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五章 入学旅行五日目
5-07a シルヴィアの企み 1
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《だめ、キリ!》
レイの静止は遅かった。扉を開いた霧の目に、部屋の様子が映し出される。
そこは、まるで森の中のようだった。
部屋中に木々が生い茂り、一際大きな一本の木の前に、いくつもの光球が浮かんでいる。目を凝らしてよく見ると、その光球の中には、数字や記号が詰まっていた。それらはまるで、木の形をした巨大な電算機のように見える。
そして、その不思議な木の前に、一人の人物が佇んでいた。
「あっ……!」
霧が息を呑んで固まっていると、こちらに背中を向けて木に向かっていた人物が、ゆっくりと振り向く。
「……あら……」
束の間、驚いたような表情で目を見開いた彼女は、すぐに嫣然と微笑んだ。
「ふふっ……。まあ、本当に、規格外ね……。キリ・ダリアリーデレ。遂に会えたというわけね、わたくしとても嬉しくてよ、うふふ……」
「シルヴィア、先生……」
「あら、わたくしを知っているのね? キリ・ダリアリーデレ……いえ、本当の名前は、別にあるのよね?」
サッと霧のそばに移動したレイが、緊張した様子で霧に告げる。
《答えないで、キリ。シルヴィアは、危険。彼女の手札を増やしてはいけない。シルヴィアは霧の『辞典』が『竜辞典』だと勘付いている。わたしの声も姿も彼女には認識できないけれど、『竜辞典』のかつての主が霧のそばにいるだろうことは、容易く想像できること。油断しないで》
レイの声を聞きながらも、霧の意識はシルヴィアに釘付けになっていた。
なぜなら、シルヴィアの頭上には大きな黒い雨雲があったからだ。その雨雲から降り注ぐ激しい雨に、シルヴィアは打たれていた。
(嘆きの、雨雲……!!)
――そう、『嘆きの雨雲』。その特殊な言獣が、霧に対して視覚化している、内的嵐。
つまりシルヴィアは、何らかの深い嘆きを抱え、今なお、精神的な打撃を受けているということだ。
最初の衝撃が去ると、霧の胸の内には静かな理解が広がった。
(そう……。やっぱり、そうだったんだね、シルヴィア先生。オタクの勘が、ざわざわすると、ずっと思ってたんだ。そのきれいな微笑みはカモフラージュで、何かとてつもない苦悩を、隠しているって……)
『クク・アキ』8巻を読んだ時から、感じていた。彼女には、その類稀な美貌からは想像できないほどの、人生の悲劇が隠されていることを。
学園に帰って彼女に会えば、真実の片鱗を知ることもできるだろうと思っていたが、まさか図書塔で彼女に会うことになろうとは――霧はそう思い、数奇な巡りあわせに思いを馳せる。そして同時に、この不思議な空間でシルヴィアに会うのは必然だとも思え、この時を待っていたかのような気すら、していた。
霧は心配そうな視線を送ってくるレイに向かって、小さな声で「大丈夫、心配しないで」と呟き、シルヴィアに向かって言った。
「初めまして、シルヴィア先生。ここで、何をしているの?」
「うふふ、それはわたくしの質問ね、キリ。どうやって、ここに来たの? 正規の辞典魔法士でも、ここに来るのは命がけなのよ?」
「簡単だったよ。だってイサナが運んでくれたからね」
霧がそう言うと、部屋の外にいたイサナが、動いた。扉付近に立っていた霧を押しのけて、ぬっとシルヴィアの目の前に姿を現す。
シルヴィアは息を呑み、手に持っていた複数の『辞典』のうち一冊を開けた。その動作を見て霧もまた、自身の『辞典』を開けて臨戦態勢をとる。同時に霧は、視線をシルヴィアに定めたままイサナに言った。
「イサナ、何もしなくて大丈夫。そばにいてくれるだけでいい。攻撃しないで」
キリのその言葉に、自身を守る魔法を作動していたシルヴィアが、複雑な表情を浮かべた。いぶかし気でいながら、良い意味で裏切られたというような、驚きと信頼、不安と安堵の混じった表情を。シルヴィアは不思議そうに首を傾げながら言った。
