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転移

03.社畜は説明が欲しい

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 コンコンとドアがノックされる音が響いた。
 とはいっても、ドアはすっかり全開だったので、入室の合図のようなものだろう。

「失礼。お客人が起きたようなので、食事を持ってきた。スープくらいなら食べられそうかい?」
「あら、ヒースったら、随分準備がいいのね。でも、スープなんてうちにあったかしら?」
「今日あたり目覚めるんじゃないかって言っていただろう? 君が作業場に籠っている間に、勝手にキッチンを拝借していたんだ。というか魔女殿、君の生活は一体どうなっているんだ。リビングはまだしも、キッチンがだいぶ魔境だったぞ」
「うるっさいわね」

 リオナさんと軽口を叩きながらひょいと姿を見せたのは、あの時の亜麻色の髪をした男性だった。
 やっぱり白昼夢ではなかったらしい。
 彼は身に着けていた装備を外し、随分と楽な格好を見せている。イケメンは何を着ていてもイケメンだ。

「あ!」
「やぁ、無事目覚めたようで安心した。顔色も少し良くなったか。たまたまここに来る途中、君を見つけてね。俺のことはヒースと呼んでくれ。クラリッサのギルドで冒険者をしている」
「私は一宮要といいます……っと、もしかしたら、カナメ・イチノミヤのほうがいいのかな? 助けてくださってありがとうございます、ヒースさん」

 恐らく、クラリッサとは地名だろうと当たりをつける。冒険者という肩書におお、という気持ちだ。リオナさんの魔女も凄いけど、ヒースさんの冒険者も異世界ならではだ。

「何はともあれ、温かいうちにスープを召し上がれ。気を失う前も、凄い腹の音がしていたから、気になっていたんだ。ささっと作ったもので申し訳ない。カナメの口に合うといいが」
「あっはははは、アンタ、どんだけ腹っ減らしだったのよ」
「ううう、お恥ずかしい。だって、夕飯を食べ損ねた状態で、ここに墜とされたから……」

 ビールの一杯とおでんでもキメるかーって、コンビニに寄るところだったんだよね。

 ヒースさんが差し出してくれたトレイに載っていたのは、ホカホカと湯気を立てる野菜スープだった。食べやすいようにか細かく刻まれた葉物野菜と根菜、そしてうっすらと肉らしきものが煮込まれていて、美味しそうだ。

 遠慮なくスプーンを手に取り、口へと運ぶ。腹が減っては戦はできないのである。
 噛むとほろりと崩れるように野菜が柔らかい。
 塩だけの単純な味つけだったが、素材の甘みと肉から出た旨味がほんのりあって、素朴で優しい。
 ちょっとお出汁が足りない感じだけど、起き抜けの胃には、ちょうどいい薄味だった。
 あっという間に平らげて、私はごちそうさまでしたと両手を合わせた。
 さすがに満腹にはいたらなかったものの、空腹は落ち着き、身体も徐々に温まってくる。
 腹が多少膨れれば、ゆっくりとではあるが、思考回路もまともに動いてくる。

「さて、要が落ち着いたところで、話を戻しましょうか」

 私の食事が終わるまで見守ってくれた後、ヒースさんが淹れてくれたお茶をみんなで飲みながら、改めてリオナさんが口火を切った。
 お茶は、オレンジの良い香りがする紅茶で、深刻な話を前に、心をゆったりとさせてくれる。
 ほぼ荷物で埋まっているこの部屋は、追加で2脚も椅子を置いたらいっぱいになる。なお、お茶はナイトテーブルの上に置いている。
 少々圧迫感のある中、リオナさんは唇を開いた。

「この世界ーー『マリステラ』では、別世界から渡ってくる人というのが、多くもないけれども決して珍しくもなくてね」
「えっ、そうなんですか?」

 それはびっくりである。私みたいなのが、他にもいるってこと!?
 リオナさんは、ゆっくりと首肯した。

「要のように転移してくる人もいれば、こちらに転生した後、前世の記憶を思い出す人もいる。肉体ごとであれ、魂だけであれ、世界の境界を越えた人たちを総称して、ここでは『界渡人わたりびと』と呼ぶの」
「わたり、びと……」
「その中でも、特に転移してきた『界渡人』は、最初に身柄を保護した者が、この世界に慣れるまで責任をもって面倒を見るのが、義務付けられているのね」
「つまり、最初に君を見つけた俺だな」
「ヒースさんが? でも、それってだいぶ負担になるんじゃ……」

