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3章

24. 愛の誓い

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 しばらくの間、二人は黙り込んだ。
 辺りに立ち込める霧は相変わらず濃く深く、二人を包んでいる。まるで二人を外界から引き離し、話し合う時間を与えてくれているかのようだった。

 ややあって、ローズは目に涙を浮かべながらシュリに問いかけた。

「あの子……どうなったの? 私が、受け止めたあの子……」

 ローズの前世――木下蕾は、出勤途中の住宅地内で、幼児の落下事故に巻き込まれて命を落とした。15階建てマンションの上階から落ちてきた幼児を、蕾は思わず両腕を差し出し、全身で受け止めた。重力による加速の付いた幼児を受け止めた衝撃で、蕾は背中から地面に激突し、後頭部を強打し――死んだのだ。
 最期の瞬間は、いつ思い出しても、蕾をやるせない、暗い気持ちにさせる。
 それはシュリも同様らしく、彼はローズの頭を慰めるように優しく撫でながら、おもむろに口を開いた。

「あの子は君の体にしっかり抱きとめられて――ちょっと打撲した程度で、ほとんど無傷のまま、親に返されたよ……。親は君のお葬式で、号泣してた……君に、感謝の言葉と謝罪を、何度も繰り返していたよ」

「そう……そう……。なら……良かった。わ、私の、プニプニの体が、役に立ったのね……」

「そういうところだよ……」

「え?」

「俺は君の、朴訥ぼくとつで愚直なまでに優しいところに惚れた。でも同時にあのとき、君のそう言うところを恨んだよ。なぜよけてくれなかった、素通りしてくれればよかった、君の命を犠牲にしてまで…………っ! なぜ、なぜ! なぜ、死んだ!!」

「千宮司さん……」

 シュリの目から、大粒の涙が零れ落ちる。そのときの千宮司の心情を想像したローズは、胸に苦しく熱いものがこみ上げてきて、シュリと共に涙を零した。こんなにも、自分の死に心を痛めてくれた人がいたとは。申し訳なく、ただひたすらに、悲しかった。

「ごめんね、千宮司さん、ごめんね……ワンちゃん亡くしたばかりだったのに……追い討ちをかけて……」

 ローズはそう言いながら、ハンカチを取り出してシュリの涙を拭う。シュリは顔を歪ませ、ギュッと目を瞑ってローズを搔き抱いた。

「君は何の前触れもなく、突然俺の目の前からいなくなった。もう一度会えるなら、俺は何を差し出しても惜しくない――毎日、毎日、君を返してくれと、神に懇願しながら、なぜ俺から君を奪ったのだと、神のくそ野郎と、恨み言を繰り返した」

 そして千宮司は、死んだ。
 蕾の死から、2週間後のことだった。
 自暴自棄になっていた千宮司は、以前からしつこく付きまとってきていた同僚女性に、ひどい言葉を投げつけたのだ。その女性はもう何年も、ほとんど千宮司のストーカーと化していたのだが、千宮司はずっと見て見ぬふりをして、事を荒立てないよう対処してきていた。しかし蕾の死のショックから、千宮司はその女性をさんざんけなし、拒絶し――その結果、ストーカー女に後ろから包丁で、刺された。

 あっけなく、幕が下りた。

 その、最期の時のことを語ったシュリの声を聞きながら、ローズは喉を詰まらせ、ギュッとシュリを抱きしめた。尽きることのない悲しみが体の奥深くからせりあがってきて、もう、息をするのも苦しかった。

 二人の命はある日突然、もぎ取られた。
 もう一度会えるなら、死んでもいい――その魂の慟哭を、神は聞き入れてくれたのだろうか。
 あまりにも深く、悲痛な、突然の別れ。
 しかし、破れ、途切れた絆を修復するかのように、
 二人は再び、生を受け、再び、巡り合った。
 この不思議な、ゲームの中の世界と酷似した世界で。

 ローズはシュリの腕の中で、その温もりに、涙した。

(ああ……この人は、生きてる。私も、生きてる。本当に、また会えたのだ。生きて、こうして、触れて、言葉を交わせる!)

