19 / 126
クラリッサの街の冒険者ギルド
19.元社畜は街に向かう
しおりを挟む
切りどころがなかったのでちょい長めです。
ややシリアスなので一気にいきます。
---------------
「魔女殿からの緊急連絡が入ったから、一体何事かと思ったら」
次の日の朝、ヴェルガーの森まで慌ててやってきたヒースさんは、お怒りモードのリオナさんから荷物と私をぽいっと渡され、苦笑気味に馬に乗せてくれた。
リオナさんとはどう接していいのかわからなくて、結局あれから話せていない。
例の売られていく子牛の歌が頭によぎりつつ、ヒースさんと一緒に馬に揺られて30分ほど。
休憩のため、街道の脇にある大きな木の下で、私とヒースさんは一息ついていた。
ヒースさん一人なら、一気に駆け抜けたであろう道のりも、まだまだ馬に不慣れな私を慮って、随分とゆっくり移動してくれている。
遠目からこちらを伺ってくる狼っぽい姿が見える。ブラックヴォーグという種の魔物なのだが、ヒースさんと魔物除けの魔道具を警戒しているらしい。
ヒースさんはゴールドタグを持つA級の高位ランク冒険者で、結構な手練れなのだ。「魔女殿の結界はないが、もし近づかれても、数匹程度なら俺一人で片付けられるから大丈夫だ」と、大変頼もしいお言葉をいただいた。格好いい。
目の前に広がる平原や山々といった自然は、あまりにも雄大で美しい。真っ青な空を、大きな雲が緩やかに流れていく。そよ風が梢を揺らす涼やかな音が耳に届く。少し火照った身体に心地良い。
すぐ傍では、ヒースさんの借りた馬がもしゃもしゃと草を食んでいる。
どっしりとした青毛の身体に似つかわぬ、つぶらな瞳が可愛い。馬なんて、間近で見たのは初めてだった。
水袋に入った水を飲んで、私は深呼吸をする。
ゆったりと。
時間が、染み込むように進んでいく。
この世界は、せわしなさとは縁遠い。
だから、持て余す。
時間も、――自分の気持ちでさえも。
ああ、いやだ。
忙しさにかまけていれば考えなくてよかったことまで、考えてしまう。
「……俺も、魔女殿の気持ちがわかるな」
「え?」
木陰で隣に座っているヒースさんが、唐突に喉を鳴らした。
馬上では舌を噛むからと会話がなかったので、まさか引き続き魔女の家からの話題がくるとは、思ってもみなかった。
気まずさもあって、私は唇を引き結んだ。
「だって、カナメは、こちらに渡ってきて、まだひと月も経っていないだろう? いくらもう身体は大丈夫と言われたって、君は世界を渡ったんだよ? それなのに、前にも言ったけれど、やれることを自分で次々見つけてあくせくと、何だろうね、早く役に立たなくちゃって、焦る感情が先立っているようにも見える、かな。だから、俺もだし、魔女殿も心配になるんだと思う」
「……焦って見えますか?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
ぎゅと胸を掴まれたような、どこか途方に暮れてしまったような気がした。
「少し、ね。自覚がないなら危ういな。働いていないと、不安?」
「不安という、か……」
びく、と肩が微かに震えた。
ヒースさんは穏やかな表情で、私をじっと見つめてくる。私の空っぽな心の内を、すべて見透かされてしまいそうな優しい視線は、少しだけ恐い。
でも、この人には誤魔化さなくてもいい気がした。
それは、ここが異世界だからなのだろうか。肩肘を張って生きていた、あちらの世界とは、違う。
はあと、詰めていた息を吐き出す。
「えと、お恥ずかしながら、昔から……休み方が、よくわからなくて。じっとしているの、落ち着かないんですよね……。朝から日付が変わるくらいまで、ひたすら働き通しだったから」
