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五章 入学旅行五日目

5-06b 白痴と賢者 2

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 どこからか、シクシクと泣く声が聞こえてくる。

《れいをたべちゃった。れいをたべちゃった。ちがうこをたべたはずなのに、れいだった。おこってるよね、ごめんなさい、ごめんなさい》

《怒っていないよ。わたしは怒ってない。君と会えて、とても嬉しい。話をしよう》

 目の前にぼんやりと、人のような輪郭を持った何かが、現れる。霧はそれに向かって話しかけた。

「初めまして、あたしは霧。レイのお友達だよ」

《おとも……だち……?》

 戸惑う『白痴はくち』に、レイが簡単に説明を始める。

《色々あってね、彼女が今の、『光と虹の辞典』のあるじなの。……本当に、色々あってね……》

 そこまで言って言葉を詰まらせたレイの代わりに、霧が会話を繋ぐ。

「ねえ、君はレイの昔からのお友達でしょ、それならあたしも君のお友達にしてほしいな、お願い」

 『白痴』は答えず、ぼんやりと明滅した。どんな表情をしているかは、まったく分からない。かすかに光っているその姿は輪郭だけで、目鼻立ちなどはまったく見えないから。
 霧は彼の返事を待たずに、続けた。

「お友達には、呼ぶための名前が必要だね。うん、新しい名前をつけてあげよう! 『白痴』なんていうひどい名前とは、今日限りおさらばだ!」

《な……なま……え……ぼ、ぼく、は、は、は、はくち……》

 戸惑いながらたどたどしくそう告げる、その声の主に、霧は首を振りながら言った。

「違う。それはもう、君の名前じゃない。新しい名前をつけてあげる。名前つけるの、得意なんだ、任せてよ! うん、よし、その個性的な見た目から素直に命名してみよう、『羽クジラン』で、どうだ!」

《は……はねくじらん?》

 ポカンとした雰囲気が醸し出される中、傍らのレイが吹き出す。

「あれ……だめ? よしじゃあ、極めてキモイところがまた可愛いと言えなくもないズラリと並んだお目目から発想を得て、『おめめズラリン』!!」

 またもやレイが吹き出す。『白痴』のぼんやりした光が、チカチカと揺れた。彼は戸惑っているようだ。

「う~む、これもだめか? 幼稚すぎるか? 可愛い名前にしたら、親しみ無限大だと思ったんだけど……そうだよね、なんか幼稚だよね。じゃあ、もっとちゃんとした名前っぽく……」

 霧は少し考えたあと、再び口を開く。

「賢者イサナ、これでどうだ!」

 『イサナ』はクジラの昔の和名。勇魚、と書く。
 霧が賢者という言葉を付け加えたのは、長い間本来の名前を奪われ、白痴などというひどい名前で呼ばれていた痛みを払拭し、真逆の名称で相殺そうさいさせようとしてのことだった。

(そうだ……今のあたしには、『竜辞典』の力が使える)

 霧は『辞典』を広げると、力を込めてもう一度言った。

「君に、新しい名前を授ける。――賢者イサナ! その名の通り、賢く勇ましくあれ!」

 霧の言葉に宿った力が、彼に向かって一斉に放たれた。
 見る見る間に、彼の輪郭が次第にはっきりとし始め、力強い光が明滅する。
 霧は、すぐそばでレイが息を呑むのを感じた。二人が見守る前で、彼に何らかの変化が加えられてゆく。

《けんじゃ……いさな……。……かしこい、いさましい……。賢じゃ……賢者、イサナ!》

 彼の輪郭が明るく光り輝き、震える声がその名前を反芻するように繰り返す。

「そうだよ、君はこれから賢くなる。その願いを込めて名付けよう。うん、これで決定、前の二つは可愛いけど没だ。イサナくん」

 霧がそう告げると、「イサナ」はひときわ明るく光り輝いた。

「きょえぇっ、まぶしっ! 何?!」

 閃光がおさまったあと、霧が恐る恐る目を開けると、そこには一人の少年が立っていた。驚いたレイが、嬉しそうに声を上げて駆け寄っていく。

「ああっ、……君、君だね……また、会えた……!」

 少年は14か15歳ぐらいに見える。それはどうやら、イサナの作り出した、自分のイメージらしい。長く伸びた茶色い髪を垂らし、言獣との融合の名残なのか、背中には白い翼がある。手足同様、目もまた複数あり、本来人間の持つ目の部分だけを、見開いていた。その目は透き通った琥珀色で、今までと違い、はっきりと知性の光が宿っている。彼は周囲を見回し、茫然とした表情で口を開いた。

《ああ……ああ……なんて……こんな気持ち……ああ……そうだ、昔は、こうだった。何もかも、スッキリしていた。言葉はよどみのない流れのように、思考は明滅する光のように、いつもそばで輝き、僕を導いてくれた。ああ、そうだ、かつてはずっと、こうだった。頭を覆っていたどんよりした重りが、すっかり取れたようだ》

 レイは彼の顔を覗き込んだ。そして喜びで顔を輝かせ、感動に震える声を上げる。

《ああ……イサナ! こんなことが起こるなんて、思ってもみなかった! イサナ、イサナ、イサナ!》

《レイフラージュ、またこうして君と話が出来て、嬉しい。本当に、嬉しいよ》

《うん、うん……》

 二人は抱き合おうとしたが、肉体を持たない彼らは互いをすり抜けてしまう。それでもかまわず、二人はできるだけお互いの存在を触れ合わせ、微笑み合った。
 霧は二人の感動の再会に涙しながら、うんうんと頷く。
 やがてレイは霧を見上げて言った。

《ありがとう、霧。本当にありがとう。あなたの言葉に力が宿り、イサナは新しい名前を得た。霧の命名には効力が込められていた。イサナに思考力を与えた》

「うんうん、うまくいって良かった。たいを表す。その通りだね。名前、大事」

 そう言った後、霧は複雑な思いで口を閉じた。霧という、自分の名前の由来――実の母親から投げつけられた呪いのような言葉と、美晴先生がくれたあたたかい言葉を、同時に思い出したからだ。
 霧は寂しそうに笑うと、一転して明るい口調で、イサナに話しかける。

「さて、これから、どうしよっか。ねえイサナ、今まで、図書塔のどこかに閉じ込められていたんだよね? どうやって、出てきたの?」
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