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夕食前のひととき。
夾がタブレットで動画を見ていた。
夾は動画サイトを見るのが好きらしい。
けれどいつも時間をちゃんと守って見ているので、知臣がしっかり言いつけているのだろう。
優に絵本を読んであげていると、聞き覚えのある歌声が流れてきた。
思わず顔を上げて凝視すると、夾が顔を上げた。
「それ……」
「知ってる?ひな君。知兄が見てて知ったんだけど、すごくいい歌多いんだよ。『ヒナ』って言ってね」
まさか知臣だけでなく夾も見ていたとは思わず、日向は動揺した。
目をきょときょととさまよわせるが、夾は気づいた様子もない。
「名前、ひなって呼ぶの一緒だね。そういえばひな君の声って『ヒナ』に似てるし」
歌ったらそっくりかも、と期待の眼差しを向けてきた夾に、日向は指先まで固まってしまった。
ここで『ヒナ』が自分だと言ったら、どうなるだろう。
夾は、そしてなにより知臣はどう思うのか。
ぐっと唇を引き結んだとき。
「おーい、そろそろ夕飯だから秋を手伝ってやれ」
襖の向こうから、ひと仕事終えたらしい知臣がひょこりと顔を上げた。
「えー仕方ないな」
「ゆうもいく」
トタトタと弟二人が台所へ駆けていく。
子供のいる家は何をしてても賑やかだなと思いながら、ほっと息を吐いた。
その後の夕食の時間なども夾は『ヒナ』の事を話そうとしていたが、知臣がそれとなく別の話題を提供していた。
『ヒナ』の話題が広がらない事にほっとしながらもそんな知臣に、日向はもしかしてと思った。
風呂上りの夜空の下。
ノウゼンカズラの咲く裏庭の縁側に日向は座って空を見上げていた。
ここは弟達は立ち入り禁止だから、一人になりたい時があったら来いよと言われたのだ。
なんだか秘密基地を教えてもらったみたいで嬉しかった。
きしりと床板を踏む音に振り返ると、そこには知臣がいた。
「邪魔したか?」
「ううん、全然」
ふるふると首を振ると、知臣がゆっくりと隣に腰を下ろす。
「夾が騒いじゃってごめんな」
「ううん……俺が『ヒナ』と関係あるって気づいた?」
あれだけ『ヒナ』の話題を日向から遠ざけようとしていたのだ。
もしかして『ヒナ』と関係があるとバレているのではと思った。
ちらりと知臣に目線をやれば、まっすぐに見返された。
「『ヒナ』は日向君だろ」
「……気づいてたんだ」
「そりゃファンだしな、声聞いてたら何となく」
なんてことないように答えた知臣に、日向は涙が滲みそうになった。
それをこらえるように、ぐっと奥歯を噛みしめて俯く。
すると、知臣が立ち上がって縁側の下にある二つのサンダルのうちひとつに足を入れた。
「日向君立って」
「え?」
言われて不思議に思いながらサンダルに足を入れると、知臣が日向の右腕を取って歩き出した。
「あの……」
声を小さくかけても、知臣は振り向かない。
家の敷地を出る頃には、日向も口をつぐんで引っ張られるままに歩いた。
こんなふうに歩くのは何度目だろう。
沈黙が嫌だとは思わなかった。
(この道って)
ほとんどない街灯の下を歩くと、時折りジジジと虫の音がする。
背の高い知臣の後を足早に追いかけていくその道は、二人が初めて会った川辺への道だった。
どうしてだろうと思っていると、歩道を外れてどんどん川辺の方へ降りていく。
そこに広がった光景は。
「わあ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
川辺には小さく丸い光がふわふわと、たくさん漂っている。
その光は川辺へ近づいたかと思うと草むらに隠れ、また現れる。
