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マリアンナは緊張のまま、家の前に立っていた。かれこれ十分は経っただろうか。
(こ、この中に、ジルのお母様が……お、おお、王妃、様が……)
ジルベールが出立した翌日の昼、マリアンナは早速渡された鍵の家に来ていた。
家に入る勇気が出ず、マリアンナは鍵を受け取った時のジルベールを思い浮かべた。
「本当ならキチンと場を設けて両親共に顔合わせしたかったんだけど、準備に手間取ってしまって……ごめんね。それと、あの、後出しで申し訳ないんだけど、あの、その……」
俯くジルベールだったが、意を決して手のひらを己の顔に当てた。
みるみる髪の色が変わる。光を飲み込むような黒髪だった。
覆っていた手を離すと、太陽よりも紅い瞳が、不安に揺れていた。
「……ジル……??」
「僕は、その」
闇夜のような黒髪に、それを照らす太陽の如き紅い瞳。この国に暮らすものなら誰もが知っている、その色彩は、太陽の王子のみが持つ色彩である。
「あなた……」
「僕は、ヴァルナミア公ギルバート。この国の王太子だ……」
王室に近い方だとは思っていた。予想の中に王子である可能性もいれていた。しかし、本当に、まさか王家の中心に立つ定めを持つ方だとは、思うことは出来ていなかった。マリアンナは驚愕に目を見開いた。
「ジルベールというのは、ギルバートの別名でね、身内は――」
申し訳なさそうにするジルベールの顔を思い出し、マリアンナは己を鼓舞した。
(ジルのお母様だもの。大丈夫、大丈夫!)
そっと鍵を差し込み回す。
カチャンと涼やかな音を立てて、鍵が開いた。
なぜか慎重にドアノブを回し、扉を開いた。
「ようこそー!!」
大きな声とともに、誰かがマリアンナを抱きしめた。
「きゃ!?」
体を硬直させたマリアンナの背中を、抱きついた人がくすくすと笑って撫でる。抱きしめたまま上体を離し、マリアンナを覗き込んだ。
「うんうん、面白い顔ね!この瓶底メガネを外すと……うん!清楚な美人さんね!!良かったわ!!」
マリアンナは眼鏡を上げられ、驚きで何も出来ずぱちくりと瞬きを繰り返した。
「うふふ、ごめんなさい。眼鏡がないとほとんど見えないのよね?」
優しく眼鏡を戻してくれる。
「私の名前はカトリーヌよ!でもあなたはお母様って呼んでちょうだい!私、そう呼ばれるのが夢だったの!!」
「おかあ、さま」
「そうよ!そうそう!お母様ですよー!」
感極まったカトリーヌが、改めてマリアンナを強く抱きしめた。
「それじゃ、まずはこの家の中を案内するわね。えっと、右手を貸して?そう、それじゃ、行きましょ」
ジルベールの母親であるカトリーヌと腕を組み、マリアンナはなすがままに家の案内をされた。
マリアンナのサイズに合わせたマネキンが出来上がり、手芸店や仕立て屋から生地やら型紙やらが届いた。この家に入っていいのはマリアンナとカトリーヌだけなので、受け取りはいつもカトリーヌが行っていた。
マリアンナは昼間を穏やかにこの家の中で、カトリーヌと語らい過ごしている。
この家には《花嫁達の家》と言う名前があるらしい。
使うのは花嫁衣裳を作る時と、ベールの保存状態を保つために年に数回確認に訪れる程度。
部屋の中は特殊な魔術でホコリがたまらないように保たれていると言う。
実はバストイレキッチンに寝室がキチンと整えられており「妻の公式な逃げ場なの」とカトリーヌがお茶目に舌を出した。
「私も夫と喧嘩するとここに食材を持ちこんで籠城するのよ。だからね、花嫁衣裳が出来るまで、ずっとここにいてもいいんだからね?」
家での扱いを知っているのだろう。マリアンナはそっと微笑み、カトリーヌの言葉に頷いた。本当に家を出ることは出来ないが、ここにいる間は平穏な心を保てるだろう。
そうして半年以上を過ごしていた。
