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窓の外は薄暗くなっている。
立ち上がる気になれずにカーテンも引かず、俯いて自分の膝に乗せた手を見ていたら、玄関からガチャガチャと鍵の開く音がした。
「ただいまー」
声に反応した桜がにゃんにゃんとドアの方へ行く。
「お、ただいま桜」
部屋に入ってきたスーツ姿の奈夏の足元に桜がじゃれついているのを、ぼんやり眺めていたらパチリと電気がつけられた。
薄暗い視界に慣れていた目には眩しくて、思わず目を細める。
「電気もつけないでどした?」
ソファーの目の前まで歩いてきた奈夏が顔を覗き込んできたことに、ようやく我に返って揚羽は顔を上げた。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま。ぼーっとして、具合でも悪い?」
「ううん、平気」
ふるふると首を振ると、奈夏がならいいけどと窓辺に寄りカーテンを閉めた。
「顔色白いけど、昼飯ちゃんと食べた?」
肩越しに振り返った奈夏に、そういえばと昼食を食べようとしてやめてしまったことを思い出した。
「忘れてた」
素直に言えば、奈夏が腰に手を当てて眉根を寄せる。
「ちゃんと食えよ、体あんまり丈夫じゃないんだろ」
「うん……ごめん」
謝ると、肩をすくめた奈夏がスーツの上着を脱いで、ネクタイをシュッと緩めた。
「着替えてくる。出かけるから準備して」
リビングを出ていく奈夏に、出かけるってどこへだろうと疑問が浮かぶ。
とりあえず、上に羽織るカーディガンを取りに部屋へと向かった。
そのあと着替えた奈夏が揚羽を連れて出かけたのは、近所のこじんまりとしたレストランだった。
白いペンキを塗った木造をわざと目立たせた少しカントリーチックな建物に、茶色の扉の前には黒板が置かれていて『misato』と書かれている。
「ここは?」
「知り合いがやってる店、昼飯食べてないなら美味いもの食べよう」
にっと口端を持ち上げた奈夏に、気を使って連れてきてくれたことが嬉しくて揚羽はこくりと頷いた。
奈夏が茶色の扉を開けると、飾り窓にぶら下げられていたサンキャッチャーがキラキラ光りながら窓をチリンと叩く。
店内は四席にカウンター三席の、そんなに広くない面積だった。
こちらも白いペンキで塗られた木の風合いで、窓辺には木で作られたなめらかな汽車などが飾られている。
勝手知ったる場所なのだろう。
奈夏は店員が来る前に、さっさと壁際の夜空に三日月の描かれた絵の飾られた場所へと行き、その横の二人掛けのテーブルに腰かけた。
後を追った揚羽もおそるおそると席につく。
横の壁を見れば淡いピンクにも見える三日月の夜空。
空も濃紺のグラデーションが細やかに色づいていて、どこか神秘的だった。
「きれい」
思わず呟くと。
「サンキュ、それ俺の描いたやつ」
「えっ!」
くすりと笑った奈夏の言葉に思わず彼へと勢いよく顔を向けた。
「気に入ったって店員に持ってかれちゃってさ」
奈夏が苦笑した時だ。
「いらっしゃいませー」
鈴の鳴るような女の声が聞こえて壁の反対に目をやると、揚羽はドキリと胸をざわつかせた。
そこにはスケッチブックに描かれていたのと瓜二つの、髪を頭頂でお団子にした二十歳くらいの女が立っていた。
白いシャツに黒のギャルソンエプロンをした体はほっそりしていて、茶色い髪と青い目に思わずしげしげと見てしまった。
「どうかしました?」
ぷるりとした赤い唇がたずねてきたことに慌てながら。
「目が青いから外国の人かと思って。日本語上手ですね」
言った瞬間、ぶふっと奈夏が噴き出した。
なんだと目を丸くすると、はははと声を上げて笑い出す。
「外国人!美里が!」
ひいひいと笑う奈夏に、美里という名前らしき女が持っていた黒いメニュー本をぱかりと奈夏の頭に振り下ろした。
「いって、何すんだよ」
「なんか馬鹿にされた気がする」
「気のせいだって」
なんだか気安い雰囲気に、二人が仲がいいのだというのがわかった。
二人の反応にオロオロしていると。
「私は外国人じゃないですよ、目が青いのはカラーコンタクトです」
美里が自分の目を指差した。
「カラーコンタクト……そんなのあるんだ」
