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中川家に来て、日々は穏やかに過ぎ去っていった。
ここに来たときより、圧倒的に精神状態が落ちついてると日向自身思っていた。
日向が来て最初の日曜日。
カンカンと庭から音がすることに不思議に思っていると、知臣が優の踏み台を新しく作っているのだと秋が教えてくれた。
「ちょうどよかった、これ持っていってください」
渡されたお盆には冷えた麦茶と小皿にちょこんと乗せられた梅干し。
かまわないと頷いて、中庭に面した縁側へ行けば、そこには汗をかくからか上半身裸で日曜大工をしている知臣がいた。
ほどよく割れた腹筋に、思わずドキリと胸が鳴った。
(男相手になにドキドキしてるんだ)
思わず高鳴った胸にぶんぶんと頭を振って、気を取り直すように声をかけた。
「休憩したら?」
そこで日向に初めて気づいたのか、知臣が顔を上げた。
頭にタオルを巻いていて、王子様みたいな外見とちぐはぐだ。
「おう」
縁側にやってきた知臣がぐいと顎を伝った汗を手の甲で拭う。
その外見とはちぐはぐな男らしさに、またしても胸が高鳴り、日向は知臣を直視できなかった。
男同士で何考えてるんだと、己をたしなめる。
「あー美味い」
知臣はそんなことには気づかず、麦茶をごくごくと喉を上下させて飲んでいる。
そして、梅干しをつまみ上げると、すっぱいのだろうちびちびと齧りだした。
そのとき、気分がよかったのか知臣が鼻歌をなんとはなしに歌いだした。
アップテンポのその曲に、日向の目が見開かれる。
「その歌……」
「知ってるか?」
梅干しの種を小皿に置いた知臣が嬉しそうに聞いてくるのを、日向はどうにか首を動かして横に振った。
動揺を悟られないように、軽く俯むくと長い前髪がますます顔を隠した。
「『ヒナ』っていう名前でネットに歌をアップしてる歌い手でさ、歌手の歌を歌うんじゃなくてオリジナルしか歌わないんだよ」
日向は相槌もうてずに固まっていた。
『ヒナ』は自分の名前から取ったハンドルネームだし、何より今の歌は日向が最後にアップしたものだった。
自分の歌を間違えるわけがない。
「偶然見つけたんだけど、それ以来ファンでさ。デビューがなくなったってコメント以来更新がないから、心配なんだよな」
その言葉に日向は俯いていた顔を、少し上げた。
「しんぱい……?」
「それまで結構なスピードで更新してたのが、ぱったりなくなったからさ。デビューがなくなったって、どんな事情があったのか知らないけど、元気だといいなって」
知臣の言葉に日向は驚いた。
てっきり、閲覧者には見限られていると思ったからだ。
日向はごくりと喉を鳴らして、おそるおそる口を開いた。
「……申し訳ない、とか……思ってるのかも」
「申し訳ないって、なんでだ?」
「デビューが決まったって浮かれたあとにそれが無くなったって、見てくれてる人にがっかりさせたんじゃないかって……」
自分だとはバレないだろうと思い、ずっと胸に渦巻いていた気持ちを日向は吐露した。
けれど、髪の毛の隙間から見上げた知臣は、キョトンとまばたいている。
「デビューがなくなったのは残念だけど、それでがっかりはしねーよ」
「しない、の?」
「『ヒナ』は活動が長いから何歳か知らないけど、更新の頻度とかクオリティとか凄いんだよ。好きじゃなきゃやれないと思う。それが止まってるのが、がっかりってより心配してるかな」
思いもかけない言葉に、日向は顔を上げて知臣を真っすぐに見た。
『ヒナ』の正体を知らないのだから、知臣の顔に嘘を言ってる様子なんてあるわけもなく。
「デビューなくなったってのも、落ち込んでなきゃいいなって思ってるよ」
まっすぐに日向の方を見て言った知臣に涙が滲みそうになった。
知臣は日向のことを知らない。
だからこそ、閲覧者の本音のように聞こえて、嬉しかった。
泣きそうになるのをごまかすように、空になったグラスと小皿ごとお盆を持って立ち上がる。
「じゃあ、続き頑張って」
そそくさと背を向けたその後ろから。
「今日の夜は祭りに行くから楽しみにしてて」
