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クラリッサの街の冒険者ギルド
19.元社畜は街に向かう
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切りどころがなかったのでちょい長めです。
ややシリアスなので一気にいきます。
---------------
「魔女殿からの緊急連絡が入ったから、一体何事かと思ったら」
次の日の朝、ヴェルガーの森まで慌ててやってきたヒースさんは、お怒りモードのリオナさんから荷物と私をぽいっと渡され、苦笑気味に馬に乗せてくれた。
リオナさんとはどう接していいのかわからなくて、結局あれから話せていない。
例の売られていく子牛の歌が頭によぎりつつ、ヒースさんと一緒に馬に揺られて30分ほど。
休憩のため、街道の脇にある大きな木の下で、私とヒースさんは一息ついていた。
ヒースさん一人なら、一気に駆け抜けたであろう道のりも、まだまだ馬に不慣れな私を慮って、随分とゆっくり移動してくれている。
遠目からこちらを伺ってくる狼っぽい姿が見える。ブラックヴォーグという種の魔物なのだが、ヒースさんと魔物除けの魔道具を警戒しているらしい。
ヒースさんはゴールドタグを持つA級の高位ランク冒険者で、結構な手練れなのだ。「魔女殿の結界はないが、もし近づかれても、数匹程度なら俺一人で片付けられるから大丈夫だ」と、大変頼もしいお言葉をいただいた。格好いい。
目の前に広がる平原や山々といった自然は、あまりにも雄大で美しい。真っ青な空を、大きな雲が緩やかに流れていく。そよ風が梢を揺らす涼やかな音が耳に届く。少し火照った身体に心地良い。
すぐ傍では、ヒースさんの借りた馬がもしゃもしゃと草を食んでいる。
どっしりとした青毛の身体に似つかわぬ、つぶらな瞳が可愛い。馬なんて、間近で見たのは初めてだった。
水袋に入った水を飲んで、私は深呼吸をする。
ゆったりと。
時間が、染み込むように進んでいく。
この世界は、せわしなさとは縁遠い。
だから、持て余す。
時間も、――自分の気持ちでさえも。
ああ、いやだ。
忙しさにかまけていれば考えなくてよかったことまで、考えてしまう。
「……俺も、魔女殿の気持ちがわかるな」
「え?」
木陰で隣に座っているヒースさんが、唐突に喉を鳴らした。
馬上では舌を噛むからと会話がなかったので、まさか引き続き魔女の家からの話題がくるとは、思ってもみなかった。
気まずさもあって、私は唇を引き結んだ。
「だって、カナメは、こちらに渡ってきて、まだひと月も経っていないだろう? いくらもう身体は大丈夫と言われたって、君は世界を渡ったんだよ? それなのに、前にも言ったけれど、やれることを自分で次々見つけてあくせくと、何だろうね、早く役に立たなくちゃって、焦る感情が先立っているようにも見える、かな。だから、俺もだし、魔女殿も心配になるんだと思う」
「……焦って見えますか?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
ぎゅと胸を掴まれたような、どこか途方に暮れてしまったような気がした。
「少し、ね。自覚がないなら危ういな。働いていないと、不安?」
「不安という、か……」
びく、と肩が微かに震えた。
ヒースさんは穏やかな表情で、私をじっと見つめてくる。私の空っぽな心の内を、すべて見透かされてしまいそうな優しい視線は、少しだけ恐い。
でも、この人には誤魔化さなくてもいい気がした。
それは、ここが異世界だからなのだろうか。肩肘を張って生きていた、あちらの世界とは、違う。
はあと、詰めていた息を吐き出す。
