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聖女ムーブは順調な模様

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 私が王弟殿下に攫われるように(もちろん家族の了承はとってくれたはずだ)慌ただしく王都に来てから、かれこれ1ヵ月が経った。
 最初の2週間は、カモフラージュも兼ねてルクス殿下付きの侍女という名目で王宮に入り、その後2週間ほどヴェールを被って治癒師として騎士団や魔法師団の方々の傷を治すべく仕事に勤しんでみたところ。
 ――どうやら、私は見事『聖女』として軍部内でひっそりと名声を高め始めているらしい。

「嘘でしょ……」

 いや、いくら仕事とはいえ、聖女と名乗りを上げるなどできないと断固拒否をして、駄々をこねたのは私だ。大体、自称するにはちょっと恥ずかしくないか、聖女……。
 それを、ルクス殿下はすんなりと受け入れてくれた。

「まあ、君が聖女だという噂は、勝手に広がるだろうから問題はないさ」

 そう言って泰然と構えるルクス殿下は、ちょっとだけ小憎たらしい。こんな紛い物の聖女を祀り上げる方法なんて、絶対に上手く行くはずはないと内心で思っていたのに、まさかの上々の手ごたえと来た。ルクス殿下の掌の上で踊らされている気分だ。

「光魔法を伴った神秘さもさることながら、艶やかな黒髪が美しく麗しいとか、物静かに優しく癒しを与えてくれるユユア様が伝承の再来だとか、ヴェールでお顔がはっきりとお見えになれないのもミステリアスで聖女っぽいとか、軍部内の聖女ムーブは順調です!」
「殿下が被ったほうがいいとくれたヴェールに、まさかのそんな効果が!」
「ヴェールの奥でしとやかに笑む聖女様に、皆様が庇護欲をそそられ胸を撃ち抜かれているともっぱらの評判です。士気が益々上がったとか!」
「ただの誤魔化し笑いなのに! 騙されてる……みなさま騙されてるよぅ……」
「きちんと成果が出ているのに、頭を抱えるだなんてユユア様は面白いですね」

 フフ……と鈴が鳴るような可愛い声で楚々と笑うのは、ルクス殿下がつけてくれた侍女のエマ様だ。肩までの茶髪にヘイゼルの瞳の彼女は、物腰柔らかな言動とは裏腹に、戦闘侍女として私の護衛も兼ねてくれている。
 治癒を使える光魔法の適正者は極めて貴重で、過去強制的に一部の貴族に囲われた挙句に悲惨な末路を招いた歴史があったらしい。今でこそそういった真似は固く禁じられているが、秘密裏に狙われないとも限らないのだとか。何それ恐い。
 片田舎とはいえ領地で平然とのんびりできていたのは、だいぶ稀有なのだそうだ。学園も魔法の実技が始まる前に辞めざるを得なかったこともあり、私が光魔法を使えると知るのは子爵領と辺境伯領の一部の人たちだけだった。まあ、基本的にポーションじゃ手に負えない魔物にやられた怪我人だけに、こっそり使っていたからね、光魔法。お父様と辺境伯様が、裏で手を回していてくれたのかもしれない。

「私はただ、皆様方の傷を治していただけなのに……」

 本来であればポーションで全快する傷でも、スタンピード前兆の影響なのか、いささか治り辛くなっている。
 だが、光魔法はそういった傷でも、きちんと癒せるようだ。
 戦えないほどでもないが、怪我がだらだらと治りきらないまま、また次の出撃で傷を負う。それをしばらく繰り返していた騎士たちの精神的な摩耗は、いかほどだっただろう。

「それがどれだけ素晴らしいことか、誇ってもいいくらいなのに、ユユア様は謙虚すぎますわ」

 エマ様は肩を竦めてそう言うが、ちょっとずつ軍部治療院での治癒を進めてはいるものの、怪我人が多くなかなか手が回り切っていない現状はいささか心苦しい。魔力回復剤でもあればと思うが、ポーションに比べ素材が貴重で、数があまり出回っていない上に高価だ。この後、スタンピードが訪れるかもしれない中、なるべく温存しておきたい国側の気持ちはわからないでもない。
 もっと自分に魔力があれば。至らなさにめげそうになることもあるけれども、感謝の言葉をかけられると嬉しくなってもっと頑張ろうと気力が湧いてくるから不思議だ。
 ため息をつきつつも、私は顔をあげる。今自分にできる範囲は、どうあっても決まっている。ならば、それをきっちりとやり遂げるだけだ。
 当初にルクス殿下が提示した4時間という見立ては、面白いくらいに正しかった。神殿にて身を清め女神に祈りを捧げて1時間、その後3時間ほど騎士団や魔法師団の怪我人に光魔法を行使しているとおおむね魔力が切れる。
 今もお勤めを終えた帰りで、のんびりと所定の部屋に戻る最中だ。お腹はすっかりぺこぺこなので、早く昼食にあり付きたい。
 目の前にある重厚な扉の向こうは、『聖女』に与えられた部屋だ。そこは、ルクス殿下がわざわざ全体的に魔法を施し、私以外はおいそれと入れないよう徹底した防御を有している。
 私とエマ様は、いそいそと入室し鍵をかけた。荘厳な扉をくぐった室内は質素で飾り気がなく、ソファとテーブル、クローゼットがかろうじて置いてあるもののベッドすらない。私室というより、単に休憩室としての体しかなしていない。

