、マジで?! 素晴らしい!! さすがイサナ、頼りになる!! 原因がわかれば、対処もできる! お願いイサナ、あたしを手伝って!」
イサナは体中を、輝かせた。黒いそのボディが、紫、赤、青、黄色、と色を変え、最後にダリアの金橙にそっくりな色で光り輝く。
「うおっ、まぶしっ!」
《ああ……、力が、漲る。辞典主の信頼が、僕に力を与える。何だろう……竜辞典に宿るたくさんの言獣たちが、僕を後押ししてるみたいだ》
イサナは気持ちよさそうに目をつむり、クルクル回る。そしてピタリと止まると、霧に向かって言った。
《いくらでも、手を貸すよ、霧。大事な友達だもの。さあ、おいで、一緒に辞典の中へ行こう!》
イサナの無数にあるひれのうちの一つが、するすると霧の元に伸びる。そのひれはイサナの人間だった頃の名残なのか、人の手の形をしていた。
霧がその手を取ると、不思議な浮遊感と共にどこかへ運ばれた。
《 霧?! 》
ソイとレイ、そしてミミの、驚く声が霧の耳に届く。
「あ、皆さん、お揃いで。お邪魔しております。ここが『竜辞典』の中かぁ~、ミラクルだなぁ……」
呑気な感想をこぼす霧に向かって、レイが呆れたようにこぼす。
《 霧……あなたはどこにでも、飛びこんでしまうのね……。肉体を具えている身で、『辞典』の中にまで来るなんて……。とても、危険なことなのよ。意識が捕らわれて、戻れなくなるかも。分かっているの……?》
「大丈夫、すぐお暇しますから。パパッと、用事を済ませに来ただけだから。レイ、あたしに言ってたでしょ、頼みたいことがあるって。今、やっちゃおう! 入学旅行が終わるまで、待たなくていいよ」
霧の明るい口調と対を成すように、レイの表情が暗く沈んだ。
一方、レイの姿が見えず、その声も聞こえないソイフラージュとミミは、戸惑っている。ソイフラージュは霧のそばまで来ると、思いつめたような表情で言った。
《霧、お願い、力を貸して。あなたは肉体を具えた辞典主。魂だけとなった私たちよりも、より強力に力を発揮できる。私はレイを取り戻したいの、力を貸して!》
その懇願に霧が答えるより先に、レイが悲しそうに首を振りながら口を挟む。
《霧、ソイに伝えて。もうわたしは、全部許してる。この1540年もの間、ずっとソイを見てた。わたしを失い、真実を知り、わたしを思って、苦しむ姿を。……わたしが、間違ってた。そう伝えて》
霧がそっくりそのまま伝えると、ソイは泣き叫んだ。
《間違ってない、レイは何も! 間違っていたのは私! 知ろうとしなかった私! 違和感に気付いていたのに、気付かないふりをしていた、ずるい私なの! ああ、レイ、レイ、レイ!! あなたに会いたい、会いたくて、たまらない! 声を聞きたい、抱きしめたい! もう一度、あの花畑を――》
双子の声が、重なった。
《 《 もう一度あの花畑を、一緒にどこまでも駆けて行きたい 》 》
レイは、ソイが自分を見つけることはできないと知っていながら、すぐ真正面まで行って、向かい合った。
《あの頃が、一番幸せだった。でも、もう、戻れない》
レイはソイに手を伸ばし、その頬を慈しむように撫でる仕草をした。
《1540年前。わたしは絶望した。何もかも許せなかった。憎かった。あらゆるものに、怒ってた》
レイの言葉を繋ぐように、ソイが口を開く。
《レイ、レイ、どうか許して。いいえ、許さなくていい。憎んでいい。あなたにはそうする権利がある。すべてを憎む権利が》
《そう、憎んでた。何もかも。だから、死ぬ前に世界を呪った。強力な、呪い。わたしの力の全てを、凝縮させた。わたしの死後も、僅かも色褪せず、効力を発揮するように》
レイの瞳から、涙がこぼれ落ちる。その姿はソイに見えず、言葉もソイに届かないと知りながら、レイは続けて言った。
《みんなを、道連れにしてやろうと思った。滅びてしまえと》
ハラハラと、溢れた涙が頬を伝う。
何かを感じ取ったのか、ソイの頬にも、双子の片割れと同じように、涙が伝う。ソイは宙を見つめながら、悲痛な声を上げた。
