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1章
17. 月明かりの下、恋しい人
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ローズは戻ってきたフィリップのダンスの誘いに、心の中で舌打ちした。しかしそのような態度は微塵も出さず、にっこりと微笑んで言った。
「フィリップ殿下、あいにく足首を少々ひねってしまいまして……。私の大切な友人、フローレンスと踊っていただけませんか? 彼女はダンスがとても上手ですのよ。フローレンスと、羽のように軽やかで花のように優雅なダンスを体験してくださいませ」
フローレンスはパッと顔を赤らめ、嬉しそうな表情で俯いた。
フィリップ王子はローズの足首を心配しつつ、ローズの勧め通りにフローレンスをダンスに誘った。そう、本物の紳士である彼としては、そうする他ない。踊れないならローズと話がしたいとフィリップは思ったが、ローズの勧めを断わればフローレンスに恥をかかせることになる。レディに恥をかかせるなど、紳士のすることではない。
フィリップは輝くような笑顔をフローレンスに向けて、恭しく手を差し出した。
「フローレンス嬢、もしよろしければダンスのお相手をしていただけますか? ローズ嬢がご推薦のあなたの軽やかなステップを、ぜひ僕に披露していただきたい」
フローレンスは喜んで、と緊張で声を震わせながら、王子の手を取った。
二人を見送って、ローズは心の中で呟いた。
(フィリップ殿下は、ゲーム内のキャラ設定とほぼ同じね。外見がいい上に本物の紳士、絵に描いたような完璧な王子様だわ……ゲームの彼よりおバカな感じでチャラいけど)
もし前世の記憶がなければ、ローズはフィリップ王子にときめいていたかもしれない。一番の推しではないけれど、ゲーム内で夢中になって追いかけていた攻略相手の一人なのだから。
けれどローズの心の中の大半を占めているのは、別の男性だ。
彼のことを想うと、切ない痛みが胸に広がる。
今誰よりも、会いたい人。会って話がしたい。
帰りの馬車の中でも、ローズはシュリのことばかりを考えていた。
王家の馬車に揺られて自邸に帰ってきたローズは、ドッと疲れて早々にベッドに入った。しかしなかなか眠れず、寝返りを打ち続けるうちに体が痛くなってきた。
ローズは眠るのを諦め、ベッドの傍の椅子にかけてあった上掛けを羽織り、しばらくぼんやりと座っていた。そしてなんとなく、バルコニーに出た。
冷たい夜気にあたり、ぼんやりと月を眺めていると、ふと誰かに呼ばれたような気がした。実際に誰かの声が聞こえたのではなく、ただそんな気がしたのだ。
ローズの部屋は二階の角にあり、バルコニーは屋敷側面の庭園を見下ろしている。そちらに視線を送ると、ローズの心臓が跳ね上がった。
そこに、シュリがいた。
月明かりにぼんやり照らされた彼は、こちらを見上げている。
いつからそこにいたのだろう? 舞踏会から帰り着き、ローズが王家の馬車から下りたとき、まっさきに迎えに来てくれたのは彼だった。ローズが馬車から下りるのを手伝いながら、心配気な、何か訊きたそうな表情で、ローズを見つめていた。
(シュリ……私がバルコニーに出てくるんじゃないかって、待っていてくれたの?)
まさか。きっとシュリは夜警中なのだ。そう、これは偶然……そう思っていると、シュリが手に持ったランプを小さく丸く、二回揺らしたのち、屋敷の裏手の方を指さした。
それは合図だった。
ローズとシュリだけの。
6年前、初めて出会った頃に作った、二人だけの秘密の合図。
そのときローズは12歳、シュリは14歳だった。まだ少年とはいえ奴隷だったシュリを警戒して、両親はローズにシュリと関わることを禁じていた。しかしシュリから引き離されてローズの手元に置かれたシュリの双子の妹、ニルとカナはまだ6歳。さぞかし心配だろうと、ローズはシュリと連絡を取る手段を講じたのだ。
右手の指二本を左手で包めば「双子は元気よ」
立てた人差し指一本をくるくると二度回せば「話がある」
最初はその二種類で、周囲に気付かれずにこっそり会うたびに合図は増えていった。二人ともまだ子供だったから、それは愉快な遊びだった。大人たちの目を盗んでちょっとした悪戯をするのは、最高に楽しい気晴らしだった。
そのうちシュリの真面目な務めぶりは誰もが認めることとなり、話すことを禁じられることはなくなり、二人の合図が活躍することも少なくなった。
今、シュリが手に持ったランプを丸く二回揺らしたのは、きっと「話がある」という合図だ。暗い上に二人の距離が離れているため、シュリは指のかわりにランプを使ったのだ。それを瞬時に察し、ローズはすぐさま行動に移した。
音を立てずに自室を出ると、一階に下り、使用人が使う裏の扉に向かう。周囲を警戒しながら誰もいないのを確認しつつ、その扉に辿り着くと、シュリが鍵を開けて外で待っていてくれた。
シュリはローズの姿を見て頷くと、裏の扉に鍵をかけ、手に持っていたランプの明かりを消した。途端に、二人が夜の闇に包まれる。シュリがランプを消したのは、きっと誰かに見とがめられるのを避けるためだ。こんな時間にローズがシュリと会っていたと誰かに知れれば、二人は永遠に引き裂かれてしまうだろう。そう考えて、ローズは自分がとんでもない危険を冒していることに気付いた。――でも、もう後には引けない。ローズは痛いほど心臓を高鳴らせながら、目の前の想い人に向き合った。
