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その腕の温かさを知る

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 ゴゴゴゴと頭上から轟音が聞こえる。振動で、積みあがっていた木箱や小麦の袋が床に散乱した。天井につり下がったランプが、ぶらぶらと揺れて、パラパラと砂や埃が落ちてくる。

「な、何が起きているの……? 危ないから二人ともこっちに来てじっとしていてね」
「お姉さん……」
「ふええっ……怖いよぉ……!」
「大丈夫、大丈夫だよ」

 急な事態に怯える兄妹たちを抱きしめながら、貯蔵庫の中でも私はなるべく荷物がない付近に移動する。そこまで多く物がひしめいていなくて逆に助かった。閉じ込められている今、逃走の術すらない私たちには危険回避もままならない。
 しばらくすると、揺れはおさまった。兄妹たちとほっとして身体についた埃を払っていると、階段を駆け下りてくる音がする。ガチャガチャと扉の鍵を開けて慌しく踏み込んできたのは、闇魔法を使う男だった。

「おい、お前ら何かしたのか!?」
「はい……?」

 動揺も露わに怒鳴ってくる男に対し、私たちはぽかんとするしかない。地震のことでも言っているのだろうか。もし私にそんな真似ができるのであれば、最初からやっている。

「畜生、何で、何で急に!!」

 怪訝そうな私たちの様子を見て頭をかきむしった男は、悪態をつきながら転がるようにしてこちらに来る。何をそんなに焦っているのだろう。
 すると、その背後から忍び寄る影が、階上の壁に設えられたランプに照らされ長く伸びた。こつ、こつ、と踏みしめるように石階段が鳴る。

「……やあ、こんなところに閉じ込めていたんだね」

 開いた扉の先、爪先からゆっくりと全身を現したのは、金色の長い髪を揺らし、魔法師のローブを纏い、相変わらず高貴な姿で食えない笑みを湛えた信じられないくらいの美丈夫。良く見知った彼が、私の目の前に立っている。
 殿下。ルクス殿下だ。
 ……どうしよう、泣きそうだ。ぐっと胸に何かがせりあがって、声にならない。駆け出したい衝動は、闇魔法の男がポケットからナイフを取り出し、私の首筋に当てられたことで冷や水を浴びせられた。

「くそっ! おい、そこから動くな! こいつらがどうなってもいいのか!?」
「うーん、僕の目の前で、どうして自殺行為をするかな? 甚振ってやろうかと思ったけど、子供がいる前ではさすがに忍びない」

 物騒なことを呟きながら、肩を竦めて酷薄に口角を吊り上げたルクス殿下は、人質を取られているというのに随分余裕めいている。対して、男は顔を引きつらせていた。

「ひっ……この、バケモノめ!! 深き闇の神ディアレンツェの安らぎを、《睡眠スリープ》!!」
「小手先の一芸程度じゃ効かないよ。《反射リフレクション》」
「う……あ………」

 対峙はほんの一瞬。からんとナイフが音を立てて床に落ちる。返された魔法を自ら食らって、男はあっけなく眠りに落ち、ぱたりとその場に倒れ伏した。
 エマ様を翻弄した魔法だったのに、ルクス殿下は指先一つで軽くあしらっている。魔法師としての、圧倒的な実力の差が凄い。というか、魔法を反射するなんて芸当、できるんだ。

「ユユア嬢、助けにくるのが遅くなっちゃってごめんね。もう大丈夫だよ」
「殿下……」

 詰めていた息を、一気に吐き出す。久しぶりに見るルクス殿下の笑顔に、全身が安堵に包まれた。うわ、安心したせいか、身体の力が一気に抜けた気がする。元々蹲っていたとはいえ、情けない。腰抜けてないよね……?
 感動の再開も束の間、ルクス殿下の後ろから、更にばたばたと人が駆け込んでくる。

「殿下! 一人で先行しないでくださいと何度言ったらわかるんですか!」
「魔法で一挙に殲滅して放置ってめちゃくちゃです!」
「ええー、だってそれが一番手っ取り早いじゃないか」

