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三章 入学旅行三日目

3-03a アデルの回想~コテージの夜~ 1

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 キリが泣いていることに気付いたアデルは、聞き耳を立てているのが後ろめたくなってきた。しかし部屋に戻ろうとすれば音を立ててしまいそうで、動くこともできない。

(ううっ、困ったなぁ……)

 どうすることもできず固まっているアデルの耳に、再びキリの独り言が聞こえてくる。

「忘れたい……もう全部……それなのになぜ……。悪夢だ。もう終わったこと」

 絞り出すような掠れ声と、嗚咽。
 鼻をすする音と共に続く、キリの独り言。

「考えるな、思い出すな、今はもう、こちらにいるのだから……」

 辛そうなその様子に胸をつかれながらも、アデルは霧のという言葉に引っ掛かり、考え込んだ。

っていうのは、現実の、このククリコ・アーキペラゴのこと、よね? ……で、悪夢っていうのは、やっぱり眠っていた間に見た、夢の中の世界のこと……かな。キリは『もうここが夢の中なんて、思ってない』って言ってた。『夢じゃないって知って、ホッとしてる……』って……。だから、つまり……眠っていた間に見ていた日本の夢は、かなり辛いものだったってこと……よね?)

 考えを巡らせるアデルの耳に、またキリの声が届く。

「まるで呪いだ……。この存在そのものが、呪い……。ああ……」

 呪い。不穏なその響きに、アデルは体温がいきなり下がったような心地がした。
 自信の存在そのものが呪いだと言い切る状況――それはいったい、どういうことだろうか。いったいキリは、どんな悪夢を見ていたというのか。様々な思いが交錯し、アデルは考えを巡らせたが、その結果、推測だけで何かを決め付けるのは愚かなことだと、結論付けた。

 身動きも取れず、息をひそめて耳をそばだてるアデルのもとに、再びキリの独り言がこぼれてくる。

「生まれてきて良かったと、思えるようになりたい」

 涙まじりの、かそけき声。
 生まれてきて良かったと、思えるようになりたい――キリの願いの全てが、その言葉に凝縮されていることを、アデルは感じ取った。
 形容しがたい感情が渦巻き、アデルの目に涙が盛り上がる。

 やがて隣のバルコニーから、キリが部屋に戻り窓を閉めた音が聞こえてくると、アデルは詰めていた息を吐き出し、自分も静かに部屋に戻った。
 そして疲れた体をベッドに横たえ、考えを整理する。

(キリは……生まれてきたことに、苦痛を感じてる……。それは、ずっと眠っていたときに見ていた、日本の夢の……せい?)

 いったいどんな夢だったというのだろう。アデルは想像もできず、キリの言葉を頭の中で反芻はんすうした。

 ――まるで呪いだ……。この存在そのものが、呪い……。

 先程聞いたばかりのキリの声が、耳元で甦る。アデルはギュッと拳を握り、考えを巡らせた。

(呪い……。なんて、忌まわしい言葉。不安で、暗い……不吉な……)

 負の言葉の連鎖は、このところ世界中で囁かれている暗い出来事をアデルに思い起こさせた。
 原因不明の、女子の出生率低下。それは年々悪化している。
 辞典魔法士の謎の失踪。こちらもここ数年顕著になってきている。
 そんな中チェカが行方不明になり、それと同時に失われた、3冊の『竜辞典』。この『竜辞典』は世界の危機と共に目覚め、再び人々を救済すると言われてきた。希望の象徴であるその『竜辞典』が失われた、という事実は何を意味するのか。
 王政復古を掲げる謎の勢力が秘密裏に活動を広げているという噂も聞く。

 王政復古派――その不穏な勢力の一部と、かつてアデルは接触している。

 両親を亡くした時の事件を思い出して、アデルは眉間にしわを寄せた。
 アデルはまだ斜め掛けした状態のままの自身の『辞典』を、両手で支え持つと、その表紙をじっと見つめた。

 誰もが幼いころから共に過ごし、一緒に育つ『辞典』。その表紙の色は、持ち主によって様々だ。赤子の頃は真っ白だが、成長と共に変化し、大抵は物心がつく頃――3~5歳あたりで、固定される。

 アデルの『辞典』は、赤。
 彼女の瞳の色と同じ、血のような、深紅だ。
 それは一般的に歓迎されない、忌み色とされている。
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