「いやいやいや、この間もどうかと思ったが、いくら何でもそれは働きすぎだ、カナメ。ちょっと待ってくれ、失礼だが、君は奴隷か何かだったのか!?」
「奴隷は違いますけど、うーん、働いているほうが、いっそ気が楽だったんですよね」
「我が国の宰相閣下みたいなことを言うな……」
私にとって通常運行の労働環境に、ヒースさんがドン引きした顔を見せる。
言われてみれば、ある種会社の奴隷みたいなものだったのだろう。社畜って言うくらいだし。
宰相閣下とやらもご苦労様です。私以上に働いてそうな地位の人だけど。
私は、立てた膝をぎゅっと抱え込んだ。
「……だから、リオナさんが、あんなに怒るなんて思わなかったんです」
だって、私の身を案じて、叱ってまで心配をしてくれる人、亡くなった母以外にいなかった。
はは、と自嘲気味に笑う。
いつしか、一人でがむしゃらに生きるのが当たり前だったから、無茶を無茶とも思っていなかった。
「自分のために真剣に怒ってくれる人は、貴重だよ」
「……私、リオナさんに見限られてしまったんでしょうか。出ていけって言われちゃった……」
よもや、こんな風に追い出されるだなんて、思ってもみなかった。
リオナさんとの同居生活は、ずっと一人で過ごしていた私にとって、楽しく穏やかなものだったから。
あ、何か至らない自分に、滅茶苦茶凹んできたぞ。
ずううんと、この世の終わりとばかりに落ち込み沈んだ私とは裏腹に、ヒースさんは軽快に笑い飛ばした。
「ヒースさん、笑いすぎです……」
「ふははは、ごめんごめん。これしきで見限るとか、まさか」
「……本当に?」
「本当に。さては、カナメ、本気で喧嘩したことないな?」
「ぐ」
図星を突かれて、私は唸った。クリティカルヒットだ。
家庭環境のせいもあって、長らくそつのない表向きの交流はしてきたものの、深く人と付き合ってこなかったから、私はこういう状況にてんで弱いのだ。
「そもそも、俺たちは君を見捨てたりしない。少なくとも、俺はそのつもりでいる。俺たちじゃ、頼りにならないだろうか?」
「……っ、そんなことない、そんなこと絶対にありえません!」
「そう思ってもらえているなら、よかった。カナメは真面目だから、抱え込みすぎてしまうんだな。なら、それを上手に手放せるよう手助けしてやりたいと思うよ。カナメみたいな無茶な働き方じゃ、仕事は逃げ場にしかならないよ」
じくりと膿んだ傷に、ナイフを刺された気分だった。
逃げ場。
ああ、そうだね。私は、ずっと逃げ続けている。
――15の時に、大好きだった実の母が亡くなった。
父は仕事人間であまり家庭を顧みず、子供に興味がなく、世間体のためだけに再婚をした。
再婚相手は、母の親友だった人。
表向きはにこやかでいても、ずっと母と私を影で敵視していた。
やがて弟が生まれて、家族の輪の中にどんどん私の居場所はなくなっていって、一人で立たざるを得なくなった。
私の家族は、亡くなった母だけだ。
だから、私は家族を諦めた。ぽっかりと、胸に穴は開いたまま。
それを埋めるように、勉強をしていれば、バイトをしていれば、仕事をしていれば、空虚さはほんのわずか薄れた。没頭すれば楽だった。
がむしゃらな代替行為に、何の気持ちもなかった。からっぽだ。
単に、見たくないものや、自分の弱さを誤魔化していただけにすぎないのだけれど。
ヒースさんの言うことは正しい。わかっている。わかっていた。
それでも、自分が唯一縋れるのは、仕事しかなかった。
何か役割があれば、必要とされていれば、私はここにいてもいいのだと心が落ち着くから。