「えと、お恥ずかしながら、昔から……休み方が、よくわからなくて。じっとしているの、落ち着かないんですよね……。朝から日付が変わるくらいまで、ひたすら働き通しだったから」
「いやいやいや、この間もどうかと思ったが、いくら何でもそれは働きすぎだ、カナメ。ちょっと待ってくれ、失礼だが、君は奴隷か何かだったのか!?」
「奴隷は違いますけど、うーん、働いているほうが、いっそ気が楽だったんですよね」
「我が国の宰相閣下みたいなことを言うな……」
私にとって通常運行の労働環境に、ヒースさんがドン引きした顔を見せる。
言われてみれば、ある種会社の奴隷みたいなものだったのだろう。社畜って言うくらいだし。
宰相閣下とやらもご苦労様です。私以上に働いてそうな地位の人だけど。
私は、立てた膝をぎゅっと抱え込んだ。
「……だから、リオナさんが、あんなに怒るなんて思わなかったんです」
だって、私の身を案じて、叱ってまで心配をしてくれる人、亡くなった母以外にいなかった。
はは、と自嘲気味に笑う。
いつしか、一人でがむしゃらに生きるのが当たり前だったから、無茶を無茶とも思っていなかった。
「自分のために真剣に怒ってくれる人は、貴重だよ」
「……私、リオナさんに見限られてしまったんでしょうか。出ていけって言われちゃった……」
よもや、こんな風に追い出されるだなんて、思ってもみなかった。
リオナさんとの同居生活は、ずっと一人で過ごしていた私にとって、楽しく穏やかなものだったから。
あ、何か至らない自分に、滅茶苦茶凹んできたぞ。
ずううんと、この世の終わりとばかりに落ち込み沈んだ私とは裏腹に、ヒースさんは軽快に笑い飛ばした。
「ヒースさん、笑いすぎです……」
「ふははは、ごめんごめん。これしきで見限るとか、まさか」
「……本当に?」
「本当に。さては、カナメ、本気で喧嘩したことないな?」
「ぐ」
図星を突かれて、私は唸った。クリティカルヒットだ。
家庭環境のせいもあって、長らくそつのない表向きの交流はしてきたものの、深く人と付き合ってこなかったから、私はこういう状況にてんで弱いのだ。
「そもそも、俺たちは君を見捨てたりしない。少なくとも、俺はそのつもりでいる。俺たちじゃ、頼りにならないだろうか?」
「……っ、そんなことない、そんなこと絶対にありえません!」
「そう思ってもらえているなら、よかった。カナメは真面目だから、抱え込みすぎてしまうんだな。なら、それを上手に手放せるよう手助けしてやりたいと思うよ。カナメみたいな無茶な働き方じゃ、仕事は逃げ場にしかならないよ」
じくりと膿んだ傷に、ナイフを刺された気分だった。
逃げ場。
ああ、そうだね。私は、ずっと逃げ続けている。
――15の時に、大好きだった実の母が亡くなった。
父は仕事人間であまり家庭を顧みず、子供に興味がなく、世間体のためだけに再婚をした。
再婚相手は、母の親友だった人。
表向きはにこやかでいても、ずっと母と私を影で敵視していた。
やがて弟が生まれて、家族の輪の中にどんどん私の居場所はなくなっていって、一人で立たざるを得なくなった。
私の家族は、亡くなった母だけだ。
だから、私は家族を諦めた。ぽっかりと、胸に穴は開いたまま。
それを埋めるように、勉強をしていれば、バイトをしていれば、仕事をしていれば、空虚さはほんのわずか薄れた。没頭すれば楽だった。
がむしゃらな代替行為に、何の気持ちもなかった。からっぽだ。
単に、見たくないものや、自分の弱さを誤魔化していただけにすぎないのだけれど。
ヒースさんの言うことは正しい。わかっている。わかっていた。
それでも、自分が唯一縋れるのは、仕事しかなかった。
何か役割があれば、必要とされていれば、私はここにいてもいいのだと心が落ち着くから。
自分の存在意義を、慰められるから。
「それが必ずしも悪いとは言わないけど、カナメが本当にやりたかったことは、仕事なのかい?」
