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領主と吸血鬼
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「ねえマリアー、機嫌直してご飯食べようよぉ」
ミシェル嬢と別れてから、昼食をとろうと提案するロアを無視し続けたままマリアは22番通りの現場検証をひとりで黙々と進め、挙句の果てにはホテルに戻った後も、夕食をとらずに部屋で資料をまとめていた。
「明日のスケジュールが変わっちゃったのは悪かったと思ってるけど、そんなに怒らなくてもいいじゃない。ご飯食べないと頭も働かないよ? ね?」
ロアはそっと、テーブルで依然黙々とペンを走らせるマリアの前に座る。
マリアはようやく、しかし手元の紙に視線を落としたまま口を開いた。
「そんなに食事がとりたいならおひとりでどうぞ。屋敷ではないのですから私が作るわけでもないのですし。それに明日は私は同席しません。いてもお邪魔でしょうから」
いつにも増して機嫌の悪さがうかがえるマリアの言葉に、ロアは少しだけひるんだ。
「明日行くお店、パンケーキがふわふわで有名なお店らしいよ? マリアも好きでしょ、メープルシロップのパンケーキ」
「どうして吸血鬼退治に来ておいてメープルシロップのふわふわパンケーキを食べに行くことになるんですか!」
バン、と机を叩いてマリアは立ち上がった。
ロアは驚いて肩をすくめる。
「大体貴女は、男性からの誘いはバサッと断るくせに女性からの誘いには甘いんですから!」
「で、でも、ルクルス家の顔も立てないとだし……。さっき彼に電話したんだけどね、どうやらミシェル嬢は今男装歌劇にハマってるらしくって、以前その話になったときに私の話をしたんだって。だから……」
「今回の件でお世話になっているルクルス様の手前、ミシェル嬢をむげに扱えなかったことは分かりました。ですが私が同席するかどうかの話は別です。私は予定通り、残りの現場を見に行きますから」
マリアはぴしゃりとそう言って、シャワールームに入っていった。
「……」
取り残されたロアは、空腹を訴える腹部に手を当てて、やるせないため息を吐いた。
怒りのままにドレスを脱ぎ棄て、身体一つでシャワールームに入った途端、マリアは自己嫌悪に押しつぶされた。
頭を冷やそうとシャワーで冷水を被ってみたところ、ロンディヌスの水のあまりの冷たさに驚き、慌ててお湯に切り替える。
そんなことをしていると余計に冷静になってきて、マリアは深く深くため息を吐いた。
自身が短気なのは重々承知しているが、それにしてもあそこまで感情を顕にして怒らなくても良かったのではないか。
ロアが他人の厚意、あるいは好意を、本人がそれに気づきさえすれば決してむげに扱うことはない。そのことだって十分わかっているはずなのに。
そもそも、今回の事件に関して。
今回の件の犯人が、昼間ロアが言った通りの愉快犯なら、間違いなくマリアが相手にしてきたものの中で史上最悪の部類になるだろう。
それを分かっていながら、普段面倒ごとはやらない主義のロアがあえてこの件を引き受けているのは、やはり気持ちを押し付けた自分のせいなのだろうと思うと心が痛む。
となれば、彼女がミシェル嬢とお茶の約束をしたのは単に息抜きが欲しかっただけなのではないかとも思えてしまう。
それがたとえ無意識だったとしても、だ。
とはいえ食事をとりたがっていた彼女を結局絶食させてしまったことは忍びない。
ひとりで食べればいいと言ったからといって、自分だけ食事をとるような人ではないことぐらいわかっている。
そもそも昨晩、「明日は美味しいお店を探して外食しよう」と彼女は言っていたのだ。
当然のように、『マリアと一緒に』。
「…………もう!」
――ゴン‼
思い余った、もしくは衝動的に、マリアは頭をシャワールームの壁にぶつけた。
衝動的に頭を振ったものだから、想像以上に強い力が加わっていたようで、自身でも驚くほど大きな音が響いてしまった。
マリアの石頭でも大理石相手は流石にきつかったのか、鈍い衝撃が脳内にぐわんと広がる。軽い脳震盪を起こしたようだ。
「……ッ」
ふらついた足元を支えるため側面の壁に手をついたところ、その先にあった備え付けのシャンプーなどを派手にひっくり返して床に落とし、またも派手な音を轟かせてしまう。
(……まずい)
反射的に、マリアはそう思った。
それは自身が倒れる心配などではない。
悪い予感通り、シャワールームの外側の扉が開く音がする。
「マリアっ! 何か大きい音したけど大丈夫!?」
音を聞きつけてシャワールームに飛び込んできたのは、まさに喧嘩中のロアだった。
「…………」
ふたりの間に、流しっぱなしのシャワーの水音だけが響く。
マリアとしてはこんな情けない姿をロアに見せたくなかったのだ。
彼女は壁に手をついたまま、とりあえず無言でロアを睨んだ。
涙目は、きっとシャワーが隠してくれていると踏んで。
「ぅ、あ、ごめんね!」
ロアは顔を真っ赤にして、すぐさま逃げるように去っていった。
そのロアの反応も、マリアには不可解で不愉快だった。
道行く人がことごとく振り返るような魅力的な身体をしておきながら、こんな貧相な身体を見て今更何を赤くなるのか。
それに、ミシェル嬢にはあれほど紳士ぶって対応していたくせに、ノックもしないでシャワールームに入ってくるなんて非常識に過ぎる。
大体、そこまでしたならもう少しぐらい気遣いの言葉をかけてくれてもいいのに、何なのかこのそっけなさは!
……などと考えている間に、ある事実にマリアは気づく。
「……私、拗ねてるだけじゃないですか……」
マリアはいよいよその場にしゃがみこんで、情けなさに息を吐いた。
マリアが長い時間を置いて、しぶしぶシャワールームを出ると、意外なことにロアの姿は部屋になかった。
その代わりに、マリアが先ほどまで座っていたテーブルの上に、サンドイッチと保温ポットが置かれてあった。
保温ポットの中には温かい紅茶が入っており、サンドイッチの皿の下には小さなメモが挟まれてあった。
『さっきはごめんね。これを食べて先に寝てて』
この文面から察するに、ロアはしばらく部屋に戻ってこないのだろう。
マリアは席に座り、サンドイッチを両手に持って、虚しい空気とともにそれを齧った。
ミシェル嬢と別れてから、昼食をとろうと提案するロアを無視し続けたままマリアは22番通りの現場検証をひとりで黙々と進め、挙句の果てにはホテルに戻った後も、夕食をとらずに部屋で資料をまとめていた。
「明日のスケジュールが変わっちゃったのは悪かったと思ってるけど、そんなに怒らなくてもいいじゃない。ご飯食べないと頭も働かないよ? ね?」
ロアはそっと、テーブルで依然黙々とペンを走らせるマリアの前に座る。
マリアはようやく、しかし手元の紙に視線を落としたまま口を開いた。
「そんなに食事がとりたいならおひとりでどうぞ。屋敷ではないのですから私が作るわけでもないのですし。それに明日は私は同席しません。いてもお邪魔でしょうから」
いつにも増して機嫌の悪さがうかがえるマリアの言葉に、ロアは少しだけひるんだ。
「明日行くお店、パンケーキがふわふわで有名なお店らしいよ? マリアも好きでしょ、メープルシロップのパンケーキ」
「どうして吸血鬼退治に来ておいてメープルシロップのふわふわパンケーキを食べに行くことになるんですか!」
バン、と机を叩いてマリアは立ち上がった。
ロアは驚いて肩をすくめる。
「大体貴女は、男性からの誘いはバサッと断るくせに女性からの誘いには甘いんですから!」
「で、でも、ルクルス家の顔も立てないとだし……。さっき彼に電話したんだけどね、どうやらミシェル嬢は今男装歌劇にハマってるらしくって、以前その話になったときに私の話をしたんだって。だから……」
「今回の件でお世話になっているルクルス様の手前、ミシェル嬢をむげに扱えなかったことは分かりました。ですが私が同席するかどうかの話は別です。私は予定通り、残りの現場を見に行きますから」
マリアはぴしゃりとそう言って、シャワールームに入っていった。
「……」
