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三章 入学旅行三日目
3-08a 深まる絆 1
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アデルを捜す霧は、不気味な空間に飛ばされた。
先程、レイに進むことを警告されたミステリアスなエリアより更に暗く、澱んだ気配が漂っている。その通路の片隅で、アデルが頭を抱えてうずくまっていた。
その姿を見た霧は、目を見開く。
アデルの頭上には、黒い雨雲が浮かんでいた。雨雲は彼女に向かって豪雨を降らせている。それは霧の『竜辞典』にひそむ稀少言獣、『嘆きの雨雲』が見せる幻影だった。
――悲しみに暮れる者の嘆きが深ければ深いほど、頭上の雨雲の勢いが増し更には雷に強風果ては……
リューエストがそう解説していたのを、霧は思い出す。
アデルを打ち据える雨の勢いは激しく、時折小さな雷が雨雲から光を放つのが見えた。
(ああ、可哀相に、アデル!)
どれほど激しい悲しみが彼女を苦しめているのか――霧は胸が締め付けられる思いで、アデルの元に駆け寄った。
「アデル!!」
アデルは霧の声にハッとして顔を上げた。その目から、涙が幾筋も零れ落ちる。
「キリ……?! うそ……」
「嘘じゃない、まぎれもない本人。アデルの変人いとこ、キリお姉さんだ! オバサンじゃないからね!」
冗談を言って和ませようとしたが、アデルは目の前の人物がまぼろしではなく霧本人だと分かると、一層泣き出した。
「わあああああ! キリ……キリ!!」
しがみついてくるアデルを、霧はギュッと抱きしめた。プライドの高いアデルがなりふり構わず泣き叫び、他人に縋りついているのだから、相当強い心的ストレスを抱えているのは明白だ。何があったのか分からないが、霧はとにかくアデルを落ち着かせようとした。
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫。いとこのキリお姉さんが来たからには、もう何も心配いらない。何しろ、異次元から来たオタクだしね、最強だよ」
その物言いに、アデルは確かに霧だということを感じたらしく、一層強くしがみついてきて、まくし立てた。
「私っ……、私、お父さんへの贈り物、探してたの。何がいいかなって考えてるうちに、お、お、お父さんのこと、色々思い出して、いなくなったときのこと、思い出して、帰ってこないこと、今いないこと、どこにいるかわかんないこと、も、もしかしたら、もうお父さんはどこにもいなくて、それで、それで、一生会えないかもしれないって、そ、そんな、いつも考えないようにしてること、思い出してしまって、そしたら、そしたら、どんどん、変なところに飛ばされて、わけがわからなくなってきて」
アデルはしゃくりあげながら、がむしゃらにまくしたてる。感情が昂り声を上げて泣くアデルは、いつものようなツンとした勝気で大人っぽい少女ではなく、3年前に家族と生き別れた、心細い独りぼっちの子供だった。
「お父さん、お父さん、どこにいるの、お父さん! 生きてるよね? ねえキリ、絶対、生きてるよね? 私、お父さんに会いたい、会いたいよぉっ!」
霧はうんうんと相槌を打ちながら、アデルの背中を撫でた。
「そうかそうか、チェカのこと、思い出したのか。そりゃあ、悲しいわな、苦しいわな、心の中がぐるぐるのぐちゃぐちゃになって、コントロールできなくなるわな。それで、こんな変なとこまで運ばれちゃって、迷子になったんだな。よしよし」
すすり泣き、しがみついてくるアデルが、霧は可哀相でたまらなかった。
チェカの突然の失踪から、3年。
どんなに恋しいだろう。実の父親同然に、チェカになついていたのだから。
アデルにとっては唯一とも言える家族の、チェカ。
そのチェカの生死すら分からず、何年経っても依然として行方不明のまま、アデルは思春期の不安定な時期を、一人で健気に生きてきたのだ。
もちろんリール叔母さんやダリアの一族はアデルに手を差し伸べただろうし、幼なじみのリリエンヌも寄り添ってアデルを支えただろう。だからこそこうして自分の道をたゆまず進み、辞典魔法士を目指すアデルが存在しているのだ。
けれどやはり、父親の不在が平気になる日など、来ないに違いない。
(くぅっ……! 健気! いじらしい! 尊い! 改めてリアルアデル、最高に推し!)