「それ、は……」
即答できずに、私は唇を戦慄かせた。
「堕ちてきた直後の、あんなに不健康でやつれた顔をしていた時よりも、今のカナメのほうがずっといい。まだ少し、肩肘張ってる気はするけどね」
「……っ、どうして……? ヒースさんもリオナさんも、どうしてそんなに優しいんですか?」
「偉そうなこと言っているけど、こう見えて俺も家出した身なもので」
「えっ!?」
ヒースさんの意外な告白を耳にして、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ヒースさんは、気まずげに苦笑いを浮かべる。
「でも、俺の場合、路頭に迷っていた中、いい師匠に出会えて拾ってもらえたから、こうしてどうにか道を違えずに生きていけている。だからだろうなあ、迷子みたいな顔して必死に生きているカナメを、放っておけないのは」
「迷子……かあ……」
その言葉が、やけにしっくりきてしまった。
ヒースさんは慧眼だ。恐らく、リオナさんも。
きっと私の心は、母が死んだあの日に、どこかに迷子になってしまったんだ。
そんな迷子は、当て所もなく世界まで超えてしまった。
なんて、笑えない。
三角に立てた膝に、私は顔を埋めた。
「……一人で立たなくちゃって、ここまで生きてきたんです」
「器用なくせに不器用だね、君は。気負わなくてもいいんだ。今まで一人でよく頑張ってきたな」
ぽんぽんと頭を緩く撫でられる。はっと顔をあげると、ヒースさんの穏やかな瞳が私を見ていた。
頑張った、なんて言われたこと、あったっけ。
今までの私を肯定されたようで、何だか泣きそうになる。胸が苦しい。
ヒースさんはずるい。優しくて、暖かくてずるい。
「大丈夫。ちょっとくらい肩の力を抜いていいんだ。馬に乗っていた時みたいに、寄りかかってさ。カナメがこの世界に来たのには、きっと意味があるはずだ。それに、君は一人じゃない。女神の導きあって、生まれた縁だ。俺たちも支えるから、もっと頼って甘えてくれていいんだよ」
「……充分、頼っているつもりだったんですけど、これでも」
「甘えるのが下手くそだな。まだまだ足りないよ。うん。じゃあ足りない分、もっと甘やかしてやろう」
わしゃわしゃと、楽し気に私の頭をかいぐるヒースさんの攻勢がもの凄い。犬じゃないんだぞ、犬じゃ。
この間から、どう考えても子供扱いされているのに、それが不快じゃない。
むしろ心地よくて、甘えてしまってもいいのかなと、ハリボテな心の鎧が剥がれ落ちていく。
不思議だな、ここがゆっくりと優しい時間の流れていく異世界だからかな。あくせくしなくてもいいと、皆が言ってくれるからかな。まるで、お母さんが生きていた頃みたいに。
ほっと、自分の中から頑なだった力が、抜けていく気がした。
「……リオナさん、まだ怒ってますよね」
「執念深いが、ああ見えて、面倒見のいい人だ。カナメが誠心誠意謝れば、きっと許してくれるさ」
「執念深いって……」
「覚悟しておけよ? 絶対にしばらくネチネチ言われるから」
いや、それは私も容易く想像できるけど。
思わず、ぷはっと吹き出してしまった。
「でも、私だってやっぱりお役に立ちたいですし、仕事したいです。いつまでもお二人の厚意に寄っかかってばっかりなのは、嫌なんです。ちゃんと胸を張って、お二人と肩を並べたい。それに、働かざるもの食うべからずです」
「むしろ、魔女殿のほうが、カナメなしには生きて行けそうにないんじゃ……。ま、そこはやり方次第だろ。俺たちだって、カナメに何もさせたくないわけじゃないんだから。ただ、倒れるほど根を詰めて働くのは、俺だって見逃せないぞ」
「うっ……そこは反省しています……」
「よろしい。カナメはほとんど外に出てないんだし、不便をしいていたんだから、いい機会だと思おう。魔女殿の言う通り、俺と一緒にクラリッサで少しのんびりしよう」