「そーゆーこと」
呆けて呟けば、奈夏がまだ笑いを噛み殺しながら答えた。
「こいつは俺の高校のときの後輩で青森美里」
「美里です、よろしく」
「音石揚羽です」
にこにこと笑う美里に、ぺこりと頭を下げる。
メニューを差し出してきたので受け取りながら、思わずその顔をこっそりと見上げた。
まつ毛が長くて頬はバラ色の顔は文句なく美人さんだ。
(恋人さんの店なんだ)
きょろりと店内を見回して、温かい雰囲気にほっこりしながらも何だか気分が沈んだ。
スケッチで見た顔よりも大人びた美里の顔は、本物の方が生き生きとした笑顔もあいまってとても綺麗で魅力的だ。
「今日のパスタとアイスコーヒー」
さっさと決めてしまった奈夏に慌ててメニューを見たが、食事メニューはパスタとハンバーガーやスープでどちらかというとデザートが主らしい。
「僕も同じものを」
「はあい」
持っていたメモ帳に注文を書きつけると、メニューを受け取って美里はカウンターに入って料理を始めた。
店内には揚羽達意外にも二組の客がいることからそこそこ繁盛しているのだろう。
「この絵が気に入ったのって美里さん?」
「ん?ああ、家に飾ってたやつ見てちょうだいって。図々しいだろ」
笑う奈夏の表情は柔らかく、二人が気心の知れた関係なのだとよくわかった。
それに。
(家に来たことあるんだ)
胸のうちにもやもやが浮かんだ。
奈夏が誰を家に呼ぼうと、まして恋人ならなおさら揚羽には関係ないことなのに。
「どした、元気ないな。食欲なかった?」
眉根を寄せた奈夏に、はっと我に返った揚羽はううんと首を振った。
せっかく連れてきてくれたのにと無理矢理口元に笑みを浮かべる。
「ご飯楽しみだよ」
「そっか」
その後、エビと小松菜のパスタ。
ふかふかのパンもセットでついてきて、揚羽は満腹になった。
けれど、美里のことが気になって味をあんまり覚えていなくて、申し訳なく思う。
店を出るときに美里が扉の外まで見送りに出てきたが、美里と奈夏のじゃれあいに自分の時とは全然違う近い距離の対応に、揚羽はやっぱりまた胸がもやもやしてこっそりと溜息をついていた。
立ち上がる気になれずにカーテンも引かず、俯いて自分の膝に乗せた手を見ていたら、玄関からガチャガチャと鍵の開く音がした。
「ただいまー」
声に反応した桜がにゃんにゃんとドアの方へ行く。
「お、ただいま桜」
部屋に入ってきたスーツ姿の奈夏の足元に桜がじゃれついているのを、ぼんやり眺めていたらパチリと電気がつけられた。
薄暗い視界に慣れていた目には眩しくて、思わず目を細める。
「電気もつけないでどした?」
ソファーの目の前まで歩いてきた奈夏が顔を覗き込んできたことに、ようやく我に返って揚羽は顔を上げた。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま。ぼーっとして、具合でも悪い?」
「ううん、平気」
ふるふると首を振ると、奈夏がならいいけどと窓辺に寄りカーテンを閉めた。
「顔色白いけど、昼飯ちゃんと食べた?」
肩越しに振り返った奈夏に、そういえばと昼食を食べようとしてやめてしまったことを思い出した。
「忘れてた」
素直に言えば、奈夏が腰に手を当てて眉根を寄せる。
「ちゃんと食えよ、体あんまり丈夫じゃないんだろ」
「うん……ごめん」
謝ると、肩をすくめた奈夏がスーツの上着を脱いで、ネクタイをシュッと緩めた。
「着替えてくる。出かけるから準備して」
リビングを出ていく奈夏に、出かけるってどこへだろうと疑問が浮かぶ。
とりあえず、上に羽織るカーディガンを取りに部屋へと向かった。
そのあと着替えた奈夏が揚羽を連れて出かけたのは、近所のこじんまりとしたレストランだった。
白いペンキを塗った木造をわざと目立たせた少しカントリーチックな建物に、茶色の扉の前には黒板が置かれていて『misato』と書かれている。
「ここは?」
「知り合いがやってる店、昼飯食べてないなら美味いもの食べよう」
にっと口端を持ち上げた奈夏に、気を使って連れてきてくれたことが嬉しくて揚羽はこくりと頷いた。
奈夏が茶色の扉を開けると、飾り窓にぶら下げられていたサンキャッチャーがキラキラ光りながら窓をチリンと叩く。