自分の存在意義を、慰められるから。
「それが必ずしも悪いとは言わないけど、カナメが本当にやりたかったことは、仕事なのかい?」
「それ、は……」
即答できずに、私は唇を戦慄かせた。
「堕ちてきた直後の、あんなに不健康でやつれた顔をしていた時よりも、今のカナメのほうがずっといい。まだ少し、肩肘張ってる気はするけどね」
「……っ、どうして……? ヒースさんもリオナさんも、どうしてそんなに優しいんですか?」
「偉そうなこと言っているけど、こう見えて俺も家出した身なもので」
「えっ!?」
ヒースさんの意外な告白を耳にして、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ヒースさんは、気まずげに苦笑いを浮かべる。
「でも、俺の場合、路頭に迷っていた中、いい師匠に出会えて拾ってもらえたから、こうしてどうにか道を違えずに生きていけている。だからだろうなあ、迷子みたいな顔して必死に生きているカナメを、放っておけないのは」
「迷子……かあ……」
その言葉が、やけにしっくりきてしまった。
ヒースさんは慧眼だ。恐らく、リオナさんも。
きっと私の心は、母が死んだあの日に、どこかに迷子になってしまったんだ。
そんな迷子は、当て所もなく世界まで超えてしまった。
なんて、笑えない。
三角に立てた膝に、私は顔を埋めた。
「……一人で立たなくちゃって、ここまで生きてきたんです」
「器用なくせに不器用だね、君は。気負わなくてもいいんだ。今まで一人でよく頑張ってきたな」
ぽんぽんと頭を緩く撫でられる。はっと顔をあげると、ヒースさんの穏やかな瞳が私を見ていた。
頑張った、なんて言われたこと、あったっけ。
今までの私を肯定されたようで、何だか泣きそうになる。胸が苦しい。
ヒースさんはずるい。優しくて、暖かくてずるい。
「大丈夫。ちょっとくらい肩の力を抜いていいんだ。馬に乗っていた時みたいに、寄りかかってさ。カナメがこの世界に来たのには、きっと意味があるはずだ。それに、君は一人じゃない。女神の導きあって、生まれた縁だ。俺たちも支えるから、もっと頼って甘えてくれていいんだよ」
「……充分、頼っているつもりだったんですけど、これでも」
「甘えるのが下手くそだな。まだまだ足りないよ。うん。じゃあ足りない分、もっと甘やかしてやろう」
わしゃわしゃと、楽し気に私の頭をかいぐるヒースさんの攻勢がもの凄い。犬じゃないんだぞ、犬じゃ。
この間から、どう考えても子供扱いされているのに、それが不快じゃない。
むしろ心地よくて、甘えてしまってもいいのかなと、ハリボテな心の鎧が剥がれ落ちていく。
不思議だな、ここがゆっくりと優しい時間の流れていく異世界だからかな。あくせくしなくてもいいと、皆が言ってくれるからかな。まるで、お母さんが生きていた頃みたいに。
ほっと、自分の中から頑なだった力が、抜けていく気がした。
「……リオナさん、まだ怒ってますよね」
「執念深いが、ああ見えて、面倒見のいい人だ。カナメが誠心誠意謝れば、きっと許してくれるさ」
「執念深いって……」
「覚悟しておけよ? 絶対にしばらくネチネチ言われるから」
いや、それは私も容易く想像できるけど。
思わず、ぷはっと吹き出してしまった。
「でも、私だってやっぱりお役に立ちたいですし、仕事したいです。いつまでもお二人の厚意に寄っかかってばっかりなのは、嫌なんです。ちゃんと胸を張って、お二人と肩を並べたい。それに、働かざるもの食うべからずです」
「むしろ、魔女殿のほうが、カナメなしには生きて行けそうにないんじゃ……。ま、そこはやり方次第だろ。俺たちだって、カナメに何もさせたくないわけじゃないんだから。ただ、倒れるほど根を詰めて働くのは、俺だって見逃せないぞ」
