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真っ白い病室でベッドに横になり、ぼんやりと揚羽は医者の言葉を聞いていた。
けれどどこか膜が張られたように頭に入ってこない。
ぼさぼさの髪をした医者が部屋を出ていくのと入れ替わりに、奈夏が病室に入ってきた。
「揚羽」
名前を呼ばれ、びくりと揚羽はベッドの中で体を震わせた。
バレてしまった。
オメガだということが。
もう終わりだ。
そんな事ばかりが頭の中をグルグル回る。
「具合悪い?」
心配そうな声に、一筋涙を流して揚羽は緩く首を振った。
それに奈夏がホッと息を吐いたのがわかる。
「ここは石動の御用達だから大丈夫。さっきの医者も陰気だけど腕は確かだから」
そんな言葉に、我知らず揚羽はくすりと微かに笑った。
けれど、次の言葉に息を飲み込んだ。
「オメガだったんだな」
「そ、れは……」
「医者が言うには発情期の予兆があるって。あってる?」
発情期前だという事も知られている。
ずっと隠していたことに揚羽は枕に顔を埋めて涙を流した。
「ご、めんな、さ……」
「何で謝るんだよ」
「だって、オメガだなんて黙ってて」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、何度もごめんなさいと繰り返した。
「発情期が来たら、出ていくから」
「ッ!出ていく必要なんかないだろ!」
思わず大声を出した奈夏に、びくりと揚羽の肩が揺れる。
それを宥めるように奈夏が揚羽の右手をそっと両手で包み込んだ。
「出ていくなんて言うなよ」
「だって、オメガだって黙ってて…」
「そんなに悪い事じゃないだろ。俺だって揚羽の事を調べなかったから気づけなくてごめんな」
先程よりも強く手を握られて、揚羽は涙に濡れた目を丸くした。
「奈夏が謝ることなんて何もないよ」
「お前が謝ることだってないさ」
ゆっくりと涙を零す揚羽をベッドに起き上がらせると、奈夏はぎゅうと抱きしめてその背中を撫でた。
「オメガでも関係ない。俺が好きなのは揚羽だ。それに、オメガだって悪い事じゃないだろ」
その言葉が嬉しくて嬉しくて、自分を抱きしめてる男の背中を抱き返したかったけれど。
「だめだよ」
震える唇から声が零れた。
「僕、奈夏に好きでいてもらう資格なんてないんだ」
「どうして?」
体を離すと、真剣な眼差しが瞳を覗き込んできた。
どんな嘘も誤魔化しも許さないと言うように。
「僕、一族のアルファの子供を産めって、発情期のあいだ色んなアルファに犯された……なのに、子供も出来なくて……こんな汚くて非生産的な人間が傍にいちゃ駄目だったんだ!」
最後は悲鳴のようだった。
(これで全部だ。これで最後だ。きっと軽蔑された。嫌われた)
ぐいと奈夏の胸を押し返すと、その体は簡単にあっけなく離れた。
「うっ……う、く……ごめんなさい、今まで傍にいて」
唇を震わせて嗚咽をこらえようとしたとき、ズンと体が重くなった。
アルファの威嚇のようなオーラだ。
カタカタと震えながら奈夏を見れば、ギリと奈夏が真っ白になるくらい拳を握りしめている。
圧倒的なオーラにさらにびくりと体を震わせると。
「あ、悪い」
波が引くように威嚇のようなオーラは鳴りを潜めた。
眉を下げて謝る奈夏にゆるく大丈夫だと首を振る。
座っている膝の上の拳を握りしめたまま、奈夏はまっすぐに揚羽に視線を合わせた。
「ごめんな、何も言ってやれない」
「……うん」
「軽々しくもう大丈夫とか、辛かったなとか言いたくない」
その言葉にますますボロボロと涙が零れて揚羽はこくこくと頷いた。
奈夏にそんな同情的な言葉を貰いたいわけじゃない。
だから、下手に慰められるよりもよほどよかった。
「今回の発情期は抑制剤で抑えるって担当医が言ってた。その間は入院」
「そっか……」
退院したら、どこか身を寄せる場所を探さないといけない。
そう考えながら揚羽は真っ赤になった目元を手の甲で乱暴に拭った。
その手をそっと奈夏に取られ、涙にぬれた目を丸くすると。
「退院したら戻ってこいよ」
思わぬ言葉だった。
そんなことを言ってくれるとは思わなかったので、揚羽がひとつ瞬きするとまた幾筋も涙が零れた。
「いいの?」
呆然と呟けば。
「もちろん」
いつもの笑顔でにひりと当たり前のように笑いかけられた。
その言葉と笑顔だけで、揚羽は心の底から嬉しかった。
