婚約者のことが大大大好きな残念令息と知らんふりを決め込むことにした令嬢

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17.思惑① レイル

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「あああ、ステラに会いたい、ステラの手に触れたい、ステラ成分が圧倒的に足りない……」
「真顔で言うな、やかましい……!」

 丸めた書類でクリストファーからぺちんと頭頂部を叩かれ、書類をさばいていたレイルは渋々口を閉じた。ちょっとした愚痴くらいいいではないか。それほどまでに、レイルは身を粉にして働いているのだから。

 午後の授業をまるまる抜けたにもかかわらず、既に夕刻に差し掛かり、すっかり西日が差し込んで、辺りを橙色に染めていく。
 そんな放課後、学園の生徒会室ではなく、わざわざ王宮の一角にある執務室に詰めているのは、たったの4人。
 会長のクリストファーを筆頭に、副会長のレイルとミルフィオーレ、手伝いに引っ張り込まれたマクベスしかいない。
 他のメンバーは男爵令嬢のアイリの尻を追いかけ回し、平然と仕事をさぼっている。アイリの肩を持つ婚約者たちの所業にショックを受けた2人の女性生徒会メンバーも、学校自体を休みがちだ。
 ただでさえ、生徒会の仕事はそれなりに日々押し寄せてくるのに、件の男爵令嬢が現れてからというもの、レイルたちの負担は目に見えて増大した。生徒会室で業務に手をつけていないのも、アイリに押しかけられるのを防ぐためだ。いい加減にしてほしい。
 今は4人で分担して、山積みの書類を処理している最中だ。猫の手も借りたいとは、まさしくこのことである。口を動かしてはいるが、手も高速で動かしている。

 おかげでステラリアに会うことすらもままならず、クリストファーから課された仕事を、忠実に、無心でこなすのみ。潤いがなさすぎて、すっかりレイルの心は干からびていた。
 ステラリアに次いで付き合いの長い古なじみの二人の前だったから、ついつい気持ちが緩んで、うっかりステラリア欲を零してしまったところ、すっかり化けの皮がはがれてしまったのは誤算だった。クリストファーは昔から気づいていたようだが、ミルフィオーレには随分驚かれた。
 以来、によによと生温い目で見られながらも、レイルは隠さず遠慮なく愚痴をこぼしている。こぼさずにはやっていられなかった。

「それもこれも全部、あの女が魅了魔法なんてものを安易に使うから……!!」

 レイルにしては珍しく、イライラを露わに呟いた。
 そう、ことの発端は、魅了魔法だ。
 新学期が始まり、新入生であるアイリ・キャンドラ男爵令嬢が入学して、たまたま何かのタイミングで彼女と目が合ったその瞬間、クリストファーとレイルは、自身に魅了魔法が放たれたことを察知した。
 すぐさま、秘密裏に対策本部が設けられ、レイルは現在その任に当たっている。クリストファーと共に魅了にかかったふりをして、アイリに近づき、目的を探ることと情報収集が仕事だ。向いていないにもほどがあるが、明確に魅了魔法をかけられた手前、知らぬ存ぜぬともいかない。
 おかげで、ステラリアには会うどころか避けなければならないわ(危険に彼女を近づけたくもなかったとはいえ辛い)、ひとかけらも興味のない男爵令嬢から言い寄られるわ、散々である。ストレスも溜まろうというもの。

 当然のことながら、魔法自体にはきっちり抵抗できたため、レイルもクリストファーも無様を晒す羽目にはならなかった。
 だが、アイリの魅了は相当強力なのか、節操なく有力貴族子弟を次々篭絡していった。生徒会の面子のみならず、騎士団長の息子もアイリの信奉者だ。魔法師団長の息子は、かろうじて抵抗できたようで、こちら側に着き師団長と一緒に解呪の方策を探してくれている。

 そもそもの話、魅了魔法は、禁呪として国家封印指定されている。
 何代か前の治世で、魅了魔法が猛威を振るい、貴族社会が大混乱に陥った過去があったのだ。
 だから、クリストファーたちは、無造作に魅了がまかれている現状に困惑した。
 よもや、どこかの国のスパイとしてアイリが潜り込み、ハニートラップを仕掛け、将来の有力者たちを内部から潰す狙いかと、戦々恐々としながら構えていたのだが。