「うっ……そこは反省しています……」
「よろしい。カナメはほとんど外に出てないんだし、不便をしいていたんだから、いい機会だと思おう。魔女殿の言う通り、俺と一緒にクラリッサで少しのんびりしよう」
「……こんなのん気にしていて、いいんでしょうか」
ちらりと、今しがた辿ってきた道に視線を流す。胸がそわそわする。
むしろ、今すぐにでもリオナさんに会って謝りたい気持ちが、私を急き立てている。罪悪感に苛まれそう。
でも、ヒースさんは首を振った。
「そういうところだぞ。戻るのは駄目だ。カナメに必要なのは休息で、魔女殿に必要なのは時間だ。気にはなるだろうが、今は自分のことだけを考えなさい」
「うう。ヒースさんがそう言うなら……」
ぐぅっと唸って、肩を落とした私は魔女の家への未練を、いっとき忘れることにした。
後ろ髪引かれるが、私もいい加減心の整理をつけるときが来たのだと思う。
私が森を気にするからだろうか。
さてそろそろ行こうかと促して、立ち上がったヒースさんは、私に手を差し伸べた。
素直に、私はその手を取った。
力強い腕が、難なく私を支え、立ち上がらせてくれる。
「……ところで」
「うん?」
「馬に乗るのって、結構大変ですよね? これ、明日絶対筋肉痛になりますね?」
立ち上がったら、内股が既にちょっとプルプルしていて、私は明日起き上がれない予感をひしひしと感じていた。
安定感抜群のヒースさんに寄りかかって揺られているだけだったのに、乗馬って案外筋肉を使うんだね!?
「ははは。慣れないと、変に力んでしまうからな。強制的に休みになるだろうなとは思っていたよ」
「これもリオナさんの策略の一つだったりして……」
「ありえる。さあ、クラリッサの街までもうひとっ走りだ。頑張れ」
「ひーん!」
---------------
リオナの緊急連絡『あの子が無茶して倒れたんですけど!?もーほんっとバカなんだから!至急要を引き取りに来て!頭が冷えるまで、しばらく連れ出して!そんで保護者として甘やかしてわからせて!!』
ヒース「無茶振り」
両方の心境を知っているヒースさんは、拗れてるなあって苦笑しつつも見守ってます。
ややシリアスなので一気にいきます。
---------------
「魔女殿からの緊急連絡が入ったから、一体何事かと思ったら」
次の日の朝、ヴェルガーの森まで慌ててやってきたヒースさんは、お怒りモードのリオナさんから荷物と私をぽいっと渡され、苦笑気味に馬に乗せてくれた。
リオナさんとはどう接していいのかわからなくて、結局あれから話せていない。
例の売られていく子牛の歌が頭によぎりつつ、ヒースさんと一緒に馬に揺られて30分ほど。
休憩のため、街道の脇にある大きな木の下で、私とヒースさんは一息ついていた。
ヒースさん一人なら、一気に駆け抜けたであろう道のりも、まだまだ馬に不慣れな私を慮って、随分とゆっくり移動してくれている。
遠目からこちらを伺ってくる狼っぽい姿が見える。ブラックヴォーグという種の魔物なのだが、ヒースさんと魔物除けの魔道具を警戒しているらしい。
ヒースさんはゴールドタグを持つA級の高位ランク冒険者で、結構な手練れなのだ。「魔女殿の結界はないが、もし近づかれても、数匹程度なら俺一人で片付けられるから大丈夫だ」と、大変頼もしいお言葉をいただいた。格好いい。
目の前に広がる平原や山々といった自然は、あまりにも雄大で美しい。真っ青な空を、大きな雲が緩やかに流れていく。そよ風が梢を揺らす涼やかな音が耳に届く。少し火照った身体に心地良い。
