推しと行く魔法士学園入学旅行~日本で手に入れた辞典は、異世界の最強アイテムでした~

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六章 入学旅行六日目

6-03   リューエストの真実

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 クルカントゥスが、そのしなやかな体を舞うようにひるがえすと、霧の足元に、ある景色が映し出された。
 優しいパステルカラーの部屋の中、一つのベッドに、二人の赤子が寝かされている。
 一人はプラチナブロンドで青い瞳。目をぱっちり開け、もぞもぞと動いている。
 もう一人は黒い髪。瞳の色はわからない。目を閉じて、じっとしている。

「えっ、これ、もしかして……」

《『世界事典』におまえの存在が書き込まれたことにより、発生した記憶の一つを映し出した。どれ、早送りしてやろう》

 リューエストと思われる赤子はどんどん成長し、やがて歩き出した。一方、キリと思われる赤子は、目を閉じ眠ったまま。
 綺麗な青い目をぱっちり開けたリューエストは、その小さな手で、眠っているキリの頭をなでなでしている。

「うわっ……ちびリュー、激かわ……。可愛すぎて、目がつぶれそう!! 尊みが深すぎて辛い。もはや世界遺産レベル、永久保存決定!!」

 霧のオタク魂が騒ぎ出す。日本全国のリューエストファンがこのちびリューを見たら、きっと気絶するだろう。そう思いながら固唾をのんで見守るうち、竜の見せる過去の記憶は、みるみるうちに流れていった。

 可愛らしい小さなリューエストは、いつも眠っているキリの枕元に、色んなものを置いてゆく。言獣げんじゅうの形をしたオモチャ、瑞々しいフルーツ、表に咲いていた野花。自分のおやつと思われる甘いケーキを、眠っているキリの口元に持ってゆき、食べさせようとしている。その無邪気で優しい行動に、霧は微笑まずにいられなかった。
 小さなリューエストは、夜はいつもキリのそばで眠り、おやすみのキスをしてギュッと妹を抱擁する。双子の両親と思われる大人が、子供たちを優しく撫で、等しくおやすみのキスをすると、リューエストは天使のような笑顔を見せて眠りについた。

 ――そんなある日、変化が訪れた。

 リューエストの目に現れた、不思議な文様と輝き。それに気付いた両親の顔には、様々な感情が浮かんでいた。驚き、誇らしさ、戸惑い、不安――そしてリューエストに対する、深い愛情。

 過去のワンシーンを食い入るように見つめる霧に向かって、竜が話しかけてきた。

《リューエストは天眼・慧眼と契約したが、幼い彼は瞳に宿った天眼・慧眼を剥がすことができず、リューエストの目に映るすべては、真実の輝きで彼に晒された。それがどういう事態を引き起こすか――おまえはもう知っているな? チェカの書いた物語を通して》

「うん……うん。みんなが、リューエストを避ける。自分の罪や秘密が、暴かれることを恐れて。彼は、友達一人、作れなくなる」

 竜の見せてくれる過去の記憶は、次々と展開してゆく。
 数人の大人がリューエストに会いに来て、彼に質問をしていた。威厳に満ちた彼らは、どうやら辞典魔法士らしい。その中には、リール・ダリアリーデレもいる。

「あ、あれ、リール叔母さんだね? わあ……若い。凛々しい。今も昔も素敵!」

 やがてリューエストはリールに引き取られることになったが、リューエストは泣きながら、眠っているキリを抱きしめて離そうとしない。引き離そうとする両親を制し、リールは双子を両腕に抱き上げ、一緒に引き取っていった。涙でぐしゃぐしゃのリューエストの頬と、眠っているキリに愛情をこめてキスをするリールは、聖母さながらの尊さで光り輝いている。キリと離れなくてもいいのだと気付いたリューエストは、泣き笑いのような表情でリールの首に抱き着いた。
 その感動的なシーンを見て、霧の胸に疼くような熱い感情が渦巻き、思わず声が出る。

「ああ……リール叔母さん! ……大好き、大好き、大好き!」

 竜の見せてくるれる過去の記憶は、どんどん進んでいった。霧はかじりつくように、息を詰めてそれらを眺める。この世界の過去に、確かに存在する自分の軌跡を、不思議に思いながら。

