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五章 入学旅行五日目
5-09a 癒しと拒絶 1
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「どうしてそんなに泣いてるの? 何が悲しいの?」
「……え?」
思ってもみないことを訊かれたシルヴィアは、僅かに動揺を見せた。笑顔のまま、怪訝そうに眉根を寄せる。
霧は掠れた声で、もう一度、尋ねた。
「何がそんなに悲しいの? いつからそうなの? 10年……いや、20年? それ以上? 古くて、長い間……ずっと昔からあなたの心を蝕んでる、しつこい嘆きだ。じめじめした、かび臭い、どんよりした匂いがする」
霧は直感で思ったことを、そのまま口にした。そこには何の策略も無い。嘆きの言獣の見せる映像があまりにも痛々しくて、言わずにいられなかったのだ。
「ねえシルヴィア先生、何が悲しいの? それに、すごく怒ってる感じ。雷がすごいのよ。もうね、ガラガラビシビシッ、ドカドカドカドシャーン!! って勢いだよ。怒ってるし悲しいし苦しいし、見ているだけで胸が張り裂けそう。そんな酷いの初めて見た。他人事だけど、あたしはその豪雨を、止めたい」
シルヴィアの表情から、微笑みが消える。彼女の顔から血の気が引き、その形の良い唇から漏れ出る声は、震えていた。
「……は? 何を、言ってるの……? 雷? 豪雨? キリ……あなたは、いったい何を……」
「ねえ、シルヴィア先生。世界はひどく、残酷だよね。あたしも時々、全部壊したくなる。自分を含めて、全部」
突拍子もない話を始めた霧をいぶかし気に見ながらも、シルヴィアはその美しい顔に謎めいた微笑みを復活させ、頷いた。
「ふふ……そうね、わかるわ。よく……わかる……」
霧は暗い表情で頷き返すと、話を続けた。
「あたしを取り巻く世界は……あたしに、優しくなかった。命はまるで、肉体という名前の牢獄だった」
「あなたもなの? ……わたくしも、同じ。その気持ち、よくわかってよ、キリ」
「じゃあ、これも知ってるよね、シルヴィア先生。そのうち苦痛は、まるで友人みたいな顔をして、命を放棄することを勧めてくる。楽になれるよ、って囁いてくる」
「ええ……そうね……。よく、わかってよ」
「だけどそれはできない。そうだよね? だってあたしたちは待ってる。待ってるんだ、ずっと待ってる。こんなの全部嘘で、あたしたちを見捨てた幸福が、いつか迎えにきてくれるのを待ってる。真実が降りてくるのを待ってる」
シルヴィアはハッとして、落ち着かなく身じろぎした。
「真実が……降りてくるのを……。ええ……そうよ……。甘やかな終焉の誘惑を振り払って、苦痛に満ちた生を選び取っているのは、求めてやまない真実を、まだ手にしていないから。その通りよ」
泣き笑いのような、自虐に満ちた微笑みで、シルヴィアの顔が歪む。
霧は小さな声で光の自然現象系言獣を呼び出した。
「光よ……その清浄な輝きで、シルヴィア・レーブを静かに照らして」
それは辺りに美しい光を投げかけ、シルヴィアを包む。シルヴィアは身構えたが、僅かに戸惑いの表情を見せるにとどめた――その光には、攻撃の気配が一切含まれていなかったために。
シルヴィアは霧のすることを阻みもせず、好きにさせていた。今、主導権は自分にあるという思いが、彼女を不敵な気持ちにさせる。手の中の赤い球は、いつでも作動させることができるのだから。
シルヴィアは余裕の笑みを浮かべると、霧との会話を続けた。
「そうよ、わたくしは探しているの。遠い日の真実を。苦労して、やっと手が届きそうなの。手段は選ばなかったわ。だから、今、ここにいる。キリ、あなたはなぜそれを知っているの?」
「知らないよ。何にも知らない。嫌になるほどアホなんだ、あたし。でもシルヴィア先生、こんなあたしにもわかる。あなたの悲しみを癒すために必要なのは、賢さじゃないってことは。そう、賢さは必要ない。だからあたしにも可能性はある」
「まあ……優しいのね、キリ。わたくしを、癒そうとしているの? この光は、そのため? 光の自然現象系言獣ね? 綺麗だわ」
シルヴィアは光を仰ぎ見て、美しい笑い声を響かせた。嘲りと戸惑いと諦めと――微かな期待の混じった、笑い声を。
「慈悲深いこと。さすがは竜に選ばれた者。本物の優しさと嘆きを知る者だけが、竜を従えるというわ。その通りなのね。素晴らしいわ、キリ! ねえ、わたくしと手を組まない? 一緒に世界の果てを見に行きましょう? あなたが望むなら、わたくしは組織を裏切って、あなた一人を選んであげてよ? だからキリ、わたくしに手を貸してちょうだい」
それには答えず、霧は歌うように、言葉を繰り出した。
祈りのような、詩のような、痛みを内包した魂の慟哭を、言葉に込めながら。
「光よ。彼女の嘆きを照らせ。
どこからか聴こえてくる、かすかな音楽のように。