すぐ傍では、ヒースさんの借りた馬がもしゃもしゃと草を食んでいる。
どっしりとした青毛の身体に似つかわぬ、つぶらな瞳が可愛い。馬なんて、間近で見たのは初めてだった。
水袋に入った水を飲んで、私は深呼吸をする。
ゆったりと。
時間が、染み込むように進んでいく。
この世界は、せわしなさとは縁遠い。
だから、持て余す。
時間も、――自分の気持ちでさえも。
ああ、いやだ。
忙しさにかまけていれば考えなくてよかったことまで、考えてしまう。
「……俺も、魔女殿の気持ちがわかるな」
「え?」
木陰で隣に座っているヒースさんが、唐突に喉を鳴らした。
馬上では舌を噛むからと会話がなかったので、まさか引き続き魔女の家からの話題がくるとは、思ってもみなかった。
気まずさもあって、私は唇を引き結んだ。
「だって、カナメは、こちらに渡ってきて、まだひと月も経っていないだろう? いくらもう身体は大丈夫と言われたって、君は世界を渡ったんだよ? それなのに、前にも言ったけれど、やれることを自分で次々見つけてあくせくと、何だろうね、早く役に立たなくちゃって、焦る感情が先立っているようにも見える、かな。だから、俺もだし、魔女殿も心配になるんだと思う」
「……焦って見えますか?」
私は、きょとんと目を瞬かせた。
ぎゅと胸を掴まれたような、どこか途方に暮れてしまったような気がした。
「少し、ね。自覚がないなら危ういな。働いていないと、不安?」
「不安という、か……」
びく、と肩が微かに震えた。
ヒースさんは穏やかな表情で、私をじっと見つめてくる。私の空っぽな心の内を、すべて見透かされてしまいそうな優しい視線は、少しだけ恐い。
でも、この人には誤魔化さなくてもいい気がした。
それは、ここが異世界だからなのだろうか。肩肘を張って生きていた、あちらの世界とは、違う。
はあと、詰めていた息を吐き出す。
「えと、お恥ずかしながら、昔から……休み方が、よくわからなくて。じっとしているの、落ち着かないんですよね……。朝から日付が変わるくらいまで、ひたすら働き通しだったから」
「いやいやいや、この間もどうかと思ったが、いくら何でもそれは働きすぎだ、カナメ。ちょっと待ってくれ、失礼だが、君は奴隷か何かだったのか!?」
「奴隷は違いますけど、うーん、働いているほうが、いっそ気が楽だったんですよね」
「我が国の宰相閣下みたいなことを言うな……」
私にとって通常運行の労働環境に、ヒースさんがドン引きした顔を見せる。
言われてみれば、ある種会社の奴隷みたいなものだったのだろう。社畜って言うくらいだし。
宰相閣下とやらもご苦労様です。私以上に働いてそうな地位の人だけど。
私は、立てた膝をぎゅっと抱え込んだ。
「……だから、リオナさんが、あんなに怒るなんて思わなかったんです」
だって、私の身を案じて、叱ってまで心配をしてくれる人、亡くなった母以外にいなかった。
はは、と自嘲気味に笑う。
いつしか、一人でがむしゃらに生きるのが当たり前だったから、無茶を無茶とも思っていなかった。
「自分のために真剣に怒ってくれる人は、貴重だよ」
「……私、リオナさんに見限られてしまったんでしょうか。出ていけって言われちゃった……」
よもや、こんな風に追い出されるだなんて、思ってもみなかった。
リオナさんとの同居生活は、ずっと一人で過ごしていた私にとって、楽しく穏やかなものだったから。
あ、何か至らない自分に、滅茶苦茶凹んできたぞ。
ずううんと、この世の終わりとばかりに落ち込み沈んだ私とは裏腹に、ヒースさんは軽快に笑い飛ばした。
「ヒースさん、笑いすぎです……」
「ふははは、ごめんごめん。これしきで見限るとか、まさか」