「しかし、やはり叩いてもろくな埃は出てきやしませんね……」
「キャンドラ男爵家も、何かを企んでいる気配もございませんね。魅了が関与しているかどうかはともかく、男爵も夫人も駆け落ちした一人娘の忘れ形見として、アイリを可愛がっているみたいですわ」
「まさか、本当に単なるイケメンハーレムを作ってちやほやされたいとかいう、お花畑な理由じゃないだろうな……?」
「そんな馬鹿な……。それなら、まだ他国からのハニートラップだったほうが、気持ち的にマシですわ……。いえ、それはそれでまずいとはわかっていますけれど」
「いや、ミルフィオーレ嬢の気持ちはわかるよ。正直、ここまでくるとハニトラというより、最早テロだな」

 めいめい、げんなりと力なく肩を落とした。
 およそ2ヵ月に渡る調査の結果、驚くべきことに、アイリには自分が魅了魔法を使っているという自覚がない。彼女の魅了は、常時効果パッシブというわけでもないが、何らかの意思をもった時に勝手に発動するという大変厄介な魔法だった。たまったものではない。歩く災害である。
 だが、現段階で彼女の魅了に対する完全な対抗策はない。構築方法が異なるせいか、過去に作られた解呪では、太刀打ちができなかったのだ。
 それ故、慎重に様子を伺っていたものの、結局これといった目的がはっきりしない。アイリは、現状を単純に楽しんでいるだけだ。
 ただ、時折、「フラグが立ってない? イベント発生に好感度が足りていないのかしら?」だの「これじゃルート分岐が……」だの、わけのわからぬ不思議な呟きを残しているのを耳にする。返って不気味だ。

「私がなかなかなびかず業を煮やしたのか、ターゲットがエドにも移ったようだね。対策をしていたとはいえ、小細工程度では防げなかったみたいだ。全く、あのような女にひっかかるとは、我が弟ながら情けない」
「本当に。エドワード様も魅了の一つくらい、跳ね返せるようになってほしいものです」
「お二人とも、だいぶ無茶をおっしゃいますわね……」
「おや」

 呆れ顔をしたミルフィオーレに、クリストファーが蒼い瞳を愉しげに細めた。彼女の豊かな赤毛の一房を掬い、ちゅと唇を落とす。

「何を言う、ミルフィ。レイルもそうだが、私も婚約者への深い深い愛情があるからこそ、魅了を跳ねのけられたんだ。そういう意味では、君の存在が私を魅了から救った。私たち二人の愛がなせる技だね」
「う……、ま、また、殿下は恥ずかしげもなく、そのような世迷言を……!」
「私が君を心から愛しているのは紛れもない事実なのだから、何も恥ずかしがることなどないさ」

 クリストファーは、ぱちりと片目を瞑った。
 ぶわ、とミルフィオーレの頬が真っ赤に染まり、弁の立つ彼女が二の句を継げないで口をパクパクさせている。そんな様子をにこにこと眺めているクリストファーは、至極満足げだ。趣味が悪い。

 クリストファーの言う通り、ひとえにレイルたちが魅了魔法から免れえたのは、弛まぬ婚約者への愛故。
 もちろん、素の精神抵抗値の高さもかかわっているが、ステラリアが大好き過ぎて、他の女に目をくれる余地などどこにもないのだから、当然の結果である。
 ちなみに、クリストファーもレイルと同類だ。婚約者であるミルフィオーレのことを、べろべろに溺愛している。普段はツンと澄まして強気な彼女が、クリストファーの囁き一つで恥ずかしがったり、キレたりして、崩れた素の表情が可愛いのだとか。
 そんな風にのろけるくせに、クリストファーは決して人目がある場所ではミルフィオーレへの溺愛っぷりを表に出さない。あくまでも決められた婚約者どうしという体を取っている。貴族同士の勢力関係を窺っているのもあるのだが、本音は「不特定多数にこんなミルフィの可愛い姿を晒すなんて、もったいないだろう? 知る人が知っていればいいのさ」という理由らしい。
 レイルに、ミルフィオーレの可愛さとやらはさっぱり理解できないが、その気持ちはわからなくもない。だって、ステラリアの愛らしさを全世界に広めたくもあるし、一人で独占したくもある。二律背反だ。
 人の趣味は多種多様で、そもそも他者がとやかくいうことでもない。将来の国王と王妃の円満が約束されているのであれば、国は安泰だろう。

 とはいえ、人前で何をやっているのだ人前で。
 イチャイチャを見せつけられるのは、勘弁してほしい。こちとらは婚約者に会えず、飢えまくっているというのに、この上司ときたら。
 大体、揶揄い混じりの声音で、ちゃらちゃらと軽々しく口説くから、ミルフィオーレが変に拗らせて反発するのだ。クリストファーは、そんなやり取りを楽しんでいる節があるのだから、ご馳走様である。
 高位貴族に囲まれ顔を青くしているマクベスは、茶の給仕以外書類整理に没頭し綺麗に気配を消しているので、当てられたのはレイルだけである。