花嫁衣裳の最後の一縫いという、その時、マリアンナの目に強烈な痛みが走った。
「あ、あぁぁあアアア!!!」
急な叫び声に驚いたカトリーヌが駆け寄り、うずくまったマリアンナを支えようとすると、何かに阻まれるように痛みが走った。
「いたっ!?」
痛みとともにバチッと結界に弾かれた時のような音がした。
事実、マリアンナの周りには魔法の障壁がまとわりついている。
マリアンナを覆うように風が立ち、図案や布の切れ端が舞う。
風に煽られた髪が炎のように揺らめいたかと思うとその美しい金髪から一気に色が抜けた。
それと同時に、マリアンナの右目が弾けた。
「ぎぃやぁぁぁあああああ!!!」
痛みに、壮絶な悲鳴が上がる。
「マリー!マリー!!!」
カトリーヌは魔力の障壁を突破する術を持たない。
泣きながら見守っていると、風が止み、マリアンナがどうっと倒れ伏した。
「マリー!!」
カトリーヌがマリアンナを抱き上げ顔を覗き込む。苦痛に歪むマリアンナの右目があった場所は落ち窪み、血が流れた。
この家は魔術により、定められた人物しか立ち入ることが出来ない。
「マリー、ちょっと、ちょっと我慢してね」
カトリーヌはぐったりと意識を失っているマリアンナの両脇に手を差し込み引き摺って玄関まで運んだ。
「誰か!すぐに馬車を!近くの別荘へ御典医を呼んで!!!」
カトリーヌの声掛けに、すぐに従者が現れた。
「全て急ぎ用意いたします!キャサリン妃殿下、もう少しだけ、マリアンナ様のお体をお外にっ……!」
「ええ!」
マリアンナは五日後に目を覚ました。
マリアンナが目覚めたあの日、マリアンナの傍に両親はおらず、代わりにジルベールの両親が揃っていた。
左目の歪む視線で捉えたジルベールの父親はどうやら黒い髪をしているようだった。目の色は判別が出来ない。その時は、右目を失った影響で左目が見えづらくなっているものと思っていた。
「あぁ、マリアンナ、私たちの娘……。すまなかった、やはり、こうなってしまった……息子の推論が当たっていたのだ……すまない、息子を守ってくれてありがとう、すまない……」
「必ず、幸せになりましょうねマリー。必ず、必ずよ」
「そうだな、私たちの出来うる限りで、君を守ろう。君は幸せになるんだ、絶対にな」
ジルベールの両親が涙ながらにマリアンナを励ました。
マリアンナは初めて齎される両親の愛に触れ、泣いた。
今、マリアンナの右目にはクリスタル製の球体が埋められ普段は右目を閉じている。左目も、実は上手くものを捕えることが出来なくなった。
「マリー、あんまり根を詰めちゃだめよ?」
カトリーヌはマリアンナを心配して何度もそう声をかけるが、マリアンナは大丈夫ですと返すばかりですぐにレース編みに没頭してしまう。目が見えない分、手指の感覚でレースを編まなければならない。それは酷く繊細で、集中と時間を要した。
マリアンナの右目が弾けたあの日、ジルベールは死にかけたはずだ。
マリアンナは古いまじないの本から、身代わりのまじないを探し出し、我が身の一部と引き換えに災いを払う術を施した。
施された術は体内に取り込み消化されてやっと効力を発揮できるようになる。その術は、マリアンナがジルベールのためだけに拵えたサンドウィッチの中に忍ばされた。
術が発動するのは二度。右目と、左目の分だけだった。
二度目の発動は、マリアンナが倒れて気絶している間に起ったらしい。
左目は色彩を無くしたが、右目のように弾けることはなかった。なぜかはわからない。命に関わる程度ではなかったから、目の犠牲が少なかったのか、それとも術に不備があったのか。
王子殿下と妹の名声は、今や世界に轟いている。しかし、彼らはまだ帰ってこない。二度も命の危機に瀕しただろう、マリアンナのジルベールはまだ帰ってこない。
マリアンナの不安の全てがレース編みに注がれていた。