「……本当に?」
「本当に。さては、カナメ、本気で喧嘩したことないな?」
「ぐ」
図星を突かれて、私は唸った。クリティカルヒットだ。
家庭環境のせいもあって、長らくそつのない表向きの交流はしてきたものの、深く人と付き合ってこなかったから、私はこういう状況にてんで弱いのだ。
「そもそも、俺たちは君を見捨てたりしない。少なくとも、俺はそのつもりでいる。俺たちじゃ、頼りにならないだろうか?」
「……っ、そんなことない、そんなこと絶対にありえません!」
「そう思ってもらえているなら、よかった。カナメは真面目だから、抱え込みすぎてしまうんだな。なら、それを上手に手放せるよう手助けしてやりたいと思うよ。カナメみたいな無茶な働き方じゃ、仕事は逃げ場にしかならないよ」
じくりと膿んだ傷に、ナイフを刺された気分だった。
逃げ場。
ああ、そうだね。私は、ずっと逃げ続けている。
――15の時に、大好きだった実の母が亡くなった。
父は仕事人間であまり家庭を顧みず、子供に興味がなく、世間体のためだけに再婚をした。
再婚相手は、母の親友だった人。
表向きはにこやかでいても、ずっと母と私を影で敵視していた。
やがて弟が生まれて、家族の輪の中にどんどん私の居場所はなくなっていって、一人で立たざるを得なくなった。
私の家族は、亡くなった母だけだ。
だから、私は家族を諦めた。ぽっかりと、胸に穴は開いたまま。
それを埋めるように、勉強をしていれば、バイトをしていれば、仕事をしていれば、空虚さはほんのわずか薄れた。没頭すれば楽だった。
がむしゃらな代替行為に、何の気持ちもなかった。からっぽだ。
単に、見たくないものや、自分の弱さを誤魔化していただけにすぎないのだけれど。
ヒースさんの言うことは正しい。わかっている。わかっていた。
それでも、自分が唯一縋れるのは、仕事しかなかった。
何か役割があれば、必要とされていれば、私はここにいてもいいのだと心が落ち着くから。
自分の存在意義を、慰められるから。
「それが必ずしも悪いとは言わないけど、カナメが本当にやりたかったことは、仕事なのかい?」
「それ、は……」
即答できずに、私は唇を戦慄かせた。
「堕ちてきた直後の、あんなに不健康でやつれた顔をしていた時よりも、今のカナメのほうがずっといい。まだ少し、肩肘張ってる気はするけどね」
「……っ、どうして……? ヒースさんもリオナさんも、どうしてそんなに優しいんですか?」
「偉そうなこと言っているけど、こう見えて俺も家出した身なもので」
「えっ!?」
ヒースさんの意外な告白を耳にして、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ヒースさんは、気まずげに苦笑いを浮かべる。
「でも、俺の場合、路頭に迷っていた中、いい師匠に出会えて拾ってもらえたから、こうしてどうにか道を違えずに生きていけている。だからだろうなあ、迷子みたいな顔して必死に生きているカナメを、放っておけないのは」
「迷子……かあ……」
その言葉が、やけにしっくりきてしまった。
ヒースさんは慧眼だ。恐らく、リオナさんも。
きっと私の心は、母が死んだあの日に、どこかに迷子になってしまったんだ。
そんな迷子は、当て所もなく世界まで超えてしまった。
なんて、笑えない。
三角に立てた膝に、私は顔を埋めた。
「……一人で立たなくちゃって、ここまで生きてきたんです」
「器用なくせに不器用だね、君は。気負わなくてもいいんだ。今まで一人でよく頑張ってきたな」
ぽんぽんと頭を緩く撫でられる。はっと顔をあげると、ヒースさんの穏やかな瞳が私を見ていた。
