160 / 175
六章 入学旅行六日目
6-02 煌竜クルカントゥス
しおりを挟む
「あ……あ……あ……」
涙に濡れた顔を上げ、霧は茫然と辺りを見回した。
光の降り注ぐ美しい空間に佇む霧の元に、白く光り輝く竜が現れる。
鮮やかな虹と共に優雅に飛び回る竜は、霧のそばに下りてくると話しかけてきた。
《渡会霧。教えてやろう。おまえはさっきまで、心の奥底に宿る不安と恐怖が見せる、悪夢の中にいた。絶望する必要は微塵もないと、教えてやろう》
その声は霧の頭の中に直接響き、キラキラと輝く竜の瞳は、慈愛と共に霧に注がれていた。
「あ……ああ……」
霧はへなへなと、崩れ落ちる。
絶望の涙は、歓喜の涙へと様変わりしていった。
「悪夢……あれは、夢、だったの。じゃあ、あたし、日本に戻されたわけじゃ、ないんだね?」
《そうだ。おまえはあの『可愛い』ホテルで眠っている。肉体の疲労が強すぎて、目覚めることもできず悪夢にうなされておったが、我の介入でこの通り、悪夢は絶たれた。安心するといいい》
「ああ、良かった、良かった、良かったぁ……。ありがとう、ありがとう」
霧はしばらく呆けていたが、ハッとして竜を見上げた。
「あの、竜さん……ええと、名前、何だっけ?」
《我は煌竜、クルカントゥス。遠い昔、最初の主が付けた名だ》
「あの、クルカントゥスさん、訊いても、いい?」
「さんは要らぬ。おまえは辞典主。我のことはクルカントゥスと呼ぶがいい。それで、何を訊きたいというのだ?」
「あの……あの、どうやってあたしを『キリ・ダリアリーデレ』にしたの? いったい、何がどうなってるの?」
《世界の根源、人には決して辿り着けない場所に、『世界事典』というものがある。世界の全てを記憶してゆく、唯一無二の記録だ。我は『竜辞典』の新たな主となったおまえを迎え入れるため、キリ・ダリアリーデレという存在を『世界事典』に書き加えた。『世界事典』への干渉は、竜の我をもってしても大仕事だ。滅多なことでは実行しない。竜の品格を落とすのを回避するため、我はこの先200世紀は、『世界事典』にアクセスできないだろう》
「え……え……よくわかんないけど、この状態って、一時的なものじゃなくて、ずっと続くの? あたしは、もう……日本に、帰らなくても、大丈夫、なの? ずっと、ここにいていいの?」
それこそが、霧の一番訊きたかった質問だった。
竜は穏やかな瞳で霧を見つめ、答える。
《いてもらわねば、困る。今の『竜辞典』の主は、おまえだ》
「あ……ああ……良かった、良かったぁ……ありがとう、ありがとう、ありがとう、クルカントゥス」
《礼には及ばぬ。この先、一働き、二働き、千働きしてもらわねばならんゆえ》
「いいよ、いいよ、何だってするよ。この世界にあたしの居場所を作ってくれたんだもん。でも、あたしにできることなんて、あるかなぁ……。クルカントゥスがいれば、あたしは用無しじゃない?」
霧がそう言った途端、竜は大笑いした。それは今まで聴いたことも無い不思議な音色と振動で、霧の心を気持ちよく揺さぶる。
「え、え、なななな、何っ?! あたし、何か変なこと言った?!」
《おまえは自分の価値に気付いていない。その無自覚なところが、我にはひどく愉快に思えるのだ。人間とは滑稽なものよ。卑劣極まりないあの男が自分を偉大な存在だと勘違いをする一方で、おまえのように自らを卑屈なまでに過小評価する者もいる》
霧はハッとして、うつむいた。
取るに足らない、不必要な存在という、自分への低評価。
それは両親が植え付け、社会が大きく育てた、霧への呪いの一つだ。呪いは霧の心の奥に巣食い、どんなに煩わしくても、今もなお消えてくれない。霧には、どうしようもなかった。
竜は美しい光を霧に注ぎながら、優しく言った。
《本来、我は人間の世に干渉しない。自ら何かを正したりしない。だが、もちろん例外もある。此度のように、我が住処である『竜辞典』が脅かされるようなときだ。ソイフラージュとレイフラージュによってもたらされたこの居場所が、我にはとても心地よい。よって面倒ではあるが、重い腰をあげたのだ。変革は感情を交えず淡々と、慎重に行うつもりであった。――だが、気が変わった》
竜の笑う気配が言葉と共に届き、霧はそのくすぐったさに身をよじった。
《時々無性に、介入したくなるのだ。気まぐれだ。滅多にないが、気まぐれを起こす。渡会霧、我は『世界事典』に干渉したとき、おまえに贈り物をしたくなった。だからこそ、滅多に振るわない力を大盤振る舞いし、最高の席を用意した。『キリ・ダリアリーデレ』という特等席を》
クルカントゥスが、そのしなやかな体を舞うようにひるがえすと、霧の足元に、ある景色が映し出された。
優しいパステルカラーの部屋の中、一つのベッドに、二人の赤子が寝かされている景色が。
涙に濡れた顔を上げ、霧は茫然と辺りを見回した。
光の降り注ぐ美しい空間に佇む霧の元に、白く光り輝く竜が現れる。
鮮やかな虹と共に優雅に飛び回る竜は、霧のそばに下りてくると話しかけてきた。
《渡会霧。教えてやろう。おまえはさっきまで、心の奥底に宿る不安と恐怖が見せる、悪夢の中にいた。絶望する必要は微塵もないと、教えてやろう》
その声は霧の頭の中に直接響き、キラキラと輝く竜の瞳は、慈愛と共に霧に注がれていた。
「あ……ああ……」
霧はへなへなと、崩れ落ちる。
絶望の涙は、歓喜の涙へと様変わりしていった。