「まあ……もしかしてあなた、『白痴』と意思疎通できるの? まさか、それを手なずけてしまうなんて……驚きだわ。誰もなしえなかったことよ。いったい、どうやったの?」
「この子のお腹の中に飛び込んだだけだよ。腹を割って話すって、大事だね。まあ、割ったというより入ったんだけどさ。あれだ、虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつかな。おかげで友達になれた」
「素晴らしいわ、キリ。あなたは次々と偉業を成してゆくのね。さすがは、選ばれた者」
「別にあたしは凄い者でも何でもない。ただのアホだよ」
二人が表面上は和やかに見える会話を交わす一方、イサナは目をすべて全開にして、霧を守るように前に出た。
「イサナ……」
霧が心配げに声をかけると、イサナはギョロリとシルヴィアを睨みながらも、霧に従う姿勢を見せた。
《大丈夫、キリ、何もしない。でもこの人が、さっきキリの言っていた人だと、今、分かった。この人は封印の間から僕を解き放ち、あの地下階へと誘導した。僕には判断材料が欠けているため断言はできないけれど、キリとレイの様子から、彼女は僕たちの敵……そうなんだね?》
イサナの声は霧にしか聞こえていないらしく、シルヴィアはイサナの言葉に一切の反応を見せなかった。霧はシルヴィアの動きを注視しながら、イサナに返答する。
「……いや、イサナ。世の中には、敵と味方と、あと何種類かいるんだよ。中立とか、味方のように見えて実は敵、そして、敵のように見えて実は味方、とかね。だからあたしにも、まだ分からない」
霧のその言葉に、シルヴィアがわずかに身じろぎする。彼女は意外そうに、目を見開いた。
「キリ、わたくしの話を、聞きたい? よくてよ、でも、先に教えて。あなたは、だあれ? あなたの存在は、規格外すぎる。まるで竜が、降臨したかのようよ」
「言ったでしょ、ただのアホだって。ついでにカミングアウトすると、オタクです。時々興奮して奇声を上げるけど、気にしないでください」
おどけた調子でそう言った霧に、シルヴィアはその美しい微笑みを崩さず話を続けた。
「竜に選ばれた者。あなたの手にあるのは、『竜辞典』の一つね?」
レイの静止は遅かった。扉を開いた霧の目に、部屋の様子が映し出される。
そこは、まるで森の中のようだった。
部屋中に木々が生い茂り、一際大きな一本の木の前に、いくつもの光球が浮かんでいる。目を凝らしてよく見ると、その光球の中には、数字や記号が詰まっていた。それらはまるで、木の形をした巨大な電算機のように見える。
そして、その不思議な木の前に、一人の人物が佇んでいた。
「あっ……!」
霧が息を呑んで固まっていると、こちらに背中を向けて木に向かっていた人物が、ゆっくりと振り向く。
「……あら……」
束の間、驚いたような表情で目を見開いた彼女は、すぐに嫣然と微笑んだ。
「ふふっ……。まあ、本当に、規格外ね……。キリ・ダリアリーデレ。遂に会えたというわけね、わたくしとても嬉しくてよ、うふふ……」
「シルヴィア、先生……」
「あら、わたくしを知っているのね? キリ・ダリアリーデレ……いえ、本当の名前は、別にあるのよね?」
サッと霧のそばに移動したレイが、緊張した様子で霧に告げる。
《答えないで、キリ。シルヴィアは、危険。彼女の手札を増やしてはいけない。シルヴィアは霧の『辞典』が『竜辞典』だと勘付いている。わたしの声も姿も彼女には認識できないけれど、『竜辞典』のかつての主が霧のそばにいるだろうことは、容易く想像できること。油断しないで》
レイの声を聞きながらも、霧の意識はシルヴィアに釘付けになっていた。
なぜなら、シルヴィアの頭上には大きな黒い雨雲があったからだ。その雨雲から降り注ぐ激しい雨に、シルヴィアは打たれていた。
(嘆きの、雨雲……!!)
