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牢内ご飯

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 ――ふっと、意識が浮上する。
 最初に視界に入ったのは、薄暗い石天井。
 目を何度か瞬かせた後、私ははっと我に返った。身を起こして辺りを見渡す。
 牢だ。
 目の前に広がるのは鉄格子。私はその一角で、簡素なベッドの上に寝かされていたらしい。通る風が、ひんやりと冷たい。私はぶるりと身を震わせた。

(ここはどこだろう……)

 途中、《睡眠スリープ》の闇魔法が切れたタイミングで、周囲の状況を伺うのはさすがに難しかった。後ろ手に縛られ、荷台に転がされた荷物扱いの私にわかるのは、せいぜい幌馬車での移動くらい。すぐに眠らされてしまったから、現在位置も特定できなかった。
 どうやら私は誘拐されたようだ。強制睡眠は、私の頭に少しだけ冷静さを取り戻させてくれた。深呼吸を一つ。思ったよりも、心は落ち着いている。
 身体の節々が痛む。馭者の手綱さばきがだいぶ荒々しかったから、痛みはそのせいに違いない。犯人側からすれば、追手がかからないうちに王都から離れたい。強行軍にもなろう。
 あれからどれだけ時間が経過したのか。とにかく眠っているうちに運ばれたせいで、場所も方角も時間感覚もあやふやだ。
 石で作られた頑丈な牢屋は、天井近くの壁に通気のための穴があいている。そこから差し込むわずかな光は、濃いオレンジに染まっている。馬車で目覚めたときは夜だったから、少なくとも1日以上は経過している。

(せっかく、エマ様と楽しんでいたのにな……)

 ほんの数時間前までは、エマ様と笑い合い城下を練り歩いていたのに。
 傷つき倒れたエマ様の姿を思い出し、ぐっと胸にせりあがってくるものがある。嫌な予感を振り払うように、私は頭を振った。大丈夫。エマ様はそんな柔な方じゃない。

(殿下のくださったものも、全部なくなっちゃった……)

 胸元のネックレスは、気が付けば消失していた。幻惑魔法が付与されたブレスレットを見破ったのだ。魔道具の効果がわからなくても、警戒されて当然だ。回収されたか、もしくは捨てられたに違いない。
 リボンも少年の手で奪われてしまった。よりどころとなる存在が一つもなく、私は不安と心細さにとらわれそうになる。
 でも、それ以上に。
 ぱん、と頬を両手で叩く。
 負けた気になるのは嫌だった。
 凹んでいても仕方ない。弱気をねじ伏せ、心を奮い起こす。
 この状況で、自分ができることなど微々たるものだとわかっている。ならば、ないなりにどうにか隙を窺って、逃げるほかない。それに、ルクス殿下たちだって、私を見捨てたりなどしないはずだ。絶対に。

(そのためにまずは……)

 身体は現金なもので。意欲が湧いた途端に、ぎゅうと胃が空腹を訴えるように鳴いた。がらんとした牢に、その音は綺麗に響き渡った。誰もいないとはわかっていても、妙に恥ずかしくなる。緊迫した状況なのに、緊張感のなさがあまりにも自分らしくて、思わず乾いた笑いを漏らしてしまった。

(お腹空いたなあ……)

 下腹をさすって、我儘なお腹を窘める。犯人たちに、食事を忘れられていないといいけれど。
 といっても、さほど心配はしていない。会話の端々から伺えたが、私は大事な『治癒魔法を使える商品』だ。そこまでぞんざいな扱いはするまい。
 犯人たちは、私を光属性持ちだと完全に特定していたし、幻惑魔法による偽装も看破していた。聖女についての情報は、まだ市井では噂レベルでしか流れていなかったはずなのに、だ。
 聖女がユユア・ブルーマロウであるという情報は、ルクス殿下の権力である程度の統制をしていたとはいえ、バレる可能性はもちろん無きにしも非ず。つまり、情報に伝手のあるそれなりの存在が、意図的に犯人へ私を売ったのだと思われる。

(まあ、明らかに第二王子殿下陣営が怪しいわよね……)

 私がいなくなって得をするのが誰かと言えば、ミレディ様だろう。彼女にとって、私は目の上のたんこぶでしかないから。
 そんなことをつらつら考えていると、いつの間にやら差し込む光が細くなり、周囲は暗闇に包まれた。ほうほうとフクロウの鳴く声が、遠くに聞こえる。本格的に夜が訪れたらしい。
 しばらくすると、たんたんと石畳の階段を降りてくる音が響き始めた。逃げる場所などどこにもないが、ベッドの端っこで警戒を露わにじっとしていると、カンテラとトレイを手にした一人の男が鉄格子越しに覗き込んできた。

「ああ、起きていたか。メシ持ってきたぞ」

 カンテラの炎に照らされたのは、闇魔法を使う男だった。被っていたフードを脱ぎ晒した顔は、やや陰気で目つきが悪く、やせぎすな感じがする。

「……ありがとうございます。いただきます」
「……何だ、てっきり泣き濡れているかと思ったが。あれだけピーピー騒いでいたのに、存外肝が据わっているんだな」
「自分が攫われるとわかっていながら、大人しくしている人なんて普通いないと思います」
「そりゃそうだ」

