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怪談と噂話
しおりを挟む「ほーら、早くお家に帰らないと、森の入り口から恐ろしい怪物がゴーゴーと大声で唸りながら攫いに来るんだよ。」
「それに大人しく『ねんね』しないと、怖い目にあって あーんな風にいくら悲しそうに泣いても、帰してもらえないんだ、お父さんとお母さんには会えなくなるんだよ。」
「さあさ、早くお家に帰ってご飯にして寝ようね。飢えないぐらいには食べ物があるし、暖かいお家って薪があるってことは幸せな事なんだよ。 少し前までは大変だったんだから。」
「今度はお前たちが攫われるかも知れないよ。言う事をよく聞いて、良い子にしてなさいな。」
『はーい』 『うん、帰るー』
手を繋いだ親子連れが、夕方早くからあちこちで帰路に着く姿を見かける。
その様子は確かにデーメテール様がお隠れになった時には飢えて動けない様子からは想像もつかないほどの平和な姿だった。
しかし、以前と同様に元の姿に戻った日常か?と聞かれれば……
(「え~~ おかあさん、もうちょっと遊ぶ~」「まだ帰らない」「もう少しだけ~」)
そんな風に、以前は迎えに来た母に無邪気な幼子のぐずる声が聞こえてた。
街を少し歩けば、「もう飢えずに済むのはデーメテール様のおかげ」やら、「コレー様のお働きに感謝」「お帰りになった喜び」を讃える声は確かにある。
しかし、その日常にはやはり爪痕が残されている。
生き残った幼児には、本当は乳飲児の弟や妹のいたであろう。そんな家庭では、母の目には、いつまでも失った子の影を探す。つないでいない方の片腕には重さがない。あったはずの幸せを思い知る。あんなにあった肩懲りがない事で罪悪感が心に涙を溜めてしまう。子どもに食べさせて自分は食べずに、それでもお乳だけは出るはずはない。満足にお乳を与えてもらえずにいつまでもしがみつく乳飲児。代替え様にと思い牛や山羊の乳も、餌となる草が生えなければ、牛乳も出ない。乳も出ないなら家畜を食料にしなければ、家族全員が飢えてしまう。
苦渋の選択をした父の目には、もう何もいない山羊の小屋が映っている。敷いてた藁さえも無くなった姿で写している。
家族の為、生きるために、朝日が登る前から畑に向かい日暮れの見えなくなるギリギリまで帰って来ない父親である夫が、山羊のいた小屋をただただ見つめる。その姿を母親である妻が『おかえり』の声を掛けれずに見つめている。
日常は二度と元には取り戻せないだろう。
夫婦が思う事はただ一つだ。
〈もう二度と、もう決して、こんな事は起きないと、起こさない〉と決意する。
夜毎に聞こえる悲鳴の様な泣き声は、ある者には、この飢饉によって失った大切な者の泣いてる声に聞こえた。
そしてそれに呼応する様に、向こうの丘の遥か先から低くゴー、ゴー、ザーザーと唸り声の様な音がする。
これもある者には、命が尽きてしまった者が、もう少し早く飢饉が去っていればとの怨みの声にも聞こえた様だ。
子ども達を早く帰宅させる為に明るく言い聞かせている陽のある夕方はまだいい。夜遅くになり悲嘆の声の高い声と低い声の彼方からと此方から聞こえる時間になれば、人々はいや大人達も不気味で一度目を覚まして聞いてしまった事を後悔する。
そんな家庭の中であちこちに密かに語られてる会話だ。
「あれは、もしかして神殿の方から聞こえるかも知れないな。そしてもう一方はそれに呼応する様に聞こえないか?」
「あんた、滅多な事を言うものでないよ。それがどういう意味を示してるのか。あの力を見ただろう?もう二度と私はあんな事が起きるのは嫌だからね。万が一でも、御機嫌を損なう様な事は有ってはならないよ」
「俺もそうだ!もう二度と本当にごめんだ。いや、だからこそ確かめないといけないんじゃないかと、思ってる」
「あんたは、何のために日の出前から危険かも知れないのに遅くまで畑に行ってくれてるんだい?いざという時の為に少しでも蓄えとなる様にだろう?でも、それですら、こんな風に天候が良くないとどうしようも無いじゃないか」
「オレがいくら蓄えようとしても、また同じことが起きたらどうするんだ?今度はもう二度と失いたくないんだ。だから対策を立てるためにも、先ずはあれが危惧している事じゃないといったい何かを確かめたいんだ」
「確かめる事でまた御機嫌でも損ねるとそれこそまた冬だと言ってるのさ」
「じゃあ、ずっとこのままで大丈夫だと思うのか?あんなに呼んでる様な声が聞こえてても…。
実際、デーメテール様はこの声が聞こえてるんだろう?何だと考えてるんだろうな」
「少なくともね、神殿の方から聞こえてる泣き声に関しては、住んでる方には聞こえてるだろう。ほんの微かな漏れるような泣き声だけど、そりゃぁ毎晩だもの。誰の泣き声かなんて、まぁ母親が一番わかってるでしょう。だからこそ、滅多な事はしないでおくれよ。
いいかい?あんたまでどうにかされたら、私やこの子はどうやって生きていけばいいのか? もう、私はあの子の元に一緒に行きたいって、もうダメだってなった時に、あんたがもう少しだけ頑張ろうって言ってくれたんだよ。だから今も必死に生きてる。みんな同じように泣いてるんだ」
「やっぱりお前も あれは、泣いてるコレー様を死者の国から呼んでる声だと、呼び戻そうとしてる声だと思うかい?」
「し!静かに!
そんなハッキリした声を出すなんて止めておくれよ!恐ろしい。呼んでる怪物も恐ろしいけど、もっと恐ろしいのがこの地を凍らせてしまう女神なんだから。
万が一でも、お耳に入ってしまい罰でも受けてまた飢饉になったらどうするんだい?」
「みんな名を出さずにそっと話しているのに、本当にあんたは考え無しなんだから。」
「そうか、みんなもそう思ってるんだな。どうしたらいいのか」
「ダメだよ。下手に動くと本当にまた全てが終わってしまう」
「あぁ、俺もわかってるわかってる。ガキじゃないんだから。ただ、、」
「えぇ、私も子どもの事だから同情する所もある。でもあんな思いは二度とごめんだと言う事だけはハッキリしてる。
さぁ、明日もまた早くから畑に行ってくれるんだろう?子供の世話が終わったら私も手伝いに行くし、もう一眠りしましょう」
「そうだな。またお昼を持って来てくれよ。おやすみ💤」
目立たない様に深く帽子を被り、あちこちから例の怪談の情報を集めてるメンテはそっとその家の側を離れた。
神殿に帰る道を急ぎながら、デーメテール様がこの話を聞けば、先ずどうお考えになるのかを心配していた。
あの方は冥府宮のことを信頼しすぎている。冥府の王はデーメテール様が思ってる様な方なのか?もう昔の子どもの頃とは大きく違うんじゃないのか?
現にコレー様も、毎晩涙の訳があるんじゃないのか?
あぁ、、何て報告すれば良いのか?
それにしても、あの高貴でお優しいデーメテール様がこんな風に人々から恐れられてるなんて。
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