――そう、『嘆きの雨雲』。その特殊な言獣が、霧に対して視覚化している、内的嵐。
つまりシルヴィアは、何らかの深い嘆きを抱え、今なお、精神的な打撃を受けているということだ。
最初の衝撃が去ると、霧の胸の内には静かな理解が広がった。
(そう……。やっぱり、そうだったんだね、シルヴィア先生。オタクの勘が、ざわざわすると、ずっと思ってたんだ。そのきれいな微笑みはカモフラージュで、何かとてつもない苦悩を、隠しているって……)
『クク・アキ』8巻を読んだ時から、感じていた。彼女には、その類稀な美貌からは想像できないほどの、人生の悲劇が隠されていることを。
学園に帰って彼女に会えば、真実の片鱗を知ることもできるだろうと思っていたが、まさか図書塔で彼女に会うことになろうとは――霧はそう思い、数奇な巡りあわせに思いを馳せる。そして同時に、この不思議な空間でシルヴィアに会うのは必然だとも思え、この時を待っていたかのような気すら、していた。
霧は心配そうな視線を送ってくるレイに向かって、小さな声で「大丈夫、心配しないで」と呟き、シルヴィアに向かって言った。
「初めまして、シルヴィア先生。ここで、何をしているの?」
「うふふ、それはわたくしの質問ね、キリ。どうやって、ここに来たの? 正規の辞典魔法士でも、ここに来るのは命がけなのよ?」
「簡単だったよ。だってイサナが運んでくれたからね」
霧がそう言うと、部屋の外にいたイサナが、動いた。扉付近に立っていた霧を押しのけて、ぬっとシルヴィアの目の前に姿を現す。
シルヴィアは息を呑み、手に持っていた複数の『辞典』のうち一冊を開けた。その動作を見て霧もまた、自身の『辞典』を開けて臨戦態勢をとる。同時に霧は、視線をシルヴィアに定めたままイサナに言った。
「イサナ、何もしなくて大丈夫。そばにいてくれるだけでいい。攻撃しないで」
キリのその言葉に、自身を守る魔法を作動していたシルヴィアが、複雑な表情を浮かべた。いぶかし気でいながら、良い意味で裏切られたというような、驚きと信頼、不安と安堵の混じった表情を。シルヴィアは不思議そうに首を傾げながら言った。
「まあ……もしかしてあなた、『白痴』と意思疎通できるの? まさか、それを手なずけてしまうなんて……驚きだわ。誰もなしえなかったことよ。いったい、どうやったの?」
「この子のお腹の中に飛び込んだだけだよ。腹を割って話すって、大事だね。まあ、割ったというより入ったんだけどさ。あれだ、虎穴に入らずんば虎子を得ずってやつかな。おかげで友達になれた」
「素晴らしいわ、キリ。あなたは次々と偉業を成してゆくのね。さすがは、選ばれた者」
「別にあたしは凄い者でも何でもない。ただのアホだよ」
二人が表面上は和やかに見える会話を交わす一方、イサナは目をすべて全開にして、霧を守るように前に出た。
「イサナ……」
霧が心配げに声をかけると、イサナはギョロリとシルヴィアを睨みながらも、霧に従う姿勢を見せた。
《大丈夫、キリ、何もしない。でもこの人が、さっきキリの言っていた人だと、今、分かった。この人は封印の間から僕を解き放ち、あの地下階へと誘導した。僕には判断材料が欠けているため断言はできないけれど、キリとレイの様子から、彼女は僕たちの敵……そうなんだね?》
イサナの声は霧にしか聞こえていないらしく、シルヴィアはイサナの言葉に一切の反応を見せなかった。霧はシルヴィアの動きを注視しながら、イサナに返答する。
「……いや、イサナ。世の中には、敵と味方と、あと何種類かいるんだよ。中立とか、味方のように見えて実は敵、そして、敵のように見えて実は味方、とかね。だからあたしにも、まだ分からない」
霧のその言葉に、シルヴィアがわずかに身じろぎする。彼女は意外そうに、目を見開いた。
「キリ、わたくしの話を、聞きたい? よくてよ、でも、先に教えて。あなたは、だあれ? あなたの存在は、規格外すぎる。まるで竜が、降臨したかのようよ」
「言ったでしょ、ただのアホだって。ついでにカミングアウトすると、オタクです。時々興奮して奇声を上げるけど、気にしないでください」
おどけた調子でそう言った霧に、シルヴィアはその美しい微笑みを崩さず話を続けた。
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