《許されることが無くても、私はずっと、あなたに謝罪し続ける、そして愛してると、言い続ける。ああ、レイ、あなたに会いたい。会いたくて、たまらない。なのに、どうして、会えないの?! これは、私への罰なの?!》
《違う。誰もソイを、罰したりしない。むしろ、罰を受けるのはわたし》
会話のように聞こえる二人の言葉を、霧はじっと聞いていた。レイはソイから目を離すと、霧に視線を移して言った。
《ソイはわたしの死後、わたしの放った呪いを解こうと何度も失敗し、何度も修正を施した。その結果、その性質を緩慢なものに変更し、発動時期を遅らせた。その呪いが――今、遂に、追いついた》
「うん……」
霧の目に理解が広がるのを見て、レイはハッとした。
《……そう、知ったのね、霧。そうよ。いよいよ、呪いの発動が始まった。でも、今わたしは、後悔してる。ソイがわたしを呼び、泣き叫ぶのを見ているうちに、怒りはほどけて、わたしはソイへの愛を思い出した。だから、何百年も経ったのち、呪いを解こうと思った》
レイの表情が歪み、ギュッと目が閉じられる。
《……でも、手遅れだった。ソイはわたしの放った呪いを解こうと、様々な試みを施した。その結果、呪いは絡まった糸のように複雑に交差し、固い結び瘤を作り、わたしの解呪を拒んだ》
レイは深い溜息をつくと、ソイフラージュから目を離し、霧のそばまで来て言った。
《……そこに、あなたが、現れた。1540年経って、希望が、現れた。霧、あなたに、頼みたいことが、あるの。肉体を具えた、辞典主のあなた。あなたになら、この呪いを、その原因ごと、排除することができる》
霧はレイの意図することに気付き、息を詰まらせた。
「…………っ!! まさか……」
レイは寂しそうに微笑み、答えた。
《そう。わたしを、殺してほしいの》
「どうしたの、キリ? 目当ての本、見つからない?」
「……もう、見つけた」
「え、そうなの?! いつの間に?!」
「リューエスト、頼みがあるんだけど……」
「うん? 何でも言って」
「癒術を応用して、あたしを眠らせてくれないかな。ただの眠りじゃなく、脳の一部が起きてるのに、体が眠ってる状態。明晰夢が見れる状態。それを維持させてほしい」
霧の奇妙な頼みに、リューエストは微かに眉を寄せた。そして何かに気付いたらしく、ハッとしたのち、霧に質問する。
「……ちゃんと、帰ってくる? キリ、ちゃんと僕の元に帰ってくると、約束して」
「もちろん、約束する。だから寝てる途中で起こしたりしないで。もしあたしが奇声を上げてもほっといて。とても大事なことをしに行くんだ。途中で目覚めてしまったら、台無しになる。必ず戻ってくるから、決して起こさないで。いい?」
リューエストは小さく頷くと、次の瞬間、泣き笑いのような表情で言った。
「おかしなものだね。ずっと君を起こそうと思っていた僕が、今度は眠らせるなんて」
そう言って、諦めの混じったような溜息をつく。そんな彼を見ながら、霧は複雑な笑みを浮かべた。
「変なこと頼んで、ごめんね、リューエスト」
「いいんだよ。どうしても必要なこと……そうだね?」
「うん」
「うまくいくよう、祈ってるよ」
「ありがとう」
そんな二人のやり取りを静かに見つめていたトリフォンは、霧が椅子を探しているのを見て、部屋の片隅に置かれたふわふわのソファを手で示した。そして穏やかに微笑む。霧のゆるぎない決意を感じ取ったこの賢い老人は、何も聞かずにすべてを受け入れてくれていた。
横たわった霧の体はソファからはみ出したが、トリフォンがどこからか持ってきてくれた足置きのおかげで、楽な姿勢を作り出すことができた。準備の整った霧は、一つ深呼吸をすると、リューエストに頷いて目を閉じる。
――やがて霧は、眠りに落ちていった。
心地よいフワッとした感覚に包まれ、霧は辺りを見回した。
そこは何もない、真っ白な空間。殺風景だ。
