冥界の愛

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私の代わりに、この地に、貴方の側に。

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 真っ暗な深淵の洞窟を背景にして、その人は洞窟の入り口の壁に少しもたれ掛かる様に立っていた。

 左肩にかかった黒い長いマントは以前に見た重厚そうな刺繍の入っている煌びやかな物ではなく、薄手の柔らかな生地で吹き付ける風で裾が揺れている。

 洞窟の奥から風が吹き込んでいる様だった。その風はまるで泣き声のように高い音と呻き声の様な低い音が混ざり合い不気味な音を奏でている。

 なのに、そんなバックの不気味ささえも気にならないぐらいに、その人は夢の様に淡い光を纏って佇んでいる。

 黒いマントに見たこともないデザインの黒の上下の服を着ている。地上でよく見るエクソミスの長い丈の服やヒマティオンではなく上下に分かれてる服みたい。下の服は足首のくるぶしまで足に沿った形の服だ。変わった形だなぁ。
 でも、ハデス様にとっても良く似合ってる。長身で少し細身だけど、肩幅はあるから長い脚でバランスが取れている。こうしてみると頭はあまり大きい方じゃないかも。なんてハデス様のかっこよさを表してる服なんだろう。

 きっと、またミノスさんの奇抜なデザインを、この冥界の器用なお針子さんが大好きなハデス様の為にと作ったんだろう。
 羨ましいな。
 
私にも、何かこの方の為にできることは無かったのか?それにしても、あぁやっぱり素敵としか言いようがない。

 そんなイケメンが、いと愛おしそうに眺めている花になりたい。大きな手に小さな鉢植えを持っている。その花からぼんやりと淡い光が差し込んでハデス様の顔を照らしてる。照らされた顔はどことなく淋しげに見えて。私の願望を投影してる。

 この方がここまで付き合ってくれるとは思わなかった。そう私には忘却の水では効かないからハデス様自ら忘却の術をおかけになると説明された。そしてそのなりたい花が私を地上に帰す花なんだ。

 見惚れている間にも、転移した私にとっくに気づいていたんだろう。
ハデス様が「別れは済んだか?」と目線を合わせずに聞いてくる。

「はい。お時間をくださり、ありがとうございました。」

 こっちを向いてと念じながら返事をする。少しでもこの目に焼き付けていたい。ハデス様の瞳も鼻も唇も大好きな顎も、その撫でてくれた手も足も何もかも!見ようとすればするほど、視界が歪んでしまって見えにくい。忘却の術が効いてしまうその瞬間まで見ていたい。忘れたくない。忘れるなんてできない筈。

 いいえ、きっと忘れてしまうでしょう。この方のお力には抗えない。どうしてこんなに悲しいのかさえ、その悲しみさえ残してはくれないのでしょう。この流れる涙の跡が唯一残る物かしら?

 そう考えると、ここから冥府から何も持ち出す事はできなくても、何か残していける物はないのかしら?
 『その名もその姿もここに置いてゆけ』ハデス様はそう仰ったわよね?
地上に帰るとこの覚醒して変身した私は元の髪に戻るって言ってた?じゃあここに残せばこのままの姿でこのままの髪?

私はハデス様に問いかけた。
「ハデス様。ナイフを貸して頂く事はできないしょうか?」

 「 なぜ?」
と、聞かれたが
「誰かを傷つけたりはしません」
と、返すと微妙な目を向けられた。

 それでも、小さなナイフを出してくれた。
なんでもありだなぁとか思いながら、受け取って思いっきり背中にかかる黒髪の束を切り裂いた。
 覚醒してからツヤツヤの長い黒髪がかなり気に入ってた。
それが、地上に帰るとなくなってしまうのが悔しくて仕方なかった。
 だから、せめて、ここに残していきたい。誰にも迷惑をかけない所で、ハデス様にもらった様な同じ黒髪をここに残させてください。

 ナイフで切り取った髪を洞窟の前にそっと置いた。黒髪の紐で括った束が風に靡いてる。そのうちに風に流されてこの冥界に飛び散っていくだろう。覚えていられない私の代わりに、この地に残って。そう思いながら、立ち上がる。
 そして、


 「お待たせしました。お願いします。」

 そうして、ハデス様の前に立った。


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