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01.夜会① ステラリア
しおりを挟む私の婚約者は、完璧だ。
かたかたと歩んでいた馬車が、馬車止めでゆっくりと止まった。ようやく到着したようだ。言葉少なながらも弾んでいた他愛のない会話を終え、ステラリアはぴんと背筋を伸ばした。
馬車は揺れも少なく、椅子のクッション性能も高くて、身体への負担が圧倒的に和らいでいた。内装もごてごてしておらず、むしろシックでシンプル。ここまで乗り心地のよい馬車もなかなかないだろう。さすがは侯爵家。贅を凝らしている。
「さあ、ステラリア嬢、手を」
「ありがとうございます、レイル様」
開いた扉から、すっと差し伸べられた手に笑みを返し、掌を重ねた。
ステラリアの視線の先にあるのは、眼鏡の奥から覗く海を溶かし込んだような蒼の瞳。やや鋭い視線は、知性を帯びて、彼の魅力をぐっと増している。あつらえられた濃紺と銀の正装が、金色の髪の毛に映え、怜悧に冴え渡る彼の美貌に至極似合っていた。
そして、胸元を飾るチーフは、淡い黄緑。ステラリアの瞳を纏ってくれて、胸がじんわり暖かくなる。
彼の名は、レイル・イングラム。イングラム侯爵家の嫡男だ。
王太子の学友であるレイルは、冷静沈着、勉学にも剣術にも魔術にも長け、各方面から将来を嘱望されるほどに評判高い。
そんな彼は、伯爵令嬢たるステラリアの婚約者である。
レイルは、ステラリアを力強く支え、難なく馬車から降した。
隣に立たれると、ゆうに頭一個分は異なる身長の差がはっきりする。しなやかに伸びた体躯は、日々の剣の稽古によるものか程よく鍛えられ、礼服の上からでもスタイルの良さがわかる。幼い頃は、さほど変わらぬ背の高さだったのに、ここ数年で彼はすっかり頼もしく成長した。
高めのヒールでいささか動きづらいステラリアの歩みを鑑み、レイルはゆっくりと歩幅を合わせてエスコートしてくれる。歩きやすく、抜かりはない。さすがだ。
彼から贈られたドレスとアクセサリ一式は、互いの色を載せたお揃いの仕立てで至極可愛い。ぴったりで着心地も良く、身に着けたテンションは随分と高い。
けれども、デビュタントから数えてもまだまだ場数の足りないステラリアにとって、夜会はそれなりに緊張を生む。特に今日は王家主催の大規模なものだ。
「ドキドキしていますね?」
「え、ええ……お恥ずかしい限りです」
「大丈夫、何があっても私がサポートしますから、ステラリア嬢は存分に満喫してください」
「はい。ありがとうございます」
きらびやかな王宮が近付くにつれ、すーはーと、小さく呼吸を繰り返していたからだろうか。ちょっとだけ間抜けな自分が恥ずかしかったものの、安心する声音でレイルから言葉をかけてもらえて、ステラリアは肩の力を抜きはにかむ。
「レイル様と一緒の夜会、楽しみにしていたんです」
「……ええ」
すると、表情に乏しいレイルが、珍しくほのかに唇を緩めた。
ステラリアは、思わず目を丸くする。
笑った!と叫びたい気持ちを、ぐっとこらえる。はしたない声が漏れ出なくてよかった。レイルの笑みはとびきり素敵で、ほんの一瞬の出来事だったのに脳裏に焼き付いてしまった。ステラリアは、余計ドキドキ高鳴ってしまった胸を治めるのに随分と苦労した。
レイルの微笑が稀有すぎて、嘘か誠かと入場前から随分と周囲を騒がせ注目を浴びたが、本人は至ってどこ吹く風。ちらりと視線を向けると、先ほどの柔らかい笑みはどこにいったのか、やっぱり見間違いだったのかというくらいの仏頂面だ。
一瞬ではあったが、ステラリアだけに向けてくれた笑顔だと思うと、心が浮足立つ。
真っ直ぐ視線を前に向け、堂々とエスコートに徹するレイルに促され、ステラリアは会場へと足を踏み入れた。
* * *
ほわああとステラリアは頬に手を当てため息をつく。まるで夢のようなひとときだった。
特に、つい今しがたまで手を取り踊っていたダンスは、あまりにも素敵だった。レイルは、ダンスも完璧なのだ。