頑張った、なんて言われたこと、あったっけ。
今までの私を肯定されたようで、何だか泣きそうになる。胸が苦しい。
ヒースさんはずるい。優しくて、暖かくてずるい。
「大丈夫。ちょっとくらい肩の力を抜いていいんだ。馬に乗っていた時みたいに、寄りかかってさ。カナメがこの世界に来たのには、きっと意味があるはずだ。それに、君は一人じゃない。女神の導きあって、生まれた縁だ。俺たちも支えるから、もっと頼って甘えてくれていいんだよ」
「……充分、頼っているつもりだったんですけど、これでも」
「甘えるのが下手くそだな。まだまだ足りないよ。うん。じゃあ足りない分、もっと甘やかしてやろう」
わしゃわしゃと、楽し気に私の頭をかいぐるヒースさんの攻勢がもの凄い。犬じゃないんだぞ、犬じゃ。
この間から、どう考えても子供扱いされているのに、それが不快じゃない。
むしろ心地よくて、甘えてしまってもいいのかなと、ハリボテな心の鎧が剥がれ落ちていく。
不思議だな、ここがゆっくりと優しい時間の流れていく異世界だからかな。あくせくしなくてもいいと、皆が言ってくれるからかな。まるで、お母さんが生きていた頃みたいに。
ほっと、自分の中から頑なだった力が、抜けていく気がした。
「……リオナさん、まだ怒ってますよね」
「執念深いが、ああ見えて、面倒見のいい人だ。カナメが誠心誠意謝れば、きっと許してくれるさ」
「執念深いって……」
「覚悟しておけよ? 絶対にしばらくネチネチ言われるから」
いや、それは私も容易く想像できるけど。
思わず、ぷはっと吹き出してしまった。
「でも、私だってやっぱりお役に立ちたいですし、仕事したいです。いつまでもお二人の厚意に寄っかかってばっかりなのは、嫌なんです。ちゃんと胸を張って、お二人と肩を並べたい。それに、働かざるもの食うべからずです」
「むしろ、魔女殿のほうが、カナメなしには生きて行けそうにないんじゃ……。ま、そこはやり方次第だろ。俺たちだって、カナメに何もさせたくないわけじゃないんだから。ただ、倒れるほど根を詰めて働くのは、俺だって見逃せないぞ」
「うっ……そこは反省しています……」
「よろしい。カナメはほとんど外に出てないんだし、不便をしいていたんだから、いい機会だと思おう。魔女殿の言う通り、俺と一緒にクラリッサで少しのんびりしよう」
「……こんなのん気にしていて、いいんでしょうか」
ちらりと、今しがた辿ってきた道に視線を流す。胸がそわそわする。
むしろ、今すぐにでもリオナさんに会って謝りたい気持ちが、私を急き立てている。罪悪感に苛まれそう。
でも、ヒースさんは首を振った。
「そういうところだぞ。戻るのは駄目だ。カナメに必要なのは休息で、魔女殿に必要なのは時間だ。気にはなるだろうが、今は自分のことだけを考えなさい」
「うう。ヒースさんがそう言うなら……」
ぐぅっと唸って、肩を落とした私は魔女の家への未練を、いっとき忘れることにした。
後ろ髪引かれるが、私もいい加減心の整理をつけるときが来たのだと思う。
私が森を気にするからだろうか。
さてそろそろ行こうかと促して、立ち上がったヒースさんは、私に手を差し伸べた。
素直に、私はその手を取った。
力強い腕が、難なく私を支え、立ち上がらせてくれる。
「……ところで」
「うん?」
「馬に乗るのって、結構大変ですよね? これ、明日絶対筋肉痛になりますね?」
立ち上がったら、内股が既にちょっとプルプルしていて、私は明日起き上がれない予感をひしひしと感じていた。
安定感抜群のヒースさんに寄りかかって揺られているだけだったのに、乗馬って案外筋肉を使うんだね!?
