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1 エゴイスティック≒ヒロイック

11.見えない境界

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「お……重くないかな?」
「紙袋ひとつだよ?重いわけない」

 ヤトと名乗ってくれた少年はぶっきらぼうに言って私のショルダーバックを肩にかけ直す。
 前を歩いていた子供たちも「おもくないよ」「よゆー」と口々に返してくれた。
 現在、私たちはタザザさんを先頭に一列になってさっき通ってきた道を引き返している。今度は、少年や子供たちと一緒に。
 明るい声が響き、増産した蝶型ライトと戯れる小さい影が揺れ、道自体は先程と変わらず廃れた雰囲気なのに、まるで幼稚園でのお散歩にでも来たのかと錯覚してしまうほどのどかだ。

『し、仕事をお願いしたくて来ました』

 追い詰められた私の口から飛び出したのはそんな言葉だった。
 ……気持ちはわかるが、皆まで言わないで欲しい。顔を顰めたりとかも辛いのでやめて下さい。
 ネリーにもヤトにもすっごい不審そうな目で見られたから既に。大人な対応のタザザさんと全くわかってなさそうにはしゃぐ子供たちに救われてます。
 ……でもまあ確かに、ここまできて頼むことが荷物持ちって謎過ぎる。わかってますよ、ええ。
 普通に自分でそのまま帰った方が早いし。最早すっごい訳ありの荷物だった方がまだ理解されただろうけど明らかに日用品だし。
 場所が普通のところだったからギリギリ引き受けてもらえたんだと思う。それが相当ギリギリのラインだったろうことは2人から受けた視線が物語っている。

「……施しのつもり?」

 酷く不機嫌そうな声に我に帰る。
 ヤトに睨めつけられた回数は今日だけでそろそろ片手を超えるかもしれない。
 彼は儚げな容姿に反して自分の意見をしっかり言う子のようだ。
 そういう部分はちょっとネリーに似ているが、彼のそれは生来のものというより自分より小さな子供たちを導かなければいけない立場から来ているような気がする。
 とはいえこれはある程度警戒を薄めたからこそぶつけられた本音なわけで、だから私も素直に言葉を紡いだ。

「そういった気持ちが全くなかったとは言わないよ。流石に荷物を運ぶのにこんなに人は要らないしね」

 銅貨1枚。
 ヤトは頑なにそれ以上の金額は受け取らないと言い張った。相応以上の対価の仕事は大抵厄介ごとを引き寄せるからと。
 ならば人数を集めなさいと言ったのはネリーだ。
 私の意図を素早く汲んだらしい彼女は言って軽く目配せをするとすぐに荷物を分け始めた。
 そして荷物は合わせて12に分割され、それが1人にひとつ銅貨と共に配られいった結果、このような大所帯での行進に至ったわけである。

「ですが、貴方たちが気にすることではありません。私たちの心内がどうあれ、仕事への対価であることに変わりはないのですから」

 ネリーが引き継いだ言葉に肯く。
 多少の同情がきっかけでも私たちと彼らは契約上対等な関係で、これは労働に対する正当な報酬のはずなのだから矜恃が傷付いたなどと感じる必要はない。

「うん。だから荷物、よろしくね。ヤト」

 仕事が完遂できなくても私たちはお金を返せとは言わない。
 だから、銅貨が施しになるか否かは彼ら次第だ。
 ヤトもこちらの言いたいことを理解したのだろう。それ以上突っかかりはせず、ふんと小さく鼻を鳴らしてそっぽを向くともう一度鞄をかけ直した。

(まあヤトに言ったことはそのまま私にも言えることなんだけど)

 服に忍ばせた小さなお財布を意識しながら、改めてアルにちゃんと報いれるようにしようと誓う。
 気合を入れ直しているとふと、先頭を歩いていたタザザさんからの視線を感じて、私は一旦ネリーと列の前に出る。

「もう路地の入り口まで来てたんですね。気付くのが遅れてしまいました」

 始めに通った細い通路の先には、眩しいくらいの光が見える。
 強い刺激に眉を寄せていると、タザザさんは無言のままゆっくりとした動作で私たちに道を譲った。
 どうやら案内はここまでらしい。

「道案内、ありがとうございました。大したことはできませんが、その、お礼をさせてください」

 軽く頭を下げた私に、タザザさんは首を振る。
 そうは言ってもそれなりに時間を貰ってしまったしなぁと再度口を開きかけた時、初めて聞く低い声が鼓膜を震わせた。

「……俺は、貴女の昨日の大通りでの行いに敬意を評している。感謝するのは俺の方だ」

 それだけ言うとタザザさんは深く深く頭を下げて、私の反応を待たずまたもゆっくりとした動作で踵を返した。
 意表を突かれた私は、引き止める余裕もなくぱちぱちと瞬きながら彼の言葉を反芻する。

(タザザサンガシャベッタ……じゃなくて、ええとつまり、彼はあの事件を見ていて、だから私がここへ来た意図についても大体予測がついていて……)