ジルベールが出立して一年と少しが過ぎた。レース編みはまだ終わっていない。右目を無くし、左目も殆ど見えなくなってしまったマリアンナでは、上手く編むことが出来ない。この半年は編みかけのレースには手を出さず、レース編みの練習をし続けていた。
ジルベールは帰ってくる。無事な姿で帰ってくる。それだけを心の支えに、目を失って以降さらに冷たくなった両親からの叱責にも耐え、マリアンナはジルベールの帰りを待ち続けた。
「マリー!ジルが帰ってくるわよ!!」
いつものようにレース編みに没頭するマリアンナにカトリーヌの喜びの声が掛かった。
最近のマリアンナは朝起きるとすぐに《花嫁達の家》に来てレース編みの本番に時間を費やしていた。カトリーヌよりも来るのが早い。そして、夕方作りかけのレースと共に家に帰る。
魔王討伐のため出立した精霊姫の実家を支援する名目で、王家から執事やメイドが派遣されているため、マリアンナは出来うる限りレース編みに没頭することが出来ていた。
しかし、不安に駆り立てられるようにレース編みをし続け、日に日に顔色を悪くするマリアンナに焦れて仕方ない日々を過ごすカトリーヌだったが、やっとの朗報に慌てて扉を開けて一声を放ったのだ。
「おか……さま、ほんと……?」
手を止め、マリアンナがよろりと立ち上がり、声のした方に手を伸ばす。マリアンナのその手をしっかりと掴み、カトリーヌは強く頷いた。
「そうよ、あと十日もすれば戻ってこれるって、今朝早馬が着いたの」
「あと、十日……」
「そう。だからマリー、ゆっくり体を休めて、英気を養わなきゃ。あなた、酷い顔色よ?そんな顔でジルの前に出てご覧なさい!そうよ!怒られるのは私だわ!!大変!すぐに対処しなきゃ!!ほらほら!今日はもうレース編みはお休み!さぁ!」
いつもは優しく声をかけるに留まっていたカトリーヌだが、今日は強引にマリアンナを外に連れ出した。
もう、マリアンナの心を追い詰める恐怖は取り払われ、レース編みに縋る必要はなくなったとわかっていたからだ。
「は、はい」
「いい子ね!それじゃ、私たちのお家に行きましょ。あなたは寝てていいから!その間に出来ることはやっちゃうわ!あーもう!このままあなたをうちで面倒みれたらどんなにいいかしら!!」
喜びと憤りでふんふんと鼻息を荒くするカトリーヌの様子に、マリアンナはくすりと笑いを漏らした。良く目が見えないので、カトリーヌの左腕にしがみつき、家を出る。
馬の嘶きが聞こえ、ガタリと、多分従者がステップを置いたであろう音を聞いた。
「さあさあさあ!それじゃ、行くわよ!」
揺れの少ない上質な馬車に乗り込み、マリアンナは城へと連れられた。
双子の両親は、リアンの凱旋報告に心を躍らせていた。
帰ってきたリアンは王子妃となる。その前に不要な娘を追い出さねばと、リアンが魔王討伐の旅に出立してすぐ、どこぞの好事家の愛人口を探していた。
そこへきてとある高貴な方がマリアンナを嫁に欲しいと言ってきた。身分が釣り合わないのでまずは養子縁組をさせてもらいたい。もちろん、支度金も結納金もたんまり渡すと話がきた。
マリアンナを嫁にという話は多く貰っている話ではあった。なんせ精霊姫の姉である。予言を知らずとも、縁を繋ぎたいと思う者はたんまりといた。
しかしアレは全てを失う娘である。
さて、名前を出してこない高貴な人物とは誰か?金は欲しいが、全てを失った娘を押し付けられたと後からイチャモンを付けられては困る。双子の両親は返事をはぐらかし続けた。そもそも、普通の嗜好の男にアレを渡すわけには行かなかった。
もちろん処女ではあるが、初夜の日に、激昂し家に怒鳴り込んでくるのが目に見えている。その怒りはマリアンナではなく、確実に彼女の両親に向かい、身分が高ければ高いほど、男爵家の首を絞めるだろう。
いやしかし、と男爵は考える。リアンが高位についた後ならば?
万が一マリアンナを愛し、彼女のために男爵家を訴えようにも、その頃には我が家は公爵の位を賜っているのでは?