 顔なじみ同士の、既視感を感じるやりとり。武装して現れたクロード様とエマ様に、殿下は悪びれもせずにははっと笑った。さっきの地震はもしかして殿下が引き起こしたのだろうか。だとしたらスケールが大きすぎる。エマ様の口ぶりからすると、他にも盛大にやらかしていそうな予感がする。

「エマ、クロード、こいつ沈めたから頼んだ。あと子供が二人囚われている。……おや、これまた珍しいのを見つけてきたな。二人合わせて、光と闇属性の持ち主じゃないか」

 敵との対峙で見せていた冷酷さとは異なり、場違いに殿下の声がウキウキと弾む。どうやら兄妹に興味が引かれたようだ。
 好奇の視線と殿下の魔法に、兄妹は怯えを見せていたけれど、「怪しい人だけど怪しい人じゃないよ。助けに来てくれたんだよ。もう大丈夫。おうちに帰れるよ」と言ったら、腑に落ちなさそうな顔をしつつも警戒を解いてくれた。急にたくさん大人が立ち入ってきたら、今までのこともあるしそりゃあ怪しむよね。殿下は「怪しい人とは酷いなあ」とぼやいていたけれど、あんな魔法を繰り広げる絶世の美人とか、どう考えても怪しい人です。

「ユユア様、ご無事で何よりです。私がふがいないばかりに、お守りしきれず申し訳ありませんでした」
「ううん、そんなことないです! それよりも、エマ様がお元気そうでほっとしました……よかった」

 声をかけてくれたエマ様と視線を交わし、互いの無事に笑みをこぼす。すっかり回復したエマ様を拝見できて、私は胸を撫でおろした。涙腺が決壊しそうだったが、今泣いたらきっと困らせるのでぐっと我慢だ。エマ様は申し訳なさそうにしていたけれども、私が最後に見た彼女は地に倒れ痛めつけられたお姿だったから、一番の気がかりが払拭された。

「では殿下、我々は後処理を行ってきますので、ユユア様をよろしくお願いします。さあ、君たち、私と一緒に行きましょう」

 エマ様が妹ちゃんを、クロード様がお兄ちゃんを抱き上げる。二人の肩越しにこちらを向いた兄妹が、手を伸ばしてきた。

「お姉さん、俺はライ。妹はレミだよ! また会えるかな?」
「ユユア。私はユユアよ! 会いに行くわ!」
「ライ、レミ、色々と聞かなければならないこともたくさんあるし、ユユア嬢と会えるようとりはかろう。だから、今はしっかり身体を休めなさい」
「本当? ありがとう、お兄さん!」
「やったぁ! ユユアお姉ちゃん、またね!」
「ええ、またね」

 見えなくなるまで手を振る兄妹を見送る。なお、クロード様はライを抱いたのと反対の手で闇魔法師の男の襟首を持ち、回収していった。階段でも遠慮なくにガタガタと引きずっていたけれども、打撲が酷いことになるのではなかろうか。

「殿下、助けに来てくださってありがとうございます」
「……僕がいない間に、随分と懐かれたようだね? ちょっと妬けるな」
「懐かれたというか、拉致された同士というか。非常時でも殿下は通常運行ですね……」
「はは。これでもだいぶ焦っていたんだけどね。さて、立てるかな?」
「殿下がきてくださったらほっとして、気が抜けてしまって……すみません」

 差し出された手を借り、どうにか立ち上がる。身体は思ったよりも怠く重かった。緊張状態から解放され疲れがどっと出たせいか、足がふらついて、がくんと崩れ落ちそうになる。すんでのところで殿下が私の腰を抱き、支えてくれた。殿下の胸にすがるような形になってしまい、気まずいが過ぎる。