「蛍なんてはじめて見た」
呟いた日向に、ようやく振り向いた知臣は満足そうに笑っていた。
ぼんやりとその光り達を目で追いかける。
幻想的なその光景に魅入っていると、ぽんと頭を撫でられた。
「少しは元気出たか?」
日向のために連れてきてくれたのだと気づいて、日向は先ほどの知臣の言葉を思いだした。
「……俺がヒナだって気づいてたから心配なんて言ってくれたんでしょ」
力なく笑うと。
「日向君が来る前から思ってたよ」
「……嘘」
知臣の顔が見れなくて、日向は俯いてしまった。
「本当。『ヒナ』のことは、日向君に言ったとおり好きだったし心配してた」
まっすぐ渡される言葉に、日向はまた涙が滲んできた。
頭に乗せられていた体温の高い手が、さらりと髪を撫でてから離れていく。
その手がとても優しくて、日向は唇を震わせながら口を開いた。
「デビュー決まったあとに事故にあっちゃってさ、跡が残った顔じゃ無理だって言われた。歌でスカウトされたはずなのにって思ったよ」
ぽつぽつと言葉を紡ぐと、そっかと優しい声が先を促す。
弟達の話を聞いている時と同じ温かさの声音だった。
その優しく促すような温かさに、胸から押し出すように続けた。
「応援してくれた人達に申し訳なくて、腫れ物扱いされるのも嫌で、ばあちゃんがいたここに逃げて来たんだ」
ぽとりぽとり。
いつのまにか滲んだ視界から、涙も一緒に零れた。
「自分のチャンネルも、みんながどんな反応してるのか怖くて見れないし、ばあちゃんに会わせる顔がなくて墓参りにもいけない」
でも、ととうとう涙声でひっひっとしゃくり上げながらも。
「歌い,たい……!歌って、みんなに聞いてもらいたい!」
血を吐くように吐き出したあと、わあっと日向は声を上げて泣き出した。
まるで子供が泣き叫ぶ声だ。
それをあやすかのように、腕を取られてぐいと引き寄せられる。
抱きしめられて、背中を優しくさすられた。
その体温にますます涙が止まらなくなる。しばらくのあいだ幼子のように日向は泣き
じゃくった。
ひっくひっくと長いあいだ泣いたあと、ごめんと知臣の胸を押せば、その体温が離れていく。
それが何故か寂しいと思った。
けれどこんな醜態をさらしてしまうなんてと思いながら、精一杯笑って見せる。
その目元は痛々しく赤くなっていた。
「未練たらしいよね。そんなの、もう無理だってわかってるのに」
「無理じゃねーよ。みんな待ってるよ、また聞けるのを。ヒナの歌には、人を元気づける力があるよ」
じっと見つめる焦げ茶色の瞳も、低い声も、嘘を言っているようには感じなかった。
「そんなの……」
「俺は日向君に歌ってほしい。俺だけじゃねーよ、きっと」
ん?と長身を屈めて、知臣に顔を覗き込まれた。
本当だろうか、と思う。
疑心暗鬼になりそうな気持ちに、けれどと思う。
目の前の知臣は少なくともそう思ってくれているのだと思うと、胸の奥が嬉しさで溢れた。
「うたっても、いい?」
ぐすりと鼻を鳴らせば。
「もちろん」
柔らかく眼差しが返される。
小さく息を吸って、日向は歌を口ずみだした。
初めて投稿した時に歌った歌。
鼻声で、コンディションなんて最悪だったけれど、聞こえるか聞こえないかの小さな声で歌い終わると。
「やっぱ、すげー元気出る」
こつりと額をあわせられた。
至近距離で瞳を見つめ返すと、その眼差しは嬉しさを滲ませていて日向の胸に灯がひとつ灯ったようだった。
「ずっとその歌声に支えてもらってたよ」
「支えるなんて」
そんなことと口ごもれば。
「支えてもらった。しんどい時期が続いたからさ」
「しんどいって」
聞いてしまって、口元にハッと手をやった。
