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思惑はリボンにのせて〜sideルクス

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 これが、女神の思し召しなのだとしたら、この出会いは僕にとっての福音に違いない。


 あの時、瞳を開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは、伝承の通り夜を溶かしたかのような漆黒。その周囲にちらちらと残る魔力の文様は、柔らかな木漏れ日を反射して、いつか図鑑で眺めたオーロラみたいに鮮やかに煌めいて。
 心配そうに窺ってくるその色に、僕は一瞬にして魅入られた。

 まあこの後、問答無用でポーション瓶を口にぶち込まれるとは思いもしなかったがね!



 ユユア嬢が王都に来てかれこれ1週間。
 じっとしていられない性分なのか、侍女をやらせて欲しいと頼まれた時にはどうしたものかと思ったが、行儀作法の勉強も兼ねてあちこちで頑張って働いている。うちの使用人たちとも意気投合し、すっかり可愛がられ屋敷になじんでいる。付けた教師からの評判も悪くない。覚えが良いようで重畳だ。
 家令や使用人たちの生温かい目が付いて回るのはいつまでも煩いが、僕はお宝を見つけて上機嫌なことこの上ない。


「ルクス殿下は、一体何をお考えなのですか……」


 辺境から王都に戻ってすぐさま依頼をした、今日までの魔物の討伐数と瘴気濃度の比較資料を見て、クロードが困惑を露わにした。人一人攫うような強引な真似をして、何を酔狂なことをしているのだと憤慨していたのに、僕の出した結果に唖然と黙りこくった。
 ふふん。ちょっと得意になって、ソファにふんぞり返りながら僕は笑った。

「言っただろう、聖女だって」
「……本気だったんですね」
「本気も本気。今視て確認している最中だけど、十中八九、僕の予想通りだろう。ああ、こんな胸の昂ぶりは、ヴィズレン遺跡の移転魔法陣を解析したとき以来だろうか」

 時を司るヴィズレン神が気まぐれに作ったと言われる古き魔法陣は、構文が意味わからないくらいに複雑で内容を紐解くのが非常に面倒で、数年がかりで再構築できたときには正直興奮しまくったし、脳内でお祭り騒ぎだったな。
 僕のテンションの上がりようとは逆に、クロードは白けた顔して見つめてくる。

「いい加減頭のネジでも外れたかと心配しましたが……こんなものを見せられてはね。殿下の先見は健在のようで安心しました。しかし、かなりお気に召されている模様ですが、傍らに置くには、殿下の動機が不純すぎでは」
「きっかけなんて、些細なものだろう? お前たちだって、元は幼馴染で婚約してって流れじゃないか」
「私たちと比べないでください」
「早く結婚してやれよ。長年待たせて可哀想だろう」
「貴方がしないからできないんですよ! はぁ……ブルーマロウ子爵令嬢が不憫に思えます。あんなにいい子なのに、こんなろくでなしの魔法バカ王族に目をつけられて……」
「お前ね、人身御供みたいに言うなよ。でもさ、ユユア嬢、可愛いよね。触って構いたくなる……」
「くれぐれも勝手に触らないでください。大体、可愛いだけの令嬢なら、社交界にたくさんいるでしょう。それこそ、貴方を慕うグラマティク公爵令嬢とか」
「あー、ああいうの、香水臭くて駄目なんだよ。ユユア嬢、ふんわり石鹸のいい匂いするし、僕の魔法話も面倒くさがらずに聞いてくれるし、自然体で安心するし、馬にも乗るし、普通に僕にツッコんでくるの面白いし。やー、最初に会ったとき、お断りしますってこの僕にズバって言い切ったの、正直痺れたよね」
「殿下、ちょっと変態臭いですよ。好きなものを語るときだけは、やたら饒舌になるんですから……」
「はいはい、不敬不敬」

 だいぶ話が逸れてしまった。だが、こんな突っ込んだ内容、同い年で幼い頃から側近を勤めてきたクロードくらいにしか赤裸々にできやしない。傍から見ると、我々の会話はハラハラするものらしいが、お互いに気心が知れているがらこそだ。下手にかしこまったやりとりをされても、回りくどくて僕は好かない。
 僕は机の上に広げられた書類の束を、こんこんと手の甲で軽く叩いた。