 ある程度、過去の実績があるからこその決まりなのだろうとは思うが。
 必ずしも、見知らぬ異邦人の面倒を見られるほど、羽振りの良い人や善意の人に拾われるとは限らないのでは……。

「要の疑問ももっともよ。まあ、稀ではあるのだけれど、悪どい人に捕まって酷い目にあわされた例もあるにはあるから、大っぴらにしないほうがいいのは確かね。そうじゃないと、悪い魔女に利用されてしまうかもしれないわよ?」
「ひえっ……」

 くすり、と誘うように唇を歪めて、リオナさんは紅い瞳を細めた。
 すっと走った禍々しさは一瞬。でも、ぞっと背筋を震わせるには十分だった。
 それはきっと、警告だったのかもしれない。まだ現実味を帯びてない私への。身が引き締まるようだった。
 わずかに空気が張り詰める。
 だけど、ヒースさんがリオナさんの脳天に軽くチョップを入れたから、緊張感はすぐに霧散した。

「魔女殿、悪ぶってカナメを脅してどうするんだ……」
「あいたっ! 叩くことないじゃない馬鹿ヒース!」
「大体君は……」

 ぎゃあぎゃあと始まった言い合いに、私はぽかんとする。さっき一瞬走ったシリアスな空気をぶち壊すほど落差のある、子供じみた光景だ。
 何だか肩の力が抜けてしまい、私は思わず吹き出してしまう。
 すると、二人は顔を見合わせ、気まずげに矛を収めた。

「……って、ごめんごめん、話がそれた。異世界人の知識や発想、固有の能力は、新たな利をもたらすと言われているし、実際それで発展してきた部分も少なくないの。だから、この国では『界渡人』を大切にしているのよ。それに、転移してきたばかりじゃ、何もかもがちんぷんかんぷんだし、身を守る術もないでしょう? そこを補ってあげるのが保護の目的。もちろん、最初から国や神殿に預かってもらうって手もあるからね」
「ただ、最初に衰弱した状態で見つけたから、やはり気になってしまってね。頼りないかもしれないが、君が心身ともに休めて、どうしたいか心が決まるまで、この世界での後見は、俺がしたいと思っている。こう見えて、それなりに身を立てているから、安心してほしい」

 とんと頼もしくヒースさんが己の胸を拳で叩いた。仕草が様になっていて、格好いい。
 でも私、言うほど衰弱はしてないんですが……。そんなに倒れていた時の私、ヤバかったんだろうか。

「とか一人カッコつけたこと言っているけど、私も一部肩代わりするんですけどね? 冒険者って、依頼を受けてあちこち出かける職業だから、なかなか長らく一か所に留まれないのよ。ってことで、私の庭に落ちてきたのも縁あってのことだし、私が身元を引き受けることにしたの」
「あ、ありがとうございます、お二人とも……!」

 ゆっくりとかけられる親切な説明に、少しだけほっとする。
 右も左もわからない土地に、知りませんといきなり放り投げられても、生きていける気がしない。
 リオナさんの口ぶりからすると、私は運が良かったのだろう。
 まだ完全に警戒心が抜けたわけじゃないけれども、何となく、何となくだけど、この人たちなら信じても大丈夫な気がする……。
 国とか神殿の選択肢があるにせよ、何もわからない状態では、素直に身を寄せていいものかも判断がつかない。起き抜けでは、あまりにも情報が足りなさすぎる。

「そして、結論から言うと、要は元の世界には戻れないわ」
「そう、ですか……」
「……もっと取り乱すかと思ったけれども、意外ね」
「うーん。自分でも不思議なんですけど……落ち着いているというよりも、多分まだ気持ちが追いついていないだけなのかなあって」
「無理はしなくていいんだぞ?」