 悲しい死の記憶を拭い、ローズは喜びに胸を躍らせた。

「千宮司さん――シュリ、虹の橋で、ワンちゃんに会えた?」

 シュリは涙の跡の残る頬をゆるませ、明るい笑顔をローズに向けた。

「ああ、会えたよ。あいつ、君の言う通り、全速力で駆けてきた。若いときの元気な姿でさ、舌を全開に伸ばして、尻尾をぶん回して……。可愛かったなぁ……。……君は、猫ちゃんに会えたかい?」

「うん、会えた。伝説は本当だったのね。ミミはね、ミミ……あっ、私の猫ね、しゃべったのよ!」

「君の猫もか! 俺の小太郎もだよ」

「そうなのね! なんて言ったの?! 一緒に虹の橋を渡った?!」

「ああ、一緒に虹の橋を渡ったよ。あいつ、犬として俺の傍にいたのが幸せだったから、もう一度犬の姿での来世を神に頼んだって言った。俺の人生が落ち着いた頃、また犬の姿で生まれ変わって傍に行くよ、と」

「あ、同じ! ミミも似たようなこと言ってたの! それで、生まれ変わった小太郎くんと会えたの、シュリ?!」

「いいや、まだだ。君は?」

「私もまだ……」

 二人とも、寂しそうに目を見交わした。やがてシュリが再び口を開く。

「……小太郎は、俺の人生が落ち着いたら、と言った。何のことかあのときは分からなかったが……今なら、わかる」

 シュリはローズの肩に手を置いて、彼女の美しい青い瞳を見つめて言った。

「ローズ、君に言わなきゃいけないことがある。ずっと秘密にしていたことが」

 ローズは真剣なシュリの瞳を見つめ返しながら、彼の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、耳を傾けた。
 シュリの艶を帯びた男らしい声は、厳かな響きを伴って真実を語り出す。

「この世界に生まれ変わった俺の本名は、シュリ・ティーダ・オルルカギラ」

 シュリは王位簒奪者さんだつしゃによって国を追われた王子であることを告げ、近いうちに国に帰ることをローズに打ち明けた。かつての臣下と共に政権を取り戻し、民に平和をもたらすために。
 ローズは、驚いた。出会ったころのシュリの立ち居振る舞いや教養から、彼が一般の民ではなく高貴な生まれではないか、とは薄々感じてはいたが、王子だったとは。
 どう言葉をかければよいかわからずためらうローズの前に、シュリはゆっくりと片膝を付いた。そしてローズの手を取り、接吻して、静かに言った。

「ローズ……俺は、君を愛してる。国を平定した暁には、君を妻として迎えに来たい。俺は生涯、君一人を愛し続けると誓う。だから俺を、待っていてくれないか」

 驚き――戸惑い――歓喜。
 愛の誓いに魂が震え、ローズは熱い滴が頬を伝うのを感じた。

「よくてよ……シュリ、待つわ。あなたを待つわ。でもお願い、長く待たせないと誓って。じゃなきゃ私、おばあちゃんになっちゃうもん!」

 ローズと蕾が混ざった口調で、彼女は泣きながら笑い、シュリの手を握った。

「長く待たせないと誓う。愛しい君と離れているなど、俺にとっても耐えられないのだから」

 シュリは立ち上がると、ギュッとローズを抱擁した――かつて一度失くしたその温もりを、二度と離さないとばかりに。
 
 霧の合間から、二人を祝福するかのような陽光が降り注ぐ。
 シュリはローズの幸せな涙を指で拭いとり、ゆっくりと顔を近づける。
 神秘的な霧に包まれる中、その日ローズは初めての口づけを、シュリと交わした。
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