 可笑しそうに喉を鳴らしながら、鉄格子の扉の一部を開き、男は食事と差し入れてくれる。シチューとパンのシンプルな献立だったが、湯気が立っているので温かそうだ。鉄格子の外側に置かれたカンテラの蝋燭は短く、さほど長く持ちそうにない。

「毒なんか入ってねぇからちゃんと食えよ。餓死でもされたら、こっちも商売上がったりだからな」
「私をどこに連れていくつもりですか?」
「答えるとでも?」
「答えてくれなければ、ご飯食べませんよ?」
「ふはは! そんな可愛い脅しで、しゃべるわけないだろう」

 仕事は終えたとばかりに、男は去っていった。もちろん、この程度で口を割ってくれるとはさらさら思っていなかったので、それはそれ。私はいそいそと食事にありついた。
 シチューはやや水っぽく薄かったが、冷え込み始めた地下で温かい食事はありがたかった。薄暗い牢の中で、美味しくもなく不味くもないそれにパンを付け、もそもそと咀嚼をする。一生のうちで牢屋に入ってご飯を食べるなんて経験、する羽目になるとは思いもよらなかった。本当、ルクス殿下と出会ってからこっち、良くも悪くも想定外のことばっかりが起きて目まぐるしすぎる。

「せめて攻撃魔法が使えたらなあ……」

 ルクス殿下や魔法師団長様みたく、ガンガンに攻撃魔法をぶっぱなせるくらいに技量も魔力もあったなら、この鉄格子も壊せたかもしれないのに。足手まといも甚だしい。
 こうなってしまっては、腕力もなく、武器も扱えず、体力と逃げ足には多少自信があるものの、宝の持ち腐れな治癒魔法だけの一芸女は駄目だと段々気分が落ち込みそうになる。逃げるとか、冷静に考えて無理では? だが、落ち着いてほしい自分。本来なら、田舎の一子爵令嬢が、そうそうこんな危険な目に合う機会はない。でもまあ、無事戻れたら、エマ様から護身術を習おう。そう決めた。
 カンテラの灯が消えれば、いずれ辺りは真っ暗闇に覆われる。いずれ夜陰にも目は慣れるだろうが、行動を起こすには無謀だ。することといったら、寝るよりほかにない。
 無力感を抱えつつも、ご飯をすべて平らげた私は、薄い毛布を頭から被り潔くふて寝を決めた。





「……食べないんじゃなかったのか?」

 翌朝。すっかり空になった皿をじとっと眺めながら、男が呆れ混じりに揶揄してくるが知らんふりだ。

「私、ご飯は粗末にしない主義なんです」

 領内の災害時に、一時的にではあったものの食糧難に陥った。食べ物の大切さを、私はよく知っている。ひもじくなればなるほど、人は荒んでいくのだ。
 毒気を抜かれたような顔で、男はがりがりと後頭部を掻いた。

「なんつーか、貴族らしくないお嬢さんだな……。アンタ、お高くとまっているって噂の聖女じゃなかったっけ?」
「噂なんて作る気になればどうとでもなるでしょう? こちとら真面目に仕事していただけなのに、こんな厄介ごとに巻き込まれて、正直いい迷惑なんです」
「ぶはは。アンタ、ろくでもない奴らを敵にまわしちまったってわけか。災難なこって」
「貴方もそのろくでもないのの一人ですけどね」
「違いねぇや。まあ、アンタがどんな人間だろうが構いやしねぇよ。俺たちにとっては、治癒魔法が使えるっていうただ一点で価値がある」

 空の皿が載ったトレイと朝食のトレイを入れ替え、彼はにいっと不敵に笑った。

「昼には発つからな」

 対話はできても、肝心な情報はぽろりともしない口の堅い男だ。交渉の余地はなさそうで、私はため息をついた。
 朝食は、パンとオムレツとスープだった。男はあんなことを言っていたものの、一応人間扱いしてくれるようだ。
 卵の味を噛み締めながら、私は脱出の機会へと思いをはせる。
 一番厄介なのは、男の《睡眠スリープ》だ。光属性と同様珍しい闇属性の中でも、比較的簡単とされる魔法。効果が使用者の魔力と相手の抗魔力や属性の相性によって左右されるため、博打度が高く、意外に軽視されがちだったりする。精神干渉系魔法は、案外取り扱いが難しい。だが、もちろん魔力が高い者が使えば相応の凶器に変わる。エマ様のような手練れですら沈められたし、闇魔法と相性の悪い私もぐっすりだ。ルクス殿下辺りが使えば、必中ではなかろうか。
 本来なら、人に害意を持って使うのは邪道とされている魔法の一つなのだが……どこにでも悪知恵の働く者はいる。だからあの男は、裏社会で働いているのだろう。

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