そう思いながら、霧はもらい泣きしそうになった。
アデルに共感しながらも、その一方で、何かが霧の心にチクリと刺さる。
その正体に、霧はすぐ思い当たった。
自分が持ち得なかったものを持つ者への、羨望と、それに伴う嫉妬だ。
(うらやましいな、アデル……。チェカみたいに立派な父親を持って。それに……アデルの実の両親もまた、大切な我が子を守るために命を落とした……)
霧の持ち得なかった、親の愛情。
そして自分からの、親に対する愛情。
多くの人が持つそれらは、いずれも霧には手の届かないものだ。永遠に。
過去から浮上してきた虚ろな感情が、その無慈悲で冷たい手を伸ばしてきたことを感じ、霧はそれを振り払った。
(もういい。取り戻せない過去に対する、不毛でうざい感傷など、もう要らない。今あたしは、『無敵のキリ・ダリアリーデレ』。そう、ソイフラージュがそう言ったように、あたしはそれに徹することにした。今は、リューエストとリール叔母さん、そしてアデルがあたしの家族だ。うん、あたしには上等すぎるほどだけど、彼らが、今のあたしの、家族)
そう思った途端、霧の心がスッと晴れ渡り、負の感情がきれいさっぱり消滅した。同時に冷静さを取り戻した霧は、今やるべきことに平常心で立ち戻る。
(そうだ……打ち明けるなら、今しかない。チェカのこと黙ってるなんて、もうあたしにはできそうにないし、チェカからの伝言もある。何より、アデルを落ち着かせる一番の有効手段は、彼が生きてることを知らせることだ)
そう決心した霧は、周囲にひと気のないことを確認して、アデルの耳元でそっと囁いた。
「あのさ……これ、内緒なんだけど、アデル、実はチェカは、ちゃんと、生きてる」
先程、レイに進むことを警告されたミステリアスなエリアより更に暗く、澱んだ気配が漂っている。その通路の片隅で、アデルが頭を抱えてうずくまっていた。
その姿を見た霧は、目を見開く。
アデルの頭上には、黒い雨雲が浮かんでいた。雨雲は彼女に向かって豪雨を降らせている。それは霧の『竜辞典』にひそむ稀少言獣、『嘆きの雨雲』が見せる幻影だった。
――悲しみに暮れる者の嘆きが深ければ深いほど、頭上の雨雲の勢いが増し更には雷に強風果ては……
リューエストがそう解説していたのを、霧は思い出す。
アデルを打ち据える雨の勢いは激しく、時折小さな雷が雨雲から光を放つのが見えた。
(ああ、可哀相に、アデル!)