「……こんなのん気にしていて、いいんでしょうか」
ちらりと、今しがた辿ってきた道に視線を流す。胸がそわそわする。
むしろ、今すぐにでもリオナさんに会って謝りたい気持ちが、私を急き立てている。罪悪感に苛まれそう。
でも、ヒースさんは首を振った。
「そういうところだぞ。戻るのは駄目だ。カナメに必要なのは休息で、魔女殿に必要なのは時間だ。気にはなるだろうが、今は自分のことだけを考えなさい」
「うう。ヒースさんがそう言うなら……」
ぐぅっと唸って、肩を落とした私は魔女の家への未練を、いっとき忘れることにした。
後ろ髪引かれるが、私もいい加減心の整理をつけるときが来たのだと思う。
私が森を気にするからだろうか。
さてそろそろ行こうかと促して、立ち上がったヒースさんは、私に手を差し伸べた。
素直に、私はその手を取った。
力強い腕が、難なく私を支え、立ち上がらせてくれる。
「……ところで」
「うん?」
「馬に乗るのって、結構大変ですよね? これ、明日絶対筋肉痛になりますね?」
立ち上がったら、内股が既にちょっとプルプルしていて、私は明日起き上がれない予感をひしひしと感じていた。
安定感抜群のヒースさんに寄りかかって揺られているだけだったのに、乗馬って案外筋肉を使うんだね!?
「ははは。慣れないと、変に力んでしまうからな。強制的に休みになるだろうなとは思っていたよ」
「これもリオナさんの策略の一つだったりして……」
「ありえる。さあ、クラリッサの街までもうひとっ走りだ。頑張れ」
「ひーん!」
---------------
リオナの緊急連絡『あの子が無茶して倒れたんですけど!?もーほんっとバカなんだから!至急要を引き取りに来て!頭が冷えるまで、しばらく連れ出して!そんで保護者として甘やかしてわからせて!!』
ヒース「無茶振り」
両方の心境を知っているヒースさんは、拗れてるなあって苦笑しつつも見守ってます。
ややシリアスなので一気にいきます。
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「魔女殿からの緊急連絡が入ったから、一体何事かと思ったら」
次の日の朝、ヴェルガーの森まで慌ててやってきたヒースさんは、お怒りモードのリオナさんから荷物と私をぽいっと渡され、苦笑気味に馬に乗せてくれた。
リオナさんとはどう接していいのかわからなくて、結局あれから話せていない。
例の売られていく子牛の歌が頭によぎりつつ、ヒースさんと一緒に馬に揺られて30分ほど。
休憩のため、街道の脇にある大きな木の下で、私とヒースさんは一息ついていた。
ヒースさん一人なら、一気に駆け抜けたであろう道のりも、まだまだ馬に不慣れな私を慮って、随分とゆっくり移動してくれている。
遠目からこちらを伺ってくる狼っぽい姿が見える。ブラックヴォーグという種の魔物なのだが、ヒースさんと魔物除けの魔道具を警戒しているらしい。
ヒースさんはゴールドタグを持つA級の高位ランク冒険者で、結構な手練れなのだ。「魔女殿の結界はないが、もし近づかれても、数匹程度なら俺一人で片付けられるから大丈夫だ」と、大変頼もしいお言葉をいただいた。格好いい。
目の前に広がる平原や山々といった自然は、あまりにも雄大で美しい。真っ青な空を、大きな雲が緩やかに流れていく。そよ風が梢を揺らす涼やかな音が耳に届く。少し火照った身体に心地良い。
すぐ傍では、ヒースさんの借りた馬がもしゃもしゃと草を食んでいる。
どっしりとした青毛の身体に似つかわぬ、つぶらな瞳が可愛い。馬なんて、間近で見たのは初めてだった。
水袋に入った水を飲んで、私は深呼吸をする。
ゆったりと。
時間が、染み込むように進んでいく。
この世界は、せわしなさとは縁遠い。