かけられた声に、日向は小さく頷いた。
涙が零れそうだった。
夕方になると、家の中は浴衣を着た優と夾が何が食べたいだとか騒いでいた。
寝室から秋が知臣に着付けられた青い浴衣姿で出てくる。
いつもどおりの服装の日向を見て、同じく寝室から出てきた白地の浴衣姿の知臣が手招いた。
「みんな似合ってるね」
寝室に入った日向は、端正な顔に浴衣がよく映えた知臣を見て笑みを浮かべた。
ただ知臣の性格的に、浴衣より甚平を選びそうなものなのにと思えば。
「祖母が毎年仕立てて、送ってくれるんだ。日向君にもおさがりで悪いけど着付けてやるよ」
それにぱちりとひとつまばたくと。
「……俺はいいよ」
首をふるふると振った。
着付けということは、知臣に肌を見せるという事だ。
この引き攣れた忌々しい傷跡のある体を。
一度見られているけれど、自分から晒すようなことはしたくない。
何より、何故か知臣には見られたくないと思った。
「せっかくの祭りだから遠慮すんな」
「いいってば!」
怒鳴るように大声を出したあと、ハッとして日向は知臣を見やった。
そこには目を丸くした知臣の顔がある。
「あ、その……」
「じゃあそろそろ行くか」
何か言おうと口を開閉したが何も言えずにいると、知臣は何でもなかったように笑って寝室を出ていった。
慌ててその後を追い、祭りに向かった。
四兄弟の一番後ろをとぼとぼと力なく歩いていると、祭り会場に到着した。
小さな神社だが、隣町からも人が来ているのだろう。
なかなかに盛況で人が多い。
「かき氷食べたい」
「まずは飯な」
夾の言葉に知臣が返す。
優の手を引く秋が、米系があればなあとぼやけば、出たよ米魔人と知臣が揶揄している。
そんな四兄弟の中に入りづらくて、日向は俯きがちに追いかける。
知臣にきつい言い方をしてしまった事が、尾を引いていた。
ふいに温かいものに右手を包まれ顔を上げると。
「はぐれちまうぞ」
知臣に手を繋がれていた。
それにドキリとする。
大丈夫だと手を払いのければいいのに、そのまま日向はまた俯いて歩いた。
何故か、頬は熱かった。
ここに来たときより、圧倒的に精神状態が落ちついてると日向自身思っていた。
日向が来て最初の日曜日。
カンカンと庭から音がすることに不思議に思っていると、知臣が優の踏み台を新しく作っているのだと秋が教えてくれた。
「ちょうどよかった、これ持っていってください」
渡されたお盆には冷えた麦茶と小皿にちょこんと乗せられた梅干し。
かまわないと頷いて、中庭に面した縁側へ行けば、そこには汗をかくからか上半身裸で日曜大工をしている知臣がいた。
ほどよく割れた腹筋に、思わずドキリと胸が鳴った。
(男相手になにドキドキしてるんだ)
思わず高鳴った胸にぶんぶんと頭を振って、気を取り直すように声をかけた。
「休憩したら?」
そこで日向に初めて気づいたのか、知臣が顔を上げた。
頭にタオルを巻いていて、王子様みたいな外見とちぐはぐだ。
「おう」
縁側にやってきた知臣がぐいと顎を伝った汗を手の甲で拭う。
その外見とはちぐはぐな男らしさに、またしても胸が高鳴り、日向は知臣を直視できなかった。
男同士で何考えてるんだと、己をたしなめる。
「あー美味い」
知臣はそんなことには気づかず、麦茶をごくごくと喉を上下させて飲んでいる。
そして、梅干しをつまみ上げると、すっぱいのだろうちびちびと齧りだした。
そのとき、気分がよかったのか知臣が鼻歌をなんとはなしに歌いだした。
アップテンポのその曲に、日向の目が見開かれる。
「その歌……」
「知ってるか?」
梅干しの種を小皿に置いた知臣が嬉しそうに聞いてくるのを、日向はどうにか首を動かして横に振った。
動揺を悟られないように、軽く俯むくと長い前髪がますます顔を隠した。
「『ヒナ』っていう名前でネットに歌をアップしてる歌い手でさ、歌手の歌を歌うんじゃなくてオリジナルしか歌わないんだよ」
日向は相槌もうてずに固まっていた。
『ヒナ』は自分の名前から取ったハンドルネームだし、何より今の歌は日向が最後にアップしたものだった。
自分の歌を間違えるわけがない。