 私が困ったようにへらりと笑うと、少しだけ眉を寄せたヒースさんが、ポンポンと布団を叩いてくれる。
 あ。思い遣ってくれる気持ちが、心に沁みる。

「でね、貴女みたいな転移型の『界渡人』がこちらの世界に渡ってくるのは、主に国家での召喚によるものがほとんどなのよ」
「えっ、国が、そんなことをするんですか?」
「まあ普通に考えて、拉致だもんね」
「そう言われてしまうと身も蓋もないが……この世界には、瘴気や魔物と呼ばれる悪しきものが蔓延していてね。それを広く手早く浄化できるのが、別世界から召喚される聖女様だと言われているんだ」
「わぁ……聖女召喚だぁ……って、私、聖女なんです!?」
「いや、それはない」

 ヒースさんが、ばっさりと可能性を否定した。夢を見る暇すら与えてくれなかった。

「アイオン王国では、だいぶ前から聖女召喚を禁じているし、近隣諸国も5年前を最後に、概ね召喚を禁じるようになったの。だから、貴女は恐らくイレギュラーな存在なのよね。国家召喚以外でこの国に迷い込んできた『界渡人』の記録は数人、有名どころだと実に1000年近く前まで遡るし」
「この国の建国の祖の一人だな。最初の聖女だ」
「ひぇえ……私、平凡な一市民でしかないんですけど!?」

 異世界転移にありがちな聖女召喚の話から、建国に携わった人物の話まで飛んで、ちょっとガクブルしてしまう。
 すわ聖女か、なんて一瞬でも不相応なことを言いましたけれども、人より秀でているものもない単なる社畜で、そんな偉業を残したたいそうな方と、比肩するような存在だとも思えないんですが、私。

「それで、ちょっとその辺の手がかりを探ってみようってワケ」
「調べられるんですか?」
「まぁね、魔女だし、私」
「魔女って凄い!」
「おい、カナメが勘違いするぞ……」

 ぱちぱちと手を叩くと、リオナさんは得意げに胸を逸らす。案外ノリが良いな、この魔女。
 そんな彼女を胡乱な目で見て、ヒースさんはもごもごと不平を露わにしている。

「今から私のスキルで、要の持つステータスを≪鑑定アナライズ≫するわ。ただ、ステータスというものは、本来なら安易に他人にひけらかしていいものではないの。貴女の弱点を、つまびらかにしてしまうかもしれないから。それでも構わない? 何なら、ヒースはこの場から追い出すこともできるし、さっきも言ったけど、このまま公的機関に連れて行くこともできるわ」

 真摯な瞳だなと、直感した。
 彼女らのいうように、私の存在が、今後大きな利益をもたらすのだとして。
 そのために、もし私をだまくらかそうとしているなら、もっと目は濁っているはずだと、今までの経験が囁きかける。
 私は、息を吸い込んだ。

 あの時の闇は、歓迎するかのように「ようこそ」と優しく笑っていた。
 最初に慌てて助け起こしてくれたヒースさんからは、純粋な善意を感じた。
 全部を伝えてはいないだろうけれども、少なくともリオナさんの言葉の端々に、嘘は感じられなかった。
 世界を渡ったなどという厄介な存在に、寝床とご飯を用意してくれた。
 何より、私に選択肢をくれた。手を差し伸べてくれた。心配をしてくれた。
 信じてみたいなぁと、思った。単純って言われるかもしれないけど。

「……いいえ、ヒースさんもここにいて欲しいです。お二人が私の保護をしてくださるのであれば、知っておいていただいた方がいい事柄だと思いますので。よろしくお願いします」

 私は居住まいを正すと、二人に向けてぺこりと頭を下げた。ベッドの上だったので、立ち居振る舞いもなかったのだけれども。

「そんなに緊張しなくていい。君のステータスは、絶対に口外しないと剣にかけて誓おう」
「そうね。薬の魔女の名にかけて、私も誓うわ」

 ふ、と優しく笑ってくれた二人に、私も強張っていた肩の力をようやく抜くことができた。
 私も笑い返すと、少々緊迫感のあった空気が、緩んだ気がした。

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