だから、持て余す。
時間も、――自分の気持ちでさえも。
ああ、いやだ。
忙しさにかまけていれば考えなくてよかったことまで、考えてしまう。
「……俺も、魔女殿の気持ちがわかるな」
「え?」
木陰で隣に座っているヒースさんが、唐突に喉を鳴らした。
馬上では舌を噛むからと会話がなかったので、まさか引き続き魔女の家からの話題がくるとは、思ってもみなかった。
気まずさもあって、私は唇を引き結んだ。
「だって、カナメは、こちらに渡ってきて、まだひと月も経っていないだろう? いくらもう身体は大丈夫と言われたって、君は世界を渡ったんだよ? それなのに、前にも言ったけれど、やれることを自分で次々見つけてあくせくと、何だろうね、早く役に立たなくちゃって、焦る感情が先立っているようにも見える、かな。だから、俺もだし、魔女殿も心配になるんだと思う」
「……焦って見えますか?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
ぎゅと胸を掴まれたような、どこか途方に暮れてしまったような気がした。
「少し、ね。自覚がないなら危ういな。働いていないと、不安?」
「不安という、か……」
びく、と肩が微かに震えた。
ヒースさんは穏やかな表情で、私をじっと見つめてくる。私の空っぽな心の内を、すべて見透かされてしまいそうな優しい視線は、少しだけ恐い。
でも、この人には誤魔化さなくてもいい気がした。
それは、ここが異世界だからなのだろうか。肩肘を張って生きていた、あちらの世界とは、違う。
はあと、詰めていた息を吐き出す。
「えと、お恥ずかしながら、昔から……休み方が、よくわからなくて。じっとしているの、落ち着かないんですよね……。朝から日付が変わるくらいまで、ひたすら働き通しだったから」
「いやいやいや、この間もどうかと思ったが、いくら何でもそれは働きすぎだ、カナメ。ちょっと待ってくれ、失礼だが、君は奴隷か何かだったのか!?」
「奴隷は違いますけど、うーん、働いているほうが、いっそ気が楽だったんですよね」
「我が国の宰相閣下みたいなことを言うな……」
私にとって通常運行の労働環境に、ヒースさんがドン引きした顔を見せる。
言われてみれば、ある種会社の奴隷みたいなものだったのだろう。社畜って言うくらいだし。
宰相閣下とやらもご苦労様です。私以上に働いてそうな地位の人だけど。
私は、立てた膝をぎゅっと抱え込んだ。
「……だから、リオナさんが、あんなに怒るなんて思わなかったんです」
だって、私の身を案じて、叱ってまで心配をしてくれる人、亡くなった母以外にいなかった。
はは、と自嘲気味に笑う。
いつしか、一人でがむしゃらに生きるのが当たり前だったから、無茶を無茶とも思っていなかった。
「自分のために真剣に怒ってくれる人は、貴重だよ」
「……私、リオナさんに見限られてしまったんでしょうか。出ていけって言われちゃった……」
よもや、こんな風に追い出されるだなんて、思ってもみなかった。
リオナさんとの同居生活は、ずっと一人で過ごしていた私にとって、楽しく穏やかなものだったから。
あ、何か至らない自分に、滅茶苦茶凹んできたぞ。
ずううんと、この世の終わりとばかりに落ち込み沈んだ私とは裏腹に、ヒースさんは軽快に笑い飛ばした。
「ヒースさん、笑いすぎです……」
「ふははは、ごめんごめん。これしきで見限るとか、まさか」
「……本当に?」
「本当に。さては、カナメ、本気で喧嘩したことないな?」
「ぐ」
図星を突かれて、私は唸った。クリティカルヒットだ。
家庭環境のせいもあって、長らくそつのない表向きの交流はしてきたものの、深く人と付き合ってこなかったから、私はこういう状況にてんで弱いのだ。
「そもそも、俺たちは君を見捨てたりしない。少なくとも、俺はそのつもりでいる。俺たちじゃ、頼りにならないだろうか?」