霧がお花畑、と心に思い描くと、足元から美しい花々が咲き開き、青空に白い雲、と思い描いた途端、爽やかで開放的な空間が広がった。
「おお……これこれ。さすがだ、リューエスト。オーダー通りの状態! いや、オーダー以上の出来栄え。今まで見たどんな明晰夢より、はっきりしてる」
無事に明晰夢の状態を作り出すことに成功した霧は、青空を見上げて考え込んだ。
「さて、ここからだ……。何とかして、『竜辞典』の中に入り込まないと」
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「うん……よし。きっとうまくいく。必ず見つけ出す」
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イサナは無数にある目のうち、前方にある二つだけを開け、パチパチと瞬きさせたのち、言った。
《いいよ。霧の魂を、一時的に『辞典』の中に入りこませたいんだね。任せといて。僕ね、『辞典』の中を探検したんだ。霧が僕の自我を取り戻してくれたおかげで、僕は言獣の性質も持ちながら、僕自らの意思で、自由に『竜辞典』の中を探検できた。『竜辞典』はまるで大きな宇宙のようだよ、霧。次元の糸で編まれた巨大な宇宙。ものすごく複雑なのに、同時にすっきりシンプルだ。終わりが無くて、果てしなく続くのに、同時に完結してる》
「何言ってんのか全然わかんない。日本語でおk」
霧の感想を聞いて、ずらりと並んだイサナの目のすべてがぎょろりと見開かれ、次の瞬間楽しそうに細められれた。
《つまり、今や僕はこの辞典のエキスパートだから、どこでも案内できると言ったんだ。そうそう、さっきまで、ソイとレイ、それから辞典妖精のミミと一緒にいたんだ。レイからはソイが見えてるのに、ソイからはレイが見えない。一方、僕も霧も、レイが見えるし意思疎通できる。この現象がなぜなのか、おぼろげながら分かり始めたところだよ》
「えっ、マジで?! 素晴らしい!! さすがイサナ、頼りになる!! 原因がわかれば、対処もできる! お願いイサナ、あたしを手伝って!」
イサナは体中を、輝かせた。黒いそのボディが、紫、赤、青、黄色、と色を変え、最後にダリアの金橙にそっくりな色で光り輝く。
「うおっ、まぶしっ!」
《ああ……、力が、漲る。辞典主の信頼が、僕に力を与える。何だろう……竜辞典に宿るたくさんの言獣たちが、僕を後押ししてるみたいだ》
イサナは気持ちよさそうに目をつむり、クルクル回る。そしてピタリと止まると、霧に向かって言った。
《いくらでも、手を貸すよ、霧。大事な友達だもの。さあ、おいで、一緒に辞典の中へ行こう!》
イサナの無数にあるひれのうちの一つが、するすると霧の元に伸びる。そのひれはイサナの人間だった頃の名残なのか、人の手の形をしていた。
霧がその手を取ると、不思議な浮遊感と共にどこかへ運ばれた。
《 霧?! 》
ソイとレイ、そしてミミの、驚く声が霧の耳に届く。
「あ、皆さん、お揃いで。お邪魔しております。ここが『竜辞典』の中かぁ~、ミラクルだなぁ……」
呑気な感想をこぼす霧に向かって、レイが呆れたようにこぼす。
《 霧……あなたはどこにでも、飛びこんでしまうのね……。肉体を具えている身で、『辞典』の中にまで来るなんて……。とても、危険なことなのよ。意識が捕らわれて、戻れなくなるかも。分かっているの……?》
「大丈夫、すぐお暇しますから。パパッと、用事を済ませに来ただけだから。レイ、あたしに言ってたでしょ、頼みたいことがあるって。今、やっちゃおう! 入学旅行が終わるまで、待たなくていいよ」
霧の明るい口調と対を成すように、レイの表情が暗く沈んだ。
一方、レイの姿が見えず、その声も聞こえないソイフラージュとミミは、戸惑っている。ソイフラージュは霧のそばまで来ると、思いつめたような表情で言った。
《霧、お願い、力を貸して。あなたは肉体を具えた辞典主。魂だけとなった私たちよりも、より強力に力を発揮できる。私はレイを取り戻したいの、力を貸して!》