シュリは月が雲に隠れるのを待ってから、ローズに手を差し出した。
「園丁の物置小屋まで移動します。手を繋ぐのをお許しください。あなたが転ばないように」
そう言ってシュリはローズの手を引くと、そっと歩き出した。
「フィリップ殿下、あいにく足首を少々ひねってしまいまして……。私の大切な友人、フローレンスと踊っていただけませんか? 彼女はダンスがとても上手ですのよ。フローレンスと、羽のように軽やかで花のように優雅なダンスを体験してくださいませ」
フローレンスはパッと顔を赤らめ、嬉しそうな表情で俯いた。
フィリップ王子はローズの足首を心配しつつ、ローズの勧め通りにフローレンスをダンスに誘った。そう、本物の紳士である彼としては、そうする他ない。踊れないならローズと話がしたいとフィリップは思ったが、ローズの勧めを断わればフローレンスに恥をかかせることになる。レディに恥をかかせるなど、紳士のすることではない。
フィリップは輝くような笑顔をフローレンスに向けて、恭しく手を差し出した。
「フローレンス嬢、もしよろしければダンスのお相手をしていただけますか? ローズ嬢がご推薦のあなたの軽やかなステップを、ぜひ僕に披露していただきたい」
フローレンスは喜んで、と緊張で声を震わせながら、王子の手を取った。
二人を見送って、ローズは心の中で呟いた。
(フィリップ殿下は、ゲーム内のキャラ設定とほぼ同じね。外見がいい上に本物の紳士、絵に描いたような完璧な王子様だわ……ゲームの彼よりおバカな感じでチャラいけど)
もし前世の記憶がなければ、ローズはフィリップ王子にときめいていたかもしれない。一番の推しではないけれど、ゲーム内で夢中になって追いかけていた攻略相手の一人なのだから。
けれどローズの心の中の大半を占めているのは、別の男性だ。
彼のことを想うと、切ない痛みが胸に広がる。
今誰よりも、会いたい人。会って話がしたい。
帰りの馬車の中でも、ローズはシュリのことばかりを考えていた。
王家の馬車に揺られて自邸に帰ってきたローズは、ドッと疲れて早々にベッドに入った。しかしなかなか眠れず、寝返りを打ち続けるうちに体が痛くなってきた。
ローズは眠るのを諦め、ベッドの傍の椅子にかけてあった上掛けを羽織り、しばらくぼんやりと座っていた。そしてなんとなく、バルコニーに出た。
冷たい夜気にあたり、ぼんやりと月を眺めていると、ふと誰かに呼ばれたような気がした。実際に誰かの声が聞こえたのではなく、ただそんな気がしたのだ。
ローズの部屋は二階の角にあり、バルコニーは屋敷側面の庭園を見下ろしている。そちらに視線を送ると、ローズの心臓が跳ね上がった。
そこに、シュリがいた。
月明かりにぼんやり照らされた彼は、こちらを見上げている。
いつからそこにいたのだろう? 舞踏会から帰り着き、ローズが王家の馬車から下りたとき、まっさきに迎えに来てくれたのは彼だった。ローズが馬車から下りるのを手伝いながら、心配気な、何か訊きたそうな表情で、ローズを見つめていた。
(シュリ……私がバルコニーに出てくるんじゃないかって、待っていてくれたの?)
まさか。きっとシュリは夜警中なのだ。そう、これは偶然……そう思っていると、シュリが手に持ったランプを小さく丸く、二回揺らしたのち、屋敷の裏手の方を指さした。
それは合図だった。
ローズとシュリだけの。
6年前、初めて出会った頃に作った、二人だけの秘密の合図。
そのときローズは12歳、シュリは14歳だった。まだ少年とはいえ奴隷だったシュリを警戒して、両親はローズにシュリと関わることを禁じていた。しかしシュリから引き離されてローズの手元に置かれたシュリの双子の妹、ニルとカナはまだ6歳。さぞかし心配だろうと、ローズはシュリと連絡を取る手段を講じたのだ。
右手の指二本を左手で包めば「双子は元気よ」
立てた人差し指一本をくるくると二度回せば「話がある」
最初はその二種類で、周囲に気付かれずにこっそり会うたびに合図は増えていった。二人ともまだ子供だったから、それは愉快な遊びだった。大人たちの目を盗んでちょっとした悪戯をするのは、最高に楽しい気晴らしだった。
そのうちシュリの真面目な務めぶりは誰もが認めることとなり、話すことを禁じられることはなくなり、二人の合図が活躍することも少なくなった。
今、シュリが手に持ったランプを丸く二回揺らしたのは、きっと「話がある」という合図だ。暗い上に二人の距離が離れているため、シュリは指のかわりにランプを使ったのだ。それを瞬時に察し、ローズはすぐさま行動に移した。
音を立てずに自室を出ると、一階に下り、使用人が使う裏の扉に向かう。周囲を警戒しながら誰もいないのを確認しつつ、その扉に辿り着くと、シュリが鍵を開けて外で待っていてくれた。
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シュリは月が雲に隠れるのを待ってから、ローズに手を差し出した。
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