「お前たちは近くにいられるからいいよなぁ……。はぁ、ステラが恋しい……」

 眼鏡を押し上げ、レイルが深々とため息をつくと、二人の世界を展開しかけていたミルフィオーレがはっと我に返った。
 慌ててこほんと咳ばらいをするが、誤魔化しにもならない。クリストファーは、目尻をやに下げ、にやにやと唇を緩めている。

「ご、誤解しないでくださいませ! そ、それにしても、あの子、ガルシア伯爵令嬢、テンポは独特ですけど、頭の回転も悪くなさそうでしたわね。薄々、何かありそうだとは察している雰囲気でしたけれど。貴方に会えなくて寂しいと言っていましたわよ、彼女」
「……それはわかっているが、こんな茶番に、ステラを巻き込みたくなかったんだ」

 レイルは、ぐっと唇を引き結んだ。
 魅了魔法の取り扱いは、現時点でまだ機密に該当している。いくら婚約者のステラリアとはいえ、内容をおいそれと話したりできない。
 クリストファーと共にアイリを囲むレイルを遠目で伺いながら、しょんぼりと肩を落とすステラリアの姿を思い出して、レイルはずきずきと痛む胃の辺りを押さえた。ダメージとストレスと罪悪感が深刻だ。

「腹芸苦手そうだしなあ、あの子。貴族なのに、感情が表に出やすくて、どこかふわふわしていて危なっかしい。お前が顔に全く出ない分、釣り合いは取れていそうだがな」
「レイル様の心配は、わからなくもありませんけれど。あの子、小動物みたいに可愛くて、愛でたくなりますものね。わたくし、すっかり気に入ってしまいましたわ」
「おや、気難しいミルフィにしては珍しい。やるね、ステラリア嬢」
「ふん、ステラが可愛いのは、この世の摂理であり世界の常識だからな」
「だから、わたくし、ステラとお友達になりましたの。今度お茶会をしますのよ」
「なっ……!? 抜け駆けだ、ミルフィオーレ嬢! 最近、やけに距離が近づいているなと思っていたら! 俺ですら、ここ数か月まともに会えていないのに、ずるい! 俺だって、ステラとお茶したい!」
「あらあらまあまあ、鉄仮面の貴方が、随分と子供っぽくなって……。それに、心が狭いったら。お仕事とはいえ、殿方二人は男爵令嬢を囲うのにお忙しいでしょうし? レイル様の分まで、わたくしがステラと仲良くして参りますわ」
「……意地が悪いな、ミルフィ」
「ふふふ、とっても楽しいですわ」

 先ほどの意趣返しとでも言わんばかりに、ミルフィオーレは勝ち誇ったように胸を張って笑った。
 ストレスの矛先を自分の方に向けないで欲しいと、レイルはぎりぎり歯噛みした。
 確かに、好き好んで接触しているわけではないとはいえ、不本意ではあるが傍から見たら浮気紛いのようなもので、女性陣への心身の負担は大きいだろう。実際、自分が逆の立場だったら、正直我慢できるかどうか怪しい。

「なれば、ミルフィとイチャつくために、いい加減決着をつけたいものだが……」
「で、殿下っ!?」
「さて、この後、どう仕掛けてくるやら。全く動きが読めないが……もう少ししたら、園遊会が催されるね。果たして、彼女はどうするつもりかな」

 クリストファーが、ぺらりと机の上に広げた書類には、件の園遊会のために申請しておいた予算が通った旨が記載されている。
 社交シーズンになる頃合いに、学園でも学生同士で交流の場を設けるべく、毎年開かれている催しだ。礼服は着用しないものの、社交界を意識した形で執り行う、いわば練習台として位置づいている。学園内では一、二を争うほどに、華やかなイベントである。
 何かが起きるには、ちょうど良い舞台ではないか。
 にっとクリストファーが目を細めた。

「……噂によると、エスコートの申し込みがわんさか来ているとか。婚約者をほったらかして、殿方は何をなさっているのかしらね」
「早くこんなろくでもない仕事から解放されたいですよ……」
「同感だな」

 現状報告と、対策のすり合わせ、顔なじみだからこそできる軽口を叩き合いながら、羽ペンを動かす手は止めず、四人は書類をさくさく片づけていくのだった。

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