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二章 入学旅行二日目
2-14c アデル、キリの癒術に父親の面影を重ねる 3
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キリは男の子に頷くと、最後に、癒術の中で最も難しく、最も強い効果を及ぼす光のスピリッツを呼び出した。
途端に、辺りが燦然と輝きだす。
幻想的な光に照らされる中、キリの口から厳かな言葉が紡ぎ出される。
「光よ、この子の記憶の底、暗闇に沈む過去の痛みを優しく包み、この子の未来を美しく照らせ。安らかな夢の中で母との邂逅を、しばしの休息を与えておくれ」
まるで慈愛の眼差しが顕現したかのような光が、降り注ぐ。
男の子だけでなく、その場にいた誰もが、光を浴びて安らかな心地になった。
やがて男の子はうっとりと目をつむると、静かな寝息を立て始めた。「お母さん……」と寝言を呟いたその表情は、とても幸せそうだ。
キリは『辞典』を閉じると、男の子をソファに仰向けに寝かせ、床にへたり込んだ。そしていつもの調子の、情けない声を出す。
「うあぁ……できたよ。ちょっと言葉を変えたからめちゃ不安だったけど……はあ……。思った以上に、疲れるな? もうだめぽ。ほへぁぁあ……へにょへにょ……疲れたお……」
癒術魔法を唱えている時とは大違いの、キリのだらけた声。
自信なさげで、気後れした様子の、謎言語を発生する、いつもの、キリ。
それを見て、アデルは夢から覚めたような心地で我に返った。
「ちょっとキリ、こんな凄いことができるなんて、どうなってんの?! 今すぐにでも正魔法士になれるぐらいじゃない!」
「は?」
ポカンとしているキリを見つめ、リリエンヌもキリに声をかける。
「本当ですわ、わたくし、感動しましたわ! キリとツアーメイトだってことが、とても誇らしいですわ! 学園に戻ったら、どうかわたくしに御指南いただけませんこと? わたくしの夢は、癒術士になることですの!」
「はあ、癒術士……って、何だっけ?」
「病気やケガなど、治療専門の職務に当たる辞典魔法士よ。それにしても、自然現象系言獣の中でも光の言獣は特に制御が難しいのに、完璧に唱えていたわね、キリ。まさかあれも、夢の中で覚えたの?」
アデルがそう答えるそばで、リリエンヌは辞典魔法で男の子の健康状態をチェックし、言った。
「本当に、完璧でしてよ、キリ! 皮下出血や創傷は、完全に治ってますわ! さっきまで、あんなにひどい状態だったのに。それに精神状態も、ずいぶん回復してますわ」
それを聞いてキリは、ホッと息を吐き出す。
「良かった。あんな毒親の影響、できれば全部消し去りたい…。なにが、『俺の子をどうしようと俺の勝手だ』だ。最低のクズだな。万死に値する。地獄に落ちやがれ!」
キリの乱暴な口調と言葉に、アデルもリリエンヌもギョッとした。二人とも内心では同様に思っていたが、節度ある古城学園の生徒としては、このような罵声を口にするのはためらわれる。
しかしこの家の老夫婦はまるで気にしてない様子で、うんうんと頷いていた。老婦人はおっとりとした口調で、キリに話しかける。
「ほんとにねぇ……。あなたなら、きっとあの子から辛い記憶をすべて取り除くこともできるんでしょうね。とても優秀な学生さんで、本当にびっくりしたわ。ね、良かったらこれ食べて。お腹、すいたでしょ? あ、嫌いなものあったら遠慮なく言ってね」
そう言いながら老婦人は、いつの間に持ってきたのか、キリの目の前のテーブルに色んな料理を置いていく。どうやら昼食の用意をしているところにお邪魔したらしく、どの料理も湯気を立てていい匂いを漂わせていた。