「……っ、そんなことない、そんなこと絶対にありえません!」
「そう思ってもらえているなら、よかった。カナメは真面目だから、抱え込みすぎてしまうんだな。なら、それを上手に手放せるよう手助けしてやりたいと思うよ。カナメみたいな無茶な働き方じゃ、仕事は逃げ場にしかならないよ」
じくりと膿んだ傷に、ナイフを刺された気分だった。
逃げ場。
ああ、そうだね。私は、ずっと逃げ続けている。
――15の時に、大好きだった実の母が亡くなった。
父は仕事人間であまり家庭を顧みず、子供に興味がなく、世間体のためだけに再婚をした。
再婚相手は、母の親友だった人。
表向きはにこやかでいても、ずっと母と私を影で敵視していた。
やがて弟が生まれて、家族の輪の中にどんどん私の居場所はなくなっていって、一人で立たざるを得なくなった。
私の家族は、亡くなった母だけだ。
だから、私は家族を諦めた。ぽっかりと、胸に穴は開いたまま。
それを埋めるように、勉強をしていれば、バイトをしていれば、仕事をしていれば、空虚さはほんのわずか薄れた。没頭すれば楽だった。
がむしゃらな代替行為に、何の気持ちもなかった。からっぽだ。
単に、見たくないものや、自分の弱さを誤魔化していただけにすぎないのだけれど。
ヒースさんの言うことは正しい。わかっている。わかっていた。
それでも、自分が唯一縋れるのは、仕事しかなかった。
何か役割があれば、必要とされていれば、私はここにいてもいいのだと心が落ち着くから。
自分の存在意義を、慰められるから。
「それが必ずしも悪いとは言わないけど、カナメが本当にやりたかったことは、仕事なのかい?」
「それ、は……」
即答できずに、私は唇を戦慄かせた。
「堕ちてきた直後の、あんなに不健康でやつれた顔をしていた時よりも、今のカナメのほうがずっといい。まだ少し、肩肘張ってる気はするけどね」
「……っ、どうして……? ヒースさんもリオナさんも、どうしてそんなに優しいんですか?」
「偉そうなこと言っているけど、こう見えて俺も家出した身なもので」
「えっ!?」
ヒースさんの意外な告白を耳にして、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ヒースさんは、気まずげに苦笑いを浮かべる。
「でも、俺の場合、路頭に迷っていた中、いい師匠に出会えて拾ってもらえたから、こうしてどうにか道を違えずに生きていけている。だからだろうなあ、迷子みたいな顔して必死に生きているカナメを、放っておけないのは」
「迷子……かあ……」
その言葉が、やけにしっくりきてしまった。
ヒースさんは慧眼だ。恐らく、リオナさんも。
きっと私の心は、母が死んだあの日に、どこかに迷子になってしまったんだ。
そんな迷子は、当て所もなく世界まで超えてしまった。
なんて、笑えない。
三角に立てた膝に、私は顔を埋めた。
「……一人で立たなくちゃって、ここまで生きてきたんです」
「器用なくせに不器用だね、君は。気負わなくてもいいんだ。今まで一人でよく頑張ってきたな」
ぽんぽんと頭を緩く撫でられる。はっと顔をあげると、ヒースさんの穏やかな瞳が私を見ていた。
頑張った、なんて言われたこと、あったっけ。
今までの私を肯定されたようで、何だか泣きそうになる。胸が苦しい。
ヒースさんはずるい。優しくて、暖かくてずるい。
「大丈夫。ちょっとくらい肩の力を抜いていいんだ。馬に乗っていた時みたいに、寄りかかってさ。カナメがこの世界に来たのには、きっと意味があるはずだ。それに、君は一人じゃない。女神の導きあって、生まれた縁だ。俺たちも支えるから、もっと頼って甘えてくれていいんだよ」
「……充分、頼っているつもりだったんですけど、これでも」