どれほど激しい悲しみが彼女を苦しめているのか――霧は胸が締め付けられる思いで、アデルの元に駆け寄った。
「アデル!!」
アデルは霧の声にハッとして顔を上げた。その目から、涙が幾筋も零れ落ちる。
「キリ……?! うそ……」
「嘘じゃない、まぎれもない本人。アデルの変人いとこ、キリお姉さんだ! オバサンじゃないからね!」
冗談を言って和ませようとしたが、アデルは目の前の人物がまぼろしではなく霧本人だと分かると、一層泣き出した。
「わあああああ! キリ……キリ!!」
しがみついてくるアデルを、霧はギュッと抱きしめた。プライドの高いアデルがなりふり構わず泣き叫び、他人に縋りついているのだから、相当強い心的ストレスを抱えているのは明白だ。何があったのか分からないが、霧はとにかくアデルを落ち着かせようとした。
「よしよし、怖かったね。もう大丈夫。いとこのキリお姉さんが来たからには、もう何も心配いらない。何しろ、異次元から来たオタクだしね、最強だよ」
その物言いに、アデルは確かに霧だということを感じたらしく、一層強くしがみついてきて、まくし立てた。
「私っ……、私、お父さんへの贈り物、探してたの。何がいいかなって考えてるうちに、お、お、お父さんのこと、色々思い出して、いなくなったときのこと、思い出して、帰ってこないこと、今いないこと、どこにいるかわかんないこと、も、もしかしたら、もうお父さんはどこにもいなくて、それで、それで、一生会えないかもしれないって、そ、そんな、いつも考えないようにしてること、思い出してしまって、そしたら、そしたら、どんどん、変なところに飛ばされて、わけがわからなくなってきて」
アデルはしゃくりあげながら、がむしゃらにまくしたてる。感情が昂り声を上げて泣くアデルは、いつものようなツンとした勝気で大人っぽい少女ではなく、3年前に家族と生き別れた、心細い独りぼっちの子供だった。
「お父さん、お父さん、どこにいるの、お父さん! 生きてるよね? ねえキリ、絶対、生きてるよね? 私、お父さんに会いたい、会いたいよぉっ!」
霧はうんうんと相槌を打ちながら、アデルの背中を撫でた。
「そうかそうか、チェカのこと、思い出したのか。そりゃあ、悲しいわな、苦しいわな、心の中がぐるぐるのぐちゃぐちゃになって、コントロールできなくなるわな。それで、こんな変なとこまで運ばれちゃって、迷子になったんだな。よしよし」
すすり泣き、しがみついてくるアデルが、霧は可哀相でたまらなかった。
チェカの突然の失踪から、3年。
どんなに恋しいだろう。実の父親同然に、チェカになついていたのだから。
アデルにとっては唯一とも言える家族の、チェカ。
そのチェカの生死すら分からず、何年経っても依然として行方不明のまま、アデルは思春期の不安定な時期を、一人で健気に生きてきたのだ。
もちろんリール叔母さんやダリアの一族はアデルに手を差し伸べただろうし、幼なじみのリリエンヌも寄り添ってアデルを支えただろう。だからこそこうして自分の道をたゆまず進み、辞典魔法士を目指すアデルが存在しているのだ。
けれどやはり、父親の不在が平気になる日など、来ないに違いない。
(くぅっ……! 健気! いじらしい! 尊い! 改めてリアルアデル、最高に推し!)
そう思いながら、霧はもらい泣きしそうになった。
アデルに共感しながらも、その一方で、何かが霧の心にチクリと刺さる。
その正体に、霧はすぐ思い当たった。
自分が持ち得なかったものを持つ者への、羨望と、それに伴う嫉妬だ。
(うらやましいな、アデル……。チェカみたいに立派な父親を持って。それに……アデルの実の両親もまた、大切な我が子を守るために命を落とした……)
霧の持ち得なかった、親の愛情。
そして自分からの、親に対する愛情。
多くの人が持つそれらは、いずれも霧には手の届かないものだ。永遠に。
過去から浮上してきた虚ろな感情が、その無慈悲で冷たい手を伸ばしてきたことを感じ、霧はそれを振り払った。
(もういい。取り戻せない過去に対する、不毛でうざい感傷など、もう要らない。今あたしは、『無敵のキリ・ダリアリーデレ』。そう、ソイフラージュがそう言ったように、あたしはそれに徹することにした。今は、リューエストとリール叔母さん、そしてアデルがあたしの家族だ。うん、あたしには上等すぎるほどだけど、彼らが、今のあたしの、家族)
そう思った途端、霧の心がスッと晴れ渡り、負の感情がきれいさっぱり消滅した。同時に冷静さを取り戻した霧は、今やるべきことに平常心で立ち戻る。
(そうだ……打ち明けるなら、今しかない。チェカのこと黙ってるなんて、もうあたしにはできそうにないし、チェカからの伝言もある。何より、アデルを落ち着かせる一番の有効手段は、彼が生きてることを知らせることだ)
そう決心した霧は、周囲にひと気のないことを確認して、アデルの耳元でそっと囁いた。
「あのさ……これ、内緒なんだけど、アデル、実はチェカは、ちゃんと、生きてる」
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