自分が、誰にも何も話したくなかったように踏み込んではいけない領域があるのに。
けれど、知臣は気にしたふうもなく。
「生活が落ちついたのが、ここ半年くらいだからさ」
額をあわせたまま、知臣は聞きたい?と問いかけた。
「……聞いてもいいなら」
本当は遠慮した方がいいのかもしれないけれど、知臣の事をもっと知りたいと思った。
「うち両親亡くなっててさ。葬式で俺の稼ぎじゃ三人育てるの無理だって優を親戚が引き取ったんだ」
意外な言葉に、日向は目を見張った。
「でもそのあと会わせてもらえないし、電話も繋いでもらえなくてさ。やっと会えた時は児童相談所の施設」
「そんな」
児童相談所ということは、虐待されていたという事だ。
どうしてそんなことになっていたんだと日向がそっと片頬に手をやれば、その手に手を重ねて知臣が自嘲的に笑う。
「両親は駆け落ちだったんだけど、母方の祖父母が金持ちだったみたいでさ。優の養育費を無心してたんだよ。まともに育てる気なんかなくて、半年ぶりに会った優はやせ細ってた」
ぎり、と重ねていない方の手を強く握りしめる知臣に、思わず日向は自分の手でそれを包んだ。
知臣がゆっくりとひとつまばたいて、目元を緩める。
「祖父母も優以外の兄弟がいるなんて知らなくて、謝られたよ。みんなで一緒に暮らしたいって言われたけど、あいつらのこと考えて静かな所で暮らそうと思ってさ。家も用意して、生活の援助もしてくれて、感謝してもしきれねーよ」
「そう、だったんだ。でも、みんな幸せそうだよ」
キョトンと知臣が目を丸くした。
けれど、すぐに苦み走った表情へと変わってしまう。
「優はそのことがあって、保育園にも行けてない」
片方の手を包んだまま日向は微笑んだ。
「それでも、知臣さんがいるから、知臣さんが一生懸命だから、みんなすくすく育ってるんだと思う」
「……そうだといいな」
少し照れたようにはにかむ知臣は、なんだか褒められた子供のようだった。
それが可愛いと思ってしまう。
「元気づけるつもりが元気づけられちまったな」
「元気づけられたよ。凄い蛍」
「ここに蛍が来るのは、実はあいつらには内緒。考え事とかしたい時に来るんだ」
蛍がいないときも、川の音が落ちつくからと笑って見せる。
「俺は?」
「日向君は特別。あいつらには黙ってて」
おどけたように言う知臣に、くすりと悪戯気に日向は笑った。
「わかった」
くすくすと笑い合い、額をあわせているせいで目前にあるお互いの顔を思わず見つめあった。
目の前にある焦げ茶色の瞳をじっと見ていると、ふいにそれが距離をゼロにする。
ふわりと唇に触れた柔らかい感触が、知臣の唇だと気づいた日向は目を見開いた。
何も言えず固まった日向に、パッと離れた知臣は我に返ったように。
「悪い……先に帰っててくれるか」
日向の顔を見ずに、手を離して背中を向けた。
(いまの、きすだ)
上手く回らない顔でぼんやりと反芻したあとカッと顔が赤くなり、日向は知臣を置いて転がるように中川家へと帰った。
急いで寝室に行くと、頭からタオルケットを被る。
(え?なんで?なんでキスなんか)
ぐるぐると疑問だけが頭と胸を回り、全身がほてっているのがわかる。
きっと全身真っ赤になっているだろう。
唇に手をやると、先ほどの柔らかな感触が戻ってくる気がしてパッと慌てて離した。
知臣にキスされた。
けれど嫌だとか、気持ち悪いとかそういった感情は浮かんでこなくて、ますます日向は困惑した。
結局その日は一睡もできなかった。
その日からも知臣の態度は変わらなかった。
まるでキスなんてなかったかのようで、日向だけがどうしてか消えない唇の感触を忘れられず、知臣のそれを目で追ってしまっていた。
