【完結】キズ女と仮面の魔術師

おうさとじん

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最終話

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 「おい、出てこい」
 あれから数日、夕に畑から戻ると王宮の兵士にキズ女は呼び出された。
 「フードをかぶれ、汚らわしい」
 野良仕事の格好そのままで出てきたキズ女に、兵士は酷い言葉を投げ掛けるが、キズ女の心が傷つくことはなかった。
 右も左もわからぬ幼少期にこの世界に連れてこられてから、よく言われた台詞だからだ。
 「これは失礼を致しました」
 「喋るな。耳が腐る。黙ってついてこい」
 キズ女は言われるままに、フードを目深に被り、兵士の後に続いた。

 連れてこられたのは見慣れた部屋。『心のキズ』ではないものを移すときに使う、特別な場所だった。
 (いやだねぇ、この場所は嫌いだよ)
 喋るなと言われたキズ女は心の内でそう思う。キズではないものを移すのは、苦痛が伴う。のたうち回るほどの痛みを味わう。その事を嫌がおうにも思い出させる場所であり、ここにいると言うことはすなわち、その痛みを味わうはめになるからだ。
 「姫の輿入れが決まった」
 (あぁ、ついにお役目か。案外早かった、いや遅かったのかねぇ。姫様は十八だったっけ)
 もう少し生き長らえるかと思っていたが、この仕事が終れば待っているのは数々の病魔を貰い、死ぬ自分だ。
 (まぁ、心残りがあるでもなし。……いや、あいつにキズを返せない、のは申し訳ないかね……嫌っていても大事なキズだったみたいだし)
 無言でいるキズ女に、姫の輿入れを告げた文官の手が触れた。その手はキズ女のフードを払い、白髪の髪を鷲掴みにする。
 「ぐっ」
 痛みに思わず声が洩れたが必死に抑え、抗わずに引きずられる方に足を向けた。
 何か複雑な紋様の描かれた円陣の中央に立つと、もう一つの円陣に美しい女が立つ。
 たったそれだけだ。美しい女が立ったのが送る円陣、送ろうと思ったものを送る事が出来る。言葉は必要ない。キズ女が立ったのが貰う円陣。キズ女が苦痛に苛まれる場所だ。
 下肢に激痛が走った。
 「あ、あ、う……!」
 堪えようもない痛みに、化け物の断末魔と表現するに相応しいおどろおどろとした声が響く。
 「うあ、あ、あぁぁあああ!!!」
 痛みは下肢から全身に広がり、立つこともままならなくなったキズ女は倒れのたうち回った。
 受け渡しは終わった。後は、続く苦痛が収まるまで、キズ女はここに放置される。
 「あぁいや、気持ち悪いったら」
 キズ女に何かを渡した姫は、汚物を見るような目付きで、キズ女を一瞥すると部屋を後にした。
 そんな顔だって、キズ女には見慣れたものだった。

 どのくらいの時間が過ぎただろう。
 ふと気が付くと、キズ女は寝台の中に、今まさに降ろされるところだった。
 横抱きに抱き抱えていたのは魔術師だ。
 「あん、た」
 驚きにしゃがれた声をあげると、魔術師が優しさのこもった声を返した。
 「細い体だ……こんなにも、痩せ干そって」
 そっと寝台に降ろされる。
 「なぁ、に、定期的に脂肪も貰うから今だけ、さね」
 「無理に喋らなくていい」
 仮面の魔術師が労るようにキズ女の頭を撫でた。
 「なぁ、お前はいつも誰かに命じられてキズを受け取っていたのか?」
 語りかけるようでいて、答えを求めていない問いかけだった。それでもキズ女は答えを返す。
 「そうでもな、いさ。あんたも見てた、左手のアザとか、あぁ、わかんないだろうけど、右目とかは、あたしが出会って、あたしが貰ってやろうと思って貰ったもんさ」
 「そう、か」
 「あの子たちが、このキズが無くなったお陰で明るくなった姿を見れた時は嬉しかったねぇ」
 消えた左手のアザの相手に黙祷を捧げる姿を見ていた魔術師は、無言で頷いた。
 「キズじゃないものを貰う時はいつもこうだったのだな?」
 「まぁねぇ。太古の昔に定められたキズ女の力は、本当なら『心のキズ』を取り除く為のものだから、なんだろうねぇ。定めに逆らうってのは罰を受けるもんなんだろうさ」
 罰を受けるべきは、キズでもないものを強制的に渡そうとする者のほうだろうと魔術師は思った。
 キズ女の力は、魔術により作り出されたものではなかった。魔術師は必死にキズ女とその魔術について研究をしていたのだ。
 そうして、この力が己の業で制御することが出来ないことを悟った。
 しかし、収穫はあった。だから、魔術師はここを離れることに決めた。
 この、傷ついたことにすら気付いていないキズ女をつれて。
 「ならば、その目や、お前自身が受け取ってやったキズを返すことになるのは嫌なんだろうか」
 仮面に覆われ、真意の見えない魔術師の顔を見つめ、キズ女は首を傾げた。
 「そりゃ、そうさ。このキズが今更戻ってきたら、あの子たちはどう思うだろう。悲しい思いはさせたくないね」
 「そうか」
 魔術師はキズ女の返答にそう答えると、手でキズ女の目を覆った。
 「疲れているのに、結局喋らせてしまったな、すまなかった。今は眠れ――」
 眠くはなかったはずなのに、何故かキズ女はすぅーと眠りに落ちた。