老婦人はアデルとリリエンヌにも食事を勧め、更にケーキやお菓子まで持ってきて、盛大にもてなしを始めた。彼女は熱いお茶をカップに注ぎながら、会話を続ける。
「でもね、新入生さん、あの父親も、最初はとても良いお父さんだったのよ。……立派な辞典魔法士でね。ええ、正魔法士よ。頼りになる人が近所にいて、助かるわぁ~って、みんなで言ってたのに……」
「えっ?! そうなんですか?! 正規の、辞典魔法士?! あの男が?!」
「そうなのよ。あの人、以前はあんなに乱暴じゃなかったのよ。子供も可愛がっていたの。けど半年ぐらい前からだったかしら……人が変わったようになって、おかしなことを口走るようになってね、何だったかしら、あれ、ねえあなた」
「あれだよおまえ、王政復古だとか何とか、辞典魔法は特権者だけが使うべきだとか、奇妙な思想に染まってた」
「そうそうそれそれ、気持ち悪いわよねぇ。そんなおかしなことを言い始めた頃にはもう、あの人、仕事を辞めて家にいてね、奥さんと、いつも揉めてたの。それが10日ぐらい前のことよ、具合の悪そうな奥さんが、男の子と一緒に私たちのところに逃げてきてね……」
「さっきも言ったが、奥さんはすぐ意識がなくなって、今も病院にいるんじゃよ。気の毒に」
老夫婦が重い溜息をつき、しん、と部屋中が静まり返る。その静けさを破ったのは、泣き笑いのような表情を浮かべたキリの、かそけき声だった。
「そう……この子は父親から愛された記憶を、持っているんだね。じゃあ、父親に関する記憶を消さなくて、良かったよ……。風の施術をかけたから、この子の耳に、もう父親の汚い罵り声は聞こえない。今はそれで、良しとしよう。……どうかこの子が、あんな男の元に生まれてきたことを、呪わずに生きていけますように……」
キリはそう言いながら男の子の頬に残る涙の跡をふき、薄く微笑んだ。アデルはそれを見て、なぜかとても心が痛くなった。男の子の涙は止まったが、最初から泣いてなどいないキリの涙は、心の内側でずっと流れているような、そんな気がしたのだ。
途端に、辺りが燦然と輝きだす。
幻想的な光に照らされる中、キリの口から厳かな言葉が紡ぎ出される。
「光よ、この子の記憶の底、暗闇に沈む過去の痛みを優しく包み、この子の未来を美しく照らせ。安らかな夢の中で母との邂逅を、しばしの休息を与えておくれ」
まるで慈愛の眼差しが顕現したかのような光が、降り注ぐ。
男の子だけでなく、その場にいた誰もが、光を浴びて安らかな心地になった。
やがて男の子はうっとりと目をつむると、静かな寝息を立て始めた。「お母さん……」と寝言を呟いたその表情は、とても幸せそうだ。
キリは『辞典』を閉じると、男の子をソファに仰向けに寝かせ、床にへたり込んだ。そしていつもの調子の、情けない声を出す。
「うあぁ……できたよ。ちょっと言葉を変えたからめちゃ不安だったけど……はあ……。思った以上に、疲れるな? もうだめぽ。ほへぁぁあ……へにょへにょ……疲れたお……」
癒術魔法を唱えている時とは大違いの、キリのだらけた声。
自信なさげで、気後れした様子の、謎言語を発生する、いつもの、キリ。
それを見て、アデルは夢から覚めたような心地で我に返った。
「ちょっとキリ、こんな凄いことができるなんて、どうなってんの?! 今すぐにでも正魔法士になれるぐらいじゃない!」
「は?」
ポカンとしているキリを見つめ、リリエンヌもキリに声をかける。
「本当ですわ、わたくし、感動しましたわ! キリとツアーメイトだってことが、とても誇らしいですわ! 学園に戻ったら、どうかわたくしに御指南いただけませんこと? わたくしの夢は、癒術士になることですの!」
「はあ、癒術士……って、何だっけ?」