夾がタブレットで動画を見ていた。
夾は動画サイトを見るのが好きらしい。
けれどいつも時間をちゃんと守って見ているので、知臣がしっかり言いつけているのだろう。
優に絵本を読んであげていると、聞き覚えのある歌声が流れてきた。
思わず顔を上げて凝視すると、夾が顔を上げた。
「それ……」
「知ってる?ひな君。知兄が見てて知ったんだけど、すごくいい歌多いんだよ。『ヒナ』って言ってね」
まさか知臣だけでなく夾も見ていたとは思わず、日向は動揺した。
目をきょときょととさまよわせるが、夾は気づいた様子もない。
「名前、ひなって呼ぶの一緒だね。そういえばひな君の声って『ヒナ』に似てるし」
歌ったらそっくりかも、と期待の眼差しを向けてきた夾に、日向は指先まで固まってしまった。
ここで『ヒナ』が自分だと言ったら、どうなるだろう。
夾は、そしてなにより知臣はどう思うのか。
ぐっと唇を引き結んだとき。
「おーい、そろそろ夕飯だから秋を手伝ってやれ」
襖の向こうから、ひと仕事終えたらしい知臣がひょこりと顔を上げた。
「えー仕方ないな」
「ゆうもいく」
トタトタと弟二人が台所へ駆けていく。
子供のいる家は何をしてても賑やかだなと思いながら、ほっと息を吐いた。
その後の夕食の時間なども夾は『ヒナ』の事を話そうとしていたが、知臣がそれとなく別の話題を提供していた。
『ヒナ』の話題が広がらない事にほっとしながらもそんな知臣に、日向はもしかしてと思った。
風呂上りの夜空の下。
ノウゼンカズラの咲く裏庭の縁側に日向は座って空を見上げていた。
ここは弟達は立ち入り禁止だから、一人になりたい時があったら来いよと言われたのだ。
なんだか秘密基地を教えてもらったみたいで嬉しかった。
きしりと床板を踏む音に振り返ると、そこには知臣がいた。
「邪魔したか?」
「ううん、全然」
ふるふると首を振ると、知臣がゆっくりと隣に腰を下ろす。
「夾が騒いじゃってごめんな」
「ううん……俺が『ヒナ』と関係あるって気づいた?」
あれだけ『ヒナ』の話題を日向から遠ざけようとしていたのだ。
もしかして『ヒナ』と関係があるとバレているのではと思った。
ちらりと知臣に目線をやれば、まっすぐに見返された。
「『ヒナ』は日向君だろ」
「……気づいてたんだ」
「そりゃファンだしな、声聞いてたら何となく」
なんてことないように答えた知臣に、日向は涙が滲みそうになった。
それをこらえるように、ぐっと奥歯を噛みしめて俯く。
すると、知臣が立ち上がって縁側の下にある二つのサンダルのうちひとつに足を入れた。
「日向君立って」
「え?」
言われて不思議に思いながらサンダルに足を入れると、知臣が日向の右腕を取って歩き出した。
「あの……」
声を小さくかけても、知臣は振り向かない。
家の敷地を出る頃には、日向も口をつぐんで引っ張られるままに歩いた。
こんなふうに歩くのは何度目だろう。
沈黙が嫌だとは思わなかった。
(この道って)
ほとんどない街灯の下を歩くと、時折りジジジと虫の音がする。
背の高い知臣の後を足早に追いかけていくその道は、二人が初めて会った川辺への道だった。
どうしてだろうと思っていると、歩道を外れてどんどん川辺の方へ降りていく。
そこに広がった光景は。
「わあ……」
思わず感嘆の声が漏れた。
川辺には小さく丸い光がふわふわと、たくさん漂っている。
その光は川辺へ近づいたかと思うと草むらに隠れ、また現れる。
「蛍なんてはじめて見た」
呟いた日向に、ようやく振り向いた知臣は満足そうに笑っていた。
ぼんやりとその光り達を目で追いかける。