リアンの出立から半年ほどして、予言の通りにマリアンナが目を失い、居合わせたらしい親切なご婦人にしばらく厄介になっていた。傲慢さゆえに精霊に嫌われでもしたのだろう。確か予言にはそうあったはずだ。記録を残すことを禁じられていたので、予言の記憶は男爵の中でかなり曖昧なものになっていた。
さて、マリアンナは傷物になりましたと、婚姻の打診をしてきたさる高貴な方の代理人に話を通すとそれでも良いと返事が来る。どうやら相当マリアンナに惚れ込んでいると見えた。金を踏んだくれるだけ踏んだくり、後に手に入る権力で黙らせるか?と思案していた頃、別口からマリアンナを養子にとの話がきた。それもまた代理人を立てての打診であったが、どうやらこちらは男爵の憂いを晴らすような趣向を持った男のようで、養子にした後にどうなっても文句は出なさそうであった。
金がたんまり手に入りそうな家へ嫁に出すか、後で文句の出なさそうな家へ養子に出すか……男爵はニンマリと顔を歪めて贅沢に悩んだ。
悩みすぎた結果、リアンの凱旋の前にマリアンナを追い出し損ねたが、特に気にはしなかった。
(こ、この中に、ジルのお母様が……お、おお、王妃、様が……)
ジルベールが出立した翌日の昼、マリアンナは早速渡された鍵の家に来ていた。
家に入る勇気が出ず、マリアンナは鍵を受け取った時のジルベールを思い浮かべた。
「本当ならキチンと場を設けて両親共に顔合わせしたかったんだけど、準備に手間取ってしまって……ごめんね。それと、あの、後出しで申し訳ないんだけど、あの、その……」
俯くジルベールだったが、意を決して手のひらを己の顔に当てた。
みるみる髪の色が変わる。光を飲み込むような黒髪だった。
覆っていた手を離すと、太陽よりも紅い瞳が、不安に揺れていた。
「……ジル……??」
「僕は、その」
闇夜のような黒髪に、それを照らす太陽の如き紅い瞳。この国に暮らすものなら誰もが知っている、その色彩は、太陽の王子のみが持つ色彩である。
「あなた……」
「僕は、ヴァルナミア公ギルバート。この国の王太子だ……」
王室に近い方だとは思っていた。予想の中に王子である可能性もいれていた。しかし、本当に、まさか王家の中心に立つ定めを持つ方だとは、思うことは出来ていなかった。マリアンナは驚愕に目を見開いた。
「ジルベールというのは、ギルバートの別名でね、身内は――」
申し訳なさそうにするジルベールの顔を思い出し、マリアンナは己を鼓舞した。
(ジルのお母様だもの。大丈夫、大丈夫!)
そっと鍵を差し込み回す。
カチャンと涼やかな音を立てて、鍵が開いた。
なぜか慎重にドアノブを回し、扉を開いた。
「ようこそー!!」
大きな声とともに、誰かがマリアンナを抱きしめた。
「きゃ!?」
体を硬直させたマリアンナの背中を、抱きついた人がくすくすと笑って撫でる。抱きしめたまま上体を離し、マリアンナを覗き込んだ。
「うんうん、面白い顔ね!この瓶底メガネを外すと……うん!清楚な美人さんね!!良かったわ!!」
マリアンナは眼鏡を上げられ、驚きで何も出来ずぱちくりと瞬きを繰り返した。
「うふふ、ごめんなさい。眼鏡がないとほとんど見えないのよね?」
優しく眼鏡を戻してくれる。
「私の名前はカトリーヌよ!でもあなたはお母様って呼んでちょうだい!私、そう呼ばれるのが夢だったの!!」
「おかあ、さま」
「そうよ!そうそう!お母様ですよー!」
感極まったカトリーヌが、改めてマリアンナを強く抱きしめた。
「それじゃ、まずはこの家の中を案内するわね。えっと、右手を貸して?そう、それじゃ、行きましょ」
ジルベールの母親であるカトリーヌと腕を組み、マリアンナはなすがままに家の案内をされた。
マリアンナのサイズに合わせたマネキンが出来上がり、手芸店や仕立て屋から生地やら型紙やらが届いた。この家に入っていいのはマリアンナとカトリーヌだけなので、受け取りはいつもカトリーヌが行っていた。
マリアンナは昼間を穏やかにこの家の中で、カトリーヌと語らい過ごしている。
この家には《花嫁達の家》と言う名前があるらしい。
使うのは花嫁衣裳を作る時と、ベールの保存状態を保つために年に数回確認に訪れる程度。
部屋の中は特殊な魔術でホコリがたまらないように保たれていると言う。