 リューエストはリールの指導のもと、すくすくと育っていった。
 リューエストとリール、眠ったままのキリ、その三人だけの、小さな居心地の良い島での暮らし。
 日々は穏やかに過ぎてゆく。相変わらずベッドに横たわったままのキリに、リューエストは毎朝キスをし、ベッドサイドに良い香りのする花を添え、絵本を読み聞かせ、ギュッと抱擁し、話しかける。そして時折、泣きながら、眠っている妹を激しく揺り動かした。――起きて、と叫びながら。

《天眼・慧眼を宿したリューエストの目には、渡会わたらい霧の人生が、そのまま映し出されていた。それをリューエストは、キリがおかしな国で暮らす悪夢を見ている、という風に受け取ったのだ》

「あっ……! そういう、ことか……。ということはつまり、リューエストは、あたしの日本での子供時代を知ってる……ってこと?!」

《断片的にな。リューエストはやがて、妹が見ているのは悪夢ではなく、悪夢のような世界に実際にいるのだと、気付く。次に、彼はこう推測した。妹の魂は肉体から離れ、言語双生界げんごそうせいかいの日本に、さらわれてしまったのだろう、と。彼は妹を、その悪夢のような日々から解放したくて、竜を手に入れようと思うに至った。それが、あの場面だ》

 記憶の映像には、リールが泣き叫ぶリューエストをなだめ、何かを教え諭しているシーンが映し出されていた。

――竜を探して契約なさい、リューエスト。竜だけが、自在に界を超える力を持つ。キリを確実に取り戻すには、竜の力を借りるしかないわ。

 リールは真剣な表情でそう言って、リューエストに道を示した。小さな子供の戯言たわごとだなどと、茶化したりせずに。
 リールは他にも、様々なことをリューエストに伝授した。癒術もその一つだ。リューエストは彼の両親やリールと同じように、癒術を使い、眠っているキリの体を健やかに保てるように、辞典魔法の腕を磨いた。
 やがてリューエストは天眼・慧眼を完璧にコントロールするすべを身に着け、世界中を飛び回るようになる。時には何日も家を空け、戻ってこなかった。そして久しぶりに眠るキリのそばに帰ってくると、彼はキリの手を握って話しかけた。

――ただいま、僕の眠り姫。竜は見つからなかったけど、僕は諦めないよ。必ず君を取り戻す。目が覚めたら、色んな所に連れて行ってあげるからね。このククリコ・アーキペラゴには、美しい場所がたくさんあるんだ。

 その声は優しく、その瞳には、常に傍らにいた双子の妹への、変わらぬ愛情が輝いている。それを見た霧は目を潤ませ、震える声で呟いた。

「ああ……そう、そうなんだね……。リューエストはずっと、あたしが目覚める方法を探して、ずっと、ずっと……」

 やがて、竜の見せる映像が切り替わった。
 ベッドで眠っていたキリが突然目覚め、リューエストもリールも、驚き、喜び、キリに話しかけ、世話を焼いている。しかし目覚めたキリの反応は薄く、始終虚ろだった。

《半年ほど前のことだ。キリは突然目覚めたが、まるで抜け殻のような状態のため、リューエストはこの時もまだ、キリの魂は日本に囚われたままだと思い、憂いている》

 霧は複雑な思いで、竜の見せてくれた映像を見つめていた。
 生まれたときからそばにあった大切な存在として、妹を溺愛するリューエスト――その、「記憶」を。

「でも、クルカントゥス、これは作られた記憶……なんだよね? 彼の、リューエストの意思とは、関係なく……」

《そうではない。我は『世界事典』にキリ・ダリアリーデレという存在を書き加えたが、人々の記憶に直接関与してはいない。個人の記憶は、『世界事典』に連動して個別の特性により新たに生み出される。変更事項の対象にどんな感情を持ち、どのような行動に出るかは、個人によって決められるのだ。あれは紛れもなく、リューエストが選んだ感情、彼の選んだ人生だ。それは偽りではない》

「そう……なの?」

 チェカが日本で書いた物語、「ククリコ・アーキペラゴ~空飛ぶ古城学園と魔法士たち~」に登場するリューエストは、あまり感情の起伏を見せないクールな人だった。霧はそれを思い出し、考え込む。本来の彼はもしかしたら、愛情深い一面を秘めていたのかもしれない。天眼・慧眼がもたらした特殊な力が、人との交わりを疎遠にしたために、表に現れなかっただけで。それが「目覚めない可哀相な妹」の出現により、露わになったのかも、しれない。
 そんな風に霧が考え込んでいると、竜の見せる過去の風景が、一変した。