 敬意とか感謝とかの意味は微妙にわからないけれど。
 とにかく、最初から助けてくれるつもりだったってことだろうか。

「……タザザさんて、いい人だね」
「帰ってくるなりそれ?」

 先導をネリーが引き受けてくれたのでまた後方に戻ってきた私は、ヤトのじっとりとした瞳に出迎えられた。

「ヤトはそう思わない?」
「……チビたちは懐いてるけど」
「自分は違うって?」
「昨日会ったばかりの人間を信用してたら生きていけないよ」
「う゛え゛!??」

 思わず声が出た。
 花も盛りの乙女らとしてはちょっとどうかなって感じの声が。
 しかし今の私にそれを気にする余裕はなかった。

「初対面昨日なの!?」
「夜に食い物とか色々持って突然訪ねて来たんだ。……ったく、昨日からほんとおかしなことばっかりだな」

 昼は気がついたら診療所だったし、とぼやくヤトを横目に私は想像する。
 世闇に紛れて子供だらけの場所を訪れる、食べ物諸々を抱えた大男ーー

「怪しくない?」

 ごめんなさい、タザザさん。
 客観的に見たら流石にちょっと怪しかったです。
 いやまあ私、彼に警戒心皆無で即話しかけてるんですけど。

「それ、アンタが言うの?」

 はいそうですね、おっしゃる通り。
 先程からの私も負けず劣らず怪しいですね!

「怪しかろうがなんだろうが受け入れるしか選択肢がなかった。それだけ。稼ぎ頭だった兄さんたちがいなくなって、オレの稼ぎだけじゃ弟妹を食わせてやれなかったから」

 少年は、だから正直施しだろう何だろうと大歓迎だよと投げやりに続けた。
 幼い子供ができる仕事は知れているし、そうでなくとも裏路地の人間というだけで録な仕事が貰えないことだってあるだろう。
  あの男ほどじゃなくても、差別意識を持ってる人はきっと多い。ヤトの口調はさらりとしているが、言葉以上に大変だったろうことは容易く想像できてしまう。
 顔を曇らせた私を見て、彼は困ったように苦笑した。
 
「ホント変わってるよ、アンタ。自覚なさそうだけど」
「……え、そうかな。普通だと思うけど」

 向こうだったら1000人いたら999人が振り返らないような平凡な高校生だった自信がある。
 肩につきそうなほど首を傾げる私に、ヤトは大きく溜息を吐いた。
 ……今日はずっと年下の子から睨まれ溜息をつかれしているので平凡な私のライフはゼロに近い。

「……例えばさ、前にいるお姉さんはオレたちに荷物を渡す時、別に盗まれてもいいって考えてたと思う。…まあそういう人も稀なんだけど、でもアンタは最初から俺たちに荷物を盗まれるかもって、その可能性すら思い浮かばなかっただろ」

……盗まれる?

 確かに考えたこともなかった。
 だって荷物を預けて、盗られたことなんて生まれてこのかた1回もない。周りにもそんな目にあったって人はいなかったし。落としたお財布も無傷で戻ってくるような場所で生きていたわけだし。
 ましてやこんな子供を疑うとか大抵の人は発想からしてないと思うけど。

「そういうところ、うちのチビたちに似てる。いや、多分1番下のチビより馬鹿だな」
「ば……っ!?」

 なんだと!?これでも学校では割と成績優秀で通ってるのに!抜けてるとは言われるけど!!
 いきなり馬鹿呼ばわりされて目を白黒させる私を見て、ヤトは初めて年齢相応の顔でおかしそうに笑った。
 ぐぅ、そんな顔されると怒るに怒れないじゃないか!

「別に悪いことだって言ってるわけじゃない。……むしろアンタのそういうとこ、眩しくて、少しだけ…………」
「ヤト?」
「もう着くな。チビたちから荷物、集めてくる」

  一方的に短く告げ、彼はさっさと私を置いて前に行くとバラバラにしていた荷物をまとめて来た。
 先程の話題を続ける気がないのが見て取れるその顔に、私もそれ以上聞くのは憚られ大人しく切り替えることにした。
 見渡せば確かに目的の場所はもう目と鼻の先だ。
 帰ってきたと言うのはまだちょっと変な感じがするけれど、待っていてくれる人がいる場所に少し気が抜ける。

「適当に詰めちゃったけど」
「大丈夫だよ。ありがとう。……でもちゃんと帰れる?危なくない?ネリーを帰してからになっちゃうけど送って行こうか?」
「それじゃ荷運びの意味がないだろ……。この人数でいる分にはそう襲われないよ。というかアンタがいた方が狙われる。どこからどう見てもカモっぽい見た目してるし」
「さっきから散々な言い様だね!??」
「タザザに感謝しろよ。あの人がいなきゃ絶対なんかに巻き込まれてたぞ」