「病気やケガなど、治療専門の職務に当たる辞典魔法士よ。それにしても、自然現象系言獣の中でも光の言獣は特に制御が難しいのに、完璧に唱えていたわね、キリ。まさかあれも、夢の中で覚えたの?」
アデルがそう答えるそばで、リリエンヌは辞典魔法で男の子の健康状態をチェックし、言った。
「本当に、完璧でしてよ、キリ! 皮下出血や創傷は、完全に治ってますわ! さっきまで、あんなにひどい状態だったのに。それに精神状態も、ずいぶん回復してますわ」
それを聞いてキリは、ホッと息を吐き出す。
「良かった。あんな毒親の影響、できれば全部消し去りたい…。なにが、『俺の子をどうしようと俺の勝手だ』だ。最低のクズだな。万死に値する。地獄に落ちやがれ!」
キリの乱暴な口調と言葉に、アデルもリリエンヌもギョッとした。二人とも内心では同様に思っていたが、節度ある古城学園の生徒としては、このような罵声を口にするのはためらわれる。
しかしこの家の老夫婦はまるで気にしてない様子で、うんうんと頷いていた。老婦人はおっとりとした口調で、キリに話しかける。
「ほんとにねぇ……。あなたなら、きっとあの子から辛い記憶をすべて取り除くこともできるんでしょうね。とても優秀な学生さんで、本当にびっくりしたわ。ね、良かったらこれ食べて。お腹、すいたでしょ? あ、嫌いなものあったら遠慮なく言ってね」
そう言いながら老婦人は、いつの間に持ってきたのか、キリの目の前のテーブルに色んな料理を置いていく。どうやら昼食の用意をしているところにお邪魔したらしく、どの料理も湯気を立てていい匂いを漂わせていた。
老婦人はアデルとリリエンヌにも食事を勧め、更にケーキやお菓子まで持ってきて、盛大にもてなしを始めた。彼女は熱いお茶をカップに注ぎながら、会話を続ける。
「でもね、新入生さん、あの父親も、最初はとても良いお父さんだったのよ。……立派な辞典魔法士でね。ええ、正魔法士よ。頼りになる人が近所にいて、助かるわぁ~って、みんなで言ってたのに……」
「えっ?! そうなんですか?! 正規の、辞典魔法士?! あの男が?!」
「そうなのよ。あの人、以前はあんなに乱暴じゃなかったのよ。子供も可愛がっていたの。けど半年ぐらい前からだったかしら……人が変わったようになって、おかしなことを口走るようになってね、何だったかしら、あれ、ねえあなた」
「あれだよおまえ、王政復古だとか何とか、辞典魔法は特権者だけが使うべきだとか、奇妙な思想に染まってた」
「そうそうそれそれ、気持ち悪いわよねぇ。そんなおかしなことを言い始めた頃にはもう、あの人、仕事を辞めて家にいてね、奥さんと、いつも揉めてたの。それが10日ぐらい前のことよ、具合の悪そうな奥さんが、男の子と一緒に私たちのところに逃げてきてね……」
「さっきも言ったが、奥さんはすぐ意識がなくなって、今も病院にいるんじゃよ。気の毒に」
老夫婦が重い溜息をつき、しん、と部屋中が静まり返る。その静けさを破ったのは、泣き笑いのような表情を浮かべたキリの、かそけき声だった。
「そう……この子は父親から愛された記憶を、持っているんだね。じゃあ、父親に関する記憶を消さなくて、良かったよ……。風の施術をかけたから、この子の耳に、もう父親の汚い罵り声は聞こえない。今はそれで、良しとしよう。……どうかこの子が、あんな男の元に生まれてきたことを、呪わずに生きていけますように……」
キリはそう言いながら男の子の頬に残る涙の跡をふき、薄く微笑んだ。アデルはそれを見て、なぜかとても心が痛くなった。男の子の涙は止まったが、最初から泣いてなどいないキリの涙は、心の内側でずっと流れているような、そんな気がしたのだ。
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