「では、お着替えの準備をいたしますね」
「よろしくお願いします」

 エマ様がてきぱきと支度を始めた。私は鏡の前に立ち、ヴェールを外す。
 うっすらと白に霞んでいた視界が、鮮明になる。
 ――そこには、自分ではない自分がいた。

(本当、何度見てもこれが私……? と疑いたくなるわよね)

 ほう、とため息をつく。詐欺もいいところ、ハリボテ極まれりだ。
 地味だ地味だと思っていた私の姿は、エマ様の卓越した手腕によって、瞬く間に変化を見せた。
 日々の労働で疲れ気味だった肌は、驚きの張り艶を取り戻し、もっちりとしたきめ細かな手触りがなんとも心地良い。石鹸の爽やかな香りもほんのりする。
 重くて暗いと若干のコンプレックスだった真っ直ぐな黒髪も、丁寧に梳かれ香油で磨かれることで、むしろ神秘的な美しさを引き出している。
 化粧は薄くありつつも、甘やかに花が咲くかのよう。どうやら素の私の顔面は化粧映えするようで、エマ様が日々うきうきと技術を駆使して作り上げてくれている。
 聖女らしさを全面に押し出し制作された白のローブとドレスは、かっちりと格式ばった中にも、ところどころレースとフリルが使われ、裾には銀糸で豪奢な刺繍が施されている。大変清楚可愛くて、着心地もよくお気に入りだ。この衣装、シンプルに仕立ててあるとはいえ、さすがに場違いでは?とも思ったのだが、ルクス殿下曰く演出効果は必要だとのこと。
 胸元には、3連の魔石ペンダントがきらりと輝きを放つ。恐れ多くも、ルクス殿下直々に魔力を込めて作られた魔道具でもあるらしい。私の魔力の補助を担うため、いくつかの効果が込められていると仰っていたが、それは最早国宝級の代物なのではなかろうか。
 身に着けているものが、いったい総額おいくらなのかを考えることは放棄した。世の中には知らない方が良いこともある。私の精神衛生上のために。
 上から下まで全身を眺めると、どこに出してもおかしくないほどに聖女だ。自分でも素直に感心してしまう。
 さすがのルクス殿下も、ここまで変わるとは予想だにしなかったのだろう。初めて聖女スタイルでお目見えした時、がちんと固まって無言でしばらくじっと見つめられた。殿下のみならず、クロード様もディディエ様も驚きに目を瞠っていた。失礼な反応だと思うが、私自身誰だろうこれと夢心地だったので責める気にもなれない。まあ、その後きっちり誉め言葉は頂戴しましたが。

「エマ様の技術は凄いですねぇ……」
「ユユア様の元が良いからですよ」
「それはないです」

 一人で脱着が難しい衣装を脱がせてもらい、手渡された簡素な服を身に着ける。化粧も軽く直し、髪もみつあみに結って、ようやく私は人心地ついた。

「はー……落ち着く……」

 先ほどまでの神秘的な聖女はどこにいったと言わんばかりに、侍女服を纏った地味な女が鏡に映る。うん、私にはやっぱりこっちのほうがしっくりくる。時間があるときはせめて侍女をさせて欲しいと懇願して得た立場は、聖女よりも断然私に合うと思う。
 エマ様からブレスレットを受け取り装着すると、私の黒髪が茶色に変化する。これもルクス殿下が作成してくれた魔道具で、幻惑の魔法が起動する。聖女は黒髪という印象を強く与えているから、手っ取り早く髪色を変えてしまえば、侍女姿の私と同一人物だとは結び付けられまい。とどめに伊達眼鏡をかければ出来上がり。
 魔道具を除いた唯一のお洒落といったら、三つ編みの先で存在を主張する深い碧のリボンくらいか。あまりの飾り気のなさに、殿下が自分の髪を束ねていたリボンを、わざわざ下賜してくださったのだ。恐れ多すぎるが、突っ返すわけにもいかないし、単純に可愛いのでありがたく使わせてもらっている。

「なんだか、物語みたいですよね」
「物語、ですか?」
「そう。突如王都に現れた聖女は、素性が一切わからず、仕事を終えた後にいつも忽然と姿を消してしまう。しかしてその実態は、魔法使いの手で華々しく聖女に変身していた、地味で平凡な田舎娘だった。……なーんて、そんな物語、探せばどこかにあるかもしれないですね」
「まあ。そう言われてみると、登場人物の一人になったみたいでちょっと楽しいですね。幼い頃、治癒の聖女と王子様が活躍するお話に胸をときめかせたものですわ」
「ああ、あの有名な。でも、私は胃が痛いです……」

 後半の小さな独り言は、エマ様に届かず泡のように虚空に弾けた。だって、私は本当の聖女じゃなくて、ルクス殿下の手によってほんの一時、仮初の聖女を演じているだけなのだから。

「……さて、殿下をお待たせしてはいけませんね。行きましょう」

 そうして、私はエマ様を伴い、奥にある続きの間の扉を開ける。こぢんまりとした空間の床には、魔法陣が描かれていた。その中央に立ちほんの少し魔力を流し込むと、私とエマ様の姿は瞬時にその場から掻き消えた。

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