とある田舎の恋物語

やらぎはら響

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結局その日以降も、川辺へ夾や優を連れた知臣が必ずといっていいほど日向の元へと来ることが多い。
 家にいても治にやたらと絡まれたり、一人で自己嫌悪におちいったりしているばかりだ。
 中川家に行くと、賑やかで何も考えなくていい。
 そんな気持ちでいても鬱屈して苦しくなるばかりだ。
兄弟の仲良く騒ぐ様子は、しおしおの心を慰めてくれた。
正直、知臣の申し出はありがたかった。
雲ひとつない月と星明りの夜。
二人で懐中電灯を照らしながら、日向と知臣は歩いていた。
夜の道を歩くのももうすっかり慣れたものだ。

「息切れしなくなったな」

 前は後半になるにつれ歩みが遅くなり息切れしていた日向だが、毎日歩いていればそれなりに体は慣れてきた。

「体力つけろって言ったのそっちでしょ」
「確かに」

 笑って同意したあとに、知臣はでもさと続けた。

「毎回誘っといてなんだけど、迷惑だったら断ってくれよ」

 あれだけ強引だったくせにと日向は思わず
笑ってしまった。

「いまさら?」
「いまさらとはなんだ」

懐中電灯を持っているのとは反対の手が伸びて、くしゃくしゃと髪をかき回された。

「わっもう、やめてよ」

 大きな手が離れていくのを目で追いかけながら、日向は口元に弧を描いた。

「ふふ、大丈夫。迷惑じゃないよ」

 日向の様子に、それならいいんだと知臣は苦笑した。

「あいつらもいるし、まあ多少は気になんだよ。騒がしいだろ」

 何を言っているのだろうと日向は首を傾げた。

「それがいいんじゃないか」
「……そうか?」

 知臣の返事はひどくゆっくりだった。

「そうだよ、賑やかで楽しくて。俺好きだよ、知臣さんの家族」

 みんな優しいし、いい子達だと言えば知臣の瞳が見張られた。
 次いで、しんなりとたわめられる。

「……よく笑うようになったよな」
「そう?」

 思わず頬に手をやると、知臣が小さく笑った。

「最初会ったときは死にそうな顔してた」
「そう……かな。でもこんなに賑やかなのも笑ってるのも初めてかも」
「そうなのか?」

 知臣の問いかけにうんと答えると、ふいに手が伸びてきて右頬にそっと触れてきた。
 そのまま親指で口端をむにと上げられる。

「む……なにふるんら」

 もごもごと口を動かすとすぐに手は離れていった。

「笑ってるほうがいいよ、元気も出るし」
「それ持論?」
「まあ、そう」

 ゆっくりと歩きながら、日向は足元を照らす懐中電灯の光に視線を落とした。
 暗いなかで光るそれは、まるで日向にとっての中川家みたいだ。

「笑ってるよ、少なくともみんなといるときは、心から」
「……一人の時は?」

 目線を前方に向ければ、街灯の少ない道は真っ暗だ。
 まるで暗いトンネルに迷い込んだように。

「まだ難しいや」
「そっか」
「でもさ」
「うん」

 隣の知臣の声が、穏やかに先を促す。
 それに後押しされるように、日向は口を開いた。

「でも、笑えるようになったのは知臣さんのおかげ」
「俺?」

 不思議そうな声が長身の彼から降ってくる。

「出会いは最悪だったけど」
「こら」

 たしなめる声は、笑い声交じりで日向も思わず笑ってしまった。
 祖母の家の前まで来ると、立ち止まって日向は知臣を見上げた。

「秋君にも夾君にも優君にも会わせてくれたし、ありがとね」

 それじゃあと玄関へと向かいかけて、ぐいと右腕を取られた。

「知臣さん?」

 いつもはそんなことをされないので不思議そうに顔を見上げると。
 知臣は色素の薄い眼差しをまっすぐに日向へと向けていた。

「いや……また明日」

 きょとんとしたあと、日向は小さく噴き出した。

「また明日も会うこと前提なんだ」
「うん、いや」
「どっちだよ」

 ふは、とこらえきれずに笑ってしまえば、知臣の腕を掴む力が強まった気がした。

「明日も迎えに行くから、一緒に過ごそうぜ」
「そうだね、また明日」

 ふふ、と日向は瞳をしんなりとさせた。
 知臣と別れて玄関をくぐる。
風呂に入ろうと廊下を歩いていたら、治が寝床にしている居間から顔を出した。

「よう」

 今日は酒を飲んでいないらしい。
 どうやら治は母親に金を送ってもらっているらしく、口癖のように金が少ない、金がないと愚痴っている。
 無視して通り過ぎようとすると、がしりと右腕を取られた。