「申し訳ありません……」
「仕方ないよ。でも、思ったよりも平気そうかな」
「ええ……私は大事な商品でしょうから、そうそう変な扱いをされることはないかと思っていましたし」
「商品って……身も蓋もないな。怪我や乱暴な真似、されていない?」
「はい、平気です。まあ、さすがにちょっと恐かったりもしましたけど」

 犯人たちの間で交わされる怒鳴り声は耳障りで、凄くストレスだったし、馬車での無茶な移動はしんどかった。正直、独りぼっちは心細かった。このまま帰れなかったらどうしようと湧き上がる悪い想像を、何度も何度も振り切った。


「でも大丈夫だって、絶対に殿下が助けにきてくれるって信じていましたから」


 そして、ちゃんと殿下はやってきてくれた。前に冗談交じりに、ピンチの時に助けにくると呟いた通りに。
 もう、本当、たまらない。どうしよう、やっぱり私は殿下が好きだ。
 気丈に振る舞ってはみたものの、さすがにそろそろ想いが溢れて我慢も限界だ。決壊しそうな涙腺は、とうとう目尻を侵略し、涙の膜を張る。
 殿下に顔を覗き込まれて、ちょっと恥ずかしい。へへと照れ隠し混じりにはにかむと、殿下は何かを堪えるようにうあーと唸った後、私を思いっきり抱き締めた。

「あーもう! 好きだ……!」
「へ?」

 ……へ?
 なに。ルクス殿下は一体何を言った。

「こんなムードもへったくれもないところで言うつもりじゃなかったのに……。くそ……君があまりに可愛いこと言うから、我慢できなくなったじゃないか」

 少し照れくさそうにして、ルクス殿下が唇を尖らせる。そんな子供じみた仕草をするルクス殿下のほうが、私よりよっぽど可愛いのですが。
 夢か。夢じゃないのか。いや、絶対に夢でしょう? だってあまりにも私に都合が良すぎる。
 私が茫然としたまま自分の頬をつねってみると、小さく喉を鳴らしたルクス殿下はその手を取って、愛しげにちゅっと口づけた。流れるように洗練された仕草は、私にクリティカルヒットを喰らわせた。

「そんな顔されたら、もっと色々したくなるけど、ちゃんと後できっちり口説かせてくれ。まずは君の体調が心配だ」

 情報が、情報が処理しきれない!
 大混乱な心情をよそに、ルクス殿下はひょいと私を横抱きに抱える。ひっと思わず出た悲鳴をかろうじて飲み込んだ。正直、殿下への想いをはっきりと自覚してからまだ日が浅いのに、こんな思わせぶりなことを次々とされては、身も心も持たない。さっきから、心臓はバクバク鳴っていて音が辺りに聞こえないのが不思議なくらいだし、全身は熱に苛まれて焼かれてしまいそう。ルクス殿下は、私を一体どうしたいのだろう。

「で、殿下!? お、下ろしてください!?」
「しっかり掴まって。ほら、僕の首に手を回して。ちゃんとしないと、落としてしまうよ?」

 ウィンク一つと軽い揺れ。冗談交じりに呟かれ、私は慌ててルクス殿下にしがみついたものの、彼の腕は頼もしく安定していて、落とされる羽目にはならなそうだ。
 ふ、と顔を上げると、ルクス殿下の麗しい相貌が物凄く近い。凄く近い! 内心でうあああと叫びつつ動転のままに身を捩るけれども、ルクス殿下はびくともしない。

「こら、じっとしていなさい」
「だって、は……恥ずかしいです……これ!」
「僕は役得だなあ! ユユア嬢のドキドキが響いて、これはいいねえ」
「あああ悪趣味です!!」
「でもさ、多分これ以上は動けなかっただろうし、囚われのお姫様は大人しく運ばれてね?」
「うう、はい……」

 言い含めるような真剣な声音なのに、いちいち言葉のチョイスが更に私の羞恥心を煽る……。
 だが、いい加減緊張の糸が切れてしまったようだ。殿下の温かな腕の中と、ゆったりとした振動に身を任せているうちに、私はいつの間にか泥のような眠りに落ちていた。
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