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領主と女中の夏のバカンス(序)
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元来甘いものが好きだったマリアにとって、クロワ家にやって来てから知った毎日のアフタヌーンティーは、趣味娯楽になりつつある。
今日の紅茶はアップルティー。
お菓子はパンケーキを用意した。
「林檎の良い香りがする。パンケーキもふっくらしてて美味しそうだね」
テーブルに置かれたそれらを見て、ロアは目を細める。
「ロンディヌスで食べたお店のものには及びませんが、ふわふわとした食感を出せるように頑張ってみました」
どうぞ、とマリアはロアに勧める。
マリアが口に出して言うのであれば、相当自信があるのだろう。
確かな期待を胸にロアはナイフとフォークを持った。
程よい焼き色の分厚いパンケーキにメープルシロップをかけて切り分け、苺ジャムを軽くつけて口に運ぶ。
「ん」
口に入れた途端、ふわふわとした食感が広がり、そしてすっと舌の上で溶けていく。
「え、なにこれすごい。お店の域に達してるよこれ。マリアお店とか作っちゃうの?」
「褒めすぎて嘘くさいです」
「嘘じゃないよ! ほんとに美味しい」
ロアが本当に食べるのに専念し始めたので、マリアは心の中でよし、と頷く。
パンケーキとはそこそこにパサついたもの、というイメージは、首都でふわふわのそれを食べたときに払拭された。
それ以来、あの食感を目指し密かに研究を重ね、今日に至ったのだ。
「ふふ、マリアの凝り性なら本当にパティシエさんになれるかもね。ボルドウにお店建てる? 流行るよ、きっと」
ロアの褒め言葉に、マリアはストイックに首を振った。
「私の調理技術の研鑽はあくまで自己満足なので。私は貴女が美味しそうに食べてくれればそれで……」
言いかけて、とてつもなく恥ずかしいことを口走ったような気がしてマリアは止めた。
一方、ロアはこれ以上ないほどニコニコしている。
「嬉しいこと聞いちゃったなぁ」
「……忘れてください」
「絶対忘れないよ」
ロアは鼻歌混じりに残りのパンケーキをたいらげた。
マリアは軽く咳払いして、話題を逸らす。
「そういえば、昨日ルクルス様からお手紙が届いていましたけど、どのような内容だったのですか?」
アルフレッド・ルクルスは首都ロンディヌスに住む豪商の御曹司で、誠実な青年だ。
以前ふたりが首都の吸血鬼事件で屋敷を留守にした際、屋敷の管理や宿泊先の斡旋などで世話になった。
今も定期的に便りが届いている。
控えめな彼らしく、手紙は押しつけがましくない程度の頻度で送られてくるのだが、今回の手紙は少し、前回からの間隔が短かったような気がしたのだ。
「ふふ、気になる?」
上機嫌なロアはいつもより意地が悪かった。
マリアはつんとそっぽを向く。
「いいえ全く。読まれたのならはやくお返事を書いてしまってくださいね。郵便局に預けてきますので」
「マリア冷たい……」
ロアはしゅんと縮こまって、紅茶を啜った。
マリアは内心で溜息をつく。
正直なところ、ふたりがどのようなやりとりをしているのか、まったく気にならないというのは嘘だった。
こと恋愛に関して、聡いほうではないマリアから見ても、アルフレッドがロアに好意を抱いているのは今までの彼の様子からして明白だ。当のロアがそれを認識しているのかしていないのか、そのあたりがマリアには分からないのが一番の悩みどころで、このもやもやはもはや言葉に出来ない。
「彼、新しい事業を任されたんだって」
「え?」
「家業を継いだ長兄がなかなかたくましい商魂をお持ちのようで、百貨店以外にも大型娯楽施設の運営に手を伸ばすらしい。その事業を子会社化するにあたってそちらの社長に就任されるようだよ」
「それはまた、素晴らしいご栄進ですね」
「うん。彼にはお世話になったし、お祝いはさせてもらわないとね」
マリアは素直に驚いた。勿論、ルクルス家の事業拡大の方向性に対しての驚きもあるが、手紙で割と真面目な近況報告のやり取りをしていることに対しての驚きが勝る。
「でね、その娯楽施設、この夏一気に2か所でオープンさせるらしいんだけど、そのうちのひとつがバーガンに出来るんだって」
バーガンとは、ボルドウに近い距離にある都市の名だ。
人口こそ首都ロンディヌスには及ばないものの、古くから交易の要地として栄えている、有数の大都市だ。
「娯楽施設ってどんなものなんですか?」
「室内でテニスやサッカーが楽しめるそうだよ。それから、目玉はビーチを模した大きな温水プールだって。人工温泉もあって、宿泊もできるらしい」
「……なんというか、流石ルクルス家といわざるを得ないお金の使い方ですね……」
イメージだけで言えば、以前新聞の広告に載っていたあのリゾートを彷彿とさせる。
ロアも同じことを考えていたのか、
「ふふ。でも、ビーチの貸切よりずっと現実的かも。楽しそうだよね」
そう言って笑っている。
「行ってみたいんですか?」
マリアの問いに、ロアは少しだけ目を丸くした。
それから、少しはにかむようにして彼女は言う。
「マリアと一緒なら、行きたいな。マリアはどうかな」
……ずるい、とマリアは思った。
そんな顔で言われたら、断れるわけがない。
勿論、断る理由もない、が。
マリアは顔を隠すように、ティーカップを持ち上げた。