 複数の視線はやっぱりそういう類のモノだったようだ。
 タザザさんには本当助けられたんだなぁとしみじみとしていたら無造作に鞄が押しつけられた。

「…………もう来るなよ。アンタにあの場所は似合わない」

 小さく言い残して、ヤトは子供たちと共に去って行く。
 少しも振り向くことのない背中と何度も振り向いて手を振る小さな背中たちを見送って、そして、
 一拍置いて心に落ちた彼の言葉が私の頭をガンと揺さぶった。

(線、を)

 ひかれた。
 それは私を思い遣った優しい忠告だったけれど、残酷なほど明確な拒絶でもあった。

 ……本当は、自分でもわかっていのだ。だから何気ない一言にこんなにも揺さぶられた。
 菓子パンひとつも買えない銅貨を握らせたところで、偽善というにも足りないくらい、埋めようのない溝が彼らと私の間にあることが。
 見ないふりを、していた。
 対等なはずの人と人の間にこんなに残酷な差があるなんて知らなかったから。私が、それを前にして何もできないなんて思いたくなかったから。
 だけど必死で目を逸らしても何度だって思い知らされる。
 ここは、私の生きていた世界じゃないんだって。

(私……私…は)

「サク」

 思いの外近くで響いた声に肩が跳ねる。
 驚きでぶつりと思考が切れた。
 名前を呼んでくれたのは、初めてじゃなかっただろうか。
 いつの間にかこちらを真っ直ぐに見つめていた薄紅色の瞳がそっと細められてーー

「姿勢が悪い」
「ぃっ!?」

 ぴしりと衝撃が背中に走った。
 えっ痛い!…いや痛くない?驚いたけど痛くはないな……?というか今なにで叩かれたの!?なんか叩くようなもの持ってたっけ!?
 混乱する私に構うことのないネリーにもう一度とん、となにかで腰の少し上あたりを小突かれ自然と仰反るように背が伸びる。

「首を背骨の上に、肩の力は抜いて……ここは引きなさい。糸で吊られているつもりで……そう」

 触れられた場所を素直に指示通り動かしていくと、やがて彼女の声に満足げな色が混じる。
 姿勢を崩さないようにしながら視線だけを動かすと、傾いた陽に照らされた道の中でネメリアが思っていたよりもずっと、ずっと優しい顔で笑っていた。
 
「胸を張りなさい、サク。反省することは必要だけれど、出来なかったことばかりを数えるなんて自分に不誠実なことをしていたら、いつか大切な時に足が竦んでしまうわ。少なくとも私は、貴方の行いを認めます」

 彼女は言いながらゆったりとした動作で服の下につけていたらしいネックレスを外すと、私の首にかける。
 冷たいチェーンが、僅かに触れた手がくすぐったくて思わず身を捩ると、可笑しそうな吐息が耳を掠めた。

「そんなに値の張るものではないから安心して着けて。……似合っているわ」

 視線を落とすと胸元で彼女の瞳よりも少し濃い真紅の小さな石が揺れている。
 
(可愛いネックレスだな……なんの模様だろう?)

 ご褒美だと微笑まれてしまえば固辞するのも躊躇われて、つい頷いてしまう。

 正直思うところが全く無くなったわけではない。
 全てを滅ぼせるような力があったって目の前の子供ひとり救えない程度に私は情けなくて、それがどうしようもなく悔しい。
 それでもアルが、タザザさんが、ネリーが、認めてくれる人がいるなら、後悔するだけじゃなくて自分を認めて次を考えることだって必要なのだと、肩の力が抜けた今なら素直に理解できる。

「……貴女を見ていると、私に構うお兄様の気持ちがわかる気がするわ」
「ネリーのお兄さんも素敵な人なんだろうね。会ってみたいな」

 気が抜けた反動か、つい言葉が溢れた。
 我に帰って慌てていつかね!と付け足す私に、ネリーは悪戯っぽく微笑む。

「あら、いつでも来たらいいわ。お兄様ももう1人弟妹が欲しいと言ってらしたし、きっと喜ぶわよ?」

 ネリーは気遣って話を合わせてくれたが、それが難しいことは流石に私も分かっている。
 ここは知識としてある欧州より身分制が厳しくないようだが、それでも公爵家は国のNo.2だ。
 ネリーの兄ってことは現公爵か次期公爵なわけで、アルとネリーの紹介があったって普通は私みたいな一般人が気軽に会える存在じゃないはず。……ないよね?

(だけど)

「ありがとう、ネメリア。その、今だけじゃなくて、今日のこと全部」
「礼を言うのは貴女を連れ回したわたくしの方ではなくて?」
「……ううん、私だよ。本当にありがとう」

 帰る術なんて見当もつかないままだけど、こうやって私を受け入れようとしてくれるアルやネリーみたいな人たちと出会えたのは本当に幸運としか言いようがない。
 ひとりだったらこうやって真っ直ぐ立つこともままならなかっただろう。
 きっと一生忘れられないくらいの救いを、私は受けた。

 だから、今は無理でもいつか。
 どうか私にもこの世界の人たちに少しでも返せるものがありますように。
 首元で揺れるネックレスに祈るように触れながら、私はまたネリーと顔を見合わせて笑い合った。
 
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