「悪夢……あれは、夢、だったの。じゃあ、あたし、日本に戻されたわけじゃ、ないんだね?」
《そうだ。おまえはあの『可愛い』ホテルで眠っている。肉体の疲労が強すぎて、目覚めることもできず悪夢にうなされておったが、我の介入でこの通り、悪夢は絶たれた。安心するといいい》
「ああ、良かった、良かった、良かったぁ……。ありがとう、ありがとう」
霧はしばらく呆けていたが、ハッとして竜を見上げた。
「あの、竜さん……ええと、名前、何だっけ?」
《我は煌竜、クルカントゥス。遠い昔、最初の主が付けた名だ》
「あの、クルカントゥスさん、訊いても、いい?」
「さんは要らぬ。おまえは辞典主。我のことはクルカントゥスと呼ぶがいい。それで、何を訊きたいというのだ?」
「あの……あの、どうやってあたしを『キリ・ダリアリーデレ』にしたの? いったい、何がどうなってるの?」
《世界の根源、人には決して辿り着けない場所に、『世界事典』というものがある。世界の全てを記憶してゆく、唯一無二の記録だ。我は『竜辞典』の新たな主となったおまえを迎え入れるため、キリ・ダリアリーデレという存在を『世界事典』に書き加えた。『世界事典』への干渉は、竜の我をもってしても大仕事だ。滅多なことでは実行しない。竜の品格を落とすのを回避するため、我はこの先200世紀は、『世界事典』にアクセスできないだろう》
「え……え……よくわかんないけど、この状態って、一時的なものじゃなくて、ずっと続くの? あたしは、もう……日本に、帰らなくても、大丈夫、なの? ずっと、ここにいていいの?」
それこそが、霧の一番訊きたかった質問だった。
竜は穏やかな瞳で霧を見つめ、答える。
《いてもらわねば、困る。今の『竜辞典』の主は、おまえだ》
「あ……ああ……良かった、良かったぁ……ありがとう、ありがとう、ありがとう、クルカントゥス」
《礼には及ばぬ。この先、一働き、二働き、千働きしてもらわねばならんゆえ》
「いいよ、いいよ、何だってするよ。この世界にあたしの居場所を作ってくれたんだもん。でも、あたしにできることなんて、あるかなぁ……。クルカントゥスがいれば、あたしは用無しじゃない?」
霧がそう言った途端、竜は大笑いした。それは今まで聴いたことも無い不思議な音色と振動で、霧の心を気持ちよく揺さぶる。
「え、え、なななな、何っ?! あたし、何か変なこと言った?!」
《おまえは自分の価値に気付いていない。その無自覚なところが、我にはひどく愉快に思えるのだ。人間とは滑稽なものよ。卑劣極まりないあの男が自分を偉大な存在だと勘違いをする一方で、おまえのように自らを卑屈なまでに過小評価する者もいる》
霧はハッとして、うつむいた。
取るに足らない、不必要な存在という、自分への低評価。
それは両親が植え付け、社会が大きく育てた、霧への呪いの一つだ。呪いは霧の心の奥に巣食い、どんなに煩わしくても、今もなお消えてくれない。霧には、どうしようもなかった。
竜は美しい光を霧に注ぎながら、優しく言った。
《本来、我は人間の世に干渉しない。自ら何かを正したりしない。だが、もちろん例外もある。此度のように、我が住処である『竜辞典』が脅かされるようなときだ。ソイフラージュとレイフラージュによってもたらされたこの居場所が、我にはとても心地よい。よって面倒ではあるが、重い腰をあげたのだ。変革は感情を交えず淡々と、慎重に行うつもりであった。――だが、気が変わった》
竜の笑う気配が言葉と共に届き、霧はそのくすぐったさに身をよじった。
《時々無性に、介入したくなるのだ。気まぐれだ。滅多にないが、気まぐれを起こす。渡会霧、我は『世界事典』に干渉したとき、おまえに贈り物をしたくなった。だからこそ、滅多に振るわない力を大盤振る舞いし、最高の席を用意した。『キリ・ダリアリーデレ』という特等席を》
クルカントゥスが、そのしなやかな体を舞うようにひるがえすと、霧の足元に、ある景色が映し出された。
優しいパステルカラーの部屋の中、一つのベッドに、二人の赤子が寝かされている景色が。
0
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説

異世界で泣いていた僕は、戻って来てヒーロー活動始めます。
まったりー
ファンタジー
8歳の頃、勇者召喚で異世界に飛んだ主人公、神楽啓斗(かぐらけいと)は、1年間を毎日泣いて過ごしていました。
そんな彼を可哀そうと思ったのは、その世界で女神と呼ばれている女性で、使い魔を通して色々力添えをして行き、段々と元気になった神楽啓斗(かぐらけいと)は、異世界で生きる訓練を始めます。
ですが、子供は親元に戻るべきと女神様は力を使い、現代に戻してくれたのです。
戻って来た現代では、女神様の使い魔も助けも行われ続け、神楽啓斗(かぐらけいと)は異世界の力を使い、困ってる人を助けるヒーロー活動を始めます。
普通の平和な世界だと思っていた神楽啓斗(かぐらけいと)でしたが、世界には裏の顔が存在し、戦いの中に身を置く事になって行く、そんなお話です。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。
もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394


ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる