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ネゴシエーション①〜sideルクス

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「ユユア嬢が足りない……僕の潤いが……」
「殿下、手を止めないでください。私だってからっからですからね!」
「いやー! エマがうらやましいぞ。僕も休暇が欲しい!」
「私だって休暇がほしいですよ。何徹していると思っているんですか。トップのアンタが駄々こねている場合じゃないですよ! 私なんてあんまりにも帰れなくて、娘に顔忘れられそうになったんですからね!?」
「いつも以上にジャックが冷たい」

 ジャックといつもながらの軽口を叩き合いながら、事務仕事を進める。口を動かしつつ羽ペンも動かし、堆く積みあがった書類をさくさく倒していく。
 普段ならここにユユア嬢が雑用としてあれこれ甲斐甲斐しく手伝ってくれるのだが、今日はエマからの連絡で急遽休暇になった。久しぶりの執務室詰めで、ユユア嬢に会えると浮かれていたのに残念極まりない。彼女も働きづめで大変だっただろうし、気分転換もいいだろうと快く送り出したのだが。


「殿下、大変です!!」


 執務室へ血相を変えて飛び込んできたクロードがもたらした報告に、僕は腰を浮かせ眉根を顰めた。

「……ユユア嬢が攫われた、だと? 間違いないのだろうな?」
「はい。揉め事が起きているようだと巡回中の騎士へ通報があり、彼らが駆け付けたところユユア嬢の姿はなく、エマだけが路地裏に倒れていたそうです。それとこれらが路上に……」

 クロードの掌にあるのは、鎖のちぎれたブレスレットとペンダント。碧の魔石が散りばめられたそれは、よくよく見知った装身具だった。ぎ、と僕は掌をきつく握りしめた。

「ユユア嬢に渡した魔道具……。エマは?」
「少し蹴られた痕がありましたが、命に別状はありません。エマはどうやら睡眠魔法で強制的に眠らされた模様です。恐らく相手の魔法に抗うために、腿に自ら武器を刺した形跡があります」
「全く、無茶をする……。わかった、エマは少し休ませておけ。目が覚め次第、話を聞こう」
「かしこまりました」

 クロードの目がギラギラしていたが、僕も相当なものだっただろう。
 今すぐにでも執務室を飛び出していきたい気持ちを押さえつけて、俺は指示を出す。ユユア嬢がどこに連れ去られたのか、わからない。かなりの時間が経過してしまった以上、当てもなくやみくもに探したところで、徒労に終わるのは火を見るよりも明らかだ。それに、諸々問題は山積みになっている。どの道、すぐには動けない。逸るな。

「それと、城門に手を回しましたが、慌しく出ていく商隊を見たとの報告が上がりました。南東方面に向かったところまではわかったのですが、正確な足取りまでは……」

 脳裏に地図を思い描く。街道はいくつかあるが、南東方面だと辺境伯領か、南へ向かうパターンが多い。総じて、隣国へと繋がるルートでもある。

「ふむ……国を超える気か……?」

 ユユア嬢を攫ってどうするつもりか。身代金、光魔法、人身売買、国外追放。ただ、殺害の可能性は恐らく低い。殺害目的なら、わざわざ攫わずともその場で殺したほうが早いからだ。
 考えられる目的はいくつか浮かぶものの、一番問題になるのは、ペンダントをしていないユユア嬢が、王都を離れたということだ。



「まずは陛下とマティアスに緊急の連絡を。恐らく、数日のうちにスタンピードが起こると」



* * *



 内々での段取りに、ようやく一段落ついた。
 ぐるぐるととぐろを巻く憤りを抑えながら、僕は執務室への道を歩く。
 ユユア嬢の拉致は、十中八九第二王子派の仕業であろう。ただ、れっきとした証拠が出ていない以上、今感情的に糾弾するわけにもいかない。第二王子派といっても一枚岩ではない。のらりくらりとかわされるだけだ。
 なれば、奴らの好きなようにやらせればいい。僕が調べあげたユユア嬢の抱える事情を、兄上とマティアスに明かし、僕はそう宣言した。
 ソファに身を預けた兄上が、額に手を当てやれやれとばかりに項垂れる。

「全く、お前ときたら、そんな重要なことを秘密にしおって……」
「隠してはいません。黙っていただけですよ」
「そういうのを減らず口っていうんだぞ」
「僕の予想だけで期待させて、万が一にも違いましたでは責任が持てませんからね。あとは頼んだぞ、マティアス。僕はユユア嬢の身柄の確保に動かせてもらう」

 スタンピードに関しては、いつ起きてもいいようこれまで対策に時間をかけてきた。そんな余裕と心構えを与えてくれたのは、すべてユユア嬢がいてくれたおかげだ。共に準備に携わってきたマティアスなら、後を任せても民たちが大事に至らぬよう適切な指示ができるだろう。
 マティアスは眼鏡の奥の目を細めて、とんと己の胸を叩いた。つい先日まで僕の腰にまとわりついていた子供が、こうまで頼もしくなるとは。

「叔父上の春です。任されました」
「え、待て待て、そういう話だったのか!? お兄ちゃん知らされていないんだけど、いつの間に!?」
「無事連れ帰ったら、改めて紹介しますよ、兄上」
「告白もしていないくせに、何ぬかしているんですか叔父上」
「うわー、彼氏面するような奴だったんだなお前……。せいぜい振られないよう祈っておくよ」
「縁起でもないこと言わないでください!」
「それはともかくとして、いい加減オルヴィスも側妃も現実を見ろとは思っていたのでね……。派手に散ってもらうとしましょう。構いませんよね、父上」
「ターナー卿もオリヴィアも、権力に目が眩んで判断を見誤った。さすがに潮時だな……」

 深々と嘆息した兄上にとっても、苦渋の決断には間違いない。側妃オリヴィアとは政略だったとはいえ、子を数人設けた間柄だ。情の一つや二つ湧くだろう。
 秘密裏に行われた苦々しい会談を思い出しながら、僕はすっかり夜の帳が下りた外を眺めた。
 ユユア嬢は大丈夫だろうか。心細くないだろうか。しかし、案外肝の据わった少女だ。無茶なことを考えていなければいいが。ああ、早く彼女の無事を確かめたい。時間だけは無為にすぎていくのに、未だ動けない自分がもどかしい。

「殿下、クロード様。エマが目覚めました」
「わかった。医務室に向かおう」

 ディディエからの連絡に、クロードがこっそり息を吐く。その様子に吹き出しそうになるのをこらえながら僕は医務室へと足を進めた。



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