実はバストイレキッチンに寝室がキチンと整えられており「妻の公式な逃げ場なの」とカトリーヌがお茶目に舌を出した。
「私も夫と喧嘩するとここに食材を持ちこんで籠城するのよ。だからね、花嫁衣裳が出来るまで、ずっとここにいてもいいんだからね?」
家での扱いを知っているのだろう。マリアンナはそっと微笑み、カトリーヌの言葉に頷いた。本当に家を出ることは出来ないが、ここにいる間は平穏な心を保てるだろう。
そうして半年以上を過ごしていた。
花嫁衣裳の最後の一縫いという、その時、マリアンナの目に強烈な痛みが走った。
「あ、あぁぁあアアア!!!」
急な叫び声に驚いたカトリーヌが駆け寄り、うずくまったマリアンナを支えようとすると、何かに阻まれるように痛みが走った。
「いたっ!?」
痛みとともにバチッと結界に弾かれた時のような音がした。
事実、マリアンナの周りには魔法の障壁がまとわりついている。
マリアンナを覆うように風が立ち、図案や布の切れ端が舞う。
風に煽られた髪が炎のように揺らめいたかと思うとその美しい金髪から一気に色が抜けた。
それと同時に、マリアンナの右目が弾けた。
「ぎぃやぁぁぁあああああ!!!」
痛みに、壮絶な悲鳴が上がる。
「マリー!マリー!!!」
カトリーヌは魔力の障壁を突破する術を持たない。
泣きながら見守っていると、風が止み、マリアンナがどうっと倒れ伏した。
「マリー!!」
カトリーヌがマリアンナを抱き上げ顔を覗き込む。苦痛に歪むマリアンナの右目があった場所は落ち窪み、血が流れた。
この家は魔術により、定められた人物しか立ち入ることが出来ない。
「マリー、ちょっと、ちょっと我慢してね」
カトリーヌはぐったりと意識を失っているマリアンナの両脇に手を差し込み引き摺って玄関まで運んだ。
「誰か!すぐに馬車を!近くの別荘へ御典医を呼んで!!!」
カトリーヌの声掛けに、すぐに従者が現れた。
「全て急ぎ用意いたします!キャサリン妃殿下、もう少しだけ、マリアンナ様のお体をお外にっ……!」
「ええ!」
マリアンナは五日後に目を覚ました。
マリアンナが目覚めたあの日、マリアンナの傍に両親はおらず、代わりにジルベールの両親が揃っていた。
左目の歪む視線で捉えたジルベールの父親はどうやら黒い髪をしているようだった。目の色は判別が出来ない。その時は、右目を失った影響で左目が見えづらくなっているものと思っていた。
「あぁ、マリアンナ、私たちの娘……。すまなかった、やはり、こうなってしまった……息子の推論が当たっていたのだ……すまない、息子を守ってくれてありがとう、すまない……」
「必ず、幸せになりましょうねマリー。必ず、必ずよ」
「そうだな、私たちの出来うる限りで、君を守ろう。君は幸せになるんだ、絶対にな」
ジルベールの両親が涙ながらにマリアンナを励ました。
マリアンナは初めて齎される両親の愛に触れ、泣いた。
今、マリアンナの右目にはクリスタル製の球体が埋められ普段は右目を閉じている。左目も、実は上手くものを捕えることが出来なくなった。
「マリー、あんまり根を詰めちゃだめよ?」
カトリーヌはマリアンナを心配して何度もそう声をかけるが、マリアンナは大丈夫ですと返すばかりですぐにレース編みに没頭してしまう。目が見えない分、手指の感覚でレースを編まなければならない。それは酷く繊細で、集中と時間を要した。
マリアンナの右目が弾けたあの日、ジルベールは死にかけたはずだ。
マリアンナは古いまじないの本から、身代わりのまじないを探し出し、我が身の一部と引き換えに災いを払う術を施した。
施された術は体内に取り込み消化されてやっと効力を発揮できるようになる。その術は、マリアンナがジルベールのためだけに拵えたサンドウィッチの中に忍ばされた。
術が発動するのは二度。右目と、左目の分だけだった。
二度目の発動は、マリアンナが倒れて気絶している間に起ったらしい。
左目は色彩を無くしたが、右目のように弾けることはなかった。なぜかはわからない。命に関わる程度ではなかったから、目の犠牲が少なかったのか、それとも術に不備があったのか。
王子殿下と妹の名声は、今や世界に轟いている。しかし、彼らはまだ帰ってこない。二度も命の危機に瀕しただろう、マリアンナのジルベールはまだ帰ってこない。