 魔術師はキズ女の記憶を探った。そして、返すべきものと、そうでないものを選別したのだ。
 その夜、王宮の誉れである仮面の魔術師と、キズ女が消えた。

 姫が隣国に嫁いだその日、閨で姫は夫となった王太子に剣を突き付けられていた。
 「なぜ、破瓜の血がない」
 「で、殿下……これは、その、これは……」
 「やはり、姫が売女の如く爛れた女であるとの噂は真であったか」
 「違う、違うのです!これは、これは……」
 「キズ女とかいう哀れな女から、純潔を取り上げたはずだ、と?」
 「なっ、なぜ……」
 姫は、国に送り返され、両国間の関係をよきものとするための婚姻は白紙に戻された。

 その事件をかわぎりに、数多の悲鳴が響いた。
 浮き名を馳せていた男の口がひんまがり、武勲を建てたと言われるが人をいたぶる悪癖のある男の鼻が削がれ、社交界の華と吟われた女の頬に刃物傷が現れ、世紀の歌姫の声はおぞましい怪物の声になった。
 何よりも酷かったのは王と王妃である。王の背は不自然に歪み、老人そのものとなった。歯のほとんどが無くなり、ブクブクと肥えた。
 王妃の白く美しいと言われた肌には皺が寄りシミだらけ、濡れ羽色の髪は白く染まり、抜け落ちた。大きく愛らしいと見るものを魅了した瞳は開いているのか閉じているのか知れない糸目に、自慢の豊かな胸は無惨なまでに萎んだ。
 キズ女が貰ったほとんどが、王と王妃からのものだったのだ。


――とある老人の前に、仮面を付けた男が現れた。仮面の男は、死に行く老人にこう頼んだ。

 『お前が死した後、お前の右目は無くなるだろう。お前はその事実を、お前が愛する者たちにきちんと伝えて欲しい』
 老人はゆっくりと頷いた。
『私の左目はこの通り、元から潰れておりました。あのお方に右目を貰わなければ、私は色も、光すらも知らずに生きていったのでしょう。いいや、の垂れ死んでいたかもしれない。私はもう動けぬ身ゆえ、あのお方に感謝の言葉を伝えて頂けますでしょうか?』
 『承知した』
 『貴方のお陰で、家族を驚かせずにすみます。貴方にも感謝を』
 仮面の男は無言で頷くと、音もなく消えた。

 時々、こんな噂を聞くだろう。仮面の男と、どうにもキズの絶えない、しかしとても美しい女が居ると。
 その二人に会えたなら、お前の心のキズは跡形もなく消え失せるであろう、と――

 はは、馬鹿言っちゃいけないよ。あたしがそのキズ女なわけないじゃないさ。
 自分で自分を美人と言えるほどあたしの面の皮は厚かないよ!
 ただね、これを知る人は少ないが、仮面の男とキズ女の間には治癒の力に長けた娘がいるって話さ。

 「いたいのいたいのとんでいけー」

 さぁ、もう大丈夫だろう?
 あ、こら、袖を握るんじゃないよ!ここはサッと去るからこそカッコいいところじゃないか!
 なんだって?時代が合わない?そりゃそうさ!なんたって仮面の男は……おっと、こりゃ秘密だった!
 今度こそ、これでおさらば!あんたも母ちゃん心配させないように、さっさと帰りな!

 そう言うと、女がすぅと消えた。

 「手品……じゃないや……」

 ――しっかりと袖を握っていた筈の手を呆然と見つめる少年だけがそこに残された――


     おしまい
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