「ははは。慣れないと、変に力んでしまうからな。強制的に休みになるだろうなとは思っていたよ」
「これもリオナさんの策略の一つだったりして……」
「ありえる。さあ、クラリッサの街までもうひとっ走りだ。頑張れ」
「ひーん!」
---------------
リオナの緊急連絡『あの子が無茶して倒れたんですけど!?もーほんっとバカなんだから!至急要を引き取りに来て!頭が冷えるまで、しばらく連れ出して!そんで保護者として甘やかしてわからせて!!』
ヒース「無茶振り」
両方の心境を知っているヒースさんは、拗れてるなあって苦笑しつつも見守ってます。
14
お気に入りに追加
224
あなたにおすすめの小説
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~
土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。
しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。
そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。
両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。
女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
何でも鑑定眼!TVでおなじみの事をしていたら幸せになりました。良い仕事してますねぇ~
naturalsoft
恋愛
シオン・トゥルース子爵令嬢は変わった令嬢だった。トゥルース家の祖父が趣味でやっていた古物店のお店が子爵家の屋敷の側にあり、幼い頃から出入りしていた。
この独特の雰囲気と古物の匂いが好きだった。祖父から様々な物の見方を習い、シオンが成長すると、その店を継いだ。
その過程でシオンの父親も、貿易商を営んでおり、輸入品についてシオンに学ばせていた。
気付けばトゥルース子爵家の古物屋『トゥルーアイ』は国内でも知る人ぞ知る隠れた名店となっていた。
「う〜ん、良い仕事してますねぇ~」
今日もシオンの口癖が店内に響き渡るのだった。
美味しい料理で村を再建!アリシャ宿屋はじめます
今野綾
ファンタジー
住んでいた村が襲われ家族も住む場所も失ったアリシャ。助けてくれた村に住むことに決めた。
アリシャはいつの間にか宿っていた力に次第に気づいて……
表紙 チルヲさん
出てくる料理は架空のものです
造語もあります11/9
参考にしている本
中世ヨーロッパの農村の生活
中世ヨーロッパを生きる
中世ヨーロッパの都市の生活
中世ヨーロッパの暮らし
中世ヨーロッパのレシピ
wikipediaなど
勇者パーティを追放された聖女ですが、やっと解放されてむしろ感謝します。なのにパーティの人たちが続々と私に助けを求めてくる件。
八木愛里
ファンタジー
聖女のロザリーは戦闘中でも回復魔法が使用できるが、勇者が見目麗しいソニアを新しい聖女として迎え入れた。ソニアからの入れ知恵で、勇者パーティから『役立たず』と侮辱されて、ついに追放されてしまう。
パーティの人間関係に疲れたロザリーは、ソロ冒険者になることを決意。
攻撃魔法の魔道具を求めて魔道具屋に行ったら、店主から才能を認められる。
ロザリーの実力を知らず愚かにも追放した勇者一行は、これまで攻略できたはずの中級のダンジョンでさえ失敗を繰り返し、仲間割れし破滅へ向かっていく。
一方ロザリーは上級の魔物討伐に成功したり、大魔法使いさまと協力して王女を襲ってきた魔獣を倒したり、国の英雄と呼ばれる存在になっていく。
これは真の実力者であるロザリーが、ソロ冒険者としての地位を確立していきながら、残念ながら追いかけてきた魔法使いや女剣士を「虫が良すぎるわ!」と追っ払い、入り浸っている魔道具屋の店主が実は憧れの大魔法使いさまだが、どうしても本人が気づかない話。
※11話以降から勇者パーティの没落シーンがあります。
※40話に鬱展開あり。苦手な方は読み飛ばし推奨します。
※表紙はAIイラストを使用。
美形王子様が私を離してくれません!?虐げられた伯爵令嬢が前世の知識を使ってみんなを幸せにしようとしたら、溺愛の沼に嵌りました
葵 遥菜
恋愛
道端で急に前世を思い出した私はアイリーン・グレン。
前世は両親を亡くして児童養護施設で育った。だから、今世はたとえ伯爵家の本邸から距離のある「離れ」に住んでいても、両親が揃っていて、綺麗なお姉様もいてとっても幸せ!
だけど……そのぬりかべ、もとい厚化粧はなんですか? せっかくの美貌が台無しです。前世美容部員の名にかけて、そのぬりかべ、破壊させていただきます!
「女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」
ーーすると、家族が円満になっちゃった!? 美形王子様が迫ってきた!?
私はただ、この世界のすべての女性を幸せにしたかっただけなのにーー!
※約六万字で完結するので、長編というより中編です。
※他サイトにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる