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死神と運命の女

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 ようやく腰に力が入るようになったころ、エレンは立ち上がって城の内部へと足を踏み入れた。
 いつの間にか黒い子犬の姿が見えなくなっていたが、構わず内部を探索する。そこでようやく異変に気が付いた。

「……なにこれ、もぬけの殻じゃない」

 教会本部のオフィスには、誰一人としていなかった。
 ここしばらく人が滞在していた形跡もない。
 今思えば、海にあんな怪物が出現した時点で非常事態だ。
 事前に退避したか、あるいは逃げようとして食われたか。
 どちらにせよあれが存在していた時点でこの島から人間が出入りすることは極めて難しいはずだ。

「……え、じゃあちょっと待って」

 エレンは頭を抱える。
 では、あのガトーという男は、一体何者だったのか?

 * * *

 城の内部はいたってシンプルで、塔自体に大きな螺旋階段が設置されていた。
 頂上は見えない。気が遠くなるほどの段数だった。
 けれどロアはひたすら駆け上がる。
 
 息は上がらない。息をすることすら忘れている。
 何度か階段を踏み外しそうになっても構わずただ上を見る。
 間に合わないかもしれないという焦燥と不安を飲み込んで、涙をこらえながら必死に駆け上がった。

 どれほどの時間が経過したのかも分からなくなるほど上ったところで。

「マリア!」

 探していた背中をようやく捕捉して、ロアは叫んだ。

「おや」

 そう声を発したのはマリアの隣にいる人物。
 死神とよく似た赤髪の、中性的な顔立ちの人物だった。

「君の使い魔が甲斐甲斐しく追いかけてきたようだよ、マリア」
「ファントム。茶化さないで」

 マリアが振り返った。
 その表情はとても硬く、今までロアに見せたことのない、冷たいものだった。

「わざわざ書置きを残したのに、どうしてこういうときだけ貴女は行動力があるんですか」

 声音の低さに、ロアは少しだけひるんだ。

「だって君を」
「私の意志です」

 ロアの言葉を遮るように、マリアは言い放った。

「貴女を置いてここに来たのは私の意志です。以前貴女は言いましたね、「君がいらないと言うまで離れない」と。今の私には、貴女との約束より以前に交わした、果たさなければならない使命があります」
「でもそれじゃ、!?」

 ロアの足元にクナイが刺さる。

「私の口から言わせないでください」

 マリアは明確に、言った。

「今の私に、貴女はいらないのです」
「……!」

 ロアはその言葉に愕然とし立ち尽くす。

「ファントム、あなたは彼女の足止めを。私は上に向かいます」
「わかった」

 マリアの身体が宙に浮き、頂上に導かれるように上へと昇っていく。
 追いすがるようにロアは叫んだ。

「マリア!」
「……しつこいね、君も。さっきの言葉を聞いただろう? 君はもういらないと」

 ファントムと呼ばれたその人がロアのすぐ目の前に立ちはだかる。

「……ッうるさい! お前に何が、」
「それはこっちの台詞なんだけどね」

 その人はそう言ってロアを蹴り飛ばした。

「!」

 数段下へと転がり落ちるロア。
 ファントムはロアを見下ろしながら言う。

「私は君よりもずっと以前からマリアのことを見ていた。あの子は芯の強い子だ、この世界を正しく救えるのはあの子しかいないんだ。それを受け入れて彼女はやっと前に進んだ。君はもう夢の残骸でしかない」
「……夢?」
「そうだ」

 全部夢だったんだと、ファントムは目を細め言った。

「君もあの子のお陰で良い夢を見ることが出来ただろう? 君は彼女がいなければ既にこの世にいない存在だ。黒い感情を抱えたまま自滅する運命だった。それを救われただけでもう十分じゃないか。それ以上を求めるのは傲慢だと思わないか?」
「……」

 ロアは拳を握りしめる。

「違う」
「何が違うと、」

 刹那、ロアはファントムの頬を殴り飛ばす。
 ファントムは瞠目し、のけぞった。

「私が欲しいのはマリアじゃない、マリアが幸せならそれでいい! でもこの先に彼女の幸せなんてないじゃないか!!」

 ロアはまなじりを決して叫んだ。

「死んでも止めるから!!」

 その言葉に、ファントムは笑いをこぼした。
 そして額を抱え、可笑しげに高笑いを上げる。

「まだ死に足りないようだね君は」

 * * * 

 たすけて。たすけて。救いを。無念を晴らして。
 生きたかった。愛してほしかった。死にたくなかった。
 私は悪くない。俺を殺したのだは誰だ。
 どうしてあいつは死ななかった。どうして私だけが死んだ?
 どうして。どうして!
 呪え、呪え、生者を呪え!

 十字架を壊してから、頭の中で、彼らの声が止まない。
 声だけではない。
 罪なく散った彼らの記憶の断片がずっとずっと、映像として脳に焼き付いてくる。

 少し気を抜けば、気を失いそうなほど。
 彼らの悲痛な叫びは私の心を蝕んでいた。
 けれどまだ、倒れるわけにはいかない。

「お前の両親が死んだのは、お前のせいだよ」
「気味が悪いんだよ」

 幼い頃、絶えず聞こえてくる亡者の声と、伯母たちの叱責の声も相まって、私は自身の存在価値を見出せなかった。

「まあ、どうしてマリアだけひとりでいるの。ちゃんと輪に入れてあげて」
「だってあの子、ほとんど喋らないし、お祈りの言葉もちゃんと言ってないのよ!」

 修道院で過ごす間も、私は神様を信じられなかった。
 そういう意味では、私はやはり悪い子だったのだろう。

「いつの間にそんな物騒な武器を沢山身につけるようになったんだい?」
「信じるべきは己の技のみとツバキ先生に教わりました。備えこそあれば、運に頼らずに済みますから」

 そんな私が、神様の存在を信じはじめたのは、あの瞬間があったから。

 師の命で、ボルドウ領主クロワ家の呪いについて探りを入れに行ったあの日。
 女中として潜り込もうとして、屋敷の召使が全て暇を出されていると知って焦った私は樹に登って屋敷の中の様子を覗おうとした。
 そこで見たのは、今にも死にそうな顔をした、喪服姿の女性の横顔。
 目が合ったあの瞬間。
 あの時だけは間違いなく、私は確かに、彼女を救ったのだ。
 それが偶然の出来事であったからこそ、私は運命を、神様を信じようと決めた。

 この人だけは、私が救うと心に決めたのだ。


「マリアは可愛いね」
 今までもらえなかった言葉を、抱擁を、彼女は沢山くれた。
 変態ですかと何度か言った。心の底では嬉しいと思っていたのに。

「マリア大好き」
 はいはいわかりましたと流せるようになるまでに少し時間がかかった。

「マリア、私が死ぬときは泣かなくていいからね」
 泣きませんよと言い返せなかったのは、泣いてしまうと分かっていたから。

「いたい。いたいよ、マリアとずっと一緒にいたい」
 ……ええ。
 私も貴女とずっと一緒にいたかった。


 貴女はこんな私を愛してくれた。
 貴女は私に生きる意味を与えてくれた人。
 だからどうしても、貴女には幸せになってほしいのです。
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