その懇願に霧が答えるより先に、レイが悲しそうに首を振りながら口を挟む。
《霧、ソイに伝えて。もうわたしは、全部許してる。この1540年もの間、ずっとソイを見てた。わたしを失い、真実を知り、わたしを思って、苦しむ姿を。……わたしが、間違ってた。そう伝えて》
霧がそっくりそのまま伝えると、ソイは泣き叫んだ。
《間違ってない、レイは何も! 間違っていたのは私! 知ろうとしなかった私! 違和感に気付いていたのに、気付かないふりをしていた、ずるい私なの! ああ、レイ、レイ、レイ!! あなたに会いたい、会いたくて、たまらない! 声を聞きたい、抱きしめたい! もう一度、あの花畑を――》
双子の声が、重なった。
《 《 もう一度あの花畑を、一緒にどこまでも駆けて行きたい 》 》
レイは、ソイが自分を見つけることはできないと知っていながら、すぐ真正面まで行って、向かい合った。
《あの頃が、一番幸せだった。でも、もう、戻れない》
レイはソイに手を伸ばし、その頬を慈しむように撫でる仕草をした。
《1540年前。わたしは絶望した。何もかも許せなかった。憎かった。あらゆるものに、怒ってた》
レイの言葉を繋ぐように、ソイが口を開く。
《レイ、レイ、どうか許して。いいえ、許さなくていい。憎んでいい。あなたにはそうする権利がある。すべてを憎む権利が》
《そう、憎んでた。何もかも。だから、死ぬ前に世界を呪った。強力な、呪い。わたしの力の全てを、凝縮させた。わたしの死後も、僅かも色褪せず、効力を発揮するように》
レイの瞳から、涙がこぼれ落ちる。その姿はソイに見えず、言葉もソイに届かないと知りながら、レイは続けて言った。
《みんなを、道連れにしてやろうと思った。滅びてしまえと》
ハラハラと、溢れた涙が頬を伝う。
何かを感じ取ったのか、ソイの頬にも、双子の片割れと同じように、涙が伝う。ソイは宙を見つめながら、悲痛な声を上げた。
《許されることが無くても、私はずっと、あなたに謝罪し続ける、そして愛してると、言い続ける。ああ、レイ、あなたに会いたい。会いたくて、たまらない。なのに、どうして、会えないの?! これは、私への罰なの?!》
《違う。誰もソイを、罰したりしない。むしろ、罰を受けるのはわたし》
会話のように聞こえる二人の言葉を、霧はじっと聞いていた。レイはソイから目を離すと、霧に視線を移して言った。
《ソイはわたしの死後、わたしの放った呪いを解こうと何度も失敗し、何度も修正を施した。その結果、その性質を緩慢なものに変更し、発動時期を遅らせた。その呪いが――今、遂に、追いついた》
「うん……」
霧の目に理解が広がるのを見て、レイはハッとした。
《……そう、知ったのね、霧。そうよ。いよいよ、呪いの発動が始まった。でも、今わたしは、後悔してる。ソイがわたしを呼び、泣き叫ぶのを見ているうちに、怒りはほどけて、わたしはソイへの愛を思い出した。だから、何百年も経ったのち、呪いを解こうと思った》
レイの表情が歪み、ギュッと目が閉じられる。
《……でも、手遅れだった。ソイはわたしの放った呪いを解こうと、様々な試みを施した。その結果、呪いは絡まった糸のように複雑に交差し、固い結び瘤を作り、わたしの解呪を拒んだ》
レイは深い溜息をつくと、ソイフラージュから目を離し、霧のそばまで来て言った。
《……そこに、あなたが、現れた。1540年経って、希望が、現れた。霧、あなたに、頼みたいことが、あるの。肉体を具えた、辞典主のあなた。あなたになら、この呪いを、その原因ごと、排除することができる》
霧はレイの意図することに気付き、息を詰まらせた。
「…………っ!! まさか……」
レイは寂しそうに微笑み、答えた。
《そう。わたしを、殺してほしいの》
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