「クロード。そもそも、『聖女』とは、どういう存在のことを言うと思う?」
「はあ、何を唐突に……。確か、数百年前のスタンピードの際に女神の手でこの地に降り、魔を払い、治癒魔法で多くの人々を救った少女のことだと記憶しています。ブルーマロウ子爵家の始祖様だと言われていますね」
「ああ。スタンピードは、未曽有の厄災だ。数十年前だったか、今は亡きガーラント王国でも発生したが、あまりにも無残な有様だったらしい。そんな被害をもたらす多くの魔物を、聖女一人だけで倒せたとは到底思えない。それでも、我が国の伝承では、聖女が魔を払ったと伝えられている」
「…………治癒魔法ならば、神殿の巫女長様も使えますね。そして、この資料にある瘴気濃度の下がり具合……」
「そう。つまり……」

 そこで、コンコンと扉をノックする音が響いた。僕もクロードも会話を切り上げ、何事もなかったかのように入室に応じると、侍女服姿のユユア嬢が姿を現しカーテシーをした。びしばしと扱かれたおかげか、立ち居振る舞いが洗練されている。

「お仕事中失礼します。ルクス殿下、クロード様、ごきげんよう」
「やあ、いらっしゃい。ユユア嬢」
「執事長に言づけられてまいりました。執務室の整頓をさせていただいてもよろしいですか?」
「お願いするよ」

 僕は片付けが苦手だ。そろそろ部屋が散らかり始めたな―なんて暢気に構えていたが、執事長にはお見通しらしい。すっかり雑多になってしまった書類や資料を、ユユア嬢はてきぱき綺麗にしていく。ただ一つに束ねるだけではなく、指示せずとも書類冒頭の見出しをさっと眺め、それとなく分類までしてくれる。優秀だ。
 侍女服も良く似合っているが、慎ましすぎてもったいなく感じる。動くたびに小さく跳ねる三つ編みは、ユユア嬢らしくて愛らしいけれども。
 今改良作成している彼女用の魔道具も、アクセサリー型にして身に着けられるよう仕立てたほうがいいかもしれない。仮に持たせている魔道具は、女の子が持つには少し無骨すぎるし。よし、そうしよう。
 クロードと、ユユア嬢の話をしていたせいだろうか。どうにも彼女に己の証をつけさせたくて仕方なくなる。
 ああ、そうだ、ちょうどいいものがあるじゃないか。今日の僕の髪をまとめた侍女は、いい仕事をしたな。
 髪に結ばれていたリボンをしゅるりと外しながら、僕は立ち上がった。僕の瞳の色と同じ、碧色のそれ。

「ユユア嬢、じっとしてて」
「はい!?」

 本棚に資料を戻し始めていたユユア嬢の背後に、ささっと回る。素っ頓狂な声を上げた彼女は、素直にその場にがちんと固まったまま動かない。
 その間に僕は、彼女の三つ編みの先っぽに碧のリボンを結びつける。艶やかな黒髪に映えて良く似合っているし、質素なユユア嬢に幾分華やかさが加わった。不思議と心が満たされる。縦結びになっちゃったけど、まあいいか。

「うん、可愛いね」
「ええと……?」
「あげる」
「ありがとうございます? えっ、よくわからないですけど、王族の方がそんな軽々しく物を与えては駄目なのでは!?」
「いいのいいの、リボンくらいで仰々しくしない」
「はぁ、ユユア嬢。殿下がうるさいので、気にせずもらっておいてください」
「はぁ……ではありがたくいただきます」

 どうして二人して、仕方ないみたいなため息をつくんだろうね? わかったように頷きあわないで欲しい。

「でも、殿下、こんなことばかりしていたら、勘違いするご令嬢が絶対に出てきますよ?」
「むしろ勘違いしてくれていいんだよ? 大歓迎だ」
「しません」

 渾身の笑みを返しても、ユユア嬢は動じない。うーん、大概のご令嬢はこれで頬を染めるのに、手ごわい。
 ユユア嬢はリボンが嬉しかったのか、普段よりも浮かれた様子でちらちらと背中を気にしている。ぽんぽん、普段よりも三つ編みが軽快に跳ねる。その仕草が妙に愛おしく感じられて、僕はこっそり喉を鳴らした。やっぱり触りたくなるな。

「殿下、顔」

 呆れ混じりのクロードが、脂下がる僕を睥睨していたが、知らんふりだ。
 その後、ユユア嬢が侍女服を着る度に、髪を飾る碧色のリボンを見て、僕はひっそりと胸を暖かくする。

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