普段より少々高いヒールのせいもあり、足元を縺れさせたステラリアの腰を軽々抱き上げ、ふわりとスカートが翻るほどのターンをし、まるで何事もなかったかのように流れを戻した。派手なパフォーマンスに、周囲からどっと拍手が沸く。
「ご、ごめんなさい、レイル様」
「足をくじいたりは? こちらこそリードが甘かったようで申し訳ない」
「ううん、大丈夫です。レイル様とのダンス、とっても踊りやすくて、いつまでも踊ってしまえそう!」
「ならよかった。ダンスは楽しんでこそですからね。ではレディ、このまま続けてもう一曲、お付き合いいただけますか?」
「喜んで!」
身を寄せ合い、謝罪と会話をこそこそしながら交わせば、ステラリアの焦った気持ちを落ち着かせるようにとんとんと背をそっと叩かれる。
入場時の笑みは幻だったのかと思うくらい、レイルの表情は真顔のまま揺らがない。けれども、ところどころ彼からの気遣いを感じられたダンスは、その後大きなミスもなく、ステラリアは終始笑顔でステップを踏むことができた。
余韻に浸りながら、レイルがとってきてくれた飲み物を口にする。さっぱりした甘さでおいしく、ほてった身体を冷ましてくれるよう。続けて2曲レイルとダンスをしたからか、気づかず喉が渇いていたらしい。
当のレイルは、王太子クリストファーに呼び出され、少し離れたところで複数人で談笑中だ。よくよく見れば、国最高の頭脳と名高い宰相もいる。大人ですら、宰相とのやり取りはプレッシャーがかかると聞く。なのに、気負いも衒いもなく、レイルは普段と何ら変わらぬ様子で胸を張り、意見を交換している。そんな婚約者が、ステラリアは誇らしかった。
タイミング悪く、学院で親しくしている友人たちは、各々婚約者を引き連れて挨拶回りをしている。軽く手を振りあったが、まだ身体は空かないようだ。
壁の花として会場内をのんびりと眺めながら、ステラリアは手持無沙汰にクルクルとグラスを目の前で回した。
色とりどりのドレスをまとった華やかな女性たち、光を反射してキラキラと輝くシャンデリア、心地良いメロディを奏でる楽団の演奏、シェフが腕を振るった見目も味もよい軽食の数々。ガラス越しに見る世界は、ステラリアの目と耳を、こよなく楽しませる。
が、貴族の集まる現実は、そんな美しいものばかりでもない。
「クリストファー殿下、本日のお衣装もとても良くお似合いで格好いいですわ。笑顔が眩くて、目の保養」
「あら、お隣のレイル様だって、負けていないわよ。今日も麗しくて、さすが氷の貴公子、涼やかなお顔がたまりませんわ……」
「お二人がそろうと太陽と月みたいで、うっとりしてしまいますわね」
ステラリアのそばでは、数人の女性たちが熱い視線を流している。
クリストファーも、レイルも、家柄良し、顔良し、財産良しのいわゆる好物件男性で、婚約者にがいるにもかかわらず、多くの女性たちの耳目を集めている。
「レイル様はあんなに完璧なのに、婚約者の方はあんまりぱっとしませんのね。確か、ガルシア伯爵家のご令嬢でしたか?」
「ええ。筆頭侯爵家とあまり釣り合わないのに、長らくレイル様を縛り付けて、恥ずかしいお人。あの方にふさわしいとは思えませんわね」
「ですが、イングラム侯爵家とガルシア伯爵家は、事業提携を結んでおりますもの。所詮は政略なのでしょうね。レイル様、にこりともしていらっしゃいませんから。お可哀想に……」
「わたくしが替わって差し上げたいくらいだわ」
くすくすくすと愛らしい笑い声でさざめく唇から飛び出すのは、明確な悪意の塊。ステラリアは辟易して、そっとその場を離れた。
(またか……)
二人の婚約は幼い頃に結ばれたものだが、歳を重ねるにつれ、ステラリアはこういった悪意に晒されるようになった。レイルがあまりにも素晴らしい紳士に成長した故の弊害なのだが、さすがに何度も繰り返されると、いい加減うんざりしてしまう。
(どうして私が婚約者なのかだなんて、そんなの私が知りたいんだけど……)
そんなことくらい、自分が一番よくわかっている。
拗ねた気持ちを抱えたまま、ステラリアは会場内をふらふらと移動した。
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