マリアンナの不安の全てがレース編みに注がれていた。
ジルベールが出立して一年と少しが過ぎた。レース編みはまだ終わっていない。右目を無くし、左目も殆ど見えなくなってしまったマリアンナでは、上手く編むことが出来ない。この半年は編みかけのレースには手を出さず、レース編みの練習をし続けていた。
ジルベールは帰ってくる。無事な姿で帰ってくる。それだけを心の支えに、目を失って以降さらに冷たくなった両親からの叱責にも耐え、マリアンナはジルベールの帰りを待ち続けた。
「マリー!ジルが帰ってくるわよ!!」
いつものようにレース編みに没頭するマリアンナにカトリーヌの喜びの声が掛かった。
最近のマリアンナは朝起きるとすぐに《花嫁達の家》に来てレース編みの本番に時間を費やしていた。カトリーヌよりも来るのが早い。そして、夕方作りかけのレースと共に家に帰る。
魔王討伐のため出立した精霊姫の実家を支援する名目で、王家から執事やメイドが派遣されているため、マリアンナは出来うる限りレース編みに没頭することが出来ていた。
しかし、不安に駆り立てられるようにレース編みをし続け、日に日に顔色を悪くするマリアンナに焦れて仕方ない日々を過ごすカトリーヌだったが、やっとの朗報に慌てて扉を開けて一声を放ったのだ。
「おか……さま、ほんと……?」
手を止め、マリアンナがよろりと立ち上がり、声のした方に手を伸ばす。マリアンナのその手をしっかりと掴み、カトリーヌは強く頷いた。
「そうよ、あと十日もすれば戻ってこれるって、今朝早馬が着いたの」
「あと、十日……」
「そう。だからマリー、ゆっくり体を休めて、英気を養わなきゃ。あなた、酷い顔色よ?そんな顔でジルの前に出てご覧なさい!そうよ!怒られるのは私だわ!!大変!すぐに対処しなきゃ!!ほらほら!今日はもうレース編みはお休み!さぁ!」
いつもは優しく声をかけるに留まっていたカトリーヌだが、今日は強引にマリアンナを外に連れ出した。
もう、マリアンナの心を追い詰める恐怖は取り払われ、レース編みに縋る必要はなくなったとわかっていたからだ。
「は、はい」
「いい子ね!それじゃ、私たちのお家に行きましょ。あなたは寝てていいから!その間に出来ることはやっちゃうわ!あーもう!このままあなたをうちで面倒みれたらどんなにいいかしら!!」
喜びと憤りでふんふんと鼻息を荒くするカトリーヌの様子に、マリアンナはくすりと笑いを漏らした。良く目が見えないので、カトリーヌの左腕にしがみつき、家を出る。
馬の嘶きが聞こえ、ガタリと、多分従者がステップを置いたであろう音を聞いた。
「さあさあさあ!それじゃ、行くわよ!」
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帰ってきたリアンは王子妃となる。その前に不要な娘を追い出さねばと、リアンが魔王討伐の旅に出立してすぐ、どこぞの好事家の愛人口を探していた。
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しかしアレは全てを失う娘である。
さて、名前を出してこない高貴な人物とは誰か?金は欲しいが、全てを失った娘を押し付けられたと後からイチャモンを付けられては困る。双子の両親は返事をはぐらかし続けた。そもそも、普通の嗜好の男にアレを渡すわけには行かなかった。
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いやしかし、と男爵は考える。リアンが高位についた後ならば?
万が一マリアンナを愛し、彼女のために男爵家を訴えようにも、その頃には我が家は公爵の位を賜っているのでは?
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金がたんまり手に入りそうな家へ嫁に出すか、後で文句の出なさそうな家へ養子に出すか……男爵はニンマリと顔を歪めて贅沢に悩んだ。
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エレーヌは凍り付いた。
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