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一章 入学旅行一日目

1-27  主人公の不在

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「……あの……チェ、チェ、チェカ叔父さんは、お、お、おおおお元気?」

 霧が思い切ってそう尋ねると、その場の空気がまたもや、ピンと張り詰めた。
 霧はあわあわしながら、リューエストに助けを求めるような視線を送る。彼は悲しそうに微笑むと、アデルに向かって言った。

「アデル、許してね。チェカ叔父さんが行方不明になったとき、キリはまだ眠ってたし……デリケートな話題だったから、叔父さんのこと、僕もリール叔母さんも、キリに言いそびれてしまったんだ。キリが……叔父さんのこと、こんな風に覚えてることも、知らなかったし……」

「いいの。……無理もないわ。わかる。……キリに、悪気がないのも、わかってる。……3年前とは違う。今はもう私、子供じゃないんだから、気にしないで」

(いやいやいや、気にする気になる!)

 霧は心の中でそう叫びながら、口を開いた。

「ちょ……待て、ゆ、行方不明?! え、え、なんで、いつ、どして、何があったの?! あ、あ、ごめ、いてはいけない感じだった?! ででででも、ここは教えて、何があったの?!」

 動揺して席を立った霧に、リリエンヌがおっとりと微笑んで答えた。

「落ち着いて、キリ。さあ座って。教えて差し上げてよ。今から3年と……4カ月くらい前のことですわ。12月の、寒い日でした。わたくし、よく覚えていますの。チェカ先生を捜して、アデルが泣きながらわたくしを訪ねて来たあの日を。あの日、チェカ先生は突然行方知らずになって、今も捜索が続けられていますの。チェカ先生の失踪と同時に古城学園の伝承の間から、伝説の宝書である3冊の『竜辞典』も消えてしまったので、色々な噂が立っているけれど、わたくしを含め多くの人が、チェカ先生の潔白を信じていますわ。とても素晴らしい人格を具えた方だもの。早く無事に帰ってきて欲しいと、みんな待ち望んでおりますの」

 リリエンヌは静かな声でそう言いながら、隣の席に座っているアデルの肩を、いたわるように撫でた。アデルは黙って下を向いていたが、リリエンヌの手に自分の手を重ねると、大丈夫よ、と言うようにうっすら微笑んだ。
 それらを目に映しながら、霧は茫然ぼうぜんと呟く。

「行方……不明……。3年前……? そんな……3冊の、伝説の、『竜辞典』……と一緒に?」

「『竜辞典』がどうして消えたかは、わかっていないんだよ。3年前、チェカ叔父さんと時を同じくして行方知らずになったというだけで、詳細は何も分かっていないんだ。だからこそ、色んな憶測が飛び交っている。だって、あの『辞典』に触れられるのは、『辞典の守護者』のチェカ叔父さんだけ、と思われていたから」

 リューエストがそう言うのを聞き、霧はハッとして、物語の中に出てきた『辞典』に関する設定を思い出した。

「『辞典』には、持ち主以外は触れない。誰も、自分の『辞典』以外は触れないし、手に持つことさえできない。他人の『辞典』を触ろうとしても、手がすり抜けてしまう。でも、『辞典の守護者』に選ばれた一人だけは、すべての『辞典』に触れることができる……それで合ってる?」

「うん。合ってる。その通りだよ、キリ」

 リューエストがそう言ってうなずくのとほぼ同時に、アデルが口を開いた。

「だから、『辞典の守護者』のお父さんを、辞典泥棒だって非難する人がいるの。お父さん……チェカは、3冊の伝説の『辞典』――『竜辞典』を盗んで、何らかの悪事を働くつもりで、行方をくらませたのではないか、って」

 霧はそれを聞いてすぐさま呟いた。

「まさか。チェカに限って、それはない」

 強い口調でそう断言した霧を、アデルは少なからず驚いて見つめていた。一方、霧自身はその視線に気付かず、物思いに沈む。

 伝説の『竜辞典』。
 煌竜こうりゅうを持つソイフラージュ。
 賢竜けんりゅうを持つククルモカ。
 麗竜れいりゅうを持つリア―ニャ。
 その3冊は、蝶竜ちょうりゅうを持つ『ダリアの辞典』と並んで、現存する貴重な『竜辞典』だ。

 霧は物語の中に出てきた、チェカの守る三冊の『竜事典』のことを思い出した。
 『言獣げんじゅう』の中でも最高峰の存在、竜。
 伝説の三人の辞典魔法士は、滅多に人に仕えない幻のような存在である竜を従えているため、彼らの『辞典』は畏敬いけいの念を込めて『竜辞典』と呼ばれている。
 『ダリアの辞典』も『竜辞典』だが、ダリアは別格なので、『竜辞典』といえば一般的に上記の3冊を指す。
 そしてこの1500年もの間、竜を従えることのできた辞典魔法士は存在していない。だからこそ、『竜辞典』は現存しながらも「伝説の辞典」と呼ばれているのである。

 およそ1540年前、英雄ダリアと一緒に、大規模な革命を起こした伝説の辞典魔法士たち。その中でも中心的な役割を果たした辞典魔法士、ソイフラージュ、ククルモカ、リア―ニャ。
 本来なら、いかなる『辞典』も持ち主の死と共にちてしまうが、『ダリアの辞典』と『竜辞典』だけは、稀有けうな例外だ。今は失われた特殊な秘術を用い、彼らが死したのちもその魂を封じ込め、永遠に存在することを可能にしたと、伝承には残っている。
 その三冊の『竜辞典』は、今もなお魔法士学園に存在し、やがて世界の危機に目覚めるといわれ、大切にされていた。
 その三冊を守っていたのが、チェカだ。
 神童と呼ばれた辞典魔法の天才、チェカ。
 彼が29歳になった時、両掌に特有の印が現れた。それは『辞典の守護者』に選ばれた証だ。チェカは、前任者が病に伏したため、新たな『辞典の守護者』に選ばれたのである。
 普通、『辞典』は持ち主以外には触れられないのだが、『辞典の守護者』になると、存在するすべての『辞典』に触れることができるようになる。もちろん、『竜辞典』にも。
 そして『辞典の守護者』に選ばれた人物は、必ず古城学園の伝承の間で、三冊の『辞典』の守護者となるのが慣わしだ。前任者の死亡により、チェカは29歳で『竜辞典』を守る任に就いた。

 世界の危機に目覚めると言われている、三冊の『竜辞典』。
 それに思いを馳せるうち、霧は言いようのない不安が込み上がってくるのを感じた。

(なんだろ……いったい、何? これが夢でないと仮定するなら、ここがリアルな『クク・アキ』の世界なら……。『竜辞典』を守っていたチェカが、失踪……それが意味することは……。……待てよ……)

 最新刊の、8巻、その内表紙イラスト。驚愕きょうがくと戸惑いの表情を浮かべて、3冊の「伝説の辞典」を腕の中に抱えていた、チェカ。
 ――確か、そんな絵柄だった。

 霧は確かめようと、バッグから本を取り出そうとして、硬直した。

《駄目!!》

 行動を制する強い声が鳴り響く。それは外から届く音ではなく、内側から湧き出て、頭を浸食しんしょくするかのような強い響きだった。

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