その後一週間病院で過ごした。
オメガ専用の病棟だから、あの日が特別だっただけで本来アルファは入れないらしく、あれ以来奈夏を見ていない。
退院前の経過説明で、医者に言われた言葉に、え、と揚羽は呆けた返事を返した。
「だからね、体に異常はないから産めますよ、子供。妊娠しなかったのはストレスによる体の防衛本能だろうね」
医者の説明に、揚羽は震える手で自分の腹部に手を当てた。
「……かった……よかった……妊娠、しなくてよかった」
あの時妊娠していたらと思うとゾッとして、妊娠しなかったことに心底安堵した。
医者の説明のあとに涙が落ち付くまで廊下でやり過ごし、タクシーに乗って揚羽は奈夏の家まで向かった。
奈夏が迎えに来ると何度も言われたのだけれど、仕事を優先してほしいと揚羽が頼んだのだ。
タクシーを降りると、本当に帰っていいのか決心がつかずに家の前をうろうろとしていると。
「おかえり」
後ろから声をかけられて、慌てて振り向いた。
そこにはスーツ姿の奈夏が立っていた。
おかえりと言ってくれたことが嬉しくて、心がじんわりとする。
「ただいま」
「よかった、ちゃんと帰ってくるか不安だった」
苦笑する奈夏に、そんなふうに思ってくれていたのだと嬉しくなる。
「まだ本調子じゃないだろ、入ろう」
言われて、奈夏が背中を押そうとしてぴたりと手を止めた事に揚羽は気づいた。
奈夏は何事もなかったように揚羽を通り越して、先に玄関をくぐって行った。
(触れなかった……)
ショックを受けながらも後を追いかけて玄関を抜けリビングに入ると、窓辺にいた桜がにゃんとひと鳴きした。
まるでおかえりと言われたようで少し嬉しい。
スーツを脱いでソファーの背もたれにかけてネクタイを緩める奈夏は少し気だるげで疲れが見える。
「えっと、仕事大変そうだね」
「ああ、うん」
答えた奈夏の声は歯切れが悪い。
ぎこちない雰囲気に、揚羽はやっぱり戻るべきじゃなかったかなと俯いた。
「あのさ、しばらく部屋に籠る」
「え?」
「賞があるんだ」
「賞?」
意外な言葉だった。
奈夏はそういったものに興味がないのだと思っていたから。
「そう、初めて出すから休暇も無理にとってきた」
そこまでするということは、よほど大事な賞なのだろう。
ならば邪魔はしたくない。
「わかった」
揚羽はこくりと頷いた。
けれどどこか膜が張られたように頭に入ってこない。
ぼさぼさの髪をした医者が部屋を出ていくのと入れ替わりに、奈夏が病室に入ってきた。
「揚羽」
名前を呼ばれ、びくりと揚羽はベッドの中で体を震わせた。
バレてしまった。
オメガだということが。
もう終わりだ。
そんな事ばかりが頭の中をグルグル回る。
「具合悪い?」
心配そうな声に、一筋涙を流して揚羽は緩く首を振った。
それに奈夏がホッと息を吐いたのがわかる。
「ここは石動の御用達だから大丈夫。さっきの医者も陰気だけど腕は確かだから」
そんな言葉に、我知らず揚羽はくすりと微かに笑った。
けれど、次の言葉に息を飲み込んだ。
「オメガだったんだな」
「そ、れは……」
「医者が言うには発情期の予兆があるって。あってる?」
発情期前だという事も知られている。
ずっと隠していたことに揚羽は枕に顔を埋めて涙を流した。
「ご、めんな、さ……」
「何で謝るんだよ」
「だって、オメガだなんて黙ってて」
ひっくひっくとしゃくり上げながら、何度もごめんなさいと繰り返した。
「発情期が来たら、出ていくから」
「ッ!出ていく必要なんかないだろ!」
思わず大声を出した奈夏に、びくりと揚羽の肩が揺れる。
それを宥めるように奈夏が揚羽の右手をそっと両手で包み込んだ。
「出ていくなんて言うなよ」
「だって、オメガだって黙ってて…」
「そんなに悪い事じゃないだろ。俺だって揚羽の事を調べなかったから気づけなくてごめんな」
先程よりも強く手を握られて、揚羽は涙に濡れた目を丸くした。
「奈夏が謝ることなんて何もないよ」
「お前が謝ることだってないさ」
ゆっくりと涙を零す揚羽をベッドに起き上がらせると、奈夏はぎゅうと抱きしめてその背中を撫でた。
「オメガでも関係ない。俺が好きなのは揚羽だ。それに、オメガだって悪い事じゃないだろ」
その言葉が嬉しくて嬉しくて、自分を抱きしめてる男の背中を抱き返したかったけれど。
「だめだよ」
震える唇から声が零れた。
「僕、奈夏に好きでいてもらう資格なんてないんだ」