「甘えるのが下手くそだな。まだまだ足りないよ。うん。じゃあ足りない分、もっと甘やかしてやろう」
わしゃわしゃと、楽し気に私の頭をかいぐるヒースさんの攻勢がもの凄い。犬じゃないんだぞ、犬じゃ。
この間から、どう考えても子供扱いされているのに、それが不快じゃない。
むしろ心地よくて、甘えてしまってもいいのかなと、ハリボテな心の鎧が剥がれ落ちていく。
不思議だな、ここがゆっくりと優しい時間の流れていく異世界だからかな。あくせくしなくてもいいと、皆が言ってくれるからかな。まるで、お母さんが生きていた頃みたいに。
ほっと、自分の中から頑なだった力が、抜けていく気がした。
「……リオナさん、まだ怒ってますよね」
「執念深いが、ああ見えて、面倒見のいい人だ。カナメが誠心誠意謝れば、きっと許してくれるさ」
「執念深いって……」
「覚悟しておけよ? 絶対にしばらくネチネチ言われるから」
いや、それは私も容易く想像できるけど。
思わず、ぷはっと吹き出してしまった。
「でも、私だってやっぱりお役に立ちたいですし、仕事したいです。いつまでもお二人の厚意に寄っかかってばっかりなのは、嫌なんです。ちゃんと胸を張って、お二人と肩を並べたい。それに、働かざるもの食うべからずです」
「むしろ、魔女殿のほうが、カナメなしには生きて行けそうにないんじゃ……。ま、そこはやり方次第だろ。俺たちだって、カナメに何もさせたくないわけじゃないんだから。ただ、倒れるほど根を詰めて働くのは、俺だって見逃せないぞ」
「うっ……そこは反省しています……」
「よろしい。カナメはほとんど外に出てないんだし、不便をしいていたんだから、いい機会だと思おう。魔女殿の言う通り、俺と一緒にクラリッサで少しのんびりしよう」
「……こんなのん気にしていて、いいんでしょうか」
ちらりと、今しがた辿ってきた道に視線を流す。胸がそわそわする。
むしろ、今すぐにでもリオナさんに会って謝りたい気持ちが、私を急き立てている。罪悪感に苛まれそう。
でも、ヒースさんは首を振った。
「そういうところだぞ。戻るのは駄目だ。カナメに必要なのは休息で、魔女殿に必要なのは時間だ。気にはなるだろうが、今は自分のことだけを考えなさい」
「うう。ヒースさんがそう言うなら……」
ぐぅっと唸って、肩を落とした私は魔女の家への未練を、いっとき忘れることにした。
後ろ髪引かれるが、私もいい加減心の整理をつけるときが来たのだと思う。
私が森を気にするからだろうか。
さてそろそろ行こうかと促して、立ち上がったヒースさんは、私に手を差し伸べた。
素直に、私はその手を取った。
力強い腕が、難なく私を支え、立ち上がらせてくれる。
「……ところで」
「うん?」
「馬に乗るのって、結構大変ですよね? これ、明日絶対筋肉痛になりますね?」
立ち上がったら、内股が既にちょっとプルプルしていて、私は明日起き上がれない予感をひしひしと感じていた。
安定感抜群のヒースさんに寄りかかって揺られているだけだったのに、乗馬って案外筋肉を使うんだね!?
「ははは。慣れないと、変に力んでしまうからな。強制的に休みになるだろうなとは思っていたよ」
「これもリオナさんの策略の一つだったりして……」
「ありえる。さあ、クラリッサの街までもうひとっ走りだ。頑張れ」
「ひーん!」
---------------
リオナの緊急連絡『あの子が無茶して倒れたんですけど!?もーほんっとバカなんだから!至急要を引き取りに来て!頭が冷えるまで、しばらく連れ出して!そんで保護者として甘やかしてわからせて!!』
ヒース「無茶振り」
両方の心境を知っているヒースさんは、拗れてるなあって苦笑しつつも見守ってます。
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