「……機会があれば」
またも可愛げのない返答になってしまったことを内心ひどく後悔するマリアとは裏腹に、ロアはとても嬉しそうに頷いた。
今日の紅茶はアップルティー。
お菓子はパンケーキを用意した。
「林檎の良い香りがする。パンケーキもふっくらしてて美味しそうだね」
テーブルに置かれたそれらを見て、ロアは目を細める。
「ロンディヌスで食べたお店のものには及びませんが、ふわふわとした食感を出せるように頑張ってみました」
どうぞ、とマリアはロアに勧める。
マリアが口に出して言うのであれば、相当自信があるのだろう。
確かな期待を胸にロアはナイフとフォークを持った。
程よい焼き色の分厚いパンケーキにメープルシロップをかけて切り分け、苺ジャムを軽くつけて口に運ぶ。
「ん」
口に入れた途端、ふわふわとした食感が広がり、そしてすっと舌の上で溶けていく。
「え、なにこれすごい。お店の域に達してるよこれ。マリアお店とか作っちゃうの?」
「褒めすぎて嘘くさいです」
「嘘じゃないよ! ほんとに美味しい」
ロアが本当に食べるのに専念し始めたので、マリアは心の中でよし、と頷く。
パンケーキとはそこそこにパサついたもの、というイメージは、首都でふわふわのそれを食べたときに払拭された。
それ以来、あの食感を目指し密かに研究を重ね、今日に至ったのだ。
「ふふ、マリアの凝り性なら本当にパティシエさんになれるかもね。ボルドウにお店建てる? 流行るよ、きっと」
ロアの褒め言葉に、マリアはストイックに首を振った。
「私の調理技術の研鑽はあくまで自己満足なので。私は貴女が美味しそうに食べてくれればそれで……」
言いかけて、とてつもなく恥ずかしいことを口走ったような気がしてマリアは止めた。
一方、ロアはこれ以上ないほどニコニコしている。
「嬉しいこと聞いちゃったなぁ」
「……忘れてください」
「絶対忘れないよ」
ロアは鼻歌混じりに残りのパンケーキをたいらげた。
マリアは軽く咳払いして、話題を逸らす。
「そういえば、昨日ルクルス様からお手紙が届いていましたけど、どのような内容だったのですか?」
アルフレッド・ルクルスは首都ロンディヌスに住む豪商の御曹司で、誠実な青年だ。
以前ふたりが首都の吸血鬼事件で屋敷を留守にした際、屋敷の管理や宿泊先の斡旋などで世話になった。
今も定期的に便りが届いている。
控えめな彼らしく、手紙は押しつけがましくない程度の頻度で送られてくるのだが、今回の手紙は少し、前回からの間隔が短かったような気がしたのだ。
「ふふ、気になる?」
上機嫌なロアはいつもより意地が悪かった。
マリアはつんとそっぽを向く。
「いいえ全く。読まれたのならはやくお返事を書いてしまってくださいね。郵便局に預けてきますので」
「マリア冷たい……」
ロアはしゅんと縮こまって、紅茶を啜った。
マリアは内心で溜息をつく。
正直なところ、ふたりがどのようなやりとりをしているのか、まったく気にならないというのは嘘だった。
こと恋愛に関して、聡いほうではないマリアから見ても、アルフレッドがロアに好意を抱いているのは今までの彼の様子からして明白だ。当のロアがそれを認識しているのかしていないのか、そのあたりがマリアには分からないのが一番の悩みどころで、このもやもやはもはや言葉に出来ない。
「彼、新しい事業を任されたんだって」
「え?」
「家業を継いだ長兄がなかなかたくましい商魂をお持ちのようで、百貨店以外にも大型娯楽施設の運営に手を伸ばすらしい。その事業を子会社化するにあたってそちらの社長に就任されるようだよ」
「それはまた、素晴らしいご栄進ですね」
「うん。彼にはお世話になったし、お祝いはさせてもらわないとね」
マリアは素直に驚いた。勿論、ルクルス家の事業拡大の方向性に対しての驚きもあるが、手紙で割と真面目な近況報告のやり取りをしていることに対しての驚きが勝る。
「でね、その娯楽施設、この夏一気に2か所でオープンさせるらしいんだけど、そのうちのひとつがバーガンに出来るんだって」
バーガンとは、ボルドウに近い距離にある都市の名だ。
人口こそ首都ロンディヌスには及ばないものの、古くから交易の要地として栄えている、有数の大都市だ。
「娯楽施設ってどんなものなんですか?」
「室内でテニスやサッカーが楽しめるそうだよ。それから、目玉はビーチを模した大きな温水プールだって。人工温泉もあって、宿泊もできるらしい」
「……なんというか、流石ルクルス家といわざるを得ないお金の使い方ですね……」
イメージだけで言えば、以前新聞の広告に載っていたあのリゾートを彷彿とさせる。
ロアも同じことを考えていたのか、
「ふふ。でも、ビーチの貸切よりずっと現実的かも。楽しそうだよね」
そう言って笑っている。
「行ってみたいんですか?」
マリアの問いに、ロアは少しだけ目を丸くした。
それから、少しはにかむようにして彼女は言う。
「マリアと一緒なら、行きたいな。マリアはどうかな」
……ずるい、とマリアは思った。
そんな顔で言われたら、断れるわけがない。
勿論、断る理由もない、が。
マリアは顔を隠すように、ティーカップを持ち上げた。
「……機会があれば」
またも可愛げのない返答になってしまったことを内心ひどく後悔するマリアとは裏腹に、ロアはとても嬉しそうに頷いた。
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