「偶然見つけたんだけど、それ以来ファンでさ。デビューがなくなったってコメント以来更新がないから、心配なんだよな」
その言葉に日向は俯いていた顔を、少し上げた。
「しんぱい……?」
「それまで結構なスピードで更新してたのが、ぱったりなくなったからさ。デビューがなくなったって、どんな事情があったのか知らないけど、元気だといいなって」
知臣の言葉に日向は驚いた。
てっきり、閲覧者には見限られていると思ったからだ。
日向はごくりと喉を鳴らして、おそるおそる口を開いた。
「……申し訳ない、とか……思ってるのかも」
「申し訳ないって、なんでだ?」
「デビューが決まったって浮かれたあとにそれが無くなったって、見てくれてる人にがっかりさせたんじゃないかって……」
自分だとはバレないだろうと思い、ずっと胸に渦巻いていた気持ちを日向は吐露した。
けれど、髪の毛の隙間から見上げた知臣は、キョトンとまばたいている。
「デビューがなくなったのは残念だけど、それでがっかりはしねーよ」
「しない、の?」
「『ヒナ』は活動が長いから何歳か知らないけど、更新の頻度とかクオリティとか凄いんだよ。好きじゃなきゃやれないと思う。それが止まってるのが、がっかりってより心配してるかな」
思いもかけない言葉に、日向は顔を上げて知臣を真っすぐに見た。
『ヒナ』の正体を知らないのだから、知臣の顔に嘘を言ってる様子なんてあるわけもなく。
「デビューなくなったってのも、落ち込んでなきゃいいなって思ってるよ」
まっすぐに日向の方を見て言った知臣に涙が滲みそうになった。
知臣は日向のことを知らない。
だからこそ、閲覧者の本音のように聞こえて、嬉しかった。
泣きそうになるのをごまかすように、空になったグラスと小皿ごとお盆を持って立ち上がる。
「じゃあ、続き頑張って」
そそくさと背を向けたその後ろから。
「今日の夜は祭りに行くから楽しみにしてて」
かけられた声に、日向は小さく頷いた。
涙が零れそうだった。
夕方になると、家の中は浴衣を着た優と夾が何が食べたいだとか騒いでいた。
寝室から秋が知臣に着付けられた青い浴衣姿で出てくる。
いつもどおりの服装の日向を見て、同じく寝室から出てきた白地の浴衣姿の知臣が手招いた。
「みんな似合ってるね」
寝室に入った日向は、端正な顔に浴衣がよく映えた知臣を見て笑みを浮かべた。
ただ知臣の性格的に、浴衣より甚平を選びそうなものなのにと思えば。
「祖母が毎年仕立てて、送ってくれるんだ。日向君にもおさがりで悪いけど着付けてやるよ」
それにぱちりとひとつまばたくと。
「……俺はいいよ」
首をふるふると振った。
着付けということは、知臣に肌を見せるという事だ。
この引き攣れた忌々しい傷跡のある体を。
一度見られているけれど、自分から晒すようなことはしたくない。
何より、何故か知臣には見られたくないと思った。
「せっかくの祭りだから遠慮すんな」
「いいってば!」
怒鳴るように大声を出したあと、ハッとして日向は知臣を見やった。
そこには目を丸くした知臣の顔がある。
「あ、その……」
「じゃあそろそろ行くか」
何か言おうと口を開閉したが何も言えずにいると、知臣は何でもなかったように笑って寝室を出ていった。
慌ててその後を追い、祭りに向かった。
四兄弟の一番後ろをとぼとぼと力なく歩いていると、祭り会場に到着した。
小さな神社だが、隣町からも人が来ているのだろう。
なかなかに盛況で人が多い。
「かき氷食べたい」
「まずは飯な」
夾の言葉に知臣が返す。
優の手を引く秋が、米系があればなあとぼやけば、出たよ米魔人と知臣が揶揄している。
そんな四兄弟の中に入りづらくて、日向は俯きがちに追いかける。
知臣にきつい言い方をしてしまった事が、尾を引いていた。
ふいに温かいものに右手を包まれ顔を上げると。
「はぐれちまうぞ」
知臣に手を繋がれていた。
それにドキリとする。
大丈夫だと手を払いのければいいのに、そのまま日向はまた俯いて歩いた。
何故か、頬は熱かった。
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