「何」
「毎日こんな田舎で暇だろ?遊びに行こうぜ」

 言うなりぐいぐいと玄関の方へ無理矢理引っ張られる。
 日向より上背のある治に抵抗しようとしても、細身の体から出る力はたかが知れている。
そのまま治は靴を履くと、日向のことなどお構いなしに外へと出た。
裸足のまま外に引きずりだされたことに不快感が募る。

「おい!離せよっ」

 知臣も初対面の時、人の話を聞かずにぐいぐい問答無用で引っ張られたが、それとは全然違った。
 掴まれた腕が遠慮なく握られているので痛い。
 治は日向の言う事など無視をして、ガレージへ入ると黒い車の助手席を開いた。

「ッ」

 ひゅっと喉が鳴り、日向の顔色が悪くなる。

「離せ!乗りたくない!」
「暴れんな!さっさと乗れ」

無理矢理押し込まれて、車内の閉鎖された空間にぞわりと鳥肌が立った。
 おとなしくなった日向に気をよくしたのだろう。
治が運転席に乗ると、車を発進させる。

「ったくキャバクラも風俗もないなんてつまんねーよな。多少時間かかるけど隣町にいい店見つけたから連れてってやるよ」

 代金はお前持ちなとゲラゲラ笑う治の声が不快だが、それ以上に窓の外を流れる景色や車の振動に震えが止まらなくなり、冷や汗が流れ始める。
 まだ治がなにか話しているが、もうそれを聞く余裕もない。

「っはあ、はあ」

 息が上がってくる。
 それと同時に胃が痛み、急激に押し上げてくる感覚に、両手で口元を押さえた。

「う、ぐ」
「げっお前吐く気か!」

 治が車内で吐かれてはたまらないと言わんばかりに急ブレーキをかける。
 体が一瞬つんのめるが、その勢いのまま日向は治によって助手席のドアを開けられ外に突き飛ばされた。
 道路にドサリと投げ出された刹那。

「う、ぐぅ、うえっぇ」

 げほげほとえづきながら胃の中のものをぶちまけた。

「ちっ汚ねえなあ。もういいよ」

 おごらせようと思ったのにとブツブツ言いながら車のドアが閉められると、車は日向を残して行ってしまった。
 あとには街灯の少ないなか、ぽつりと日向がうずくまっているだけだ。
 はあはあと大きく喘ぎながら、呼吸がおさまるのを待つ。
 頭のてっぺんから足の先まで冷たく固まって、背中は汗でびっしょりと濡れている。
 脳裏には事故の時の揺れた車内の感覚などが蘇って、きつく瞼を閉じてなんとかやり過ごした。
 呼吸が整ってきた頃、ようやく日向は目を開いて辺りを見回した。
 幸い家からはそんなに離れていないので、歩いて帰れる。
 いまだカタカタと震える手をぎゅっと握りしめると、吐いたせいで滲んだ生理的な涙を拭った。
 自分の吐しゃ物の残った道路に一人取り残されるなんて、惨めで仕方がない。
 ひくっと喉がなり、吐いたせいではない涙
が流れる。
ふらふらと立ち上がって体を引きずるように日向は祖母の家まで歩いた。
ようやく家に辿り着き、玄関の三和土に座り込む。
そうすると、ますます涙が大粒となって視界を曇らせて頬を伝った。

「目、冷やさなきゃ」

 知臣は明また明日と言った。
 みんなには腫れた目なんて見せたくない。
 その夜、日向は濡れたタオルをぎゅっと目元に当てながら小さく丸まって眠った。
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