「どうして?」
体を離すと、真剣な眼差しが瞳を覗き込んできた。
どんな嘘も誤魔化しも許さないと言うように。
「僕、一族のアルファの子供を産めって、発情期のあいだ色んなアルファに犯された……なのに、子供も出来なくて……こんな汚くて非生産的な人間が傍にいちゃ駄目だったんだ!」
最後は悲鳴のようだった。
(これで全部だ。これで最後だ。きっと軽蔑された。嫌われた)
ぐいと奈夏の胸を押し返すと、その体は簡単にあっけなく離れた。
「うっ……う、く……ごめんなさい、今まで傍にいて」
唇を震わせて嗚咽をこらえようとしたとき、ズンと体が重くなった。
アルファの威嚇のようなオーラだ。
カタカタと震えながら奈夏を見れば、ギリと奈夏が真っ白になるくらい拳を握りしめている。
圧倒的なオーラにさらにびくりと体を震わせると。
「あ、悪い」
波が引くように威嚇のようなオーラは鳴りを潜めた。
眉を下げて謝る奈夏にゆるく大丈夫だと首を振る。
座っている膝の上の拳を握りしめたまま、奈夏はまっすぐに揚羽に視線を合わせた。
「ごめんな、何も言ってやれない」
「……うん」
「軽々しくもう大丈夫とか、辛かったなとか言いたくない」
その言葉にますますボロボロと涙が零れて揚羽はこくこくと頷いた。
奈夏にそんな同情的な言葉を貰いたいわけじゃない。
だから、下手に慰められるよりもよほどよかった。
「今回の発情期は抑制剤で抑えるって担当医が言ってた。その間は入院」
「そっか……」
退院したら、どこか身を寄せる場所を探さないといけない。
そう考えながら揚羽は真っ赤になった目元を手の甲で乱暴に拭った。
その手をそっと奈夏に取られ、涙にぬれた目を丸くすると。
「退院したら戻ってこいよ」
思わぬ言葉だった。
そんなことを言ってくれるとは思わなかったので、揚羽がひとつ瞬きするとまた幾筋も涙が零れた。
「いいの?」
呆然と呟けば。
「もちろん」
いつもの笑顔でにひりと当たり前のように笑いかけられた。
その言葉と笑顔だけで、揚羽は心の底から嬉しかった。
その後一週間病院で過ごした。
オメガ専用の病棟だから、あの日が特別だっただけで本来アルファは入れないらしく、あれ以来奈夏を見ていない。
退院前の経過説明で、医者に言われた言葉に、え、と揚羽は呆けた返事を返した。
「だからね、体に異常はないから産めますよ、子供。妊娠しなかったのはストレスによる体の防衛本能だろうね」
医者の説明に、揚羽は震える手で自分の腹部に手を当てた。
「……かった……よかった……妊娠、しなくてよかった」
あの時妊娠していたらと思うとゾッとして、妊娠しなかったことに心底安堵した。
医者の説明のあとに涙が落ち付くまで廊下でやり過ごし、タクシーに乗って揚羽は奈夏の家まで向かった。
奈夏が迎えに来ると何度も言われたのだけれど、仕事を優先してほしいと揚羽が頼んだのだ。
タクシーを降りると、本当に帰っていいのか決心がつかずに家の前をうろうろとしていると。
「おかえり」
後ろから声をかけられて、慌てて振り向いた。
そこにはスーツ姿の奈夏が立っていた。
おかえりと言ってくれたことが嬉しくて、心がじんわりとする。
「ただいま」
「よかった、ちゃんと帰ってくるか不安だった」
苦笑する奈夏に、そんなふうに思ってくれていたのだと嬉しくなる。
「まだ本調子じゃないだろ、入ろう」
言われて、奈夏が背中を押そうとしてぴたりと手を止めた事に揚羽は気づいた。
奈夏は何事もなかったように揚羽を通り越して、先に玄関をくぐって行った。
(触れなかった……)
ショックを受けながらも後を追いかけて玄関を抜けリビングに入ると、窓辺にいた桜がにゃんとひと鳴きした。
まるでおかえりと言われたようで少し嬉しい。
スーツを脱いでソファーの背もたれにかけてネクタイを緩める奈夏は少し気だるげで疲れが見える。
「えっと、仕事大変そうだね」
「ああ、うん」
答えた奈夏の声は歯切れが悪い。
ぎこちない雰囲気に、揚羽はやっぱり戻るべきじゃなかったかなと俯いた。
「あのさ、しばらく部屋に籠る」
「え?」
「賞があるんだ」
「賞?」
意外な言葉だった。
奈夏はそういったものに興味がないのだと思っていたから。
「そう、初めて出すから休暇も無理にとってきた」
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