「あっ……!! 空飛ぶ、古城学園!! あ、あ、あ、これ、あたしが初めてここに来た日だ!」

 古城学園から旅立ち、草原に降り立った霧を、遠くから誰かが見ている。それは紛れもなく、六日前の景色だった。霧がこの世界にやってきて、古城学園から旅立った、あの日の風景だ。

《これはリューエストから見たあの日の光景だ。この時初めて、彼は気が付いた。世界の異変に勘付いた彼は、天眼・慧眼の力を借りて、すべてを知るに至った。竜の介入と、『世界事典』の上書きに、気付いたのだ》

「えっ……?! じゃあ、じゃあ……」

 霧は茫然とした。

「あたしが偽物の妹だと、彼は、あの日からずっと知ってて……」

 偽物。その事実に、霧は痛みを覚えた。

《そうではない。リューエストは一瞬で、答えを出した。そうなるだろうと、我は知っていた。あれは愛情深い子だ。もはや彼にとって、おまえが妹であろうとなかろうと、異世界人であろうとなかろうと、どうでも良いことだった。記憶の中の愛しい妹と、目の前の本物の渡会霧、どちらも等しく、ずっと彼の人生を占めてきた、かけがえのない、大切な存在なのだ》

 その証拠に、遠くから霧を見つめるリューエストの視界が、涙でかすんでいる。彼は遂に本物のキリ・ダリアリーデレ=渡会霧と出会い、たかぶる感情と溢れる涙を、抑えきれなかったのだ。涙に霞む視界、そこからこぼれ落ちてくるリューエストの感情を感じ取り、霧もまた、涙をこぼした。

「ああ……。ああ、そうなの、そうだったの、全部知って、知って……それでもなお、あたしを……迎え入れてくれたの、リューエスト……」

 感謝、感激、喜び。それらの感情と共に、過去の苦痛に満ちた暮らしを見られていたという恥ずかしさ、本物の血縁者ではない負い目、愛されるに値しない自分への引け目――それらがぐちゃぐちゃに混ざり合い、霧の心に吹き荒れる。
 その霧の心中を察した竜が、静かに言った。

《すべてを、ただ受け取ればよい。リューエストの愛は、永遠におまえから去ることは無い。思い悩む必要は無い。『世界事典』を上書きしたのは我だが、おまえを愛すると決めたのは、リューエストやリールを始め、キリ・ダリアリーデレと関わった、彼ら一人一人の選択だ。それは偽物ではなく、紛れもない本物》

 ハッとして、霧は涙に濡れる顔を上げ竜を見た。竜は不思議な、慈愛のこもった声で、言葉を続ける。

《素直な気持ちで、ただ、受け取ればよい。彼らの愛に見合う価値が、おまえにはある》

 竜の言葉は、かつてリリファンナス島で霧に向けられたリューエストの言葉を、彷彿ほうふつとさせた。

――いいんだよ、キリ。何も言わなくても、いい。君はただ、この世界を楽しめばいい。この世界の息吹に触れ、この世界の美しさを、ただ受け取ればいい。

「ああ……。リューエストは、全部、知ってて……だから……」

 だからあの時、あんなにも優しい言葉を、霧にかけてくれたのだ。

 霧は顔をゆがめ、泣きじゃくった。
 出生の呪いが大洪水の涙で洗い流され、すべてが竜の祝福の光で清められてゆくような、そんな心地がした。
 治ることを諦めた傷口が遂に癒され、ことあるごとに噴出していた血と膿が、取り除かれるのを感じた。
 尽きることなく溢れ出す涙と反比例するように、言葉は何一つ、出てこない。
 この感情に相応しい言葉は何百とある気がしたが、同時に一つも無いような気がした。
 ただ一つだけ、今、口に出せる言葉があった。

 ――ただ、一つだけ。

 霧は泣き叫び、むせながら、その言葉を舌にのせた。

「ありがとう……ありがとう……ありがとう……」

 何度も何度も、舌に乗せる。
 言葉にするたび、霧の苦しみの全てが浄化されてゆく。

 霧は初めて――その人生で初めて、思った。


 生まれてきて、良かったと。
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