幻想的なその光景に魅入っていると、ぽんと頭を撫でられた。
「少しは元気出たか?」
日向のために連れてきてくれたのだと気づいて、日向は先ほどの知臣の言葉を思いだした。
「……俺がヒナだって気づいてたから心配なんて言ってくれたんでしょ」
力なく笑うと。
「日向君が来る前から思ってたよ」
「……嘘」
知臣の顔が見れなくて、日向は俯いてしまった。
「本当。『ヒナ』のことは、日向君に言ったとおり好きだったし心配してた」
まっすぐ渡される言葉に、日向はまた涙が滲んできた。
頭に乗せられていた体温の高い手が、さらりと髪を撫でてから離れていく。
その手がとても優しくて、日向は唇を震わせながら口を開いた。
「デビュー決まったあとに事故にあっちゃってさ、跡が残った顔じゃ無理だって言われた。歌でスカウトされたはずなのにって思ったよ」
ぽつぽつと言葉を紡ぐと、そっかと優しい声が先を促す。
弟達の話を聞いている時と同じ温かさの声音だった。
その優しく促すような温かさに、胸から押し出すように続けた。
「応援してくれた人達に申し訳なくて、腫れ物扱いされるのも嫌で、ばあちゃんがいたここに逃げて来たんだ」
ぽとりぽとり。
いつのまにか滲んだ視界から、涙も一緒に零れた。
「自分のチャンネルも、みんながどんな反応してるのか怖くて見れないし、ばあちゃんに会わせる顔がなくて墓参りにもいけない」
でも、ととうとう涙声でひっひっとしゃくり上げながらも。
「歌い,たい……!歌って、みんなに聞いてもらいたい!」
血を吐くように吐き出したあと、わあっと日向は声を上げて泣き出した。
まるで子供が泣き叫ぶ声だ。
それをあやすかのように、腕を取られてぐいと引き寄せられる。
抱きしめられて、背中を優しくさすられた。
その体温にますます涙が止まらなくなる。しばらくのあいだ幼子のように日向は泣き
じゃくった。
ひっくひっくと長いあいだ泣いたあと、ごめんと知臣の胸を押せば、その体温が離れていく。
それが何故か寂しいと思った。
けれどこんな醜態をさらしてしまうなんてと思いながら、精一杯笑って見せる。
その目元は痛々しく赤くなっていた。
「未練たらしいよね。そんなの、もう無理だってわかってるのに」
「無理じゃねーよ。みんな待ってるよ、また聞けるのを。ヒナの歌には、人を元気づける力があるよ」
じっと見つめる焦げ茶色の瞳も、低い声も、嘘を言っているようには感じなかった。
「そんなの……」
「俺は日向君に歌ってほしい。俺だけじゃねーよ、きっと」
ん?と長身を屈めて、知臣に顔を覗き込まれた。
本当だろうか、と思う。
疑心暗鬼になりそうな気持ちに、けれどと思う。
目の前の知臣は少なくともそう思ってくれているのだと思うと、胸の奥が嬉しさで溢れた。
「うたっても、いい?」
ぐすりと鼻を鳴らせば。
「もちろん」
柔らかく眼差しが返される。
小さく息を吸って、日向は歌を口ずみだした。
初めて投稿した時に歌った歌。
鼻声で、コンディションなんて最悪だったけれど、聞こえるか聞こえないかの小さな声で歌い終わると。
「やっぱ、すげー元気出る」
こつりと額をあわせられた。
至近距離で瞳を見つめ返すと、その眼差しは嬉しさを滲ませていて日向の胸に灯がひとつ灯ったようだった。
「ずっとその歌声に支えてもらってたよ」
「支えるなんて」
そんなことと口ごもれば。
「支えてもらった。しんどい時期が続いたからさ」
「しんどいって」
聞いてしまって、口元にハッと手をやった。
自分が、誰にも何も話したくなかったように踏み込んではいけない領域があるのに。
けれど、知臣は気にしたふうもなく。
「生活が落ちついたのが、ここ半年くらいだからさ」