ひっそりと灯る、希望のかそけき残滓のように」
『竜辞典』が霧に力を注ぎ込み、霧の言葉に強い力が宿る。光が舞い踊り、厳かな輝きで部屋中を照らした。
「……え?」
思ってもみないことを訊かれたシルヴィアは、僅かに動揺を見せた。笑顔のまま、怪訝そうに眉根を寄せる。
霧は掠れた声で、もう一度、尋ねた。
「何がそんなに悲しいの? いつからそうなの? 10年……いや、20年? それ以上? 古くて、長い間……ずっと昔からあなたの心を蝕んでる、しつこい嘆きだ。じめじめした、かび臭い、どんよりした匂いがする」
霧は直感で思ったことを、そのまま口にした。そこには何の策略も無い。嘆きの言獣の見せる映像があまりにも痛々しくて、言わずにいられなかったのだ。
「ねえシルヴィア先生、何が悲しいの? それに、すごく怒ってる感じ。雷がすごいのよ。もうね、ガラガラビシビシッ、ドカドカドカドシャーン!! って勢いだよ。怒ってるし悲しいし苦しいし、見ているだけで胸が張り裂けそう。そんな酷いの初めて見た。他人事だけど、あたしはその豪雨を、止めたい」
シルヴィアの表情から、微笑みが消える。彼女の顔から血の気が引き、その形の良い唇から漏れ出る声は、震えていた。
「……は? 何を、言ってるの……? 雷? 豪雨? キリ……あなたは、いったい何を……」
「ねえ、シルヴィア先生。世界はひどく、残酷だよね。あたしも時々、全部壊したくなる。自分を含めて、全部」
突拍子もない話を始めた霧をいぶかし気に見ながらも、シルヴィアはその美しい顔に謎めいた微笑みを復活させ、頷いた。
「ふふ……そうね、わかるわ。よく……わかる……」
霧は暗い表情で頷き返すと、話を続けた。
「あたしを取り巻く世界は……あたしに、優しくなかった。命はまるで、肉体という名前の牢獄だった」
「あなたもなの? ……わたくしも、同じ。その気持ち、よくわかってよ、キリ」
「じゃあ、これも知ってるよね、シルヴィア先生。そのうち苦痛は、まるで友人みたいな顔をして、命を放棄することを勧めてくる。楽になれるよ、って囁いてくる」
「ええ……そうね……。よく、わかってよ」
「だけどそれはできない。そうだよね? だってあたしたちは待ってる。待ってるんだ、ずっと待ってる。こんなの全部嘘で、あたしたちを見捨てた幸福が、いつか迎えにきてくれるのを待ってる。真実が降りてくるのを待ってる」
シルヴィアはハッとして、落ち着かなく身じろぎした。
「真実が……降りてくるのを……。ええ……そうよ……。甘やかな終焉の誘惑を振り払って、苦痛に満ちた生を選び取っているのは、求めてやまない真実を、まだ手にしていないから。その通りよ」
泣き笑いのような、自虐に満ちた微笑みで、シルヴィアの顔が歪む。
霧は小さな声で光の自然現象系言獣を呼び出した。
「光よ……その清浄な輝きで、シルヴィア・レーブを静かに照らして」
それは辺りに美しい光を投げかけ、シルヴィアを包む。シルヴィアは身構えたが、僅かに戸惑いの表情を見せるにとどめた――その光には、攻撃の気配が一切含まれていなかったために。
シルヴィアは霧のすることを阻みもせず、好きにさせていた。今、主導権は自分にあるという思いが、彼女を不敵な気持ちにさせる。手の中の赤い球は、いつでも作動させることができるのだから。
シルヴィアは余裕の笑みを浮かべると、霧との会話を続けた。
「そうよ、わたくしは探しているの。遠い日の真実を。苦労して、やっと手が届きそうなの。手段は選ばなかったわ。だから、今、ここにいる。キリ、あなたはなぜそれを知っているの?」
「知らないよ。何にも知らない。嫌になるほどアホなんだ、あたし。でもシルヴィア先生、こんなあたしにもわかる。あなたの悲しみを癒すために必要なのは、賢さじゃないってことは。そう、賢さは必要ない。だからあたしにも可能性はある」
「まあ……優しいのね、キリ。わたくしを、癒そうとしているの? この光は、そのため? 光の自然現象系言獣ね? 綺麗だわ」
シルヴィアは光を仰ぎ見て、美しい笑い声を響かせた。嘲りと戸惑いと諦めと――微かな期待の混じった、笑い声を。
「慈悲深いこと。さすがは竜に選ばれた者。本物の優しさと嘆きを知る者だけが、竜を従えるというわ。その通りなのね。素晴らしいわ、キリ! ねえ、わたくしと手を組まない? 一緒に世界の果てを見に行きましょう? あなたが望むなら、わたくしは組織を裏切って、あなた一人を選んであげてよ? だからキリ、わたくしに手を貸してちょうだい」
それには答えず、霧は歌うように、言葉を繰り出した。
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「光よ。彼女の嘆きを照らせ。
どこからか聴こえてくる、かすかな音楽のように。
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