取り残されたロアは、空腹を訴える腹部に手を当てて、やるせないため息を吐いた。
怒りのままにドレスを脱ぎ棄て、身体一つでシャワールームに入った途端、マリアは自己嫌悪に押しつぶされた。
頭を冷やそうとシャワーで冷水を被ってみたところ、ロンディヌスの水のあまりの冷たさに驚き、慌ててお湯に切り替える。
そんなことをしていると余計に冷静になってきて、マリアは深く深くため息を吐いた。
自身が短気なのは重々承知しているが、それにしてもあそこまで感情を顕にして怒らなくても良かったのではないか。
ロアが他人の厚意、あるいは好意を、本人がそれに気づきさえすれば決してむげに扱うことはない。そのことだって十分わかっているはずなのに。
そもそも、今回の事件に関して。
今回の件の犯人が、昼間ロアが言った通りの愉快犯なら、間違いなくマリアが相手にしてきたものの中で史上最悪の部類になるだろう。
それを分かっていながら、普段面倒ごとはやらない主義のロアがあえてこの件を引き受けているのは、やはり気持ちを押し付けた自分のせいなのだろうと思うと心が痛む。
となれば、彼女がミシェル嬢とお茶の約束をしたのは単に息抜きが欲しかっただけなのではないかとも思えてしまう。
それがたとえ無意識だったとしても、だ。
とはいえ食事をとりたがっていた彼女を結局絶食させてしまったことは忍びない。
ひとりで食べればいいと言ったからといって、自分だけ食事をとるような人ではないことぐらいわかっている。
そもそも昨晩、「明日は美味しいお店を探して外食しよう」と彼女は言っていたのだ。
当然のように、『マリアと一緒に』。
「…………もう!」
――ゴン‼
思い余った、もしくは衝動的に、マリアは頭をシャワールームの壁にぶつけた。
衝動的に頭を振ったものだから、想像以上に強い力が加わっていたようで、自身でも驚くほど大きな音が響いてしまった。
マリアの石頭でも大理石相手は流石にきつかったのか、鈍い衝撃が脳内にぐわんと広がる。軽い脳震盪を起こしたようだ。
「……ッ」
ふらついた足元を支えるため側面の壁に手をついたところ、その先にあった備え付けのシャンプーなどを派手にひっくり返して床に落とし、またも派手な音を轟かせてしまう。
(……まずい)
反射的に、マリアはそう思った。
それは自身が倒れる心配などではない。
悪い予感通り、シャワールームの外側の扉が開く音がする。
「マリアっ! 何か大きい音したけど大丈夫!?」
音を聞きつけてシャワールームに飛び込んできたのは、まさに喧嘩中のロアだった。
「…………」
ふたりの間に、流しっぱなしのシャワーの水音だけが響く。
マリアとしてはこんな情けない姿をロアに見せたくなかったのだ。
彼女は壁に手をついたまま、とりあえず無言でロアを睨んだ。
涙目は、きっとシャワーが隠してくれていると踏んで。
「ぅ、あ、ごめんね!」
ロアは顔を真っ赤にして、すぐさま逃げるように去っていった。
そのロアの反応も、マリアには不可解で不愉快だった。
道行く人がことごとく振り返るような魅力的な身体をしておきながら、こんな貧相な身体を見て今更何を赤くなるのか。
それに、ミシェル嬢にはあれほど紳士ぶって対応していたくせに、ノックもしないでシャワールームに入ってくるなんて非常識に過ぎる。
大体、そこまでしたならもう少しぐらい気遣いの言葉をかけてくれてもいいのに、何なのかこのそっけなさは!
……などと考えている間に、ある事実にマリアは気づく。
「……私、拗ねてるだけじゃないですか……」
マリアはいよいよその場にしゃがみこんで、情けなさに息を吐いた。
マリアが長い時間を置いて、しぶしぶシャワールームを出ると、意外なことにロアの姿は部屋になかった。
その代わりに、マリアが先ほどまで座っていたテーブルの上に、サンドイッチと保温ポットが置かれてあった。
保温ポットの中には温かい紅茶が入っており、サンドイッチの皿の下には小さなメモが挟まれてあった。
『さっきはごめんね。これを食べて先に寝てて』
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