額をあわせたまま、知臣は聞きたい?と問いかけた。
「……聞いてもいいなら」
本当は遠慮した方がいいのかもしれないけれど、知臣の事をもっと知りたいと思った。
「うち両親亡くなっててさ。葬式で俺の稼ぎじゃ三人育てるの無理だって優を親戚が引き取ったんだ」
意外な言葉に、日向は目を見張った。
「でもそのあと会わせてもらえないし、電話も繋いでもらえなくてさ。やっと会えた時は児童相談所の施設」
「そんな」
児童相談所ということは、虐待されていたという事だ。
どうしてそんなことになっていたんだと日向がそっと片頬に手をやれば、その手に手を重ねて知臣が自嘲的に笑う。
「両親は駆け落ちだったんだけど、母方の祖父母が金持ちだったみたいでさ。優の養育費を無心してたんだよ。まともに育てる気なんかなくて、半年ぶりに会った優はやせ細ってた」
ぎり、と重ねていない方の手を強く握りしめる知臣に、思わず日向は自分の手でそれを包んだ。
知臣がゆっくりとひとつまばたいて、目元を緩める。
「祖父母も優以外の兄弟がいるなんて知らなくて、謝られたよ。みんなで一緒に暮らしたいって言われたけど、あいつらのこと考えて静かな所で暮らそうと思ってさ。家も用意して、生活の援助もしてくれて、感謝してもしきれねーよ」
「そう、だったんだ。でも、みんな幸せそうだよ」
キョトンと知臣が目を丸くした。
けれど、すぐに苦み走った表情へと変わってしまう。
「優はそのことがあって、保育園にも行けてない」
片方の手を包んだまま日向は微笑んだ。
「それでも、知臣さんがいるから、知臣さんが一生懸命だから、みんなすくすく育ってるんだと思う」
「……そうだといいな」
少し照れたようにはにかむ知臣は、なんだか褒められた子供のようだった。
それが可愛いと思ってしまう。
「元気づけるつもりが元気づけられちまったな」
「元気づけられたよ。凄い蛍」
「ここに蛍が来るのは、実はあいつらには内緒。考え事とかしたい時に来るんだ」
蛍がいないときも、川の音が落ちつくからと笑って見せる。
「俺は?」
「日向君は特別。あいつらには黙ってて」
おどけたように言う知臣に、くすりと悪戯気に日向は笑った。
「わかった」
くすくすと笑い合い、額をあわせているせいで目前にあるお互いの顔を思わず見つめあった。
目の前にある焦げ茶色の瞳をじっと見ていると、ふいにそれが距離をゼロにする。
ふわりと唇に触れた柔らかい感触が、知臣の唇だと気づいた日向は目を見開いた。
何も言えず固まった日向に、パッと離れた知臣は我に返ったように。
「悪い……先に帰っててくれるか」
日向の顔を見ずに、手を離して背中を向けた。
(いまの、きすだ)
上手く回らない顔でぼんやりと反芻したあとカッと顔が赤くなり、日向は知臣を置いて転がるように中川家へと帰った。
急いで寝室に行くと、頭からタオルケットを被る。
(え?なんで?なんでキスなんか)
ぐるぐると疑問だけが頭と胸を回り、全身がほてっているのがわかる。
きっと全身真っ赤になっているだろう。
唇に手をやると、先ほどの柔らかな感触が戻ってくる気がしてパッと慌てて離した。
知臣にキスされた。
けれど嫌だとか、気持ち悪いとかそういった感情は浮かんでこなくて、ますます日向は困惑した。
結局その日は一睡もできなかった。
その日からも知臣の態度は変わらなかった。
まるでキスなんてなかったかのようで、日向だけがどうしてか消えない唇の感触を忘れられず、知臣のそれを目で追ってしまっていた。
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