店内は四席にカウンター三席の、そんなに広くない面積だった。
こちらも白いペンキで塗られた木の風合いで、窓辺には木で作られたなめらかな汽車などが飾られている。
勝手知ったる場所なのだろう。
奈夏は店員が来る前に、さっさと壁際の夜空に三日月の描かれた絵の飾られた場所へと行き、その横の二人掛けのテーブルに腰かけた。
後を追った揚羽もおそるおそると席につく。
横の壁を見れば淡いピンクにも見える三日月の夜空。
空も濃紺のグラデーションが細やかに色づいていて、どこか神秘的だった。
「きれい」
思わず呟くと。
「サンキュ、それ俺の描いたやつ」
「えっ!」
くすりと笑った奈夏の言葉に思わず彼へと勢いよく顔を向けた。
「気に入ったって店員に持ってかれちゃってさ」
奈夏が苦笑した時だ。
「いらっしゃいませー」
鈴の鳴るような女の声が聞こえて壁の反対に目をやると、揚羽はドキリと胸をざわつかせた。
そこにはスケッチブックに描かれていたのと瓜二つの、髪を頭頂でお団子にした二十歳くらいの女が立っていた。
白いシャツに黒のギャルソンエプロンをした体はほっそりしていて、茶色い髪と青い目に思わずしげしげと見てしまった。
「どうかしました?」
ぷるりとした赤い唇がたずねてきたことに慌てながら。
「目が青いから外国の人かと思って。日本語上手ですね」
言った瞬間、ぶふっと奈夏が噴き出した。
なんだと目を丸くすると、はははと声を上げて笑い出す。
「外国人!美里が!」
ひいひいと笑う奈夏に、美里という名前らしき女が持っていた黒いメニュー本をぱかりと奈夏の頭に振り下ろした。
「いって、何すんだよ」
「なんか馬鹿にされた気がする」
「気のせいだって」
なんだか気安い雰囲気に、二人が仲がいいのだというのがわかった。
二人の反応にオロオロしていると。
「私は外国人じゃないですよ、目が青いのはカラーコンタクトです」
美里が自分の目を指差した。
「カラーコンタクト……そんなのあるんだ」
「そーゆーこと」
呆けて呟けば、奈夏がまだ笑いを噛み殺しながら答えた。
「こいつは俺の高校のときの後輩で青森美里」
「美里です、よろしく」
「音石揚羽です」
にこにこと笑う美里に、ぺこりと頭を下げる。
メニューを差し出してきたので受け取りながら、思わずその顔をこっそりと見上げた。
まつ毛が長くて頬はバラ色の顔は文句なく美人さんだ。
(恋人さんの店なんだ)
きょろりと店内を見回して、温かい雰囲気にほっこりしながらも何だか気分が沈んだ。
スケッチで見た顔よりも大人びた美里の顔は、本物の方が生き生きとした笑顔もあいまってとても綺麗で魅力的だ。
「今日のパスタとアイスコーヒー」
さっさと決めてしまった奈夏に慌ててメニューを見たが、食事メニューはパスタとハンバーガーやスープでどちらかというとデザートが主らしい。
「僕も同じものを」
「はあい」
持っていたメモ帳に注文を書きつけると、メニューを受け取って美里はカウンターに入って料理を始めた。
店内には揚羽達意外にも二組の客がいることからそこそこ繁盛しているのだろう。
「この絵が気に入ったのって美里さん?」
「ん?ああ、家に飾ってたやつ見てちょうだいって。図々しいだろ」
笑う奈夏の表情は柔らかく、二人が気心の知れた関係なのだとよくわかった。
それに。
(家に来たことあるんだ)
胸のうちにもやもやが浮かんだ。
奈夏が誰を家に呼ぼうと、まして恋人ならなおさら揚羽には関係ないことなのに。
「どした、元気ないな。食欲なかった?」
眉根を寄せた奈夏に、はっと我に返った揚羽はううんと首を振った。
せっかく連れてきてくれたのにと無理矢理口元に笑みを浮かべる。
「ご飯楽しみだよ」
「そっか」
その後、エビと小松菜のパスタ。
ふかふかのパンもセットでついてきて、揚羽は満腹になった。
けれど、美里のことが気になって味をあんまり覚えていなくて、申し訳なく思う。
店を出るときに美里が扉の外まで見送りに出てきたが、美里と奈夏のじゃれあいに自分の時とは全然違う近い距離の対応に、揚羽はやっぱりまた胸がもやもやしてこっそりと溜息をついていた。
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